13
一週間間で溜め込んだ魔核石をギルドで換金し、アイリスはカグラの読み通り、5万レニスの報酬を受け取った。
これで残りの借金は2億9950万レニス。
借金完済までの道のりは遥か遠くまで続いている。
日々の食費や武器や道具の調達などでもお金は入用になる。とにかくアイリスはもっと稼がなければならない。
「ニーナさん・・・次の依頼をお願いします!!」
目が血走っているアイリスを、受付嬢のニーナが苦笑いをしながら諫めた。
「あのね、アイリスちゃん。冒険者っていうのは、ちゃんと休息をとらないと、いざって時にうまく動けないものなのよ・・・?」
身を乗り出してニーナの忠告を聞こうとしないアイリスを見て、ニーナはこれまで金の亡者となって帰らぬ人となった数多くの冒険者たちを思い出した。
この小さな聖女の相棒は元S級パーティの冒険者。
アイリスに忠告してもらうためにカグラを探して見つけると、ギルド入り口近くで獣人の受付嬢カリンの肩に腕を回して口説こうとしていた。
「ねえ、あの人・・・大丈夫?」
「え、あぁ・・・いつもああいう感じなんで、もう諦めました。とにかく、私は大丈夫なんで、次の報酬高い依頼をお願いします!」
ニーナとしても、アイリスが冒険者パーティに加入するのを妨害していた引け目がある。可能な限りのアドバイスと、効率よく稼げる魔物の情報をニーナはアイリスに懇切丁寧に説明した。
「よしっ、じゃあ行くかっ!」
「・・・へぇい」
名残惜しそうにカリンに手を伸ばすカグラを引っ張って、アイリスはギルドの外に出た。
「あんた、ああいう獣人の子がタイプなの?」
「いいよなぁ、獣人のかわいい子。あの眼鏡の巨乳ちゃんもいいけど」
平然と最低のことを言ってのけるカグラの脇腹を肘で殴る。
借金返済のためには一日たりとも休んでいる暇はない。ニーナから受取った情報とたんまりの依頼書を片手に抱えて関所に向かって歩みを進めるアイリスの足がふと止まった。
一人の冒険者が仁王立ちになり、アイリスの道を塞いだのだ。
「やっと見つけたっ!」
「え、なんで・・・・?」
冒険者ギルドを出てすぐのところでアイリスに声を掛けてきたのは、金色に輝く防具に身を包んでいる男。端正なその顔を見て、アイリスは嫌悪感を抑えきれずにカグラの後ろに隠れるようにして距離を取った。
男の名はフェルナンド・キュレス。
C級冒険者パーティ『永遠の絆』のリーダーだ。
よく見ると、彼の従者と仲間もすぐ近くに立っていた。
もう関わることもないと思っていた冒険者たちを前にして、アイリスは何と声を掛ければ分からなかった。黙り込むアイリスに向かって、フェルナンドが想像の斜め上の言葉をかけてきた。
「・・・アイリス、勝手に僕のパーティを抜けられたら困るよ。さぁ、僕たちと一緒に・・・・・」
「・・・・・は?」
アイリスは心底軽蔑した顔になって、フェルナンドを睨みつけた。だが一週間前のクリスタル・リーパー討伐の時と同じように、彼の仲間の女冒険者が金切り声を上げる。
「なんて顔してんのよっ! あんたなんかを連れ戻しに来てやってるんだから・・・・・」
「黙れ、ミルッ!!!」
フェルナンドが憤怒の形相で仲間を睨みつけ、怒鳴り声を上げた。
ビクリと体を震わせたアイリスは、何が何だか分からず状況を見守ることしかできない。
「聖女アイリス様。パーティ存続のためとはいえ、先に離脱したことは申し訳なかった。もう一度、僕らの仲間として共に戦ってほしい。この通りだ」
フェルナンドのとった行動に彼の仲間と従者、そして周囲の冒険者たちもがどよめいた。
ラムル王家に古くから仕える名門貴族の跡取りが、地面に膝をついてアイリスに頭を下げていたのだ。
「んな・・・・やめてくださいっ!」
アイリスがカグラの後ろから前に出て、フェルナンドに声を掛ける。
だが、フェルナンドと彼に続いて同じように地面にひれ伏す『永遠の絆』のメンバーたちは、立ち上がろうとはしなかった。
「戻るとこの場で宣告してくれるまで、僕らはこのまま頭を下げ続けるよ」
その様子を黙って見ていたカグラが声を出して笑った。
