第八話
寮の玄関口には花など生けられており、何やら箇条書きを筆で記した紙もある。ラウ=カンの文字なので読めないが、おそらく寮生の心得だろう。
「ユーヤ様、履き物はこちらへ」
と、現れるのは長身のメイド、モンティーナである。ラウ=カン風の服に着替えているが、赤色リボンだけはそのままだ。
「ああ、先に来てたのか」
それは当たり前だな、とユーヤは少し反省。ユーヤも含め、ここに乗り込んだ三人は立派な王族である。単身乗り込むなど有り得ないのだろう。
やや狭い廊下を通って奥へ。己に割り当てられた部屋に入ればなかなかの広さ。板張りの上に絨毯が敷いてあり、やや古びた家具をピンクリボンのメイドが磨いてる最中だった。
「ゆーやさま、枕のお好みはありますか?」
「何でもいいけど……選べるなら薄くて硬めのやつを」
「はあい」
ユーヤは仕事人間であったためか、熟睡というものを避けて生きている。寝具はなるべく固く、薄く、多少落ち着かないぐらいの寝床を選んでいた。
そこへ睡蝶も現れる。
「ユーヤ、まだ部屋の準備もできてないし、とりあえず出かけるネ」
「ああ、わかった」
なぜこんな端にある寮を選んだのか分かった。使用人を含めて全員が固まって宿泊できるからだ。おそらく今は貸し切り状態なのだろう。
他の部屋も何やら騒がしい。睡蝶と雨蘭の使用人も部屋の支度をしているのか。
「ううむ、狭い部屋じゃのう。ユービレイス宮の衣装部屋より狭いぞ」
その雨蘭が現れる。背後では三つ編みのメイドが洗濯物を運んでいた。メイドたちの私物だろうか。彼女たちは中々それを見せることはないが、プライベートの時間はあるのだろうか。
「ところでトイレはどこじゃ? 部屋になかったぞ」
「あちらですよお」
ピンクリボンのメイドが答える。寮から少し離れた場所に、ぽつんと祠のような建物があった。
「うむむ、別棟なのか」
「水洗ですから清潔ですよお。ちゃあんと磨いておきます」
「シュテンの学生寮ではそれが当たり前らしいネ、学生の個室にトイレなんて贅沢だって考え方があるし」
そんなことはさておき、とばかりにぱんと手を打つ。
「まず聞き込みでもするネ。夕方の七時に戻ってくるネ」
「ゼンオウ氏はシュテンの何を焼き払いたかったのか……だな」
まず浮かぶのは、この世ならぬ揺らめきの光をたたえる器物。妖精の鏡だろう。それについての資料を焼いていたと聞いている。雨蘭が扇子で己を仰ぎつつ言う。
「うむ、まあ鏡じゃろうな。シュテンにそれについての資料があるんじゃろう」
「じゃあ私は図書館をあたってみるネ。書庫は一般開放してないけど、何とかもぐりこむネ」
「たしかシュテンには博物館もあったのう。我はそこを見てみようぞ」
「じゃあ僕は……適当に噂話でも集めてみよう。何か分かるかも」
そして三者三様、それぞれ調査に向かう。
「夕方だから人が減るかと思ったけど……むしろ増えてきたなあ」
ユーヤは大通りを歩く。家族連れなどは減ったように思えるが、海外からの観光客らしき人々や、カップルなどは増えてきている。どこからか聞こえる音楽も増えて、○✕クイズなど小さなイベントも始まってるようだ。
街のあちこちに街灯が灯される。ウツボカズラのような壺型をしており、中にはわずかに妖精の姿が見える。
業者なのか学生なのか、それに光をともして回る者がいる。柄の長い柄杓を持ち、小脇に抱えた壺から器用に蜂蜜をすくうと、柄を持ち替えつつするすると照明へと伸ばす。
そして蜂蜜を注げば、どこからか妖精がやってきて街灯の中にするりと入る。それは熟練の手さばきであり、ユーヤなどはついつい見とれてしまった。
「便利だなあ。蜂蜜を注ぐだけであれだけの光量が……」
寮らしき建物からも光が漏れている。暖色系のオレンジの光。妖精の種類が違うのか、あるいは照明に色ガラスでも使っているのか。
「さて、急がないと」
ユーヤは祭りの賑わいから少し離れたエリアへ移動。オープンテラスかフードコートのような場所に至り、歩きながら学生たちの会話に耳を澄ます。
「……」
経済の話。テストの話。ラジオ番組の話。砂漠の国の話。
「やっぱり交渉は決裂なのか」
その言葉に意識が絞られる。距離にして15メーキほど。ユーヤはそれとなく近づく。
