1-(21) 裁定の鉄鞭
「やられた。危惧が現実になってしまった。」
と苦い顔で国軍旗艦瑞鶴の通路を進むのは六川公平軍官房長。そのあとに続くのは星守あかり副官房だ。二人のむかうさきは、事件の起きている洗濯室。
「天儀総司令の護衛には、義成くんと国家親衛隊がついているから、よもや間違いはないと思っていたが、こうもあっさり暗殺計画を実行されるとはね。これは大問題だ。」
「まあ、天儀総司令はレベルの高いファンが多いですからねぇ。熱烈な信者か超過激なアンチの両極端。あの人に興味ある人間で、真ん中ってのはいませんから。」
苛立ちと焦りを見せる六川に対して、星守は皮肉を口にして他人事という態度だ。これは星守からすれば天儀という男への暗殺計画は、さほど目新しいものではなかったからだ。
星守あかりは、六川公平と同じ旧セレニス星間連合軍の出身で、敗戦時の最高指揮官の側近の一人だった。つまり、旧セレニス軍の敗戦の責任者の一人だったわけだ。
星守あかりは、敗戦者リストに乗った。敗戦者リストとは、わかりやすくいえば戦犯リストだ。なお、このリストを作ったのは、敵だった旧グランダ軍ではなく、味方だった旧セレニス軍の出身者である。星守は、国家統合後の軍再編の直後に懲罰の的に軍警察局へ回され、つらい日々を過ごすことになる。
軍警時代の星守にとって〝天儀暗殺計画〟は、彼女が捜査した旧グランダ系の反体制派の容疑のラインナップに十中八九登場するありふれたもの。ただ、その計画は体制を攻撃するついでに、天儀も殺しといてやる程度のもので、優先順位がどれほどだったのかは不明だ。それはそれとして、とにかくグランダ系のテロ組織にはだいたい天儀の誅戮というワードがでてきて、それを口実に捜査しやすかった。
――なんで私をこんな目に合わせた男のために!
星守の軍警察局での仕事は、間接的に天儀の身を守ることもふくまれることになったので、腹立たしいやら悔しいやら。不本意ながらの摘発の毎日。いま思いだしても惨めな日々だ。
「私からいわせれば天儀総司令は、やり口が強引で心を抉るんですよ。だから恨みを買ってる。」
「……ヌナニア軍に復帰後も、それを抱えているというのは問題だ。」
「経歴抹殺刑は、天儀総司令の悪名を帳消しにはしてくれなかったってことですね。」
「……僕としたことが読み間違えたよ。天儀総司令は、ヌナニア軍ではしがらみを抱えてないと判断していた。」
「なるほど。でも、あの人が、総司令官に指名されたのは、六川さんの意見が大きかったって私聞いてますけど。」
星守は、六川を尊敬してやまないが、六川の天儀に対する態度へは懐疑的だ。絶対に天儀支持者とはいえない六川は、天儀アンチでもない。そこで星守は、思うのだ。それは、結局は天儀を支持していることにほかならないのでは? と。合理的な思考と政治的妥協の結果とはいえ六川さんは天儀を選んだ……。
だが、自分もそうだ。天儀が総司令官である以上、その命令には従うだろう。そして戦況が不利では、天儀の指揮に期待するしかないし、状況が好転すれば天儀の実力を認めざるをえない。
星守は、組織人として、ヌナニアの国民として総司令官である天儀の足を引っ張る真似などけしてできない。制度内にいる独裁者へ対しての自身の無力さ。生真面目な星守は、これに悩まずにはいられないのだ。
「……首相には、いや、文民には軍人の善悪はわからない。」
「あら、めずらしく手厳しいですね。」
「僕としたことがしまったよ。首相からの問に僕は〝是〟とだけ応じた。それが間違いだった。」
首相の問はこうだ。
〝わしにグランダの宝剣を手にする資格はあるか〟
もちろん六川は、問の意味を瞬時に理解した。宝剣は軍人を意味し、それがグランダのとなれば天儀にほかならない。つまり、首相の問は、わしに天儀はあつかえるか? という意味だ。六川は、手にする資格はあるだろうと思ったし、あつかえるだろうとも思った。
あれは国家の主席たるものが、手にできるものだ。国で一番偉い人間。それが皇帝だろうが、内閣総理大臣だろうが問題ではない。
問いを発した星守も、この顛末はすでに承知している。
「聖剣グランダルか……。」
と星守は、意味深にいった。
――勝利の剣は、倉にしまわれた。
経歴抹殺刑となった天儀を、天儀に肯定的な感情を抱く者たちはこう表現した。そしていつしか〝グランダル〟という大層な名前までついていた。さらには、それは三つの握り手のある剣で、もとは周公雷真鞭。と、まあ、話は膨らみいつしか神話ように……。
ともかく首相は、そんな大層ないわれの剣を握ったのだ。勝つためだけに。
「それきり首相からの諮問は終わりさ。首相は、通信を切ってしまわれた。資格はあるが身を滅ぼすと応じるべきだったんだ。潔白を重んじない灰色は結局、黒だ。天儀総司令は問題が多すぎる。」
