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「・・・とまあ、こんな感じで、私は聖教会に売り渡されたんです」
アイリスの昔話が終わるころには、もう二人の紅茶はなくなってしまっていた。
ちらほらと他のお客さんの姿も増えてきている。
「何としてもファルナ村に帰りたかったから、今日までにどうにかしたかったんですけど・・・あはは、やっぱりこの国でも難しいですね」
自分に対しての風当たりのことだろう。
自分の負傷しか回復できないのに冒険者になろうとしている聖女の噂は、時と共に風化するどころか、冒険者たちの間の笑い種として拡散され続けてしまっている。
その拡散を主導しているのが自分で、アイリスが知ればきっと恨むだろうな・・・と負い目を感じながらも、ニーナは面倒見のいい受付嬢を偽装し続けた。
「この3か月、全部合わせると、もう200連敗くらいです・・・・おわっ、なんで泣くんですか、ニーナさん」
ラムル王国に来る前にも、別の国のギルドで彼女は冒険者パーティを探しまくっていた。それをすべて含めれば、断られたパーティは200を超えるということなのだろう。
純白の手巾をアイリスから受け取ったニーナが、目元に当てて涙を拭う。
「なんかもう、200回も繰り返してるって思ったら悲しくなっちゃって。・・・強いのね、アイリスちゃん」
「もう涙も枯れちゃっただけですよ。それに・・・泣いてても何も変わらないんで」
10歳以上も年の離れた聖女の言葉に頷いて、ニーナは再び涙を拭った。
染みのできた手巾をアイリスに返さずポケットにしまう。
「ごめんね、これ。新しいの買って返すから」
「え、と・・・それ、聖教会支給のやつなんで、とんでもなく高いですよ?確か3万レニスくらいは・・・」
「・・・・・・・・・・」
3万レニスは、受付嬢としてのニーナの給料約1か月分。
胸ポケットに丸められた手巾を正方形に折りたたみ、ニーナは頭を下げて聖女に差し出した。
「ここのお茶代払うんで、勘弁してください・・・!」
「いやいや、大丈夫ですって!・・・お茶代はお願いしたいですけど」
顔を見合わせて笑う二人。
ひとしきり笑ったあと、アイリスが溜息をついてニーナを見つめた。
「はぁ・・・ニーナさんが冒険者に復帰してくれたらなぁ。そしたら、私のこと、仲間に入れてくれますよね??」
「えぇっと、パーティ状況による・・・・かな?」
思ってもいない質問だったため、ニーナはアイリスの求めている答えを返すことができなかった。
かつてAランク冒険者パーティに所属していたニーナにとって、仲間を回復できない戦闘力のない聖女など、ただのデクだと分かっている。
だが、彼女を励まそうとする受付嬢の回答としては確実に間違えた答えだった。
「やっぱ、要らないですよねぇ・・・自分しか回復できない聖女なんて」
暗い顔になりながら、ハーブティをちびちび啜る。
ニーナは掌を合わせて音を立てて、アイリスに笑いかけた。
「ついさっきね、遠征からラムルに戻ってきた冒険者パーティの情報を聞いたの。パーティ名は『火炎の龍獄』。リーダーはマルクスってスキンヘッドの男の人で、かなり長い間ダンジョンに潜ってたみたいだから、たぶんアイリスちゃんのことを知らないはずよ」
「・・・ほんとですかっ!」
わずかな希望に表情を輝かせるアイリスを見て、罪悪感で潰されそうになる。
『火炎の龍獄』も勿論、ニーナが既に欠陥聖女の情報を流している冒険者パーティだ。
「うん。南通りの酒場にいるはずだから・・・」
「ご馳走様でした。今から行ってきますっ!」
頭を下げて飛び出していくアイリスの背中をニーナは見送る。
「気を付けてね」と一言呟いて、ニーナは小さくため息をついた。
***
酒場の冒険者パーティに加入を断られ、ギルドに戻ったら初めて会ったC級冒険者パーティに運よく参加することができた。
だがそのパーティの昇格クエスト中に運悪く一人で魔物と戦い殺されかけ、いつの間にか湖のほとりにアイリスは転移していた。
そしてレベル4の魔物クリスタルリーパーに聖服をボロボロにされたアイリスは、全裸を見知らぬ男に見られてしまったのである。
アイリスは両腕で体を隠すようにして、謎の男カグラに背を向けていた。
周囲を確認してみると、自分がどういうわけか森の中に移動していることに気づく。