「・・・・・聖教会の連中、ほんとどうしようもねぇな」
「え、どういうこと?」
アイリスの肩を抱いたカグラが、フェルナンドたちを見下ろしながら言う。
「聖女を見捨ててダンジョンから逃げた罪で、聖紋を剥奪するとでも脅されてるんだろ。それが嫌なら、アイリスを仲間に連れ戻せ・・・ってなところか」
フェルナンドの瞳が僅かに揺れるのを見て、カグラとアイリスは図星だと確信した。
いずれにせよ、アイリスは彼らの元に戻るつもりはない。泣いて喚かれようが、もはやノーチャンスだ。一歩前に出て断ろうとしたアイリスの動きを察知したのか、フェルナンドの従者リズリーが
「聖女様。私たちは反省したのです。あなたは『永遠の絆』に必要な御方。どうかもう一度、私たちにお力をお貸しください」とわざわざ大きな声で叫んだ。
周囲の視線が奇妙なものを見る目から、アイリスとカグラを非難する視線に変わるのをアイリスは感じた。
カグラの言う通り、彼らが聖教会から何かしらの指示を受けていることは間違いない。だがたとえ欠陥聖女よりもひどい異名がつけられようとも、アイリスにはもうカグラと進む選択肢しか残されていないのだ。
「あの、私、もうこの人とパーティ組みましたから。もう昨日のことは気にしていないので、忘れてください、ごめんなさい」
アイリスがカグラの手を引いて、フェルナンドたちに背を向ける。反対方向に歩き始めたところで、カグラとアイリスの足元に、大剣が突き刺さった。
「・・・決闘だ、卑しき犯罪者」
立ち上がったフェルナンドが、血走った目でカグラのことを睨みつけている。
地面から剣を抜いたカグラが黙ったまま刀身を観察してニヤリと笑った。
「あははっ、お前は俺が嫌いなタイプの冒険者だなぁ」
「・・・無礼者ッ!」
従者のリズリーがカグラを怒鳴りつける。それでもカグラは態度を変えることなく笑っていた。
「奇遇だな。僕もお前のような犯罪者は大嫌いだ」
周囲の通行人が騒ぎ出すのに気付いた受付嬢のニーナが、ギルドから飛び出してきた。
そして目の前に広がる物騒な光景を見て、カグラとフェルナンドの間に割って入った。
「ちょ・・・ちょっと待ってください! こんなところで・・・」
二人が相対しているのは、ギルドを出たすぐの道のど真ん中。
周囲には見物の冒険者がほとんどだが、一般の通行人も混じっている。
「分かってるって、場所変えるよ。でもそもそもさ、理解してんの? 決闘って、死んでも文句言えないんだよ?」
「無論だ。聖紋を持たない今の貴様に俺たちが負けるはずがない!」
「俺たちって・・・一人で戦うんじゃないのかい」
そう言うカグラだったが、まだ余裕の笑みを浮かべ続けていた。ただ、その瞳の奥が全く笑っていないことにアイリスは気づいた。
「ふん、僕らはパーティだからな。そして今の貴様は、聖紋を剥奪されたまま。クリスタル・リーパーを倒したことすら疑わしい。僕らB級冒険者パーティ『永遠の絆』の前では、地を這うことしかできない!」
フェルナンドの口上を聞いたアイリスが反射的に聞き返した。
「B級・・・?」
「一体目のクリスタル・リーパーの討伐には成功しているからね。ギルドが昇格を認めたんだ」
確かに、フェルナンドの持つ龍剣により、一体目のレベル4クリスタル・リーパーは討伐に成功した。だがその証明となる魔核石はアイリスが持っていたはずだ。魔力補給のために彼女の体内に吸収され、今ではフェルナンドが討伐したと証明できるものは何もないはずだが・・・。
どんなやり取りが裏であったのかと想像するアイリスだったが、カグラには彼らの冒険者等級など全く興味がなく、クスクス笑っていた。
「ぷぷぷっ、だっさいパーティ名・・・」
アイリスがずっと思っていたことを、カグラが躊躇うことなく口にした。
顔を真っ赤にして怒りを表すフェルナンドがカグラを睨んで震えている。
「・・・あ、ごめん」
「この外道が・・・。 いいだろう、僕が勝ったら聖女を渡してもらう。そして、貴様をこの僕が処刑する!」
「・・・じゃあ、俺が勝ったらどうするんだ?」
不敵な笑みでフェルナンドが高らかに宣言する。
