1-(20) 最強の援軍
「火水風――!」
義成の大音声が、両用機動団員が殺意行動に移す直前に洗濯室に響いていた。ゴウンゴウンと先程まで鳴り響いていた洗濯機の音はやんでいる。
――新手か!?
とウラジミール軍曹たちは、身構えこそしたものの、それは一瞬の出来事だった。入り口に顔をひょっこり覗かせたのは、女一人。それも小娘といっていい。小娘が胸に抱くのはタブレットだけで、徽章して電子戦科。武器はもっていないし、大した戦力ではない。殺す相手が一人増えた。些細な問題だ。ここは戦場で、死は日常だ。
部屋の中を不思議そうに見る小娘こと火水風。火水風の素人丸出しの所作だ。ウラジミール軍曹たちは、余裕の笑みを浮かべながら目配せした。
――あの小娘も殺すぞ。
両用機動団の男たちが、邪悪なアイコンタクト交わすなか義成が叫んだ。
「走れ! 火水風、全力で走れ!」
途端に入り口からは火水風の姿が消えた。ウラジミール軍曹たちは、もちろん慌てた。あの小娘が、義成特命の加勢に部屋のなかへ入ってくるとばかり思っていたのだ。それが、さっさと逃げてしまうとは、度肝を抜かれた気分だ。
――普通、助けに入るだろ!
火水風の逃走は、両用機動団の価値観からすれば驚きだ。仲間は見捨てない。たとえどんなときも。決定的に不利だとしても少しぐらい迷ってもいいはずだ。それが一目散とは……。動揺するウラジミール軍曹たちとは対象的に義成は、余裕をたたえていた。
「さて、どうするウラジミール軍曹。彼女は、俺から見てもやかましい女だ。見たままを話して回るぞ。」
「ガキが、やりやがったな!」
「目撃者が二人。この状況では隠蔽は難しくなった。お前たちには、降伏をお勧めする。そして彼女を、その暗殺未遂犯を俺へ引き渡せ。」
ウラジミール軍曹とその仲間は、顔面蒼白だ。これでは義成とレイプしようとした女を始末したところで意味がない。が、これは、ここまできたら落ちるところまで落ちるしかないということでもあった。
「……義成特命は、なにか勘違いしているようだなぁ。」
状況は、依然として状況は一対三だ。義成が不利なのは変化なし。
義成は、空気が殺気をおびたのを敏感に察知し身構えた。ウラジミール軍曹たちは、やぶれかぶれの行動にでようとしている。義成とて、考えなかったわけじゃない。バカか、バカな行動に移ることをだ。
「どうだろうか、無謀な選択だと思う。これは手遅れというやつだ。降伏しろ。ここで俺と彼女を殺しても、罪を重ねるだけで無意味だ。お前たちの悪事は必ず露見する。」
「いや、俺たちは、お前を殺して、逃げてったあの女も追って殺す。二秒でかたをつける……!」
いうが早いかウラジミール軍曹と他の二名が、義成へむけて飛びかかった。
一方、王仕火水風は、必死に駆けた。普段の運動嫌いを呪うぐらいに必死に駆けた。通信でしらせれば、とも思ったが、義成さんからの前もっての指示は、
――走って逃げろ!
でしたから。正義と無鉄砲は隣り合わせというところがあるが、義成はナカノ出身の特殊工作員。命綱なしで綱渡りをしても、へましたときに死体が見つからないなんて事態は避けてとおる配慮がある。
これは義成が、洗濯室に突入する前の話だ。洗濯室の前に立った義成と火水風。
「私もいっしょに!」
と意気込む火水風は両手を握り拳して気合十分。そして、やっつけてやるとばかりにシュッシュと口にしながらシャドーボクシング。
火水風の見せてくれた行動は、戦いをともにする相棒としては、まったく不安しかないが、
「部屋のなかが俺の想像どおりなら、俺は二人も人質を取られて戦うことになるな。」
と義成に確信させるには十分な説得力があった。
「……いいか火水風。俺の想像どおりなら、部屋のなかには両用機動団が五人いる。それに対して、俺たちは、俺と君の二人だ。この意味がわかるな?」
「ええ、わかりますよ!」
「よかった。わかって……。」
「義成さんが四人。私が一人倒せばいいんですよね? 義成さんの担当がちょっと多いですけど、そこは男の子ですから頑張ってください。」
さすがに義成の表情が引きつった。これはどう説得したものか……。手の施しようがないとすら思う。
「あはは、なんていうと思いました? わかってますよ義成さん。私だって軍人ですよ。それに宇宙ゴリラのカンブロンヌ隊長とやりあったおかげで、私も宇宙歩兵がどれだけ強いかってのもわかりました。いま、なかにいる両機団の人たちは、宇宙ゴリラぐらい強いんですよね?」
「ああ、そうだ。いいか火水風、君は入り口で待て。なかの奴らから姿が見えないようにな。そして聞き耳だけたてろ。」