背後は木々に囲まれていて直ぐ近くには大きな湖。所々に霧が立ち込めているどこか神秘的な雰囲気の場所だ。
だが、木を背もたれにして、真っ赤な顔でこちらを見てくる男の存在がその雰囲気をぶち壊している。
「私・・・どうしてここに?」
「んー・・・。多分だけど、転移魔法だね。まあ、君が発動したわけじゃなさそうだけど」
聖女は回復魔法以外を使えない。
カグラと名乗った男はイヤらしくアイリスの体を見てくるどころか、そっぽを向いてひたすら酒を飲み続けている。
敵意の籠る視線に気づいたカグラは、もう1本の酒瓶をアイリスに手渡してきた。
「あっはっは! まあ生きてたんだから、裸見られたくらい気にすんなって! いいから飲みなっ!俺も一人で飲むのそろそろ飽きてきてたし!」
「・・・・・は?」
「何だよぉ・・・ほれ、飲め飲め飲め!」
死の淵から目覚めた直後、1か月前まで未成年だったアイリスは見知らぬ男から強烈なアルハラを受けてしまった。
アイリスは酒など飲んだことがない。
というより、聖教会から飲酒は厳禁と言われていて、破ればかなりきついお叱りが待っている。
だが、目の前で愉快そうに笑っている男は命の恩人。
薦められたものを無碍にはできないし、彼のように楽しく笑っていられるなら、酒の一滴二滴飲んでも大丈夫だろうと覚悟を決めた。
(ええぇい!もう知るか!!)
そうして、ぐびぐびぐびぐびぐびぐびぐび・・・・・と酒を飲み始めてから早一時間。
アイリスはもはやへべれけになって、呂律も回らなくなってしまっていた。
「それれれすねぇ・・・もう最悪なんですよ、あいつらっ!」
「ギャハハハッ!洞窟破壊して魔物の罠にかかるとか、ウケル!!」
「笑い事らないないんれす!!」
血塗れのアイリスが目覚めた神秘的な森は、既に二人だけの宴会場と化していた。
どこから出てきたのか分からないもう1本の大瓶の酒をアイリスはグビグビ喉に通していく。
なんとなく苦いし、匂いもキツい。
何が美味しいのかアイリスにはよく分からなかったが、それでも身体がふわふわして心地よい感覚は嫌いではなかった。
瓶1本を飲み干したカグラが、そこらに空き瓶を放り投げ、新しい酒を飲み始めてふと言った。
「あぁ、なるほどな。クリスタル・リーパーの巣窟ってことは・・・未発動のままの転移魔法が残ってたのかもなぁ」
「どーいうことれす?」
上半身をゆらゆらさせてとろんとした表情を浮かべるアイリスが、幼女のように首を傾げた。
「アイリスが置き去りにされた場所に、冒険者の装備が転がってたんだろ?」
「もうだいぶ昔の人たちのやつれしょうけろー」
言葉の半分以上、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
視界がくらくらする中で、アイリスはクリスタル・リーパーの巣窟を思い出す。
確かにあそこには、錆びついてボロボロになった装備品が至る所に散らばっていた。
「つまりだ。昔、お前たちと同じようにその巣窟に入り込んでその魔物と戦闘になって、転移魔法を使える術者が魔法陣を作った。・・・だけど、発動条件を満たさずにそのまま放置されていた・・・ってところだろうな」
「条件? 何れすか、それ?」
「聖女の血だよ」
その一言に恐怖心を抱いたアイリスが表情を曇らせた。
「魔法陣に聖女の血を流し込むことで、術式が発動するってわけ。だからまあ、アイリスはかなり幸運だったね。過去の冒険者さんに感謝しないとな、アハハッ!」
不謹慎にもカグラはけらけら笑っている。
アイリスの責めるような視線に勘づいてか、カグラはゴホンと咳払いをして、話題を変えた。
「・・・で、アイリスは何で冒険者なんてやってんの? そこまで戦闘力ないみたいだし、聖女は聖都に引き籠って怪我人と病人を回復すんのが仕事でしょ」
「それはれすね・・・」
カグラの言う通り、聖女としての能力に恵まれた少女たちは、聖都にある聖教会から離れることは少ない。
各国から運ばれてくる怪我人や病人を、聖なる力で癒すことから聖女と呼ばれ崇められているのである。
これまで誰からも敬われたことのないアイリスは、自分の身の上話をカグラに語った。
受付嬢のニーナに語った自分の過去。
時々怒り、時々涙を流し、時々酒を飲んで笑いながら話し終えた時には、もう数十分が経過していた。
「・・・まあ、酷い話だね」
所々ふざけたように話していたアイリスだったが、カグラは真剣に受け止めているように見えた。