「君が望む全てを差し出そう!」
「へぇ、大きく出たね」
ニヤつくカグラは、アイリスから見ても悪いことを考えているのが分かった。
「じゃあ・・・3億レニスでどうだ!!」
カグラの要求を聞いて、ぽかんとした顔をするフェルナンド。
貴族のボンボン息子だけではなく、その場の誰もが子供の戯言を聞いたときのように、嘲笑していた。アイリスだけを除いて。
「ば、馬鹿なことを・・・。ラムル王国の国家予算何年分だと思ってるんだ」
「なぁんだ、払えないのかよ。貴族のボンボンのくせに、けちくせぇな」
挑発的、そして不敬なカグラの物言いにリズリーが剣を抜きかけたが、フェルナンドが手で制した。
カグラは手にしていた龍剣を持ち上げて「じゃあこの剣でいいよ。俺が勝ったらこいつをもらう」と決闘条件を提示した。
カグラが放り投げた龍剣を受け取ったフェルナンドは、一瞬だけ悩んだような仕草をしたが「・・・ふん、いいだろう」と再び余裕な顔で笑った。
***
カグラ・メンフィスと『永遠の絆』との決闘の場所は、錬魔の森のそばにある平原。ギルドによって指定された。
周囲に影響が出ないよう広範囲が結界で覆われ、観客はギルドの規制によりほぼいない。結界は聖教会の聖職者たちの魔法によって構築されている特殊なものだ。
高級装備を装着して万全の態勢を整える『永遠の絆』に対して、カグラの装備はギルドから貸し出された胸当てと木刀だけだった。
ギルドが発行する許可証がなければ、武器屋も防具屋も商売をしてくれることはない。
それは元S級パーティのカグラであっても同じことで、この七年もの間、隠居生活を送っていた彼は武器も防具もロクな物を持っていなかったのだ。
アイリスが相変わらず酒瓶に口を付けているカグラに近づいて耳打ちする。
「ねぇ、大丈夫なの? あの剣、確か龍剣エリザベートとか呼ばれてたけど」
「ん・・・ヒック。ああ、あれ・・・龍剣じゃないぞ?」
「へ・・・?」
どういうことか尋ねようとしたアイリスだったが、カグラが耳元に口を寄せて息を吹きかけてきたのでドギマギしながら胸を叩いた。
「ひゃあっ、ちょっと、こら! こんな時に何考えて・・・」
「アイリスも気を付けろ」
低く冷たい声がアイリスの耳朶に響く。
「この場にいる俺以外の人間を敵だと思え。周囲360度から、いつ攻撃されてもおかしくない。聖女の杖で致命傷を防いで、もしダメージを受けたらすぐに回復魔法を使え。いいな?」
耳に手を当てて真剣な顔をしてコクコク頷くアイリスの頭を撫でると、カグラはニヤッと笑って
「・・・あ、何されると思ったのかなぁ?」と意地悪く聞いた。
「う、うるさいっ! 早く行け!!」
真っ赤な顔をして杖を振り上げると、カグラが笑いながらフェルナンドたちが待つ戦場の中心へと走っていった。
同じ結界内にはいるが、アイリスはフェルナンドたちとはかなり距離が離れている。通常の攻撃が当たる射程にはいないが、確かにフェルナンドの剣の爆撃であれば当たれば危ないかもしれない。
アイリスはカグラに言われた通りに警戒を強めた。
「では、決闘の条件を申し上げます。第一に、敗者は勝者が定めた要求を無条件に聞き入れる。第二に、勝敗はどちらかが敗北を認めるか戦闘不能になった場合に決するものとする。第三に・・・」
カグラとフェルナンドの顔を交互に見たニーナが、咳払いをして続けた。
「この決闘で死者が発生したとしても、双方責任を負うことはないものとする。・・・以上!」
ニーナの口上が終わると同時、決闘が開始した。傍から見れば、一対四の集団リンチ。
だが、カグラは押し込まれることなく、四人の攻撃を酔っ払いとは思えないほど優雅な身のこなしで躱していく。
そして木刀を振るって着実に『永遠の絆』の冒険者たちにダメージを与えていた。
(・・・そっか。移動の時には魔法を使って速度を上げて、攻撃の時には魔法を使ってないんだ)
目で追うことが精いっぱいのカグラの動きは、間違いなく魔法で補強されている。
だが、攻撃に魔法を籠めてしまえば恐らく、あの冒険者たちを殺してしまう。
(聖紋を持ってないのに、手加減してるなんて・・・!)
