15
豪華絢爛な絨毯が床に敷かれていて、壁には美しい絵画が何枚も掛けられている。
アイリスたちは【錬魔の森】からラムル王宮にある大広間に移動していた。
王が座るのであろう荘厳な玉座が存在感を放っている。
だが三人は森からて遥々歩いて王宮まで辿り着いたわけではない。
従者が発動させた転移魔法によって瞬間転移していたのだ。
ほんの数秒の間に視界に映る景色が変わり、アイリスは驚愕を隠せないまま呟いた。
「どうして転移魔法が・・・」
聖教会に初めて連行された5年前にも、【クリスタル・リーパー】に殺されかけた時にもアイリスは転移魔法を経験している。
だがアイリスが驚いたのは、何度も経験している魔法そのものではない。
風魔法の使い手であるはずのロームが、もう一つの魔法を発動させたことに目を疑っているのだ。
魔法を発動させるために必要な聖紋には、それぞれ固有魔法が一つだけ付与される。
魔力を使って身体能力や感覚を強化することは誰にでもできるが、聖紋に固有の魔法は一つだけ。
ロームの聖紋に備わる固有魔法が風魔法であるならば、転移魔法は使えない。
それは、子供でも知っている世界の理だ。
空の玉座の側で立っているロームが答えづらそうにしているのを見て、「多分あの魔法具だ」とカグラが従者の首元を指差す。
よく見てみると、魔法を発動して美しく輝いていたはずの首飾りから、アメジスト色の光沢が失われていた。
「転移先に魔法陣を設定しておいて、魔力を籠めれば誰でも瞬間転移できる魔法具【フェリアレスト】・・・ってところか?」
一度も聞いたことのない魔法具の名前が出てきて、アイリスはロームの首飾りを見つめた。
あの魔法具があれば、ダンジョンの内部に潜入していても、一瞬で街に帰還することができる。
(いくらくらいするんだろ・・・)
アイリスの思考を読んだカグラが「あれ、100万くらいはする魔法具だぞ?」と囁いた。
3億レニス近い借金を抱えるアイリスにとって、100万も余計に出費する余裕はない。
アイリスがロームの魔法具に羨望の眼差しを送っていると、「・・・さすがですね。ご名答です」と、この世の人間のものとは思えないほど清純な声が背後から聞こえてきた。
ゾクリと背筋に寒気を感じて、アイリスが声が聞こえた方向に意識を向ける。
そこには、ロームのそばにある玉座に向かって美しい女性が悠然と歩いていた。
碧色に輝く綺麗な長髪の女性が玉座の前に直立し、アイリスとカグラを見据えた。
絶世の美女という表現以外に、彼女を言い表す言葉は見当たらない。
それが自分達を呼び出した王女だと直感したアイリスは、顔を赤くして美女に見惚れていた。
「はじめまして。私はラムル王国第3王女、ミレールと申します」
「あ、あ、あ、わわたしは・・・せ、せいじで・・・」
ごもごもとどもりまくるアイリスを見たミレールが笑いかける。
聖教会の司教クラスも世間一般では途轍もなく高貴な人間と言われているが、この王女は格が違うように感じた。
「アイリス様とカグラ様ですね。存じ上げております」
柔和に笑う第三王女は同性のアイリスから見ても、惚けてしまうほどの美しさだった。
女好きのカグラが余計なことを言わないように釘を刺さなければ・・・と思っていると、カグラの姿はもうすでにアイリスの横にはなかった。
「いやぁ、噂以上の美人だねぇ・・・ミレールちゃんでいいのかな?」
いつの間に移動していたのか、カグラはミレールの真横で肩を抱き寄せていた。
従者のロームが一瞬だけ驚いたように目を見開いていたが、すぐに目つきを鋭く一変させ、依頼を頼もうとしていた時とは別人のように怒鳴る。
「貴様ッ!王女殿下だぞ!」
ビクリ、とアイリスは体を震わせたが、カグラは全く怯むことなくミレールに密着し続ける。
「えー、かわいい女の子に王女もヘッタクレもないでしょー」
「えっ、あっ、その・・・」
カグラに口説かれて顔を赤らめる王女。
それを見てイラッとしたアイリスがズカズカと二人に近づいていって、カグラの耳を引っ張った。
「あ、あんた、まじで何考えてんのよっ!」
「痛いっ、あいたたた!」
耳を引っ張ってカグラを下がらせるアイリス。
「も、申し訳ありません!」