自分の抱える問題を誰にでも話すほど、アイリスは無神経なわけではない。
1か月間、ギルドで世話をしてくれていたニーナは、ラムル王国に来るまでの他の国の誰よりも親切で丁寧だった。
彼女なら信用できると思ったから全て打ち明けたのだ。
だがカグラはつい1時間前に会ったばかりのただの他人。
ただどういうわけか、この酔っ払い男にも話してもいいような気がした。
それはただ単にアイリスが酔っ払っていた勢いなのかもしれないが、どこか優しげな瞳で見つめてくるカグラを見ていると、涙が止まらなくなってしまう。
「いやいやぁ・・・でもぉ・・・私がポンコツ欠陥聖女だからダメなんですよぉ・・・」
「おいおい今度は泣き上戸か・・・・・それにしても、10歳から真面目に魔物の勉強するなんてそんな聖女聞いたことねぇや」
「それだけは、わたしの自慢なんれすっ!」
「ははっ、すげぇすげぇ・・・・・・・・じゃあさ」
ささやかな胸を張るアイリスを笑った直後、カグラの視線が不意に鋭くなる。そのままアイリスに向けた指を頭上に持ち上げて
「こいつらが何か、分かる?」
「・・・ふぇ?」
首を持ち上げてみたが、真っ青な快晴が一面に広がっているだけで、魔物の姿など影すら見当たらない。
雲一つない空を見て困惑していると、カグラが笑っているのに気付いた。からかわれていると理解したアイリスは
「ふざけないでくださいよぉ・・・」と頬を膨らませた。
「いんやぁ、真剣、真剣!」
そう言ってカグラは空っぽになった酒瓶を空めがけて思い切り放り投げた。
クルクル回転しながら空中に弧を描いた空き瓶は、そのまま地上に落ちてくることなく、音もなく空中で粉々になってパラパラと落ちてくる。
それはまるで、見えない何かにぶつかって破壊されたかのような現象だった。
「なに、これ・・・」
「ほれ、そろそろ出てくるよ」
カグラがそう言うと、頭上に複雑に絡み合う糸の結晶のような何かが出現した。二人を逃がさないよう囲う形で張り巡らされているその糸にアイリスは見覚えがある。
そしてその糸の上をカサカサと蠢く魔物のことももちろん知っている。
真っ赤な6つの眼球が埋め込まれた巨大な楕円形の胴体。
そこから生えている8本の脚部の先端は刃物のように鋭利で、所々から毒のような液体が漏れだしている。
ほんの数時間前に殺されかけた、攻略難度レベル4指定の巨大蜘蛛型の魔物に間違いなかった。
「・・・・・・・・・クリスタル・リーパー」
「うげ、気もちわる・・・やっぱり、こいつがクリスタル・リーパーか。初めて見たなぁ」
呑気なことを言いながらもう一本の酒瓶を抱えているカグラの腕に、アイリスは無意識のうちにしがみついた。
「にしても、不可視の幻惑を使うとは・・・」
「不可視の幻惑・・・!」
それは5年前、アイリスが聖女の能力に目覚めるきっかけとなった空飛ぶ虹色の魔物が持っていたのと同じ能力だ。
不可視状態に変化して、気配すらも察知されなくなる魔物のみが扱う厄介な魔法。
「じゃあもしかして、洞窟の中でも透明になってた・・・?」
「そうだろうねぇ。レベル4クラスの不可視の幻惑は、鼻の利く獣人か魔法を無効化する結界でも張らないと、そう簡単には気付けないだろうし・・・C級パーティ程度じゃ無理だねぇ」
「でも、どうして・・・」
さすがに透明のままアイリスを追いかけ続けたとは思えない。
クリスタル・リーパーが根城にしているのはあの洞窟の中だけ。
魔物はそう簡単には、自分のテリトリーから抜け出そうとはしないものだ。
ならどうして、予期せぬ転移魔法で移動した自分のいる場所にどうしてあの化け物がいるのか。
アイリスの疑問にカグラが答える前に、敵の魔物が先攻した。
「・・・うおっ、アブね!」
クリスタル・リーパーが二本の脚を二人に叩きつけた。
刃になっている側面での一撃は、アイリスとカグラの体を掠めただけで直撃はしていない。
だが風圧で吹き飛ばされそうになったアイリスは、カグラの体に強くしがみついた。
死ぬ寸前まで追い込まれた魔物への恐怖が、彼女の中にはまだ強烈に残っていた。
ビクビク震えているアイリスの様子を見たカグラが茶化す様に笑った。
「・・・あのさ、そんなに俺と抱きあってたいの?」
「え、いや、違っ・・・・くないけど・・・」
至近距離でカグラと見つめ合い、アイリスは頬を紅く染めた。