やはりカグラ・メンフィスは異次元の冒険者。かつて世界最強と称賛された七人の内の一人の実力はえげつない。
だが、アイリスにはまだ彼の魔法の秘密は解明できていなかった。聖紋を持たずに魔法を使えば、代償として全身からの出血や激痛により、立っていることもままならないはずなのだ。
周囲で結界魔法を張る聖教会の司教たちの様子を見ると、彼女たちもカグラの戦闘に困惑していた。彼女たちも目の前で何が起こっているのか理解しきれていないらしい。
そしてそれは当然、カグラと相対している『永遠の絆』の冒険者たちも同じことだった。
「くそっ! なんだこいつ!」
「こいつ、本当に聖紋持ってないの!?」
「あははははっ!!」
委縮しているミルとルイズに対し、カグラが楽しそうに笑う。
「・・・・・あっ!」
アイリスが短く声を上げると同時、カグラが口笛を吹いた。
「・・・君、中々やるねぇ」
「元S級パーティの冒険者に褒められるとは、光栄だ」
距離を取って間合いを見計らっていたリズリーが、カグラの懐に入ってナイフを突き上げたのだ。
リズリーのナイフとカグラの木刀が高速で打ち合わされる。
魔力の籠るナイフと木刀。普通であればナイフで木刀が切り刻まれるところだが、押しているのはカグラの方だった。
「ここまで強くなったのは、あの男を守るためなのかな?」
「・・・そうだ」
二本のナイフを交差させて鍔迫り合うリズリー。
その隙を狙って残りの三人もカグラに攻撃を与えようとはするが、体捌きだけで躱されてしまい、バランスを崩したミルとルイズが交錯。フェルナンドはカグラに蹴り飛ばされていた。
「ちょっとっ! 殺す気!?」
「そんなわけねぇだろ!!」
『永遠の絆』という割に、仲間割れが起き始めている。
主を吹き飛ばされたリズリーが、カグラに対して猛攻を仕掛けた。だがその全ての攻撃をカグラは捌き、リズリーの両肩を強く握った。
「どんな事情があるのかは知らないけど、もし力が欲しいなら俺のところに来な」
「何を言っている・・・!!」
後ろに飛んで距離を取ろうとするリズリーを真っすぐ見つめてカグラが言った。
「あんなクソ野郎のためにそこまで力を付けられるなら、君はもっと強くなれる」
遠く離れているアイリスに二人の会話は聞こえない。
だがカグラの口が動くと同時、リズリーの瞳が大きく見開かれたように見えた。
直後、カグラの木刀がリズリーに直撃し、そのまま従者の少女は意識を失った。
「リズリー!!」
ミルが絶望感の漂う悲鳴を上げる。やはり、リズリーは単純戦闘であればこのパーティで最強の冒険者なのだ。
ミルの結界魔法は攻撃に転化できない魔法。ルイズの魔法は戦闘力強化だが、カグラの未知の魔法は聖紋を使った魔法のはるか先を行っている。
つまり、戦況はカグラの圧倒的優勢。もうフェルナンドたちが降参するのを待つだけの状態になってきている。そう思って胸を撫でおろした瞬間、アイリスの全身に戦慄が走った。
慌てて状況を確認すると、余裕の笑みを完全に失ったフェルナンドが、大剣を構えて膨大な魔力を放出し始めていた。
「気を付けて! 爆撃がくるっ!!!」
アイリスがカグラに向かって叫ぶ。
だが一瞬の猶予もなく、フェルナンドの剣から閃光が放たれ、強大な魔力爆発が発生した。
地面に伏せて衝撃に備えたアイリスの体がコロコロと結界の壁の方まで転がっていく。
「・・げほっ、げほっ」
距離を取っていたアイリスは爆風に煽られただけで済んだが、至近距離にいたカグラがどうなったのかはまだ粉塵が巻き上がっていて確認できない。
慌ててアイリスが走って近づいていくと、大剣を構えたフェルナンドがガタガタ震えている。
