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ラムル王国北西部に位置する「錬魔の森」には、100種類以上の魔物が棲息していると言われている。
だが魔物のほとんどはレベル1とレベル2で、レベル3の魔物と鉢合うことは滅多にない。ましてやレベル4の魔物など出現するはずがない。
世界各地に棲息する魔物は1から7のレベルに分類されている。
中でもレベル4以上の魔物は、手練れの冒険者が集まったとしてもそう易々と討伐することはできない。
聖紋を持つ冒険者集団であったとしても、死の危険がある魔物が、今回の昇格試験の討伐対象ということだ。
最高の討伐難度を誇る魔物のレベルは7。
指折りの冒険者をかき集めても、討伐が不可能とされている怪物中の怪物だ。
だが、この森はランクの高くない初級の冒険者でも探索ができる攻略難易度の低いダンジョン。それにもかかわらず、なぜかレベル4の魔物が出現してしまった。
アイリスの面倒を見てくれている受付嬢のニーナはそう言っていた。
錬魔の森に入ったアイリスたちに襲い掛かってくるのも、レベル1と分類される弱い魔物の群れだった。
レベル1の魔物レイズ・ビートは、背中から生えた4枚の羽根を巧みに使って自由自在に空中を飛び回る巨大な甲虫型の魔物。体当たりしか攻撃のパターンはないが、直撃すれば骨の一本二本は確実に折れてしまう。
「うおおおおおおっ!」
「ハアアァァァァッッ!!!」
フェルナンドの仲間たちが空飛ぶ魔物を打ち落とそうと、手にした武器を振るっていた。
聖紋を与えられている冒険者たちの攻撃は、人間の身体能力では引き起こせない現象を発生させる。
ルイズが大斧を振るえば大気も揺れ動き、ミルが細剣を突き刺せば魔力の斬撃が四方八方に飛んでいく。彼らの攻撃をもろに受けたレイズ・ビートは周囲の木々に叩きつけられていった。
彼らの討伐の様子を観察していたアイリスは「・・・嘘でしょ」と呟かずにはいられなかった。
「ふふふ、僕らの強さに驚いているのかい?」
腕を組んで自慢げな様子のフェルナンドを、アイリスは口をぽかんと開けて見つめた。いくら空中から襲いかかってくる魔物をルイズとミルが攻撃しても、消滅するレイズ・ビートはほとんどいなかったのだ。
「・・・あ、あの。これだと日が暮れちゃうんですけど・・・っていうか、あの魔物は甲殻の外じゃなくて中から攻撃しないとダメージを与えられないはず・・・です」
「・・・へぇ、詳しいんだね」
フェルナンドが驚いたようにアイリスを見る。
確かに魔物の生態や弱点に詳しい聖女など、アイリスを除いて他にはいないだろう。アイリスに魔物や討伐方法の知識が豊富なのは、聖教会に借金を返すため、とにかく魔物の勉強を続けたこの5年の成果だった。
レイズ・ビートは体の外側を甲殻で覆っていて、その上から攻撃を加えても大したダメージを与えることはできない。うまく回り込んで、胴体が見えている甲殻の裏側を攻撃する必要があるのだ。
だが、C級パーティの冒険者たちはそんなことお構いなしに手当たり次第に攻撃を出すだけだった。
「でもね、そんなの関係ないんだ」
「・・・はい?」
「ルイズ、退いてくれ! ミル、頼んだ!!」
「了解!」
フェルナンドの指示を受けて、馬鹿の一つ覚えのようにレイズ・ビートに攻撃を繰り返していた二人がフェルナンドの背後に退避した。
ミルの左手に刻まれた聖紋が強く輝く。
聖紋の固有魔法発動の合図だ。
「排敵の魔壁・・・!」
アイリスたちを魔物から庇うように展開された防御結界。