「了解です。」
「そして、俺が〝火水風〟と叫んだら、入り口から部屋のなかの様子を確認してくれ。目いっぱいだ。脳に焼き付けろ。付け加えるがくれぐれも部屋のなかに入るなよ。」
「はい。」
「そして俺が頃合いを見計らって、これは俺が君の名前を叫んで三秒ぐらい後だと思うが、〝走れ!〟と叫ぶので、そうしたら君は総司令官室へむけて全力でダッシュしろ。」
「はい! ……って、えぇ、逃げちゃうですかぁ? そこは加勢に入るとか。」
「火水風!」
「あは、嘘。冗談ですよぉ。わかりましたったら。私は、入り口で姿を隠してなかの様子に聞き耳をたてる。そして、名前を呼ばれたら部屋の中を確認する。くれぐれも部屋のなかには入らない。そして義成さんが、逃げろっていったら全力ダッシュで総司令官室に駆け込んで、見聞きしたことを話す。これでいいんですよね?」
こんなことがあって火水風は、いま、通路を全力ダッシュ。もちろん普通なら通路を走るなんてご軍規違反で法度だが、いまは緊急事態だ。
室内の様子は、火水風想像をこえていた。両機団の男たちは、火水風の顔を覚えたろう。自分が、あれだけじっくり見たからには、こちらも見られたということだ。
そして室内の様子は恐怖そのもので、火水風は泣き崩れなかった自分を褒めたいぐらいだった。ここでへたり込んだら絶対に、もう逃げられない。と火水風は思った。そして、〝走れ!〟の掛け声で決められたとおりに行動した。これが一番だと思った。
――私も殺される!
そして義成さんも、あの女の人も! そんな恐怖を抱え火水風は、全力疾走していた。
息が苦しいなんてものではない。お腹が冷えて、気持ちが悪い。完全な酸欠状態だ。限界の限界をこえた状態で激しい運動をつづけるとおとずれる症状だ。脳は、走ることに酸素を全力供給。臓器が後回しにされた結果だ。
前が見えない。目がかすむ。命をかけた全力疾走に、ついに脳は、脳への酸素の供給量も減らしたのだ。まったく、この肉体の持ち主は運動不足そのもので、それでもお嬢さんは軍人かいと火水風の脳みそはあきれながら、一番正しい働きをしたのだ。
朦朧とする意識のなかで火水風は思った。義成さんは、あの悪い男たち両用機動団を倒せただろうか。でも、義成さんと対峙していた両用機動団は三人いた。二人で義成さんの相手をして、一人が私を追ってきているかもしれない。いま、倒れたらその一人に確実に捕まる。
背後から伸びる黒い手。それは悪魔の手。火水風は、背後から迫る両用機動団を想像し、ゾッとして、さらに走る速度をあげるため力を振り絞った。だが、意志とは逆に、火水風の全身から急速に力が抜け、足がもつれた。いや、火水風は自分の足がもつれたことすらわからずに、なぜかさっきまでと違って床がなくなったと不思議だった。
不思議もつかの間すぐに、
――ああ倒れたんだ。
と火水風は悟った。倒れたらおそらく、もう起きあがれない。
――ごめんなさい義成さん。私足手まといだったかも。
火水風は、息も絶え絶えとなり倒れ込むしかなかった。限界だったのだ。まだまだ走れると思っていた。だが、体は能力以上の力はしめしてくれなかった。私は頭脳派ですからね、といいわけして義務とされる宇宙で必要なトレーニング・メニューもサボりがち。そう、完全に、普段の運動不足が祟ったのだ。
転倒し、激しく頭を床に打ち付けることも覚悟した火水風だったが、ドサッと倒れ込んださきに不思議と痛みはなかった。酸欠だと痛みもないのかなぁ。そんなことを思うなか、火水風の意識が遠のいてゆく。が、状況は火水風に気を失うことすら許してくれない。黒い手が伸びた。後ろからなら、それは悪魔の手だと火水風は、心が縮むほど恐怖した。
「おい、王仕二等軍曹どうした! まずいぞ。おい、王仕しっかりしろ!」
呼び声は急速に火水風の意識を覚醒へと導いた。王仕火水風、軍人にはあるまじき運動不足で、活動限界のキャパシティが低かったが、幸か不幸かキャパシティが低く限界の到来が早かったかったことで、逆に回復と覚醒も早かった。死ぬほど走ったつもりが、さして死ぬほど走ることもなく酸欠に陥って倒れていたのだ。
「王仕なにがあった!」
と、よびかけてくるのは総司令官の天儀だった。火水風は、倒れたところを天儀に抱きかかえられていたのだ。
天儀といえば、国家親衛隊を率いて通路を急いでいたところで、顔面蒼白、鬼気迫る勢いで走る火水風にでくわし驚いてよびとめたが、火水風は停止するどころか、総司令官天儀の一団に突っ込んで倒れたのだった。
