1-(12) ファースト・オーダー (心即理)
特命係室に響くは、携帯端末からのけたたましいコール音。総司令官天儀からの呼びだしだ。
「早速きたか。」
特命係参月義成は、そう口走って素早く部屋をでた。
むかうは、もちろん総司令官室。特命係室の真横だが、六川軍官房長や星守副官房の話からするに、呼び出してきた天儀総司令は、相当せっかちで一秒と待たず「遅い!」と怒鳴りつけてきそうなタイプと義成は判断していた。それに拙速といえども素早く行動することは軍人の基本だ。
「失礼します!」
と総司令官室へと勢いよく一歩足を踏み入れた義成は硬直した。
部屋に入って目の前には広がった光景は、男に両手を押さえつけられ絶望的な悲鳴を上げる若い女子。女子に覆いかぶさっている男は、
――天儀総司令!?
硬直は一瞬のことだった。悪徳を目の前にして、義成の行動は電光石火だ。
「知行合一・正義断行!」
と叫んだが早いか天儀へ飛び蹴りし、着地と同時に素早く女子を背にしてかばった。
「なにを考えていらっしゃるんですか天儀総司令! これは不祥事です。自分はあなたを非難します。」
義成は、壁に背を打ち床に転がった総司令官天儀へむけ叫んだ。
「それはこっちの台詞だ義成。なんで俺を、ゲホッ、痛え……。」
「致良知と申しますのでね。悪を目にして、迷っている暇があったら行動します。ゆえに、いま、あなたを処しました。」
「致良知だぁ……? ああ、お前の正義の心が、俺が悪だと叫んでやがるってか。」
「言葉の意味を、ご存知とは博識ですね。ですが、それだけに残念です。」
――致良知
とは陽明学という古い学問の重視した言葉だ。人の心と体は不可分で、心はもとから善性を備えている。悪いことをおこなうのは、体、この場合は頭で、金勘定のような損得を考えるからで、心の欲するままに良心を発揮すれば、悪い道に染まらないということだ。
「なにが残念だ。残念なのは、義成お前だ。お前のいったことは、つまり感情的に気に入らない方を排除したってことだよな。テロリストの理論じゃねーか!」
「断じて違います。心即理の原理に従ったまでです。」
「……それ、最初にこの部屋にいたときもいっていたな。いま、わかったぞ。陽明学の言だな。くそ、この世で陽明学を実践する化石バカを初めてみた。」
「バカですか。ですが、化石の陽明学徒でなくとも弱い女子が襲われているのを見て、助けない男子はいないと断言します。」
天儀が、よたよたと立ちあがるなか、義成は助けた女子に言葉をかけた。女子は王仕という名で、二等軍曹だという。
暗殺未遂犯の名前を聞いた天儀は、義成に蹴られた辺りをさすりながら、
「王仕だと……。皇帝の侍従みたいな名前して、やることは度を越してる。……ちくしょう痛え。少しは加減しろよアホ義成。」
と悪態をついた。
そして王仕軍曹といえば、義成の腕のなかで青白い顔で震えている。
――大きな瞳だ。
不謹慎とわかっていても義成は、女子の容姿に形容し難い魅力を感じてしまった。そんな王仕軍曹は、腕のなかで青くなって震えて……。
「私、襲われました。あの人変質者です!」
いや、王仕軍曹は震えるどころか、義成の袖を強く掴んで訴えてきた。形相も必死だ。よく見れば彼女が青白い顔なのも必死で力のかぎり抵抗した結果で、ようは運動による酸欠気味なのだ。恐怖からきているではない。
――違和感あり。
と義成は自身の体の熱が引いていくのを感じた。だが、義成とは逆に、ヒートアップしたのは変質者よばわりされた天儀だ。
「言うに事欠いてそれか。いいか義成よく聞けよ。その女は、お前と同じことをやろうとしたんだ。突然扉が開いたかと思ったら、その女が乱入してきた。そして、そいつで俺を刺そうとしてきた。」
と天儀は、床に転がる短刀を指さした。
