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「・・・よし、魔物は全滅だ」
フェルナンドの無謀な一撃のおかげで、アイリスたちはだいたい30メートルほどは落下していた。
地面に着地する瞬間に杖を支えにしたので全身を打ちつけて肉の塊になるのはどうにか防いだが、骨が数本は確実に折れている感覚がある。
しかし、聖女アイリスにとってはそんな怪我はもはやしていないも同然だ。
「・・・ヒール」
アイリスの体を白銀の光が包み、一瞬で怪我が完治する。
他のメンバーも怪我をしている中で自分だけ回復するのはいい気分ではないが、回復魔法を使わなければ歩けそうになかった。
「・・・ウアアアァァァッ!!」
ミルの苦悶の叫びが洞窟に響き渡る。
「ミル!どうした!?」
フェルナンドがミルの様子を見て慌てている。
いつの間にかベノムレプスに噛みつかれたミルの体は小刻みに痙攣し始めていて、もう顔の方までどす黒く変色し始めていた。
「あ、あの。回復薬は?」
「ダメだ。さっきの魔物の毒にはこれでは効き目がない」
ミルを介抱しているリズリーが何度も回復薬を飲ませていたが、毒の浸蝕が一時的に止まるだけで、回復する気配はなかった。
(・・・おかしい。高級薬でもダメなんて、レベル2の毒なのに)
世界に存在する冒険者パーティの内、聖女を同行させているのは片手で数えるほどしかない。ほとんどの冒険者パーティは、聖教会によって作成される回復薬を購入して、魔物の討伐に臨むのが常識だ。
ミルが飲んでいる回復薬は、通常の薬の5倍ほどの回復力を持っている高級回復薬。
1本あたりとんでもない値段のする薬瓶だが、レベル2の魔物の毒であれば一瞬で取り除く威力がある。
だが未だに苦しそうにもがいているミルの様子を見て、その場にいる誰もが困惑していた。
「お、おいっ!お前、聖女なんだろ!? 早くなんとかしろよっ!」
ルイズがアイリスの腕を掴んで、縋るように叫ぶ。
だがアイリスは首を横に振って「すみません」と呟くだけだった。
「・・・クソがっ。使い物にならねぇじゃねぇか」
「・・・・・」
何度も耳にしてきた悪態には慣れていると思っていたが、面と向かって言われると胸が刺されたように痛んでくる。
だが反論も言い訳もせず、アイリスは俯いたまま唇を噛み締めた。
(これは借金返済のために大事なことなんだから、我慢我慢・・・)
アイリスがわざわざ危険な冒険者になろうとしているのは、聖教会に借金を返すために大金を稼ぐ必要があるからだ。
聖女一人では、ギルドからの依頼を受けることはできない。そのため参加できる冒険者パーティを探しているというわけだ。
「・・・あれ、何だろう」
弱弱しく腕を天に掲げて、ミルが洞窟の上の方を指差した。
その場の全員が見るから視線を外して、指差された方向を見上げる。
洞窟の天井まではかなりの高さがあり、天井壁まで真っ暗な空間が見えるだけ。
・・・・・のはずだった。
アイリスたちには、暗闇の中でチカチカと光る糸のような何かが見えた。
それは網目状のヴェールのようにあたり一面に張り巡らされていたて、銀色に輝いている。
ミルが張り巡らせていた結界にも似ているが、彼女が魔法を発動させているような気配はない。
暗がりの中に広がっているヴェールの上では、巨大な影がゆっくりと動いていた。
リズリーが指を鳴らして魔法の光を照らすと、人間の体3人分ほどの大きさをした蜘蛛型の魔物がうねうねと胎動を始めていた。
「全員、戦闘態勢ッ!クリスタルリーパーだッ!!!」
今回の討伐対象であるレベル4の魔物の固有名、クリスタルリーパー。
思いもよらないタイミングで、アイリスたちはターゲットに遭遇してしまっていた。
上空に張り巡らされた銀色の巨大蜘蛛の巣は、アイリスたちを逃がさないための檻になっている。
その場の全員が後ずさって、頭上の大型蜘蛛の魔物を見て顔を引きつらせた。