そしてその背後には、木刀をフェルナンドの首に処刑人のように突きつけているカグラの姿があった。
(・・・よかった)
アイリスは頼もしい仲間の元へと駆けだした。
「な・・・・なんでっ! 僕の龍剣で倒せないわけが・・・!!」
「わざわざお前に俺の手の内を明かす必要はないよな」
笑いながらカグラが木刀を振りかぶる。
さすがに殺すつもりはないだろうが、意識を失わせて戦闘不能にしなければこの決闘は終わらない。
やっと終わる・・・と思ってアイリスは聖女の杖を下ろした。決闘が始まって以来初めて、アイリスは警戒を解いてしまったのだ。
「・・・・え?」
直後、アイリスは高速で移動してきたカグラによって地面に倒されていた。
ザクッ・・・・と嫌な音がアイリスの耳に届いた。
目を見張るアイリスの顔に鮮血が飛び散った。
それは打ち首を待っていたフェルナンドの血液ではない。
アイリスに滂沱のごとく降り注ぐ血液は、フェルナンドを処刑しようとしていたカグラの肩から吹き出ていた。
「ちょ、ちょっと・・・・・」
何が起こったのかさっぱり分からない。
だがカグラの視線は地面に膝まづくフェルナンドではなく、アイリスの背後で立ち上がった彼の従者に向けられていた。
「・・・・・油断したなぁ」
「右腕を・・・斬り落とされて・・・余裕な表情をされるというのは・・・・・気味が悪いものです」
最後にそう呟いて、リズリーはアイリスの真横に倒れ込んだ。
最後の魔力が切れて意識が飛んだのだ。
「怪我は・・・?」
カグラがアイリスに問いかける。
涙目になったアイリスが首を横にぶんぶん振って叫んだ。
「・・・なんで私のことなんか庇ったのよ! 回復魔法でいくらでも回復できるのに!」
「そいつの斬撃はお前の首を撥ねる軌道を辿ってた。即死攻撃を回復させることは、たとえ聖女であっても不可能だ」
カグラの言う通り、周囲の警戒を怠ってしまったアイリスでは、リズリーの斬撃を躱すことは難しかったかもしれない。
斬り落とされたカグラの右腕を拾ってアイリスは、地面に座り込むカグラに魔力を注いだ。
「・・・ヒールッ! ヒールッ! ヒールッ! 」
何度やっても、カグラの腕は再生しない。
アイリスの回復魔法は自分以外には使えない。二回も命を助けてくれた恩人に対してすら発動しない自分の魔法を、アイリスは呪った。
「・・・まだ決闘は終わっていない」
地面に膝をついていたフェルナンドが狂気の笑みを浮かべながら立ち上がっていた。座り込むアイリスとカグラに向かって歩いてくる。
大剣には再び魔力が籠められ、刀身に魔光が宿り始めていた。
「ちょ、ちょっと待って! これ以上はもう!」
「まだだ。幾度も僕らを愚弄したその男と君を、この僕が許せるはずないだろう。屈辱だよ。いくら父上からの命令でも、衆目にさらされて頭を垂れるなんてね」
アイリスは最大級の軽蔑を籠めてフェルナンドに言い返した。
「何よ、頭を下げるくらいでうじうじと。小さい男ね」
聖女の罵詈を聞いたフェルナンドが目を吊り上げて大剣を振りかぶった。
「死ねぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」
カグラの体をぎゅっと抱きしめてアイリスは目を塞いだ。
直後カグラの顔がアイリスの胸の中心辺りで動いた。
ヌメっとした温かい感触。
胸元を舌で舐められていることに気づいたアイリスは目を見開いてカグラを離そうとした。
「ちょ、こんなときに・・・!」
「悪い・・・もらうぞ、これ」
パキンと音が鳴って、首にかけていたネックレスが壊れた。
カグラがアイリスに渡したクリスタル・リーパーの魔核石結晶をかみ砕いて、そのまま飲み込んだのだ。