「ゼンオウ様の反応のほどが分からんが。何も発表がないってことは、ダメだったんだろやっぱり」
「虎窯なんかに何か変えられるのかね。相手にされてないんじゃないか」
「そんなわけないだろ、白納区一帯を占拠してるんだぞ」
「だからって言うことを聞くってわけでもないだろ。噂じゃ虎窯は大学の自治権を求めてるらしいが、ゼンオウが手放すわけが」
「おい、声が大きいぞ」
ユーヤはそのテーブルにバンと手を打つ、二人の学生がぎょっとしてユーヤを見る。
「な、なんだよ」
「ゼンオウ陛下について語る時は慎重になれ。噂じゃ学内に兵士を入れようって話もある。情報収集の斥候が入り込んでてもおかしくない」
どかりとテーブルにつくユーヤ。二人の学生は露骨に動揺したようで、やや伏せるような体勢になって周囲を見る。ユーヤは二人がひとしきり落ち着いてから言う。
「だが情報は大事だと思う。互いに名前も、学部も聞きっこなしで情報交換しないか」
「情報交換だって?」
ああ、とユーヤは声を潜める。
「単に噂の交換だよ。僕の親戚が朱角典城に勤めてる。そこからの情報だが、ゼンオウ陛下は病に伏せってるらしい」
「やはりそうか、噂はあったが」
「なんて病気か分かるか?」
「男性型濃性粘液トリコモナス感染症とかいうらしい。非常に珍しい病気だとか」
真横にゼンオウがいたなら首を飛ばされそうな嘘八百だが、時として出まかせを信じさせることもユーヤの職能の一つである。
「聞いたことないな……お命は大丈夫なのか」
「さあ……僕もこれ以上は知らない。病名も合ってるかどうか」
「分かった。それでこっちの噂か」
話してくれる素振りを見せたところで、ユーヤが尋ねる。
「虎窯の連中は本当にゼンオウ陛下と交渉してるのか? そういう話は聞いてるが、学生がそこまでできるのか信じられない」
「それは間違いない」
二人いた学生の一人が、自信たっぷりに言う。
「俺は虎窯のメンバーと友人づきあいがあるんだ。代表が何度も朱角に入っている」
「それについて疑問があるんだ」
ユーヤはテーブルを指で叩く。それは緊張感の演出。話者をひそかに煽り、疑いの空気を向け、相手がむきになって情報を話したがるようなリズム。
「虎窯はシュテンの自治権を求めてると聞いてる。もっと一般に開かれた大学にするともね。しかし、その交渉として大学の一部を占拠するってのは変じゃないか? 占拠をやめてやるから自治権をよこせ、というのは」
「確かにそうだ」
学生の一人が、より一層声を潜める。ユーヤは視線を向けつつ先を促す
「何か他に……あるのか? 交渉材料が」
「知ってるかい。虎窯が占拠してる白納区ってのは、昔は無税地帯だった。税を収めなくて良い場所だから白納というんだ」
話を継ぎ、もう一人の学生が言う。
「それというのも神様の住んでなさる場所だからさ。神様から税金は取れないからね」
「……それは、もしかして華彩虎なのか? 虎窯はそれをシンボルとするクイズサークルだとか」
「その通りだ!」
学生たちは熱狂しているのか、周りに目も向けていない。ユーヤの身辺警護なのか何なのか、赤色リボンのメイドが近くに座っているのだが、それに気づく素振りもなかった。
「虎窯は神様の住処を見つけたんだ、おそらく古代の遺跡か何かだろう。それを交渉材料にしてるのさ!」
「ああ! きっとすげえ遺跡だよ。シュネスの方じゃ竜の都アッバーザが発掘されてるが、それに匹敵する規模じゃないのか」
「そんなことが……」
(古代遺跡……シュネスにあるなら、ラウ=カンにあっても不思議はない)
思い出す。遺跡の地下で見た幻想の時間を。人間を遥かに超える存在同士の戦いを。
そして、遺跡を埋め戻そうとしていた人物もいた。妖精の支配する時代において、古代の神など不要、そのように語っていた気がする。
(ゼンオウ氏もそのような思想を? 遺跡を破壊しようと……。いや、だがそれなら燃やせ、という表現はおかしくないか……?)
二人の学生はますます会話の熱が高まってきたのか、早口で色々な噂を喋っている。ユーヤはそれらを記憶しつつ、自分自身の思索を行う。
(古代遺跡……。それを確認しなければならないか……?)