「・・・来るぞッ!」
フェルナンドが叫ぶと、巣の上で冒険者たちの様子を窺っていた巨大蜘蛛が落下する。
地面が大きく揺れ、狂暴な咆哮を上げたレベル4の魔物は、冒険者パーティに襲い掛かり始めた。
「ヤバ・・・・・」
頭上から巨大な魔物が降り注いでくる。
生まれて初めて見る地獄のような光景だった。
呆然と呟いた直後、気付いた時にはアイリスの体は数メートル離れた壁まで吹き飛ばされていた。
「・・・・アアアァァッッ!!!」
肺から空気が抜けて息が詰まる。そして腹部からは悍ましい量の出血があった。さらに衝撃で背骨が何本か折れている感覚もある。
「ハァ、ハァッ・・・・!」
だが、アイリスにとってその程度の負傷はほんの数秒耐えればどうということはない。
回復魔法を発動させることで刹那の間にアイリスが受けた傷は、綺麗さっぱりその痕跡を消失させている。
フェルナンドとルイズが、巨大な蜘蛛型の魔物を同時に攻撃しているが、戦況はこちらに不利な状態だった。
頭上に張り巡らされている巣を使って空間を自由自在に動き回るので、二人の攻撃はクリスタルリーパーに当たりづらいのだ
「先にあれを壊さないと・・・!」
アイリスがクリスタルリーパーが張り巡らせた糸を指差して叫ぶ。
その案に頷いたフェルナンドが全員に指示を出した。
「・・・ミル、結界を! 皆、僕の後ろに下がってっ!」
フェルナンドの指示を受けて、リズリーに肩を抱かれたミルが、どうにか立ち上がって結界魔法を発動した。
全員がフェルナンドの後ろに移動したところで防御結界が360度展開され、全員を守る魔法の壁が出来上がる。
だが、クリスタルリーパーは構うことなく、結界に対して斬撃を容赦なく連発し始めた。
クリスタルリーパーの6本の巨大な足は、それぞれ鋭利な大剣のようになっていて、直撃すれば人間の体など容易に両断されそうだ。
(もし最初の斬撃が私の首に当たってたら・・・)
アイリスは首元に手を置いて冷や汗をかいた。
回復魔法は死者を蘇生させることはできない。
どんな負傷も即座に回復してしまうアイリスでも、即死レベルの攻撃を受けきることはできないのだ。
「・・・ミル、あとどのくらい持つ?」
結界に対して次々と斬撃を放つクリスタルリーパーだったが、結界内で守護されている冒険者たちにはかすり傷一つない。
だがさすがにレベル4の魔物。結界に触れた節足は何ら傷つくことなく、当たれば全員を瞬殺する斬撃を繰り返していた。
「30秒なら・・・!」
ミルの結界の持続時間は60秒。
まだ30秒しか経過していないが、発動させているミルの体には、まだベノムレプスの毒が残っている。
このままでは先に結界が破壊されてしまう可能性もあった。
顔を歪ませて結界を維持しているミルの精神力は徐々にすり減っているはずだ。
結界魔法の連発は期待できないだろう。
このままでは完全に手詰まり。
一か八かで全員で敗走し、逃げ切ることができれば帰還できる可能性も上がる。
だがレベル4のクリスタルリーパーにそんな策が通用するとは思えなかった。
「・・・リズリー!」
呼ばれた従者が背に抱えていた大剣を渡した。
「龍剣の魔法なら勝てる・・・!」
クリスタルリーパーとの戦闘で腕を負傷したルイズが、回復薬を飲み干してから言った。
「龍剣・・・!」
絢爛な装飾が施された美しいフェルナンドの大剣。
武器のことはよく分からないアイリスだが、さすがに龍剣という言葉には聞き覚えがあった。
「・・・龍剣エリザベート。その名の通り、ドラゴンを狩るために先人が作ったという、世界に3本しかない聖剣と呼ばれる名剣の一つだ」
ルイズが自分のことのように自慢げに説明する。
魔剣、龍剣、神剣。
この3つが世界に1本ずつ存在すると言われている聖剣だ。
「で、でも、聖剣は所有者がいないはずじゃ・・・」
3本の聖剣は誰も所有していない。
そもそも、どこにあるのかすら知られていないまさに幻の剣のはずなのだ。
