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「・・・・・はぁ、アイリスちゃん、大丈夫かな」
気にかけている小さな聖女が、C級冒険者パーティ『永遠の絆』に連れられてギルドから出て行った後も、受付嬢のニーナは溜息を連発していた。
「なははは、そんなに気になるなら、ニーナも行けばよかったのに」
心配が止まらない様子のニーナを、同僚の受付嬢が見て笑う。
ニカッと笑っているのは受付嬢のカリン。
ニーナよりも後に受付嬢を始めた獣人の後輩だ。
年齢はニーナの8つ下で18歳。
特有の耳と尻尾、愛嬌のある笑顔と小柄な体型が冒険者たちに人気の可愛らしい少女は、くるくる椅子を回転させながらそわそわしている先輩を笑っていた。
適当なことを言ってくる同僚に対してニーナはさらに大きな溜息をついた。
「・・・カリン、ダメに決まってるでしょ。あれはB級への昇格も兼ねてるんだから」
冒険者パーティの昇格クエストは、パーティ関係者以外の手を加えてはいけない。
高位冒険者の力を借りてクリアしたことがバレれば、ギルドからかなりの痛手になるペナルティが与えられるのだ。
「なはは、冗談だよぉ。でもでも、A級冒険者パーティ元リーダーのニーナ様的には・・・彼らは昇格できそうなのかい?」
「ちょっ、ちょっと!」
「もががががもぐぐあぁぁ・・・」
慌ててニーナがカリンの口を塞ぐ。
ギルド内に自分たち以外がいないことを確認して、ニーナはカリンの口から手を放した。
「私が前に冒険者だったことは部外秘だって言ってるでしょ・・・!」
「なはは、そうだった、ごめんごめん。・・・でも今、誰もいないけどな?」
反省の色の見えないカリンの頬をニーナが引っ張る。
「あーのーねー! 聖紋の中には、姿を隠す魔法だってあるの!今見えてるものだけが全てだなんて思ったら痛い目見るよ」
「おぉ、さすがは元・・・」
「だから言うんじゃないってのっ!」
柔らかい頬を上下左右に動かしてカリンを黙らせてから、ニーナは顔を曇らせた。
「・・・あのパーティは、正直私は好きじゃない」
「ん、なんで?結構有望って言われてるじゃん。まあ、パーティ名ださすぎだけど」
C級冒険者パーティ『永遠の絆』。
馬鹿にするように笑うカリンを見て、ニーナも笑った。
「・・・あのリーダーはラムル王家に昔から仕える貴族階級の跡取りなんだけどね。高級な装備やら防具やらを結構あくどい方法でかき集めてるみたいなの。多分、全部合わせたらとんでもない値段になる。そんなの、レベル4の魔物までなら倒せて当然なのよ」
「なるほどなぁ。マネーパワーでなり上がってきたボンボンってわけだ!」
「・・・ま、そういうこと。だから、あんまり好きになれないの」
数年前まで冒険者として命を懸けて戦っていたニーナにとって、金の力だけで自分が強いように振舞う連中は軽蔑の対象ですらある。
苦々しく言うニーナを見ていたカリンが、意地の悪そうな笑みを浮かべて聞いた。
「それなのに、あの聖女ちゃんに紹介したんだね?」
「そ、それは・・・」
「なははっ、分かってるって。とにかくあの聖女ちゃんに入れそうなパーティを紹介してあげたかったんでしょ。そうでもしないと聖教会に連れ戻されちゃうし」
ニーナが黙ってうなずく。
聖女アイリスは3か月前、ラムル王国とは遠く離れたエルゲイム王国で初めて冒険者パーティに参加した。
だが他人を回復させられない聖女は、どのパーティからも一週間足らずで解雇されてしまったらしい。
欠陥聖女の異名を与えられたアイリスは、様々な国や都市のギルドを転々としてラムル王国にたどり着いた。
だが聖教会からの命令で、ラムル王国に滞在してから1か月以内に冒険者パーティに加入することができなければ、アイリスは強制的に聖都にある聖教会本部に連れ戻されてしまう。
そしてこの日は、アイリスがラムル王国に留まることができるリミットを迎える日だった。
パーティ昇格クエストのためラムル王国外部に遠征していた『永遠の絆』リーダーのフェルナンドが聖女を探していると噂では聞いていた。
だがニーナは、アイリスにとっては他のパーティに参加した方がいいと確信していた。
『永遠の絆』を紹介するのは最後の最後にしたかったのだ。
「・・・ってことは、あのボンボンパーティがクリスタルリーパーを倒して昇格するのは確実ってことかぁ」
「ううん、それは断言できない」
クリスタルリーパー討伐の依頼書をピンと指で弾いているカリンに即答すると、獣人の少女は可愛らしく首を傾げた。。