レイズ・ビートが絶え間なく体当たりを続けているが、そのどれもが壁の向こうへと跳ね返っていく。
回復魔法ほどではないが、ミルが発動させた結界魔法もまた術者の少ない魔法の一種。
魔力で構築した強固な壁を構築し、接触した魔物にダメージを与える。
だが魔力消費が激しく、並の術者であればせいぜい一分程度しか持たないのが弱点だ。
「フェルナンド様、今が好機です」
アイリスがレイズ・ビートから視線をそらして振り返ると、リズリーという名の従者が、一本の大剣をフェルナンドに差し出していた。
黄金に輝く大剣の鞘には、趣味の悪い宝石で装飾が施されていて、一目でかなり高価なものだと分かった。
(・・・いいなぁ、あれ売ったらいくらくらいになるんだろう)
剣にそこまで詳しくないアイリスには、なんとなく高そうという認識しか持てない。だが、貴族の跡取りが大事に持っている剣ならば、売り払えば借金返済の大きな足しになるはずだ。
羨望の眼差しでフェルナンドの剣を見つめていると、リズリーが冷たく見下ろしているのに気付いて、アイリスは視線をそらした。
「剣に眠りし龍の魂よ。遥か悠久の彼方より顕現せよ」
ミルの結界の範囲から外に出たフェルナンドが詠唱をすると、右手に持つ剣に眩い光が宿る。
その刀身から強力なエネルギーを感じたアイリスは、彼らがどうしてB級冒険者パーティにあと一歩のところまで来ているのか理解した。
レベル2の魔物の特徴すらろくに知らないのに冒険者として生きていられるのは、身に纏う装備とフェルナンドの剣の性能による。
事実、レイズ・ビートの突進攻撃を何度も受けていたルイズとミルにはかすり傷一つついていない。それどころか、身に着けている装備にも一切の損傷がないのだ。
魔力の充填を終えたフェルナンドが「絶龍巌咆!!」と魔術名を宣言して剣を全力で振りかぶる。
一振りしただけで、魔力爆発が起こり、アイリスは爆風を感じて目を覆った。
だが衝撃はなにもやってこない。
ミルが発動している結界魔法は、フェルナンドが引き起こした爆発から冒険者たちを守る壁と変化していたのだ。
周囲の目に見える木々が全て切り株だけになり、空中を飛び回っていた無数のレイズ・ビートは全て消滅していた。
「すごいっ・・・・・」
「ふふっ、私たちはB級になるんだから、このくらいは当然よ」
素直な感想を呟いたアイリスに向かって、ミルが鼻高々に言い放つ。
「みんな、魔核石を拾って先に進もう!」
フェルナンドの号令で、全員が地面に転がっている拳大の魔核石を拾い始めた。
魔核石とは、討伐された魔物が残す結晶の総称。
特殊な魔法にかければエネルギー源にもなるし、武器精製の材料としてもよく使われる。
冒険者たちはこの魔核石をギルドで換金することで、日々生きていくための稼ぎを得ているのだ。
レイズ・ビートが落とした全ての魔核石を回収し、再び先を進んでいくと目的の洞窟が見えてきた。
その入り口には侵入を防ぐための結界魔法がかけられており、術者以外は洞窟内には入れない状態になっている。
級の低い冒険者たちの侵入を防ぐのと、中にいる狂暴な魔物が外に出てくるのを防ぐためだ。
だがそれでも用心を重ねるためか、洞窟の入り口にはギルド職員の男二人が立っていた。
「・・・クリスタル・リーパー討伐にきた冒険者ですか?」
「ああ。僕らはC級冒険者パーティ、『永遠の絆』だっ!」
何度聞いても「ダサッ・・・!」と口から本音が飛び出しそうになるが、アイリスは口に手を当ててどうにか失言を抑えた。
フェルナンド率いる『永遠の絆』の昇格試験のことを、洞窟でずっと見張っている彼らが知っている。恐らくニーナから通信魔法で聞いたのだろう。