床に転がる刃渡り15センチ程度の短刀。作りは漆塗りに、錦の蒔絵。鞘も近くに転がっていた。こちらも凝った作りだ。相当な高級品。おそらく恩賜の一品。恩賜となると、旧グランダ系軍人のものになる。旧セレニス星間連合に君主はいない。王仕軍曹は、ヌナニア新兵だ。徽章から区別がつくのだ。つまり、転がる刃物は天儀総司令のものと推理できる。天儀総司令は、旧グランダ軍人で、皇帝の信頼が厚かった男として有名だ。こういった高そうな短刀をもらっていても何ら不思議はない。そう。義成は、美術品への興味は薄いが、武器や軍事関連のものなら別だ。
この転がる刃物が、天儀総司令のものとなると、やはり天儀総司令が、この娘を襲ったのか? だが、そうなら刃物で脅されたといいそうなものだが。義成はますますわからない。状況証拠は、天儀が黒。だが、心には違和感がある。
黙り込んでしまった義成に、王仕軍曹は必死だ。大きな瞳を精一杯悲しげに潤ませて、毛量の多い肩まである髪を振り乱し、
「違います。今日、突然、天儀総司令官に呼び出されたんです。なにかと思ってきてみたら、この男が出世したいなら体を好きにさせろって、私を押し倒してきたんです!」
そういって義成にすがってきた。
このいいぶんに、天儀は猛反発だ。
「違う! もう一度言うぞ。突然扉が開いたかと思ったら、この女がいて親の仇はかく討つなりとばかりに、俺に向けて短剣を振りかざしてきたんだよ。」
当然、王仕軍曹は猛反撃。
「うそっこです。ほら、私って電子戦科以外でも可愛いってちょっとした話題なんですよ。インフェスのフォロワーだって多いんですよ。そうですきっとこの男は、インフェスで私のアカウント見たんじゃないですかね。そこで私の可愛さに目をつけて、私を呼び出した。きっとそうです!」
インフェスとは、フォトや短文をあげてやりとりするSNSで、ヌナニア国内で最大のSNSサービスの一つだ。
このさい天儀総司令はいい。と思った義成は、観察するように王仕軍曹を見た。彼女のいっていることの成否で、すべてが決まる。義成は、特殊工作員。表情から嘘を見抜く訓練もうけている。
――たしかに可愛いが……。
義成は、不謹慎にも最初に頭に浮かんだ感想を振り払い王仕軍曹の観察をつづけた。彼女に、嘘をいっているときに見られる特有の兆候はない。けれど、訴えてくる王仕軍曹の迫力もさることながら、とても力強い。やはりどうしても義成は、違和感が拭えない。押し倒されたとは、つまり強姦されそうになったということだろう。だが、たったいま、強姦されそうだった女性が、こんな言動になるのだろうか。なにか違う気がする。
あえて義成は、感情を殺し、
「つまり?」
と強く問いかけてみた。
義成の冷たい態度に、王仕軍曹は、
「え……」
と発したきり絶句してしまい見るからに動揺した。
義成の目が光った。
いま、王仕軍曹の見せた動揺の色を、表情分析学を根拠に推定すれば、絶望でなく、焦り――。義成は、たたみかけるように質問をぶつけた。
「つまり体を好きさせろとは、具体的になにを要求されたんだ?」
「エェエエ!? えーっと……、エ、エ、エッチなこと!」
「エッチなこと、とはなんだ? アルファベットのエイチのことをいっているのか? それにしても具体性がない。もっとわかりやすく頼む。」
義成の無理解な態度に、王仕軍曹は、
「ふぁ!?」
と叫び声をあげて硬直してしまった。王仕軍曹としては、力攻め! とばかりに言葉を並びたて、これ以上わかりやすい状況説明もないと思っていたのに、眼の前の男は問い詰めてきて無理解はなはだしい。
あのとき王仕軍曹は、絶望していた。体力差は歴然。天儀に組み伏せられ絶体絶命。王仕軍曹は、諦める寸前だった。このまま、この男の欲望のまま蹂躙されるしかないと。心が潰れそうなほどの恐怖。
けれど――!