この凶悪な魔物に、一人だけで立ち向かう勇気はない。
アイリスはカグラの腕を握って体を震わせていた。
子どものように涙目になっているアイリスに優しく笑いかけ、カグラが残っていた酒を全て飲み干して言った。
「俺が適当にあいつの相手するから、早く逃げな」
「・・・・・・・逃げる?」
そう言われたアイリスは、自分が回復できずに見捨てた冒険者たちと自分を見捨てた冒険者たちのことを思い出した。
アイリスがラムル王国の前に2か月滞在していた大国エルゲイム。その国のギルドの紹介を受けて最後に参加した10組目の冒険者パーティ『フォルトナ』はB級パーティだった。
リーダーもメンバーも、全員優しくて冒険者としても優秀。許されるならずっと『フォルトナ』の仲間でいたいとアイリスは密かに願った。
だがそんなささやかな願望すら、アイリスには許されない。
アイリスが戦闘に不向きだという理由で、レベル2までの魔物しか出てこない地域で活動していた『フォルトナ』だったが、突如地面が裂けて巨大な魔獣との戦闘に巻き込まれたのだ。
(そういえば、あの時もいきなりレベル4に遭遇したんだっけ・・・・)
そのときの魔物はレベル4。
警戒も準備もしていなかった冒険者たちは、突如出現したサイケロンという四足歩行の魔獣に手も足も出なかった。
まずはリーダーが岸壁に叩きつけられて動けなくなり、他のメンバーも次々と傷ついていく。そんな惨劇の中、アイリスにできることは魔獣に気づかれないように一人で逃げるだけだった。
そしてアイリスはB級冒険者パーティを壊滅しかけた欠陥聖女にして、史上最悪の疫病神とも呼ばれるようになったのだ。
誰かを見捨てて逃げ出す嫌悪感も、誰かに見捨てられる絶望も、アイリスはもう味わいたくはない。
唇をかみしめたアイリスはカグラを睨みつけた。
「いえ、私が囮になります。聖紋のないただの酔っ払いを放置することはできません・・・!」
「・・・ハハッ、言うじゃないの」
顔は真っ赤なままだが、へらへら笑っていたカグラの瞳が、一瞬だけ真剣みを帯びたような気がした。
そして小刻みに震えているアイリスの手を握ってくる。
「ここから動くなよ、死にたくなけりゃあな」
その刹那の表情を見て、アイリスは全身に戦慄が走るのを感じた。
(何、この人・・・・・)
体が震えているのが、魔物に対する畏怖のせいか、目の前の男に対する恐怖のせいかは分からない。アイリスの体は金縛りにあってしまったかのように、その場から動くことができなくなっていた。
カグラは見たところ何も武器を持っていない。手にしているのは、空になった酒瓶のみ。
そんな無謀な格好でレベル4指定の魔物に挑んでいく人間は、世界のどこを見渡しても他に誰もいないだろう。
だが何よりも気にかかるのは、カグラが聖紋を持っていそうにないこと。アイリスにとってはそれが最大の不安の種だった。
聖紋が体のどこに刻まれるかは、冒険者によって異なる。
装備や服で隠れていて見えないこともあるが、聖女であるアイリスには、聖紋が与えられている冒険者かどうか、実際の紋章を見なくとも判別がついていた。
カグラからは、聖紋の気配がない。
それはつまり、彼が魔法を扱うことのできない人間であることを意味していた。
「さぁて・・・じゃあ、これ借りるね」
「え、あ・・・」
ボロボロになったアイリスの聖服の上に置かれていた杖を手にして、カグラがクリスタル・リーパーに向き合う。
右手に酒瓶、左手に杖を構えて、戦闘に備えるカグラ。
聖女の杖に攻撃力はほとんどない。
どんな攻撃を受けても壊れることがない、異次元の耐久力を備えてはいるが、あの杖はただ回復魔法を強化するためにあるだけの道具。
当然回復魔法を使えないカグラにとって、それはただの木の棒にしかならないはずだ。
敵意を察知した蜘蛛型の巨大な魔物が、4本の前足を上下に構えた。
その光景はどこからどう見ても、酔っ払いが喧嘩を吹っかけているようにしか見えない。
だが今の相手は酔っ払いではなく、油断すれば確実に殺されてしまう強力な魔物。
クリスタル・リーパーの方も、目の前の男が挑発していることに勘づいたのか、不機嫌そうに唸っている。
アイリスの視界の中で、不意にカグラの体が二重にぼけるように動いた。
直後、魔物の唸り声がピタッと止まり、空中の巣を動き回っていたクリスタル・リーパーは大きな音を立てて地上に落下した。
(・・・速すぎる!!)