そしていつの間にか、シュテンの空にいくつかの星が――。
※
「あ、ユーヤ」
寮に戻る途中、本を抱えた睡蝶と出会う。
「ああ、いま戻るところか」
「そうネ、いくつかそれっぽい本があったから借りてきたネ」
薄闇が垂れ込めるシュテンの街角で、睡蝶はやや浮き上がって見えた。
確かに服は紅柄に比べれば慎ましいし、地味さの記号としてなのか、黒縁の眼鏡をかけている。だがそれでも彼女の卓抜さ。女性らしい艶やかさと揺るぎない自信。そんなものが紡ぐ魅力を抑えきれていない。学生が何人も振り向いてる気がする。
「もうちょっと離れて歩いてくれ」
「シュテンは安全な街だけど、それでもスリとか暴漢とか出るネ。ちゃんと守っててほしいネ」
「君は僕より強いだろ……だから離れてと」
ふと、ユーヤの眼が脇に向く。
それは平台に置かれたいくつかの新聞だった。脇には小銭を入れる箱がある。
「これは、新聞の無人販売所か」
「そうネ」
眼が引き付けられたのは見出しのためだ。そこに書かれていたのは。
「エイルマイル第二王女……」
注意をひく言葉が無意識的に見つかる現象。周辺視野のいたずらとも、カラーバス効果などとも呼ばれるが、ともかくユーヤはその新聞を手に取る。料金は250ディスケット。
「……エイルマイル第二王女。経済財政顧問にスピカロア氏を指名と発表。金融機関との連携を強化……」
記事もざっくりと読んでみるが、ユーヤが異邦人なためか、まったく理解できない。すべてが完璧に分かっている人間が読んで、初めて何となく分かる記事、という印象だ。
「これ、どういう記事なんだ?」
「私もわかんないネ」
ユーヤは少しずっこける。
「そ、そうなのか??」
「それはセレノウの民間新聞だけど、あの国は閉鎖的で、王室に関する記事は必ず検閲が入るネ。そして基本的には広報からの発表がそのまま記事になるネ。スピカロア氏って人は確かジムゼレス銀行の頭取だけど、政治的なスタンスは持ってなかったはずネ」
睡蝶は前を歩きながら、細い線の上を歩くように足を交差させて進む。背骨が独特の曲がり方をして踊るように見える。
「だからその記事の意味というのは、セレノウに住んでる人ですら正確には分からないネ。うがった見方をすれば、エイルマイルは自分の派閥を作ってる。王室に外部の人間を入れて、経済的にはビルベルス王立銀行だけでなく、民間銀行と王室との結びつきも強めて行く方針……という事かも」
「なるほど」
確か、セレノウの王室はその多くが第一王女アイルフィルの派閥であったという。そんな中でエイルマイルは自分の派閥を作らねばならない。
それは想像するまでもなく、長く困難な道なのだろう。
「第一王女の……アイルフィルはどうなっただろうか」
「分からないネ。あの国は王室関連の病気やスキャンダルは絶対に報道されないネ。でもあの一件からこっち、表舞台に一切出てきてないので、病気説とかが流れてるネ」
「……」
果たして彼女は全権を妹に譲ったのか。
あるいは心の傷もいつかは癒えて、また政治の場に立てる日も来るのか。そうなればエイルマイルとの関係はどうなるのか。
何も分からない。
遠く離れた国にいて、新聞の片隅にその名を見るのみか。
「……セレノウは、遠いんだろうな」
「そうネ。あの国は船でも陸路でも行きにくい土地ネ。堅苦しくて閉鎖的で、民間と王室との距離もとても離れてるネ」
睡蝶は数歩だけ足を戻して、ユーヤに並ぶ。
「むしろラウ=カンの方が快適ネ。後宮だって持てるし、音楽でも美食でも、どんな贅沢もできるネ」
「ラウ=カンもお固い国じゃないのか?」
「王様は特別ネ」
そうだ、と睡蝶は腕を取って言う。
「このまま夕食に行くネ。学食で名物料理が食べられるネ。すごく混むらしいから今から並んだほうがいいネ」
「夕食……いや、いちど寮に戻らないと。ユ……雨蘭も戻ってるかも」
「食べたくないネ? 学食の料理長は大陸の七舌と呼ばれる人ネ」
「何、だと……」
その言葉に、反射的に唾液を飲み込むことが止められず。
睡蝶はにこりと笑って、ユーヤの手を引いて歩きだす。
そして、そのはるか後方。
シュテンの路地を、祭りのざわめきの隙間を走り抜ける。いくつもの影が――。




