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ラムル王国ギルド、受付嬢のニーナが聖女アイリスに初めて会ったのは、つい1か月前のことだ。
「・・・欠陥聖女という言葉に聞き覚えはあるか?」
白髪に白髭の強面ギルド長に直接呼び出されで、どんなお叱りを受けるのかとドキドキしていたニーナにかけられた言葉は、全く予想外の質問だった。
「はい、噂程度には聞いています。聖女としては珍しく冒険者になろうとしているけど、回復魔法が使えないとか・・・」
「その通りだ」
ギルド長のオルヴァ・ムーがニーナに紙の束を手渡してきた。
その紙は通常では手に入れることができない特殊な材質でできている。
「聖教会からの書簡・・・でしょうか?」
「うむ。聖教会にいる司教からの依頼書だ。目を通してほしい」
ニーナは言われた通り、手紙の内容をすべて読む。
そこには、聖女アイリスと呼ばれる少女がこの3か月でどのくらいのパーティに参加してきたのか、どのようにクビを宣告されてきたのかなど、聖女としての無能さが事細かに記載されていた。
そして、1月前から滞在していたエルゲイム王国のギルドを離れて、今度はラムル王国のギルドで冒険者を探すことになるということも、美しい字で記されている。
「・・・まとめると、欠陥聖女の名を世界中に轟かせている少女が、ラムル王国で加入できる冒険者パーティを探している、と。1か月以内にパーティに参加できなければ聖教会に戻ることになってしまうので、ラムル王国ギルド内で適当なパーティを紹介するように・・・ということでしょうか」
「その通りだ」
「つまり、私がこの欠陥聖女の面倒を見る・・・と?」
ただでさえ忙しいというのに、欠陥聖女など相手にしている暇はない。
抗議の意思を籠めてオルヴァを見据えていると、静かに笑ったギルド長はゆっくりと首を振った。
「書簡をここに」
「・・・・・はい」
ニーナは指示通りに、オルヴァの目の前に聖教会からの書簡を置いた。
オルヴァが紙の表面に手を翳すと、深藍の光が放たれる。
驚いて見ていると、所管の最後の文章の下に新たな文字列が追加された。
「・・・全く魔法の気配を感じませんでした」
「聖教会の聖職者たちを除けば、我以外には解除できぬ隠匿の魔法だ」
紙の両面を観察してみるが、ニーナには魔法がかけられていた形跡を見つけることすらできなかった。
隠されていた続きを読み終えると、アイリスは神妙な顔をしてオルヴァに書簡を返した。
「聖教会からの依頼は、聖女アイリスを支援することではない。其方の仕事は、聖女を冒険者パーティに参加させることなく、聖教会に引き渡すことだ」
「それは・・・聖教会内部ではできないことなのでしょうか?」
「今の資料にあった通り、聖女は冒険者パーティに参加したがっているようだ。その目的は知らぬが、金稼ぎか名誉欲か・・・。だが、聖教会としても、聖女の悪名がこれ以上広がるのは避けたいというのが本音。それ故、聖女に3か月の制約を課したとのだろうな」
「・・・3か月以内に冒険者パーティに参加しないと、強制的に連れ戻される、と?」
「恐らく。・・・聖教会からの指示通りになれば、我々には報酬が渡される。ラムル王国ギルド内では、其方が最も適任だ。多くの冒険者たちに欠陥聖女の名と特徴を伝達し、仲間にしようなどと思わせないようにしておけばいい。無論、そんな細工すら必要ないかもしれないが、念には念を入れることを推奨する」
「・・・承知しました」
一方的に指示を出されたニーナは情報を書き留めて、嘆息したい気持ちを押し殺して答えた。
ただの受付嬢の彼女に、そもそも拒否権はない。
丁寧に頭を下げて扉まで向かおうとしたところで、背中越しにオルヴァがニーナの名前を呼んだ。
振り返ると、見慣れない表情をしたギルド長が
「・・・すまない」と小さく呟いた。
予想外の言葉がギルド長の口から飛び出してきて、ニーナは数秒だけ固まった。
そして穏やかに微笑んでから再び一礼し、オルヴァの部屋を後にした。
ギルド長からニーナが受けた指示は、欠陥聖女が加入できる冒険者パーティを見つけられるよう支援すること。
・・・ではなかった。
欠陥聖女の噂をラムル王国中に流し、聖女を聖教会に強制連行させること。
それがニーナに与えられたミッションだ。
(・・・最悪な仕事ね、これ)
全く気分は良くないが、確かに他の受付嬢には任せることができないだろうと、ニーナも理解している。
最年長の受付嬢として、ラムル王国内の冒険者たちの特徴や思考を把握しているのは自分だけ。聖女に引き合わして問題がある冒険者パーティかどうか判断できるのも自分だけなのだ。