「後悔先に立たずですか。」
「ああ、恥知らずと思われても全面的に肯定するよ。だけど同じ後悔は繰り返さない。今回の暗殺未遂事件のことは首相に報告する。ヌナニア軍が問題を抱えていることを首相や政府には理解してもらわねばならない。」
「……いまの状況で事件を報告すれば、天儀総司令はおそらく解任ですよ。」
星守が、確認するようにいった。
「仕方ないさ。」
「それにしても任命した直後に解任ですか。また支持率さがりますね。」
「それでも、そうしてもらわなければ困る。首相は、本来リスク管理能力の高い政治家だ。今回のことで、天儀総司令に軍を任せたことで発生する危険性を理解するはずだ。」
「目の前の支持率低下より、将来的に発生するとてつもないリスクを危険視する……。いまなら、まだ前倒しで解散しても与党が勝つでしょうからね。だけど天儀総司令が、ハチャメチャしたあとだと下野もありうるか。ふむ。そうかも。」
「……いずれにしても身内からの暗殺計画に警戒しながら敵とも戦うなんて芸当は、いまのヌナニア軍では無理だ。いまの軍には協調と結束が必要だ。莫大な戦力を動員しても、協調性がなければ勝てない。天儀総司令は、不和もたらすことがわかった。旧軍時代にやりすぎたんだ。」
六川は、今朝方報告をうけていた。天儀が総司令官の内定をうけたときに、命じた軍内の意識調査の報告だ。報告書に目を通した六川は、絶句した。
調査でわかったことは、総司令官天儀の旧グランダ系の軍人のあいだでの評判は悪さだ。六川は、天儀総司令は、勝つためにやりすぎた。と分析した。
旧グランダ軍時代の天儀が、ヌナニア連合誕生のきっかけとなる星間会戦で勝つために、開戦前に旧グランダ軍で大規模な配置転換をおこなったことは六川もしっていた。だが、配置転換といえば聞こえがいいが、実態を正確にいえばこれは粛清だった。グランジェネラルの大権を拝した天儀は、旧グランダ軍の意思を統一するために無能を罪として断罪し解任と配置換えを断行したのだ。
これが星守のいう〝人の心を抉る行為〟というわけだ。とくに失態を犯したわけでもなく、存在を否定された人々は、沈黙したが心で恨みを醸成させた。
価値のない人間と断じられるのは、この世で最も酷烈といっていい仕打ちの一つだ。
「旧グランダ系の軍人のあいだでの天儀総司令の評判は劣悪さ。予備役の第二回招集のほとんどが旧軍出身者で、その半数が旧グランダ系と考えていい。増援がきたと思ったら半分が反総司令官では、戦況は改善どころか悪化してしまう。悪いが僕は、天儀総司令を断罪するよ。味方から命を狙われる男は、ヌナニア星系軍の総司令官に相応しくない。」
「……皮肉なもんですね。天儀総司令のアンチは旧グランダ系ばかり。私も六川もアンチも……。」
星守と六川も恨みと無縁の人生は送れていない。二人は旧セレニス軍で、辣腕をふるった。六川の旧セレニス軍での使命は組織改革。星守の役割は、六川の部下として綱紀粛正の実行部隊の指揮。組織改革中に戦争になり敗戦。勝てばまだしも負けたのだ。六川と星守の抱えるアンチは、旧セレニス軍出身者ばかりだった。
六川と星守がしばらく進むと、洗濯室の入り口は国家親衛隊で固められていた。入り口を固める国家親衛隊は、六川軍官房長と星守副官房の姿を認めると敬礼して、洗濯室のなかへといざなった。
六川が部下の星守を連れて室内へ一歩足を踏み入れた瞬間、
「どういうことだ六川!」
という総司令天儀の雷霆の一声が、六川の身を貫いた。星守は肩をすくめ、六川は状況が飲み込めず内心狼狽。
この一撃は強烈だった。悪いが僕は天儀総司令を断罪する。という覚悟で、部屋へ入ったはずの六川は、完全に天儀に機先を制された形になった。
六川が、慌てて視線をめぐらし確認した洗濯室の風景は、酷いものだった……。そしてなにより六川を動揺させたのは、毛布にくるまれすすり泣く女だ。それとセットで乱れた服装の両用機動団の男たち……。
部屋の状況から一部始終を想像している六川は、はたから見れば冷静そのものだ。
けれど冷静な態度を保ちつつも、
――ゴクリ
と六川は生唾を呑んだ。いまの六川には、頬を這うように垂れる汗の感覚が、あまりにリアルだ。
外面に動揺を見せない六川は、軍内で利刃と異名取る公平な男だ。ウラジミール軍曹ともう一人は、すがるように六川へ陳情を開始した。
「聞いてください六川軍官房長。我々は、総司令官の暗殺未遂犯を逮捕したのです!」
六川の目の前で、両用機動団の二人が立ちまくし立てていた。二人は、体格がよくまるで壁のようだ。六川に詰め寄ってきた二人は、必死の形相で言葉を並べ立ててきているが……。
――この無様な言い訳を、彼らはなぜしているのか?
