1-(3) ゴールデンズ
艦内に不安の波紋が広がり、クルーたちが新総司令官の噂で持ちきりとなるなか、一人の青年将校が艦内の通路を音もなく進んでいた。
青年将校の腰には、いまどきめずらしい刀が。刃渡りは一見して60センチ以下。短いものではあるが、ここは宇宙で、星系軍だ。いつの時代でも軍人は軍刀を腰に下げることはあるとはいえ、きわめてめずらしいといっていい。
そんな青年将校の容姿といえば、ざんばら頭の片目隠れ、揺れる前髪のあいだから覗く鋭い眼光。結ばれた口は不敵な一文字。背は170センチ程度と高くはない。彼の特徴といえば、見るものが見れば軍服のうえからでもひと目で分る鍛え抜かれた肉体。無駄な贅肉はもちろん、無駄な筋肉もないかぎりなく理想的に戦闘に特化した体躯。
そして、この青年将校は、相当な隠蔽スキルの持ち主でもある。誰もが、彼が目に入っても気にはとめない。気配を消すというのは、高度な諜報スキルの一つだが、このスキルを当たり前のように発揮できるとは、相当に厳しい訓練を積んだといえるだろう。
そして、さきの戦闘に特化した理想的肉体を思えば、この青年将校が格闘戦の腕前も、武器の扱いも間違いなく超一級ということが簡単に想像できた。
青年将校は、迷いなく通路を進んでいくが、広い艦内はまるで迷路だ。
ベースシップ機能を備えた超巨大な軍艦は、動く司令部。それが国軍旗艦瑞鶴である。
瑞鶴に着任したものの初日は、艦内の構造をしるためのオリエンテーションで終わってしまうほどだ。オリエンテーションは、艦首を出発し、折り返し地点の艦尾までいって、ふたたび艦首へ戻るという単純なものだが、繰り返すが瑞鶴はあまりに広い。重要な場所だけにかぎっても一日で回りきることは難しいだろう。
けれど栄えある国軍旗艦へ着任である。着任初日は、誰ものが胸には高揚感、手には軍から支給された携帯端末を握りしめオリエンテーションを開始する。
携帯端末にはもちろん艦内の案内マップを表示させ、それを確認しながら指定されたポイント|(重要施設)をできるだけ多く周り、より早く出発地点戻ってくる。だが、画面にでる誘導に従うだけでは、他人を出し抜くことはできない。
噂があった。瑞鶴で働く先輩たちからの噂話だ。
『いいか最初のオリエンテーションが肝心だぞ。そこで優秀さを示せ。そうしたらたちまちによい部署に移動できるんだぜ?』
当然、出世も早くなるのは想像に難くない。よい部署では、よい機会に恵まれる。
せっかくの国軍旗艦への配置。大きなチャンスを得たなら、それを元手により大きく飛躍したい。国軍旗艦に配置されるような軍人は、やる気に満ち溢れている。
悲しいかなこれは軍人の性でもある。軍隊を志願したその日から、彼らは日々の行動を点数付けされつづけているのだ。ほんの少しの優秀さの積み重ねが、大きな差になると出世を望むものほど信じて疑わない。
まあ、ただ、オリエンテーションを担当する船務科部長からいわせれば、
「これ人事の参考にはされるけど、そんなに重要でもないんだけどねぇ……。」
というものだ。必死に艦内をめぐり、それでもチェックポイントを回りきれずに戻ってきたときの彼らの落胆ぶりを、船務科部長は冷めた目で見られずにはいられない。
そんな部長の言葉に、近くにいた部下の一人が反応した。
「あれですか。オリエンテーションで新記録だせば配置は望むがまま、早期の出世が約束されるって噂話。自分も着任前に先輩から聞かされましたよ。」
「噂だ。噂。尾ひれはひれがついてそのままだ。」
「新記録なんて絶対に出ませんからね。自分のときは、チェックポイントを全部回れたやつは一人もいませんでしたよ。」
「ふん。そういうことだ。」
ただ、船務科部長としては、この噂は悪いものでもない。着任初日に、鼻っ柱ばかり強い若いエリートたちへ与える挫折感としては、ちょうどよい塩梅で、彼らの増長も適度にしぼむというものだ。
「しかし、ここんとこ連日十人、二十人単位でオリエンテーションやってますねぇ。」
「仕方ないことだな。旧軍経験者が、最前線へ引き抜かれていくからな。」
「いなくなった分が毎日補充されてるってわけですね。」
「ああ、そういうわけだ。」