そこに正義のヒーローが登場した。私のための正義のヒーローだ。やはり悪は、倒されるのだ。それなのに……。王仕軍曹は、オロオロするばかりとなった。
この様子を見かねたのが、他ならぬ天儀だった。天儀は、義成の態度に呆れつつ、
「おいおい義成、この場合エッチなことといったらレイプだろ。俺がレイプしようとしたと、その女は主張してんだ。いくらなんでもわかれよ。」
と、助け舟をだした。変質者呼ばわりされた本人からの思わぬ助け舟。だが、これはチャンスだ。王仕軍曹は、ビシッと天儀を指さして……。
「はい! 私この変態にレイプされそうでした!」
とハッキリ、キッパリ主張した。
天儀といえば、王仕軍曹のあまりに節操のない態度に、
「おい、てめえ!」
と食ってかからんばかりに彼女を睨みつけたが、王仕軍曹は、義成の背にさっと隠れてから天儀へ反撃開始。
「聞きましたよね私の正義のヒーローさん。この変態は、いま、私をレイプしようとしていたことを認めました!」
「そんなわけないだろ!」
「いいえ、そうです。いまのそういう発言ですから。」
「どうしてそうなる。話が進まないから、俺は仕方なくきっかけを与えただけだ。それを自供だとほざくか普通!?」
「いいえ、そうなります。あなたは認めたんです。エロイことするために私を襲ったって!」
「全然、違う!」
状況は、低レベルな水掛け論に発展。……第三者の義成は、二人を交互に見た。二人とも俺を、私を信じろと強い眼差しを向けてくるが。
「なるほど。わかりました。」
途端に二人の表情は明るくなり、「わかってしまったか義成よ」、「わかってくれたんですね!」と、それぞれ同時に歓喜の声をあげた。
「そこに落ちている短刀は、恩賜の一品ですね。となると旧グランダ系の軍人の持ち物です。彼女は、徽章からするにヌナニア新兵だ。外見から推察できる年齢的にも旧軍経験者じゃない。そして、天儀総司令あなたは旧軍出身だ。」
「バカいえ、俺がもらってたのは、もっと豪華でデカイのだ。旧軍での俺の立場は、グランダ軍総帥だぞ。あんな短くてチンケなのを渡されるのは小物だ。」
「あ、小物ってひどい!」
非難の声をあげてしまった王仕軍曹は、しまったという顔をしてすぐに黙り込んだ。もちろん義成はそれを見逃さなかったが、やはり証拠がない。天儀総司令を無実とするにも、王仕軍曹の主張が正しいとするにも、どちらも裏付けがない。
「とにかく状況証拠は、天儀総司令が黒ですね。」
「おい!」
と天儀が不満の声をあげた。対して王仕軍曹はニンマリだ。義成は、そんな二人を無視してくるり後ろを向いて戸棚へ向かった。戸棚には、時計や高そうな壺などが陳列してある。
「ですが、俺の心は腑に落ちない。ここは心即理の言葉に従い行動させてもらいます。」
「なんですかそれ。意味がわかりませんよ!」
義成の背後から王仕軍曹が食って掛かった。王仕軍曹は、もう勝負は決まったと思っていたのだ。天儀は、レイプ犯で確定。その矢先に、こともあろうに正義のヒーローさんは、なにか嫌な予感のする行動をしだしたのだ。
「心に従えということだ。俺の心は、どちらの意見が正しいか見極められていない。」
「えー、この男が悪いでいいじゃないですかぁ。」
「王仕軍曹。俺も心情的はそうしたいが、それはできない。」
「でもぉ。さっきわかったって、いいましたよね?」
「ああ、わからないことが、わかった。それだけだな。」
「えぇ……。」