「キュレス家が見つけて買い取ったのです。そしてフェルナンド様は、見事にあの龍剣を扱っておられます」
従者のリズリーが誇らしげな顔で言う。
聖剣は剣を振るう度に途轍もない魔力が消費されると噂の強力な武器だ。
そのため、フェルナンドも通常の戦闘では使わず、リズリーに持たせているのだろう。
(いいなぁ、あれ売ったらいくらくらいになるんだろ・・・)
借金返済のために冒険者稼業を希望したアイリスにとって、価値の高いアイテムは喉から手が出るほど欲しい逸品だ。
剣の相場は知らないが、伝説の龍剣ともなればとんでもない値段がつくはず・・・。
アイリスがそんな夢想をしている間に、フェルナンドがクリスタルリーパーに仕掛けていった。
「くらえ・・・絶龍巌咆!!」
雄叫びと共に、龍剣エリザベートが一閃。
すると、けたたましい爆裂音と共に、眩い白光が放たれて爆風が舞い上がった。
結界から出てきたフェルナンドを警戒するように後ずさったクリスタルリーパーはその胴体を真っ二つに分断させ、魔物は魔核石を残して消滅した。
「す、すごい・・・」
「よぉっしゃああぁっ!」
「さすが、フェル・・・!」
「ふん、当然です」
フェルナンドの一撃により、クリスタルリーパーの討伐は完了した。
ハイタッチをして互いを労い合うパーティメンバーたち。
毒の影響が残るミルも、笑顔を浮かべていた。
完全に孤立してしまっていたアイリスは、地面に転がる魔核石の回収に向かった。
ギルドに魔核石を提出しなければ、討伐依頼の達成は認められず、報酬も支払われないのだ。
クリスタルリーパーの魔核石は握りこぶし一つ分のサイズで、片手に持つと重量感を感じた。
(このパーティ、ちょっと不安だけどかなり稼げるかも。特にあいつ・・・)
紫色に美しく輝く魔核石とフェルナンドを眺めていると、アイリスはふと寒気を感じた。
怯えるように頭上を仰ぎ見ると、フェルナンドが消し飛ばしたはずの銀色の糸が再び空中に張り巡らされていた。
「・・・・・ウソ」
フェルナンドの龍剣による斬撃は範囲攻撃だった。
魔物の糸もろとも全てを消滅させたと思い込んでいたが、まだクリスタルリーパーの巣は残り続けていて、黒くて巨大な何かが蠢いている。
巨大な鎌のような六本足、楕円形に膨れ上がった胴体、そして人間の大人すら簡単に食してしまいそうな獰猛な牙。
絶望感の漂うアイリスの表情を見て異変を察知したフェルナンドが、怪訝な顔をして彼女の視線の先を追う。
「どういうことだ・・・!」
状況を理解したパーティリーダーは指示を出すことができず、アイリスと同じように立ち呆けることしかできなかった。
討伐されたクリスタルリーパーが造っていた頭上の巣に、同じシルエットをした影が再び出現していたのだ。
だがその体躯は、比較にならないほど巨大。全長で3倍以上のサイズはあるだろう。
「・・・・・これが、本物?」
アイリスの呟きに応えるように、再度出現したクリスタルリーパーが怒りの咆哮を轟かせる。
「・・・皆、気にすることはない! いくら巨大になろうと、所詮レベル4の魔物だ。僕の龍剣があれば問題ない!」
フェルナンドは蜘蛛が動き始めるよりも早く仕掛けた。
ミルに結界魔法の指示を出さないのは、まだ彼女の魔力が戻りきっていないからだろう。
結界がないまま、フェルナンドが一人先頭に立ち、クリスタルリーパーに対峙した。
「絶龍巌咆!!!」
先に倒した一撃よりもさらに強力な光の斬撃が龍剣から放たれ、2体目のクリスタルリーパーに直撃する音がした。
けたたましい轟音が響きわたり、魔物の6本の脚のうち1本が斬り落とされた。
「どうだ!」
「・・・よぉしっ!」
フェルナンドたちは討伐成功を確信しているようだが、視界すら遮るほどの爆風で土煙が上がっているので、まだ魔物の討滅は確認できていない。
だが、アイリスは直感していた。
(これ、まだ終わってない・・・!)