アイリスの動体視力では捕捉できないほど、カグラの動きは人間に可能な速度を超えていた。
上空を見てみると、複雑に張り巡らされていた魔物の糸が全て切断されて、地面に突き刺さっていた。
「こういうタイプのやつが厄介なのは、自分の行動範囲と速度が向上すること。なら、その大元を崩せば、討伐はだいぶ楽になる」
カグラが目を見開いて驚くアイリスに説明する。
ということは、アイリスが目で追えなかったあの一瞬で、周囲のクリスタル・リーパーの巣を破壊したということだろう。
「あり得ない・・・聖紋もないのに・・・・・」
魔法を発動するためには聖紋が必要。
聖教会から紋章を授かっていない人間が魔法を使おうとすると、全身を苛む拒絶反応が発生して、発熱や出血などの副作用が起こる。
だが、クリスタル・リーパーと対峙するカグラの体は依然としてピンピンしていて、痛がる様子も辛そうな様子もない。
「よぉ・・・相手が悪かったな」
カグラが仁王立ちのまま声を掛けると、クリスタル・リーパーが地面に脚をつけたまま口から鋼鉄のような糸を勢いよく射出した。
銃や砲弾よりも高速で吐き出された糸は、カグラが立っていた背後の木に直撃して太い幹に無数の穴を開けた。
だが当のカグラはまたも高速でその場から回避していて、魔物の背後をとっていた。
手にした酒瓶が金色に輝き、そのままクリスタル・リーパーの巨大な脚と打ち合いを始める。
「何で魔法が・・・」
カグラが起こしている現象は、間違いなく魔法の発動だった。だが何の副作用もなく魔法を平然と使えるわけがない。目を凝らしてカグラの体や顔色に注目したが、クリスタル・リーパーと剣戟の音を響かせている謎の男は、戦闘狂のように楽しそうに目を輝かせていた。
聖紋を持たない男に力で押されているクリスタル・リーパーが、勢いよく上空へ飛び上がる。それを待っていたかのようにカグラの表情に何かを確信した笑みが浮かんだ。
「・・・・・うるぁぁ!!」
カグラの体がビクンと、一瞬だけ動き、周囲がぴかぴかと光ったように見えた。
アイリスの聖杖から斬撃が射出される。
空中に飛び上がり、全ての脚を使ってカグラに連続で斬り刻もうとしていた魔物は、全ての脚が根本から切断され、胴体に生えている6つの眼球全てが潰されていた。
「すごい・・・」
C級冒険者パーティが力を合わせても、一人を囮にして逃げ出すのが精いっぱいだった魔物だ。
その怪物を単独であっさり倒すことができる力を持つ人間など、世界に両手で数えるほども存在していないはず・・・。
武器として使っていた酒瓶をカグラが投げつけると、クリスタル・リーパーの体が灰色の粒子となって消滅し、その場に超巨大な魔核石が落ちた。
「・・・よぉしっ!終わったぁ!」
カグラは鼻歌を歌いながらクリスタル・リーパーの魔核石を回収し、アイリスの元へと戻っていく。
(カグラ、カグラ・・・・・・どこかで聞いたことがあるような・・・)
どこかで聞き覚えのある名前を思い出そうとしていると、アイリスの視界がひっくり返った。
「あれ・・・?」
全身から力が一気に抜けてその場に倒れ込んだのだ。
そして、激しくえずき出す。
「・・・ウエエエェェッ!!!」
口から胃液と酒が飛び出してきた。
クリスタル・リーパーから助かったという安堵で脱力したわけではなく、緊張の糸がほどけて酒が一気に回ってきてしまったのだ。
もう瞼を開いておくこともできず、アイリスはそのまま意識を失った。
手元の魔核石と白目をひん剥いて寝てしまった酔っ払い聖女を交互に見たカグラが、愉快そうに笑った。