ヌナニア軍は、国家統合にともない旧グランダ軍と旧セレニス星間連合軍が、一つとなってできた組織だ。国家統合後に、大幅な軍縮があり、軍の定員は旧軍時代の半分へ減らされた。そして、そのうち三分の二が、旧軍で軍務経験のないヌナニア新兵とよばれる若年層だった。
国家統合を主導した賢人委員会は、国家統合の重要なタスクの一つとして軍の刷新と若返りをはかった。とはいえこれは軍縮だ。戦争後の軍縮は、当然の当然。自然の摂理に近い政策。
だらだらつづいた百年もの戦争は終了した。二つの国家は統合され、新たに誕生したヌナニア連合と、近隣諸国とのあいだにはなにもない空間と定義される亜空洞が七割を占める。これが天然の緩衝地帯となっていた。
係争問題に発展する宙域はない。戦争の可能性はきわめて低い。最早、巨大な軍隊は不要で、軍縮と同時に、軍の組織そのものの近代化をおこなうとうのは、理にかなっている。
ただ……。
ごく一部の例外はあった。その例外の一つが、今回の戦争のきっかけだ。
――フライヤベルク。
女神たちの祝福をうけし、この宙域の帰属をめぐり、隣国の太聖銀河帝国と戦争に発展していた。
「戦況ってやっぱ悪いんですか?」
と部下は問いかけたが、船務科部長は何食わぬ顔で無視。
やはり国軍旗艦へ配属されるものは油断ならない。と、船務科部長は思った。部下は、話の流れに乗ってさらりと、とんでもないことを聞いてくる。
現在の戦況は、軍首脳部にとってセンシティブな問題だった。ヌナニア軍は、いま、微妙な時期にあるといっていい。勝つか負けるかの瀬戸際。というか雪崩を打って崩壊しないように必死。おおむね良好と世間に発表されている戦況の実態は、最重要機密事項だ。……つまり戦況は悪い。良いなら隠す必要はない。
一方で、問いかけた部下は、聞こえないふりをする上司に心中で肩をすくめた。そんな態度こそ不利としか解釈できないからだ。船務科部長という国軍旗艦の一角の部署の責任者なのだから、部下としては上司にもう少しうまく立ち振る舞って欲しい。
そんなときだ。その青年将校は、ふらりと現れた。
船務科部長と部下の入ってきた青年将校の一発目の印象は、腰の刀。二人はギョッとしたが、そのようすにすぐに気づいた青年将校が、
「許可は頂いています。証明書の提示が必要ですか?」
と、すかさずもうしでてきた。
船務科部長の目つきだけが鋭くなりせわしく動き、そして彼はすぐに、
「不要だ。」
と応じたが、彼の部下は事態が飲み込めず奇異に上司と青年将校を交互に見て、なにかいいたげなようすを見せつつも黙って引っ込んだ。上司は、OKをだしたのだ。自分に責任はない。そんなところだろう。
船務科部長は、目の前の青年将校を見据えた。片目隠れの髪型。その前髪の間から覗く容姿は、好印象を抱くには十分だ。
――これが千年に一度の人材か。
と、心中でつぶやいた船務科部長は、目の前の青年将校の正体をしっていた。青年将校は、軍内で黄金の二期生と一目置かれるヌナニア星系軍士官学校の二期生の一人だった。今回、相手の正体を見破るのは、コツをしっていれば簡単だ。二期生の軍服の装飾は微妙に違う。とはいっても目の前の青年将校の特徴といえば一つだけなのだが。
黄金のカフス。
特別な意匠のそれが、目の前の青年将校の手首では光り輝いている。船務科部長は、めざとく小さな特徴を見逃さなかった。
ヌナニア星系軍士官学校の出身。これは軍だけでなく、世間一般において、それだけ優秀さを意味する。しかも、その二期生となれば、優秀などという言葉だけではとても片付かない。
何故なら二期生は、次代のヌナニア軍を背負って立つ人材として特別に育成されたエリート中のエリート。一期生が、応急的にヌナニア軍のポストを埋めるための人材なら、二期生はヌナニア軍を形作り、性質を決め、意思を決定づけるための根幹となる人材。
ヌナニア連合には、いや、いまどきのほとんどの国家には、『計画的人材配置』という政策が存在する。これは世代ごとに各分野に、どれだけ人材を分配するかという国家計画なわけだが、この人材配分計画で、軍はつねに下位に置かれていた。
だが、二期生のときだけは違った。まだ手垢のついていないリストを手にした軍の高官たちは生唾を飲み込こんだ。このリストから上から順に、好きなのを好きなだけ……。夢のようなことだ。このとき興奮を軍の高官たちは、