「洗濯室で、両機団が……。義成さんが殺されちゃう……。」
火水風は、息も絶え絶え報告した。さすがに回復が早いといっても、呼吸はすぐにはもとには戻らないし、気持ち悪さはすぐには抜けきらない。
「くそ、やはり洗濯室か! 急ぐぞカンブロンヌ!」
火水風の身は、国家親衛隊の一人に預けられた。一団は洗濯室へむけて急発射だ。火水風にとっては、あの怖い部屋へ逆戻りだが、今度は自動的で、そして疲れない。楽ちんだ。
「グランジェネラル。王仕二等軍曹から〝事件は洗濯室〟という報告をうけてむかってみてよかったですね。」
「ああ、とんでもなにことに、なっているかもしれんなカンブロンヌ。」
洗濯室へ急ぐなか、総司令官天儀とカンブロンヌ連隊長からそんな会話が聞こえてきた。
なんのことはない。逃げる火水風が総司令官天儀の一団とでくわしたのは、火水風自身のファインプレーだった。火水風は、洗濯室の前で聞き耳を立てつつ、総司令官室へチャットで通報していたのだ。慌てくさった通話より、文字のほうが効果的だ。さすがは電子戦科の火水風といったところだ。こんな状況だからこそ冷静に文字に起こしての報告は得意だ。
しかし火水風は、不思議だった。あれほどにくかった相手が、祖父の敵が、殺してやろうとすら思った相手が、いまはこれほど頼もしいとは。
――人食い鬼。
この世で味方につけて、最強を冠する悪の軍団ほど頼もしいものはない。いまの火水風にとって、宇宙ゴリラとさげすんだ国家親衛隊は、鋼のヒーロー軍団で、それを率いる天儀総司令は……。
――あは、やっぱり悪の大魔神かも?
でも失礼ですよね。でも、きっとこの人たちなら、両用機動団なんて、あっというまに倒してしまうんだろうな、という絶大な安心感が火水風を包んだのだった。
「貴様らなにをしておるか!」
洗濯室に轟いたは、天儀の一喝。ヌナニア軍総司令官の一声は、室内にいたものたちの闘争心を割って、行動をとめさせるのに十分効果的だった。
室内の様子といえば、これが国軍旗艦でありうる光景なのかと誰もが疑うようなものだった。散らばる衣類に、歪んだ洗濯機。斜めにひしゃげた作業台。お前らが殺意を込めて殴り合ったのはわかるが、それでも、どうしてこうなるのかという光景だ。
義成といえば、髪の毛は乱れに乱れ、口からは一筋の血。床に転がる両用機動団男たちが三人。義成は、火水風が逃走を開始してから一人倒していたのだ。恐るべき格闘戦の技能を持ち合わせているといっていい。そんな義成へ臨戦態勢のままの対峙する両用機動団が二人。そして毛布で身を包む女が一人。これが、部屋に入った天儀の目に飛込できた光景だった。
室内は闘争で生まれる独特の発汗と、アドレナリンに起因する匂いでむせ返っていたが、激しい戦闘も総司令官天儀と国家親衛隊の登場で、急遽閉幕となったのだった。
カンブロンヌが、胸いっぱいに空気を吸い込み、
「総司令官閣下であらせられるぞ! 敬意を態度でしめせ!」
と発すると、その場にいた全員が一斉に敬礼。カンブロンヌの言葉には他人を圧する威があり、戦場の天儀には最大の敬意をうけるだけの人格がある。
室内の意識がすべて総司令官天儀へむけられて、全員が敬意をしめした。国家親衛隊と義成。そしてウラジミール軍曹ともう一人も直ちに敬礼していた。もちろん火水風もだ。すでに火水風は、ほぼ回復し自力で立っている。
先頭で消耗しきった義成は、よたつかないように気をつけながら総司令官天儀へ近づき再び敬礼してから、
「すみません。確保しそこねました。」
と、きっぱりと報告した。
20分で捕まえると大言壮語して結果はこれだ。暗殺未遂犯を捕まえるどころか、敗北寸前に追い込まれたところに総司令官天儀の登場で救われた。これが義成から見たこの部屋の状況だった。
義成は、叱責はもちろん罰も覚悟したが……。
「いや、十分だ義成。暗殺未遂犯を捕まえたやつごと捕まえた。パーフェクトだ。」
義成の瞳のなかの天儀が凶悪に笑った。
天儀の凝視しているさきは、報告した義成ではなく、毛布に身を包みつながらも敬礼する女だった。天儀の凝視する女の顔は、つい先程できたとしか思えない顔のアザがあり痛々しい。そして――。
――俺を殺そうとした女が、いま、なぜ毛布で身を包んでいるのか。
戦場には、この世のすべてが揃っている。結果主義は業を積み上げ、力がすべてで、なんでもありだ。
天儀は、歴戦だ。いまのヌナニア軍で天儀より長い戦場生活を送った経験があるものは、そうはいない。そんな天儀にとって状況は、ひと目見て察して余りある。