「魔物と戦う以上、絶対なんてあり得ない。何が起きるかはその時次第。だからこそ、冒険者には入念な準備と下調べ、臨機応変な対応力、自分自身を鍛え上げる精神力・・・そのどれもが必要になるんだけど、あの冒険者たちには、それがない。だから、何が起きても不思議はないよ」
***
フェルナンドの従者リズリーが意識を取り戻したのは、『永遠の絆』のメンバーたちが錬魔の森の洞窟出口に近づいてきたころだった。
「フェルナンド、様・・・ッッ!?」
主に背負われていることに気づいたリズリーが慌てて離れようと体を動かしたが、がっしりと両足をホールドされていてバランスを崩してしまう。
「も、申し訳・・・ございません」
「気にしないでいいよ、リズリー。今は最速で洞窟を出ることを優先しないと」
リズリーはどうしてこんな状況になったのか、意識を失う前のこと思い返した。
巨大な蜘蛛型のレベル4、クリスタルリーパーをフェルナンドが龍剣を使って討伐した。
だがそう思ったのも束の間、空中からさらに大きいクリスタルリーパーが出現しパーティが襲われた。
リズリーは、龍剣発動の反動で動けなくなっているフェルナンドを、魔物の攻撃から身を挺して庇ったのだ。
新たに出現したレベル4の魔物の反撃がもろに直撃して意識を失ったリズリーを背負い、フェルナンドは魔物から逃げることを選択したらしい。
右隣には、フェルナンドと同じように、ルイズが仲間のミルを背負って走っていた。
だがこの場にいない人間の存在に気づいたリズリーが、掠れた声で問いかけた。
「・・・フェルナンド様。聖女アイリスは、どうされたのですか?」
「ん、あの聖女は今もひとりで、クリスタルリーパーと戦っているはずだよ」
あっけらかんと答えるフェルナンドに驚きを隠せないリズリー。
険しい顔をしているルイズの様子からしても、どうやら聖女を放置して魔物から逃げたことは間違いないらしい。
誰かを囮にしなければ逃げることすらできないほど、あのレベル4が強敵だったことは間違いない。
フェルナンドの龍剣でさえ脚1本を吹き飛ばすことしかできなかったのだ。
聖女を壁にして自分達だけが逃げるのがフェルナンドの判断なら、リズリーに文句を言う権利はない。
主の決定は絶対だ。
だが、リズリーは恐る恐るフェルナンドの機嫌を損ねないように声を掛けた。
「・・・本当に、よろしかったのですか?」
「・・・僕らが彼女を置いてきたことかい?」
「はい。聖女を見捨てるのは・・・さすがにフェルナンド様の評判にも関わるかと」
リズリーは決してアイリスの安否の心配をしているわけではない。
もし仮に彼女の魔力が尽きて自己回復ができず、クリスタルリーパーに食い殺されたとして、聖女を見殺しにした冒険者パーティの悪評が広まることを恐れたのだ。
それは主であるフェルナンドの名声にも大きくかかわりかねない。
だがそんなリズリーの心配をフェルナンドは笑い飛ばして言った。
「なに、彼女には過去にも、冒険者パーティを見捨てて逃げた前科がある。ならば今回も、僕たちを見捨てようとして一人で逃げ惑った挙句、一人で魔物の罠にかかった・・・・そうだろう?」
笑いながらそう言うフェルナンドの表情を見て、リズリーだけでなくミルとルイズも背筋を震わせた。フェルナンドがアイリスをパーティに参加させた意味を、リズリーたちは初めて正確に理解したのだ。
「元々、壁役として使うおつもりだったのですね・・・」
「彼女は自分しか回復できないのだから、当然だろう?」
「・・・失礼しました。そこまでの考えをお持ちとは思いもよらず」
「あははっ。僕も心苦しいよ、あの場に女の子一人放置して逃げているんだから。だけど、僕ら『永遠の絆』と、自分の回復しかできない欠陥聖女。どちらが生き延びるべきかは明白だ」
***
洞窟の最下層、クリスタル・リーパーの巣窟に残されたアイリスは、息を切らして強大な魔物に対峙していた。
「ハァ、ハァ・・・このっ!」
一人ぼっちで魔物の元に残されたアイリスは、広間で襲い掛かってくるレベル4の巨大蜘蛛と戦闘を続けていた。しかし、彼女の聖服はズタボロになっていて、もう素肌はほとんど隠されていない。
いくら涙を流しても、クリスタルリーパーはアイリスを見逃す気配はなかった。
フェルナンドたちがアイリスを見捨てて離脱してからまだ5分程度。
だが、彼らの姿はもうアイリスの視界には入らなくなっていた。
ミルが発動させた結界魔法もとうに効力を失っている。
彼らが助けを呼びに戻ってくれていたとしても、まだ数十分はかかるだろう。
だがあの離脱の仕方を見れば、自分が心配されていないことくらいアイリスにも分かる。
つまり、たとえどれだけ藻掻いてももう助けはこない・・・。
「ギイイイイイェェェェェェェェッッッッ!!!!」
不快な雄叫びを洞窟内に響かせて、クリスタルリーパーがアイリスを切り刻む。