それに、噂の聖女は回復魔法を他人に使えないという特質を隠してとある冒険者パーティの魔物討伐に参加し、危うく全員死んでしまうという大惨事を招きかけたという。
仲間を魔物の巣窟に放置して、自分だけエスケープするくらいの聖女は、さぞかし悪人面をしているのだろう。
ならば、多少嘘をつかれたとしても自業自得というものだ。
アイリスと出会う前のニーナはそう思っていたが、実際に顔を合わせた小さな聖女はどこにでもいそうな普通の少女だった。
***
「・・・・・私は、ラムル王国ギルドの受付嬢、ニーナと言います。よろしくお願いしますね、聖女様」
「アイリスです。よろしくお願いします。あと、その呼び方は・・・」
受付の机越しに目を合わせた小さな聖女は、疲れ切った顔をしていた。
ギルド長の話だと、彼女はエルゲイム王国という大国のギルドに2か月ほど滞在して、冒険者に声をかけまくって自分を仲間にしてくれるパーティを探してきたのだという。
だが、欠陥聖女の二つ名を持つアイリスを引き入れるパーティなど存在するはずもなく、彼女は別の国で「就職先」を探しているという訳だ。
「では、何とお呼びすれば・・・?」
「ふつうに、アイリス・・・で」
まだ和やかに会話をしようという精神状態ではないことを察したニーナが
「それじゃあよろしくね、アイリスちゃん」と、満面の笑みで右手を差し出す。
戸惑ったようにおじけづきながら握手に応じると、アイリスは意を決した顔をして周囲の冒険者に片っ端から声を掛け始めた。
***
「あ、あの・・・!私をパーティに・・・」
「はぁ?無理無理、あんたあの「欠陥聖女」だろ?お荷物は要らないよ!」
女性冒険者を集めているパーティからはお荷物扱いを受け
「荷物持ちでも何でもするので・・・」
「いやいや、疫病神に荷物持ちなんかさせらんないって!」
メンバーに困っていそうなパーティからは疫病神扱いをされる。
こんなやり取りを他の冒険者と繰り返すこと4週間。
アイリスがラムル王国に滞在していられるリミットを迎える日はすぐに到来した。
声を掛けた冒険者パーティの数は既に100を軽く超えている。
ラムル王国に出入りする冒険者パーティはもう残りわずか。
数えきれないほどのパーティに断られ続けたアイリスのメンタルは、既にボロ雑巾のようになっていて、強力な魔物と戦った後の疲弊感すら漂わせていた。
最後の一日もいつもと同じように、くたくたの状態で「就職先」を探すためにギルドから出かけて行こうとする聖女の背中を見ていたニーナは、「あ、アイリスちゃん!」とつい呼び止めてしまった。
「・・・どうかしましたか?」
「あ、えと・・・その・・・一緒にお茶でもどう?気分転換に!」
受付嬢の朝の仕事もひと段落ついていて、昼過ぎになるまで手が空く。
ニーナはアイリスをギルド近くのカフェテリアに誘った。
オープン直後の店内には、他の客は一人もいない。
瞳を輝かせて店の装飾やメニューを眺めるアイリスは、ハーブティとケーキを注文すると痛々しくニーナに笑いかけた。
「お世話になりました、ニーナさん。まあまだ今日一日残ってるんですけど」
「え、あ・・・うん。でも元気出して!次はきっと・・・」
「もう、多分次はないと思います」
小さな聖女は、もう完全に諦めモードに入っている。
この1か月、誰も自分を仲間にしようとはしてくれなかったのだから、前向きになれないのも無理もない。
そしてラムル王国にいる冒険者たちにそれとなく欠陥聖女の噂を流していた身としては、どの口が彼女を励ましているのかと自己嫌悪に陥ってしまう。
この聖女のフォローさえ、ニーナに課せられた仕事の一環だ。冒険者になることを諦めさせ、とにかく早く聖教会に戻すことが、ギルド長から与えられている超重要任務なのだ。
「今日までにパーティに参加できなければ、私は聖教会に連れ戻されます。その後のことはよく分からないですけど、多分・・・・・もう聖都からは出られないんじゃないですかね」
「アイリスちゃん・・・」
どうフォローしたものかと頭を悩ませていると「お待たせしましたぁ!」と元気にウェイトレスが声を掛けてきた。
「ほ、ほらっ!頼んだケーキ、きたよ!」
ラムル王国内でも有名なスイーツを見て、アイリスの表情が和らいだ。
(大人びていても、こういうところはまだ子どもね・・・)
美味しそうにケーキを口に運ぶアイリスを眺めていると、つい微笑んでしまう。
どうしてこんなに可愛い聖女としての地位を持つ女の子が、わざわざ冒険者になろうとしているのか。
その疑問を放置することができないほど、彼女はあまりに普通の少女にしか見えなかった。
「・・・聞いていいかしら?」