六川は、表情こそ変えなかったが、心は不快感で満たされた。
五分ほどだろうか、まくし立てていた二人は、満足したのかついに継ぐべき言葉がなくなったのか、六川へ敬礼して黙った。
「ということ、だそうですが?」
と六川は、天儀を見た。六川は、自分の顔は青いだろうなと自覚したし、全身は不快な汗でびっしょりだ。
天儀は、六川の言葉に、あごをしゃくった。六川は、天儀があごでしめした方を見た。そこには、毛布にくるまれすすり泣く女。そして女の横には、義成。義成は、守るように女の肩を抱いて立っている。
「彼女は、喋れそうにないな。義成、お前が状況を説明してやれ。」
「はい。」
と応じる義成の目は怒りで燃え、その怒りの目がむけられているのは、軍人としてあるまじき蛮行をおこなったウラジミール軍曹たちだ。
「彼女は焔ヶ原鬼美笑三等少尉です。彼女は自分の亡き兄の潔義のフィアンセだった人です。自分は立場上、彼女の代弁者になれると考えます。自分が代弁して、よろしいでしょうか六川軍官房長。」
「……わかった参月特命を代弁者として認める。話してくれ。」
はい、と、うなづいた義成は、ウラジミール軍曹を睨みつけたまま話を開始した。状況を説明し、ウラジミールたちが両用機動団であることも告げた。けれど義成の話は、しばらくしてウラジミール軍曹ともう一人の声に遮られることになった。
「違う誤解だ! やってない!」
「そうです六川軍官房長。我々は、両用機動団は暗殺未遂犯を逮捕したんですよ!」
「室内が散乱しているのは、確保する際に女が抵抗したからです。」
「俺たちは参月特命に、犯人を引き渡そうとした。そうしたらなにを誤解したか、参月特命が我々へ襲いかかってきて、もうむちゃくちゃですよ。」
「女が負傷しているのは、確保しようとしたら抵抗したからです。過剰だったのはみとめないでもありませんが、相手は暗殺未遂犯ですよ。我々だって命がけだ。」
「そうです。あの女は、暗殺未遂犯なんです。ハラキリさせて詫びさせるべきは、あの女だ。我々じゃない。」
熱くなって代わる代わるまくし立てるウラジミール軍曹たちと対象的に、部屋の空気は冷え切った。
――六川軍官房長の視線が冷たい!?
ウラジミール軍曹もやっと気づいた。
「こ、これは陰謀だ……!」
とウラジミール軍曹は叫んだ。
ここで火水風が、
「はい!」
と、すかさず手をあげた。彼女の目も怒りで燃えている。焔ヶ原鬼美笑は、火水風にとって近所に住んでいた遠縁の親戚だった。引っ越すまでの数年だったが、遊んでもらった記憶も鮮明だ。
「なんだ王仕軍曹。」
と総司令官天儀が応じた。
「私、証拠があります!」
「ほう、証拠か。そいつは私も初耳だ。」
「はい。私、録音してました!」
総司令官天儀が、流してみろとジェスチャーした。火水風は、携帯端末を取り出すと手早く操作し『再生』のボタンをムっと力んで指でタップ。
『証拠を殺せばそれで終わりだ――。』
から始まる音声が室内に流れた。またも火水風のファインプレー。火水風は、総司令官室に通報しつつ、さらに選択室内の会話を録音していたのだ。人間の記憶なんて曖昧なもの。電子戦科と、あと法務部のものはこれをよく承知している。こんなこといってましたと、報告するより録音を聞かせれば説得力の効果はてきめんだ。
音声の再生が終わらないうちにウラジミール軍曹ともう一人は、糾弾の視線に晒された。たまらずウラジミール軍曹が、
「違うやってない! 未遂だ!」
と叫んだが、これにはたまらずカンブロンヌが、
――ブフッ!
と吹きだし、そのまま笑声をあげた。
「おい、聞いたかてめえら、入れたか、入れてねーかが問題らしいぞ!」
カンブロンヌのこの一声で、国家親衛隊がドッと笑いだした。
ウラジミール軍曹たちにとって形勢不利。決定的にだ。だが、抗わなければこのまま終わりだ。ウラジミール軍曹ともう一人は、ふたたび六川へ死にものぐるいで言葉を並び立てたが、それも虚しく言葉は、国家親衛隊の笑いの渦に飲み込まれた。