アイリスが慌てて頭を下げると、今度は王女の方がおどけたように言った。
「ふふふ、そんな口説かれ方をしたのは初めてです。ほんの少し、胸がときめきました」
コホンと咳払いをして第三王女のミレールが話を続ける。
「まずは、王宮までお越しいただいたことに感謝申し上げます」
「い、いえ!」
王女はピシッと背筋を伸ばして直立するアイリスに笑いかけて、直ぐに本題に入った。
「既にロームからお聞きかもしれないですが、お二人には私の護衛を頼みたいと思っています。来週開かれる、五大国の王族が集う晩餐会の護衛です」
五大国というのは、ラムル王国や、アイリスが一ヶ月ほど前まで滞在していたエルゲイム王国をはじめとした五つの巨大な王国のことだ。
その王たちのパーティに護衛としてついて来いという依頼らしい。
数か月前まで聖教会内部で生活していたアイリスは、そんなイベントがあることすら知らなかった。隣に立つカグラを覗いてみると、心当たりがあるような顔をしていた。
「【ベルモット】で開かれる晩餐会のことか」
「・・・ええ、仰るとおりです」
カグラが呟いた都市の名前は、アイリスにも聞いたことがある。
「【ベルモット】って、中立都市の・・・?」
中立都市【ベルモット】は、どの国家にも属していない自治地域だ。
王や貴族が支配するのではなく、内部で生活する人間たちの中から選出された長が治める都市だとギルド受付嬢のニーナから教わった。
「一週間後、五大国の王族たちが集まる晩餐会があるのです。国同士のあらゆる戦闘行為を避けるため、中立都市で開催される予定です」
王女の言葉の意味を理解できなかったアイリスがカグラに説明を求めた。
「・・・どういうこと?」
「聖教会と中立都市の取り決めで、【ベルモット】内ではどんな冒険者でも聖紋を発動することができないんだ。そんで、一切の戦闘行為が禁止されてて、破ると中立都市のガードマンが問答無用で殺しに来る」
「そ、そんな・・・!」
カグラの言葉に驚きを隠せないアイリスだが、聖紋を無効化する魔法には心当たりがあった。聖教会の司教レベル以上でなければ扱えない魔法だ。
「聖教会が結界を張ってるってこと?」
「そういうこと。どんだけ強い冒険者でも、中立都市の中ではただの人間になる・・・っつっても、まぁA級パーティの連中なら聖紋なんざ使えなくてもレベル3前後の魔物なら楽勝で倒せるだろうけどな」
A級以上の冒険者パーティをアイリスはこれまで見たことがない。
彼女の知る限りでは、ラムル王国に来る前にエルゲイム王国で参加したB級パーティが最高のランク。だが聖紋を使える彼らでも、レベル3の魔物の進化種には太刀打ちできなかった。
「A級なんて滅多にいないじゃない。・・・っていうか、なんであんた晩餐会のこと知ってんのよ? 私とずっと一緒に森の中にいたのに」
フェルナンドとの戦いを終えてから、アイリスとカグラは休む間もなく【錬魔の森】内部で魔物の討伐生活に入っていた。
カグラには五大国の晩餐会の情報を仕入れる暇なんてなかったはずなのだ。
カグラが答えるよりも前に「ふふっ」と綺麗な笑い声を上げたのはミレールだった。
「仲が睦まじいのですね」
「え、あ、いや、そんなことは・・・!」
あたふたするアイリスを見てニヤリと笑みを浮かべたカグラが、聖女の肩を抱き寄せて言った。
「まぁね。俺とアイリスはもうキスまで済ませた仲だ」
「ちょっとっ・・・あれはノーカンでしょ!」!」
どういう仕組みか分からないが、アイリスの回復魔法は口づけを交わした相手に対して発動するらしい。
アイリスが初めて回復魔法を発動させた5年前も、『永遠の絆』との戦闘でカグラが左腕を斬り落とされたときも、彼女の回復魔法の発動条件は唇を重ねることだった。
アイリスが顔を赤くしてカグラに抗議していると
「あら、手が早そうなのに、意外とそこまでなのですね」と第三王女が、とんでもないことを言ってきた。
「んなっ・・・!王女様まで!!」
「あっははは! そうそう、そっから先はこれからのお愉しみ」
「・・・お二人とも、聖女様を揶揄うのはそのあたりにしてください」
従者に諫められた王女が笑い声を止めて咳ばらいをした。けらけら笑っているカグラもアイリスから距離を取って話をもとに戻してくる。