「千年に一度だけだな。」
と、ささやきあって表現したので、黄金の二期生は、サウザンドとよばれることもあるのだ。
まあ、もちろんヌナニア連合は、民主主義国家で個人の意思を最大限に尊重する。みさかいなく上から順に選んだ人材が、軍にきてくれるとはかぎらないのだが……。
千年に一度と形容された軍への優先的な人材誘致をへて、きわめて高等な教育をうけてきたのが、この片目隠れの青年将校だと思えば船務科部長も気後れを感じないでいられないが、そこは年長者。
船務科部長は、自分が軍人であることを強く意識しつつ。
「ところで、私は、きみをガックリさせるつもりはないのだが、まずつたえておくことがある。オリエンテーションで新記録をだすと、希望の部署に配置されるという話は噂話にすぎない。軍は、正式にそのような規定は設けていないし慣例もない。」
いい切った船務科部長は、鼻の穴をふくらませ満足げだ。これで機先を制したろう。そんな思いだ。
けれど片目隠れの青年将校は、船務科部長とは対象的だ。彼は、静かに頷き敬礼。
「参月義成。少尉です。ご審査のほうよろしくお願い致します。」
よく教育された軍人の所作は品すらただよう。ただ一つ敬礼しただけの参月少尉に、船務科部長はあっけなく呑まれた。
携帯端末をかざしてくる参月少尉に、船務科部長は慌ただしく受信の操作をおこなって、そして呆気にとられた。
「よろしいでしょうか?」
と問いかけてくる参月少尉に、船務科部長は慌ててうなづくのが精一杯だったが、これは結果的に船務科部長という彼の立場を守ることとなったと思われる。
なぜなら、もしこのときの船務科部長が声をだそうものなら、彼は「はい!」とうわずった声で返事をしたうえで、艦隊司令官級へ敬礼するようにして参月少尉を見送ってしまったはずだからだ。
参月少尉は敬礼してすぐに去ったが、船務科部長といえば立ちつくしたまま。そんな上司のようすを怪訝に思った部下が近づいてきて。
「どうしたんですか?」
問いかけてきた部下へ、船務科部長はモニターを指さした。そこには、先程、参月少尉からうけとったデータが表示されていて……。
「ゲッ! 新記録!?」
部下は、奇声に近い声をあげてから出入り口の扉を見た。ほんのちょっと前に参月少尉がくぐった扉だ。
「何者なんです彼?」
「黄金の二期生だ。」
「え!?」
「噂は、真実だった。軍は本気だな。」
不利な戦局を覆すために、あらゆるリソースを投入する。手段は選ばない。その軍の姿勢を形にしたものが、たったいま二人が目撃したものだった。
参月少尉を始め黄金の二期生は、急遽、教育課程の前倒しがおこなわれ、実戦に投入されていた。
その参月少尉といえば、オリエンテーションの報告を終えたいま足早に艦内の通路を進んでいた。
軍用宇宙船にかぎらず、それなりのサイズの宇宙船というものは、ブロックごとに壁の色を変え、さらには様々な色のラインを引いて、いま居る場所がひと目でどこだかわかるようにしてあるのが常識だ。
たとえば、いま、参月少尉が進む通路の壁は白く、青の三本線が引かれているが、これは士官用の居住区を示している。
長年滞在しているかのような足取りで進む参月少尉。おそらく彼の頭のなかには、国軍旗艦瑞鶴の見取り図が完璧に入っているのだろう。驚異的といえる。最初は誰でも端末をたよりに移動するものなのだ。
参月少尉が進む通路の壁が漆喰塗のデザインとなり、天井も木目調となった。もちろんこれらは本物ではなく、そういったデザインなだけだ。そして、この通路は、照明のカバーも凝った装飾が施され豪華。
ひと目で、特別な高官のエリアと認識できる通路は、明らかに格の違うふんいきが漂っている。だが、参月少尉は、ここも平然と進んだ。
漆喰、木目、装飾つきの照明。ここは士官という高いクラスのなかでも、さらにかぎられた人間しか入ることが許されないエリアなのは間違いないだろう。
そこを参月少尉は、躊躇なく通路を進み、ある部屋の前に立った。その部屋の扉は、高級木材を模した特別なデザインで、電子キーの土台は輝く金色。
扉の前に立った参月少尉は、短く深呼吸一つ。時間にして、ほんの一秒ほど停止したかと思ったら、次の瞬間には慣れた手付きで部屋の電子キーを解除し、音もなく部屋のなかへと消えたのだった。