顔面にも全身にも無数の裂傷が生まれ、今度は彼女の左足が切断された。
「アアアアアァァァァッッッ!!!!」
その場に倒れ込んで激痛に顔を歪めるアイリスだが、聖紋に魔力を籠めて「ヒールッ!」と叫ぶと即座に傷は完治した。
致命傷一歩手前の怪我を負い、回復魔法で再生する。
この不毛な行動を既にもう50回は繰り返しているだろうか。
一向に命を落とす気配のない聖女に苛立っているのか、アイリスが回復するたびにクリスタルリーパーの攻撃速度は上がっていた。
しかし、いくら聖女とはいえ、回復魔法はいつまでも永遠に使えるわけではない。
魔力量の多いアイリスでも、残っている魔力はあと2割程。
時間にしてあと2分も同じことを続けていれば、回復ができなくなって、アイリスはここで魔物の餌になる。
その短い時間内で、この状況を打開する方法はアイリスには思い浮かばなかった。
「・・・もう十分かな」
アイリスは手にしていた片手剣を地面に落とした。
カランカランと虚しい音が洞窟にこだまする。
ミルの結界で守られているときには気づかなかったが、クリスタルリーパーの巣窟には、過去同じように討伐に向かった冒険者が装備していた武器が所々に落ちていたのだ。
骨骸がどこにも見当たらないのは、人間の体が丸ごと蜘蛛の餌になっているからだろう。
アイリスは杖よりも攻撃できそうな武器を拾っては、レベル4の魔物に乱雑な攻撃を繰り返していた。
だが、クリスタルリーパーに傷をつけることはできていない。
フェルナンドが吹き飛ばした脚が1本欠けているだけだ。
無防備になったアイリスを見て何かの策があると察知したのか、クリスタルリーパーは飛び掛かろうとしていた動きを一瞬だけ止めたが、構わずアイリスとの距離を再び詰めてくる。
冒険者として活動を始めてまだ3か月しか経っていないアイリスにとって、レベル4の魔物の動きを目で追うことは難しい。
首と頭を切断されないように杖を構えていたおかげでどうにか即死は免れていたが、今のアイリスは完全無防備。
だが瞬間移動かと思えるほどの速度で移動したクリスタルリーパーは、二本の足を重ね合わせるようにしてアイリスの左半身を叩きつけ、洞窟の壁に激突させた。
「・・・アァァァッ」
もう呻き声すら掠れてしまっている。
アイリスは反射的に魔力を聖紋に籠めようとして、そのまま体の力を抜いた。
回復魔法が使えなければ、アイリスはそこらにいるただの小娘と同じ。
全身の骨が砕け、内臓が出血を起こし、肌の至る所が裂けている。
だがまだ息があるのは、斬撃をどれだけ放ってもアイリスを殺せなかった魔物が打撃に切り替えて攻撃してきたためだった。
即死にまでは至らない分、苦しみが長く続く。
アイリスは真っ赤に染まる視界の中で再び動き始める魔物を見て、自嘲気味に笑った。
思えば散々な人生だった。
5年前、10歳の誕生日に聖女としての素質に目覚めたアイリスは、聖教会に売り飛ばされた。
莫大な代金を受け取っていたアイリスの両親と村長は有無を言わさず、アイリスを聖教会に引き渡してしまったという。
その日から、アイリスは聖女として生きていく以外の道を歩めなくなってしまった。
だが聖女の聖紋を受け取った日、アイリスは聖教会の大司教と呼ばれる幹部と約束したのだ。
自分を買い戻すことができれば、自由の身になることができると。
その為に必要になる金額は3億レニス。
冒険者が1回の依頼をこなすことで手に入る報酬は平均して約5000レニスほど。
6万回の依頼を達成して、聖教会に必要額を納めればアイリスは故郷に戻ることができる。
両親と一緒に暮らすこともできるし、初恋の少年に想いを告げることもできるかもしれない。
だが6万回の依頼達成は、死ぬまでの時間をどれだけかけても不可能に近い。
だからこそ、自分には実力が見合わない高位の冒険者パーティを探しては片っ端から参加してみたが、仲間としては受け入れてもらうことができなかった。
今回に至っては、呆気なく冒険者たちに見捨てられてしまった。
あまりの情けなさに涙が止まらない。
「・・・ごめん、ロイス」
今でも恋している少年の名前を呟いて、アイリスは目を閉じた。
微動だにせず横たわるアイリスにとどめを刺そうとする魔物がゆっくりと近づいていく。
聖女の肉体が魔物の口に飲み込まれようとした瞬間、アイリスを中心として深紅の魔法陣が発動し、クリスタルリーパーが空中の巣まで飛び上がって警戒した。
「・・・・・・え?」
わずかに瞼を開いたアイリスだったが、状況を確認するほどの余裕もない。それでも、視界が紅い輝きに包まれていくのは分かった。
(あ、死ぬのかな・・・)
直後、自らの死を覚悟した聖女の姿が洞窟内から消滅した。