「念のため、許可証をお出しください」
「リズリー」
従者リズリーが懐から1枚の紙を出して守衛たちに見せた。
「ギルドからの許可証だ。B級パーティへの昇格対象、レベル4の魔物を倒しに来た」
「確かに。許可証に魔力を籠めて結界に触れれば即座に解除されます」
「分かってるよ。もう2回、経験済みだ」
フェルナンドが魔力を注ぐと、ギルドの許可証が輝きだし、大きな鍵のような形状に変化した。
それを結界に突き刺すと、紫色の結界が跡形もなく一瞬で消滅し、洞窟内に足を踏み入れることができるようになった。
「・・・ご武運を祈ります」
「ご苦労様」
偉そうな口調で見張り役の二人を労うフェルナンドが先導して、洞窟内に入って行く。
一番最後に入って行ったアイリスの耳に、見張り役の職員たちの会話が聞こえた。
「・・・なぁ、あれ、欠陥聖女だよな?」
「パーティ見つけたってのか?」
「いやいや、ただの荷物持ちだろうよ・・・」
(いや、荷物持ちすらやってないですけど・・・)
自虐的に笑いながら、アイリスは先を行く永遠の絆の面々の後を追った。
洞窟内は薄暗く、じめじめとした空間だった。
事前にニーナから聞いていた通り、何度も分かれ道が冒険者たちの前に出現し、数十分も歩くともう元の道に戻る経路は分からなくなってしまっていた。
全員の左手に輝く聖紋と、リズリーが灯している光のおかげで周囲を視認することはできたが、それでも魔物の不意打ちには注意が必要な暗がりだ。
「・・・この先に道はなさそうか」
フェルナンドの指示通りに分かれ道を進んできたが、小路の先にある開けた空間で行き止まりになってしまった。
最後尾を歩いていたアイリスが踵を返してひとつ前の分かれ道まで先に戻ろうとすると、カチャリという金属音がして振り返る。すると、『永遠の絆』のリーダーがその場に座り込んでしまっていた。
「よし、ここでいったん休息を取ろう。もう洞窟に入って1時間は経っている頃だろう」
フェルナンドの言葉を聞いた仲間たちも、彼と同じように座り込んで休息を取り始める。
まだ45分しか経ってないし、安全地帯かも分からないのに、何やってんだこの人たち・・・。
アイリスはその場で座り込む面々の神経を疑いつつ、地面や壁を確認した。だが、真っ先に異変を察知したのは、洞窟の外で手に入れた魔核石を確認していたミルだった。
「・・・なに、この音?」
ミルが立ち上がって警戒する。
耳を澄ましたアイリスや他の冒険者にも、高速で動き回る何かの物音が聞こえた。
(・・・足音?)
アイリスが一歩前に出て状況を確認しようとした途端、何かの生物が彼女の腕に高速で飛び掛かった。
直後、腕に激痛が走ったアイリスが悲鳴を上げてその場に倒れ込む。
「お、おい!」
「ちょっと・・・!」
恐らくは何かに噛み切られたのだろう。腕の傷は大したことなさそうだが、ビリビリと痺れる感覚と激痛がアイリスを襲う。凄い勢いで黒く変化していく腕の様子を見て、何の魔物に襲われたのかアイリスには大方の予想がついた。
だがその前に、まずは回復しなければもう耐えられそうにない。
「グッ・・・ヒールッ!!!」
治癒は回復魔法の中でも基礎魔法。
詠唱を終えると、左手の聖紋が輝いてアイリスの全身を白銀の光が包み込んだ。
冒険者が持つ聖紋には、金、黒、白の3つの色が存在する。
ほとんどの冒険者は白の聖紋を与えられていて、能力が向上するとともに色が変化する。
C級冒険者パーティ「永遠の絆」のメンバーたちの聖紋は全て白だった。
途轍もなく優れた冒険者であれば金の聖紋を付与されることもあるが、そんな者は世界に50人といない。