「なんふぇふか?」
ケーキを幸せそうに頬張るアイリスに対して、ニーナが聞く。
「なんで、アイリスちゃんは冒険者になろうとしているの?聖教会に戻れば、こんな嫌な思いしなくて済むじゃない」
「それは・・・・・」
ただでさえ聖女は世界に100人といない希少な存在。
その中でも、冒険者になろうとする聖女はかなり数が限られている。
聖女の大半は聖教会にやってくる負傷者の回復を行うことを仕事にしている。わざわざ危険を冒して冒険者を目指す聖女が実在するとは、アイリスに会うまでは思いもしなかった。
「聖教会に居れば、危険もないし皆から敬ってもらえるし・・・。まあアイリスちゃんの場合回復術師じゃなくて、他の仕事になるのかもしれないけど」
黙ったまま口元のクリームをナプキンで拭って、アイリスが真剣な瞳でニーナを見据えた。
「私は5年前、初めて聖女の能力に目覚めました」
「え、目覚めたってどういう・・・?」
聖女になるためには、親から能力を遺伝しなければならない。
聖女が圧倒的に少ない理由だ。
いくら努力しようと、後天的に回復魔法を身に着けることは不可能。
それが世界の常識のはずだった。
「10歳のとき、魔物に襲われて死にかけていた幼馴染を助けようとしたら、何でか知らないけど回復魔法が発動したんです」
「そんなことあるの・・・?」
二ーナが23年の人生で得てきた常識では考えられないが、アイリスが嘘を言っているようにも見えなかった。
「でもアイリスちゃんは、他人を回復できないんじゃ・・・」
「自分以外を回復できたのは・・・あの時だけですね。10歳で聖女の能力に目覚めたとき、私の両親は聖教会に私のことを売り飛ばされました」
「ちょっ・・・アイリスちゃんっ!?」
「事実です」
聖教会は、魔法を使うための聖紋を管理し、この世で唯一回復魔法を扱う聖女を育てている特殊な機関。
国家ではないが、世界中のどの国よりも強大な力を持つと組織だと言われている。
一応周囲を確認するが、まだ他の客は一人もいない。
ウェイトレスも厨房の方に行っているのか、二人の会話が聞こえる距離にはいなさそうだった。
とはいえ今のは聞かなかったことにして、とりあえず話題を変えた方がいい。
ニーナはそう直感していたが、アイリスは気にすることなく話を続けた。
「聖教会が私の故郷のファルナ村と両親に渡した総額は3億レニス」
「さっ、さんおくぅ!?」
大きな声でニーナが聞き返すと、厨房の方からウェイトレスが駆けつけてきた。
「あ、ごめんなさい、何でもないです!」
ウェイトレスが戻っていくのを確認してから、まだ驚いたままのニーナに笑いかける。
「3億レニス全額を聖教会に返すのと引き換えに、私は自由の身になれるんです」
アイリスの言う自由とは、聖教会と完全に縁を切るということなのだろう。
回復魔法という人智を超えた能力を発現する聖女に自由はほとんどない。住む場所も日々の仕事も、結ばれる相手も、全て聖教会によって決められる。
だがそれを受け入れたとしても、聖女になるというのは名誉中の名誉のはずだ。
「ご存じかと思いますが、聖教会から指定される仕事をこなすだけでは、聖女に入ってくるお金はほとんどありません」
「ええ。だけど、衣食住に困ることもないし、かなり良い環境だって聞いたけど・・・」
「その挙句の果てに待っているのは、聖教会いn縛り付けられるだけの奴隷みたいな人生です」
聖女の言葉とは思えないほど、アイリスの口調からは聖教会への嫌悪がひしひしと感じられた。
聖教会で不自由のない生活を送る聖女は、聖教会以外の場所で生きていくことを許されていない。聖教会以外で働くことも禁止されている。
だが冒険者になるのであれば話は別。
聖教会からの依頼の場合は報酬がないという例外はあるが、冒険者になれば聖女とはいえ自力で稼ぎを得ることができるのだ。
「・・・聖教会から解放されるためには、とにかく3億稼いで、借金を返さないといけないんです。私は、そのために冒険者になるって決めたんです」
アイリスが言っている意味をニーナはようやく理解した。
しかし、それは茨の道どころの騒ぎではない。
冒険者でそれほどの稼ぎを出している人間は、過去数千年の中でも一人も存在しなかったはずだ。
元冒険者として何か助言がないかと探してみたが、ニーナから言えることは「早くパーティを見つけること」以外には何もなかった。
「あはは、欠陥聖女の借金生活・・・ですね」
おどけたように笑うアイリスだったが、その顔つきは至って真剣だった。
ケーキを全て食べ終えると、二人は飲み物だけを再度注文した。
そしてアイリスは、聖女としての能力が発動した日のことを懐かしそうな瞳で語り始めた。