「・・・フェルナンド様ッ!!!」
アイリスと同じように、魔物の次の攻撃を察知した従者のリズリーが主に飛びかかって、二人で地面を転がった。
直後、フェルナンドが直前まで立っていた場所を中心に巨大蜘蛛の斬撃の雨が降り注ぎ、その衝撃波でアイリスたちは広間に散り散りに吹き飛ばされた。
「・・・くっ!ミルッ!結界を!!」
「う、うん。分かった!」
フェルナンドが大声で手負いのミルに指示を出す。
まだ彼女が受けたベノムレプスの毒は癒えていない。
加えて、1体目のクリスタルリーパーとの戦闘で結界魔法を発動させてから、わずか数分しか経過していない。
その状態での再発動は結界そのものの強度が弱くなり、持続時間も短くなるはず。
アイリスが忠告しようと振り返ると、既にミルの結界魔法が発動された直後だった。
そしてそこで、自分以外のパーティメンバーが一か所に集まっていることにアイリスはようやく気付いた。
つまり、ミルが発動している結界魔法の安全エリアにアイリスは入っていない。
『永遠の絆』のメンバー4人と分断された聖女が目を見開く。
世界に3本しか存在しない聖剣でも倒すことができなかった化け物じみた魔物が、アイリスの立っている側に隔離されていた。
「え・・・?」
ヴェールの向こうで、フェルナンドたちがアイリスを静かに見つめている。
彼らの視線と表情でアイリスは悟った。
自分が見捨てられ、身代わりにさせられたのだということに。
「早く脱出を!ルイズはミルを抱えて離脱してくれ!僕はリズリーをどうにかする!」
「了解っ!」
フェルナンドが受けるはずだったクリスタルリーパーの反撃をその身で庇ったリズリーは意識を失っている。
男二人が女二人を担いで、クリスタルリーパーが支配する空間から逃げ始めていた。
結界がアイリスと4人を分断していたが、音まで遮断するわけではない。
会話もできるし、アイリスが泣き叫べば彼らの良心も痛むかもしれない。
だが、それでもアイリスが黙って気配を消そうとしたのはクリスタルリーパーに狙われる可能性を少しでも下げるためだった。
結界の向こう側にいるフェルナンドたちをクリスタルリーパーが襲ってくれれば、アイリスは自分が攻撃対象になるまでの時間を稼ぐことができる。
その間に自分だけがここから抜け出す方法を探れば・・・・。
そこまで考えて、アイリスはふと1か月前に参加した冒険者パーティのことを思い出した。
(・・・あぁ、私って、結局そういう奴なんだな。やっぱり自分のことしか考えられてない・・・・)
自嘲するアイリスは、結界の外で壁を昇っていく冒険者たちを観察しているクリスタルリーパーめがけて杖を振り、ひ弱な打撃を叩き込んだ。
当然レベル4の魔物にダメージはない。
ギロリと魔物の双眸がか弱い聖女を睨みつける。
フェルナンドたちがどんな顔をしているのか見てみたかったが、よそ見をしている余裕はない。
アイリスはこれから即死級のダメージを負わないように立ち回らなければならないのだ。
彼らを生きてこの場から帰還させるためには、魔力が尽きない限り決して傷つくことのない聖女が肉の壁になるしかない。
覚悟を決めたアイリスの純白の肌が斬撃によって切り裂かれ、右腕が斬り落とされた。
気が遠くなるほどの痛覚に絶叫すらできなかったが、左手の聖紋に魔力を籠めると、自動的に切り離された肩と腕が融合し、重傷が瞬時に完治していく。
(・・・右腕でよかった)
アイリスの聖紋は左手に刻まれている。
試したことはないが、左腕がもし切り離されたときに、回復魔法を使い続けることができるのか、アイリスには自信がなかったのだ。
彼女の魔法による回復力は歴代聖女の中でも群を抜いていると聖教会の使徒に言われたことがある。
その異次元の能力を感じ取ったのか、クリスタルリーパーはアイリスから距離を取ってジッと様子を窺った。
(・・・まあ、攻撃魔法なんて使えないんだけどね)
それでも、レベル4の魔物が警戒してくれるならアイリスの狙い通りだ。
時間をかければかけるほど、強い冒険者が来てくれる可能性が増えるかもしれない。
もしかすると、街に戻ったフェルナンドたちが、Bランク以上のパーティを連れて戻ってくるかもしれない。
可能性は低いが、クリスタルリーパーがアイリスを諦めてどこかへ消えてくれるかもしれない。
だからこそ、アイリスは不敵に笑って余裕があるように装うことにした。
「さぁ、お前の相手は、この私だっ・・・!」