だがそれよりも希少な存在が、白銀の聖紋を与えられている聖女だ。
通常なら猛毒でそこらをのたうち回り、動かなくなったところをゆっくりと捕食されるのがベノムレプスに駆け出し冒険者が殺されるケースだが、聖女アイリスの回復魔法は魔物の毒さえ無効化していた。
「・・・素晴らしい回復力だな」
フェルナンドがアイリスの能力を見て驚いたように言う。
魔物の毒を受けて黒く変色し始めていたアイリスの腕は、回復魔法の力で即座に元の色を取り戻していた。
涙が勝手に流れてくるほどの痛みだったが、その不快な感覚ももう消えている。
他の冒険者たちもアイリスの聖女としての能力を過少評価していたのか、皆感動の声を漏らしていた。
治癒は短い詠唱で発動する便利な魔法だが、回復力はそう高くはなく、通常の聖女であれば切り傷を数秒かけて治すのが限界。
だが、アイリスの治癒は一瞬で傷の再生と状態異常の治癒が可能だ。
だがアイリスは照れることも喜ぶこともせず、自分たちを囲んでいる魔物の情報を簡潔に告げた。
「・・・どうも。あの魔物、ベノムレプスです。毒あるんで、噛まれないようにしてください」
アイリスたちの左右前方には数えきれないほどの小型の魔物がいつのまにか現れていた。
カサカサという物音は、魔物が移動する音だったらしい。
凶悪そうな顔をした黒色のウサギたちの群れ。
レベル2の魔物、ベノムレプス。
小型のウサギには素早さがあるわけでも耐久力があるわけでもない。
それでもレベル1指定ではない理由は、紫色に輝く牙にある。
その牙に噛まれると全身が麻痺する猛毒が体内を巡り、放置すれば数分で死に至るのだ。
「うおるあああぁぁぁっ!!」
『永遠の絆』の冒険者たちが武器を振り回して襲い掛かってくるウサギたちを倒していく。
護身用に持っていた杖を振り回してアイリスもベノムレプスをやり過ごしていたが、ベノムレプスたちは際限なく出現を繰り返してしまっていた。
倒しても倒してもきりがない状況にしびれを切らしたフェルナンドが、他のメンバーを下がらせて一人で先頭に立った。
「ミル、結界魔法は使えるな?」
「うん、あと3回なら!」
「・・・よし、ここにいる魔物を僕が全て始末する」
アイリスは一瞬、フェルナンドが何を言っているのか理解できなかった。
だが彼が大剣を抜いて魔力を籠めて構えるのを見て、大声で止めようとした。
「ちょっ・・・こんなところでさっきの攻撃したら、足場も壁も崩壊します!!」
周囲は人工的に舗装されているわけではないただの土壁と地面だ。
洞窟の外でフェルナンドが見せた魔法攻撃をここで使えば、かなり危険な環境だった。
「あははっ、ミルの結界魔法は優秀だよ。心配しなくていい」
「で、でも・・・っ!」
「うるさいっ!じゃああんたにあいつら全部倒せんのっ!?」
既に結界魔法を発動させているミルが大声で怒鳴る。
そう言われると、アイリスにできることは何もない。
何も言い返せずに押し黙ることしかできないが、この状況では戦闘ではなく逃走を選ぶ方が正しい選択のはずだった。
「絶龍巌咆!!」
強力な一撃が美しい金色の剣から放たれる。
轟音と爆風が吹き荒れ、その場にいたベノムレプスたちは全て完全消滅した。
だが討伐の成功を喜び合う暇もなく、アイリスの絶叫が響き渡る。
「・・・ギャアアアアアアアァァッッ!!」
アイリスが不安に思っていた通り、フェルナンドの強力な一撃はベノムレプスの巣窟の地面と壁を木端微塵に破壊していたのだ。
そのまま空中に投げ出された冒険者たちは、遥か下の階層へと落下していった。