フェルナンドの大剣から放たれた二撃目は、カグラとアイリスに至近距離で直撃した。
聖女は防御魔法など使えず、元S級パーティの冒険者は右腕を失っている。
その状況で、フェルナンドの魔法攻撃に対応できるわけがなかった。
「・・・は、はははははははっ!!!!!」
勝利を確信したフェルナンドが高らかに笑う。
だが、がさっとその場で何者かが立ち上がる音がして、不快な男の笑いがピタッと止まった。
「あんま大人を怒らすなよ、クソガキ」
全身から紫色の魔力を放出させるカグラを見て、大剣を放り投げてフェルナンドは後ずさった。
「な、なんだそれは・・・! あり得ない!!!」
「だからさ、俺の手の内を明かすわけねぇだろって。・・・もう時間ないから、そろそろ終わらせるぞ」
「ひっ……!」
片腕を失くしたまま強烈な殺気と魔力を放つカグラ。司教たちが形成する結界にひびが入り、周囲の空気が鳴動し始めていた。
「確か、処刑するとか何とか言ってたよな?」
「お、おれは王家に仕える貴族の人間だぞ! 手を出せば一族もろとも大変な目に・・・」
「残念だけど、俺の家族はもう死んでる。それで、言いたいことは終わりか?」
大粒の涙を流して泣きわめくフェルナンドにカグラが無表情のまま言い放つ。
「・・・なら死ね」
「嫌だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁっっっ!!!!!」
貴族の息子の頬をカグラの木刀が掠めた。
聞くに堪えない叫び声を上げたフェルナンドは、その場で失禁して泡を吹いて意識を失った。
あまりにも情けない決闘の終わり方に呆然と立ち尽くすアイリスの耳に、カグラの笑い声が届いた。
「あっはっはっはっは! こんなところでわざわざ殺すわけないでしょーが! あ、ビックリした?」
「あんたねぇ・・・!」
アイリスが詰め寄ろうとしたところで、カグラがバランスを崩してその場に倒れ込む。
小さな聖女にとっての最強の冒険者は苦悶の表情を浮かべている。
「ちょっと・・・!」
「あぁ・・・血を流し過ぎた」
びくびくと体の痙攣も始まってしまった。
アイリスはカグラの頭を膝にのせて、再び回復魔法を試した。
だが効き目はない。
「・・・・誰かっ!!」
聖教会が連れてきた聖女であれば一瞬でカグラを治癒できる。
救いを請うただの少女に戻ったアイリスに向かって、ゆっくりと近づいてくる足音があった。
「お久しぶりですね、聖女アイリス」
「大司教・・・ファリス様」
大司教ファリス。
五年前、アイリスに聖紋を与えるとともに、3億円の借金返済を自由になる条件として突きつけてきた聖教会の幹部だ。
「カグラ・メンフィスを、助けたいですか?」
黙ったままアイリスは首を縦に振った。
その様子を見てにこやかに笑った大司教が、アイリスに手を差し出して提案する。
「あなたが冒険者稼業を諦め、聖教会から離れないことを約束できるなら、私の力で助けましょう」
ズキン、とアイリスの胸が鳴った。
冒険者を諦めるというのは、借金返済を諦めるということだ。そしてそれはアイリスが死ぬまで自由でいられなくなることを意味している。
それは、アイリスにとっては当然受け入れがたい申し出だった。そもそも五年前に借金返済を条件にしたのはファリスの方だったはずだ。
不満、嫌悪、反感、敵意、様々な感情がアイリスの胸の中に沸き上がり、大司教に罵詈雑言を投げつけたくなってくる。
だが苦しそうに呻き、顔を歪めている恩人のカグラを助けるためには、もう手段を選んでいる場合ではない。
血が滲むほど唇を強く噛み締めたアイリスが「わ、かりまし・・・・・」と小さな声で呟きかけた瞬間、聖女の口がカグラの左手で塞がれた。