「・・・んで、何の話だっけ?」
「晩餐会! 何であんたが知ってんのかって話!」
怒鳴るように言うと、カグラが過去を思い返しながら答えた。
「・・・ああ、この時期に開かれる晩餐会で五大国の王族が揃うのは、中立都市の晩餐会しかないんだ。前に【ベルモット】を拠点にしてたときに、一回だけ居合わせたことがある」
普段は感じることが少ないが、カグラはかつて最強と謳われた冒険者。アイリスが知らないことをよく知っているが、普段はふざけた酔っ払いにしか見えないからつい忘れてしまっていた。
「でもまあ晩餐会ってのは名ばかりで、王族達が自分の国の力を見せつけて他国のリサーチをするのが主目的のいやーな感じのイベントだけどな」
カグラがそう言い捨てると、ミレールが呆れたような顔をしていった。
「まさに仰るとおりです。ラムル王国からは、第二王子と第二王女、そして私が出席することになっています。王宮からの衛士たちも護衛に回るのですが、ご存知の通り、冒険者の方々の方が実力は圧倒的に上。ですが、ラムル王国に出入りしている有力な冒険者の方々はすでに兄と姉たちが依頼してしまっていて・・・」
中立都市の中で非常事態が発生したとしても、並の冒険者では何の役にも立たないのだろう。それ故、実力のある冒険者パーティは第二王子と第三王子にとられてしまっているということらしい。
ラムル王国のギルドを拠点にしているA級以上の冒険者パーティは存在しない。第二王女と第二王子が依頼したのはB級冒険者パーティということになるが、アイリスは自信なさげに確認した。
「あの、私たちのパーティまだⅮ級なんですけどいいんですか? C級パーティなら他にもいっぱいいそうですけど・・・」
アイリスのパーティ『ミドルシア』は、まだⅮ級。レベル2程度の魔物の討伐依頼しか回ってこない弱小パーティだった。
それに、王女の護衛がⅮ級パーティの冒険者というのは、王国の評判にもかかわる。
そう思って聞いてみたアイリスだったが、王女のミレールにはそんなことを気にしている素振りはなかった。
「・・・実力があるのでしたら、私は経歴など問題にはしません。カグラ様、あなたの過去の罪業も関係ないと考えています」
「それは・・・!」
「そいつは助かるね」
ミレールの言葉に言い返そうとしたアイリスよりも先に、カグラが笑いながら言った。
「・・・一個だけ質問なんだけどさ、何で王女様は自分で冒険者パーティ探してんの? 王族の護衛をする冒険者はギルドが紹介するのが普通だろ。わざわざ幻惑魔法を使って俺たちを尾行して、戦闘力を確かめてから依頼してくるってのは・・・おかしくない?」
ミレールが何かを答えようとしたが、従者のロームが返答する。
「先ほども殿下が仰った通りです。ギルドからももちろん紹介を受けましたが、どのパーティも護衛を任せるには心許ないランクばかりでしたので。私が冒険者たちを直接見定めるよう、殿下から指示を受けていました」
「・・・ふぅん」
カグラが何かを怪しんでいるのはアイリスにも分かった。
(やっぱりこの依頼受けたらヤバいのかな・・・。でも報酬があるし・・・)
パーティリーダーとしてどう判断しようか迷っていると、ミレールが椅子から立ち上がってアイリスの近くまで寄ってきた。
間近で見ると、王女の美しさがより一層際立ってくる。そしてミレールはアイリスの手を握って、瞳を潤ませて懇願するように言った。
「もうこのラムル王国で頼れるのは、あなた方しかいないのです。聖女アイリス様、どうかお力をお貸しください」
至近距離で絶世の美女に見つめられ、ドキン、と聖女の胸が高鳴った。
ミレールの瞳には、魅了の魔法でも使っているのではないかと思えるほどの威力がある。
そしてもう何も言い返せなくなったアイリスは、気付いた時には二つ返事でオーケーを出していた。
「は、はい。全力でお守りします!!」
「感謝します。アイリス様」
「・・・ハァ」
カグラがわざと大きく溜息をついたが、ミレールの満面の笑みに魅入られているアイリスの耳には届いていない。
Ⅾ級パーティ『ミドルシア』は、第三王女の護衛役を担うことになった。