「・・・・・ふざけんな」
まだ意識はあるのか、カグラは目だけをファリスに向けて殺意の籠った瞳で睨みつけた。
カグラは残った左腕でアイリスの涙を拭い、笑いかけて言う。
「・・・いいか、俺が教えたことをちゃんと実践すれば一人でも稼げるはずだ。あとは、困ったら・・・セシルを頼れ」
「ま、待って! 私はあなたを・・・」
「お前の自由を奪って・・・・・命を拾っても嬉しくもなんともねぇよ。しかも、こいつらが俺を助けるとは・・・・・限らない・・・・・・・・ゲホッ!」
カグラの口から血が吹き出る。
それを見たアイリスは覚悟を決めた。
「・・・・ファリス様、先ほどのご提案を受け入れることはできません」
「あら、残念です。では、仲間を見殺しにするというのですか?」
アイリスの回答が予想外だったのか、驚いたようなファリスの表情がアイリスの感情を逆なでする。
だが、怒りに身を任せないように、アイリスは冷静に心を落ち着かせて言い返した。
「いえ、私が助けます」
「・・・お、まえ・・・・何いって・・・・・」
「黙って」
頬を真っ赤に染めたアイリスがカグラの唇をゆっくりと塞ぐ。
目を見開くカグラ。その場にいる聖教会の聖職者たちやギルド職員たちも、その光景に目を見張った。
唇が重なって数秒すると、二人の体が白銀の光に包まれる。
分離していたカグラの腕が一瞬で結合し、体力と魔力が全快状態にまで回復した。
「・・・よかった。また、発動できた・・・・・・・・・・」
脱力して倒れ込むアイリスの体を、起き上がったカグラが慌てた声を出して支えた。
「お、おいっ!」
「・・・・・なるほど、そういうことですか」
頭上で声を出して笑うファリスに向かって、カグラは殺気を放った。
「・・・ふふっ、お久しぶりですね、カグラ・メンフィス。あなたでも狼狽えることがあるのですね」
「てめぇ・・・・・」
大司教が周囲の司教と聖女たちに合図を送ると、周囲に張られていた結界が消滅し、倒れていた『永遠の絆』の冒険者たちの姿も一瞬で消えた。
「・・・セシルか」
「ええ、あなたの決闘を見学できると伝えたところ、快く協力してくれました」
もう転移魔法を使った後なのだろう。顔なじみのS級パーティの現役冒険者の姿はどこにも見当たらなかった。
「今日のところは、このあたりで失礼しますね。あなたの戦い方と、聖女アイリスの秘密を知ることができただけでも、想像以上の収穫がありました」
ファリスが指を鳴らすと、足元に魔法陣が浮かび上がる。聖教会に繋がる専用の転移魔法だ。
魔法が発動する前に、カグラはファリスの背中に向かって問いかけた。
「・・・ここで殺さないでいいのか?」
カグラが挑発的に笑ったが、ファリスは穏やかな笑みを全く崩さない。
「あなたの戦闘にはまだ不確定要素が多数あります。これ以上戦うのは危険と判断しました。でもそうですね・・・次に来るときには、必ず聖女アイリスは引き取ります。それまでに仲良くしてあげてください」
「そうか・・・じゃ俺からも忠告だ」
カグラがアイリスの頬を撫でてから、ファリスに宣言する。
「アイリスはあと3年で必ずお前との聖約を果たす。この子が3億レニスを返して自由になったときのお別れの言葉でも、今から考えておくんだな」
「・・・・・相変わらず、不快な御方ですね」
最後に振り返ったファリスが苦々しい顔をしているのを見て、カグラは愉快に笑った。
そして誰もいなくなった草原でアイリスを両腕に抱えて立ち上がる。
「・・・よし、帰るか」
「うぅん・・・」
アイリスが寝惚け声を出して、カグラの胸に頬を押し当てる。
小さな聖女は幸せそうな笑顔を浮かべていた。
欠陥聖女の借金生活は、まだ始まったばかりである。