第二話
紅都ハイフウとは、その名の通り赤一色の世界。
旅に長けた粋人によれば、この街はかの享楽の双子都市よりも、あるいは砂漠にありし黄金の都よりも色彩豊かと言われる。
それはユーヤにも理解できた。瓦や壁は鮮やかな朱色。石畳は白と赤のまだら、茶の混じったくすんだ赤。ひさしから下がる灯明はオレンジに近い赤。
婦人たちの長衣は銀や金のラインを織り込んだ赤。そして赤の中でとびきりビビッドに目立つ翡翠色の花瓶。
ラウ=カンの人々は赤をよく使いこなす。暗い赤、明るい赤、深み、叡智、慎み、荘厳、安らぎ、そしてあるいは猥雑さ。そんなものを表現していると分かる。
そして他の色が絶妙なアクセントとして加わる。
王族の馬車が大通りを征く。その両脇で、市民は両腕を組み合わせ、深く頭を垂れて見送る。あれは武器を持っていないことの証だろうか。それとも何か別の意味があるのか。
やがて至るのは巨大な城門。左右に2頭ずつの馬によって開かれる城門をくぐって、至るのはやはり、赤い石畳の眺めである。
距離感を失うほど広大な広場、白と赤で幾何学模様が描かれた中を歩いて進む。
「ユーヤ、非公式の訪問になったけど、ユーヤはセレノウの王族。ラウ=カンにあるセレノウ大使館に手紙を出しておいたネ」
「あまりそのへんの機微が分からなくて……気を利かせてくれたなら助かる」
「だから誰か寄越すはずネ……あ、来てた」
「え?」
左右を見る。まるで空港のようにだだっ広い広場であり、遥か遠くに衛兵がいるぐらいしか見えない。
「どこ?」
「もうユーヤの後ろに来てるネ」
はっと振り向く。
いつの間に近づいたのか、そこにいたのはメイド服の二人。
一人は長身でふくよかな体つき。過激なボディラインをメイド服でぎちぎちと締め付けるような着こなし。柔和な笑顔と真紅のリボン。
もう一人はまるで少女のよう。ピンクリボンとあどけない顔立ち。メイド服は煙のように軽やかに着こなす。
彼女はぼんやりとした眼差しをユーヤに向け、人差し指で唇に触れながら口を開いた。
「上級メイド、マニーファ、ユーヤ様のお世話をさせていただくよお」
「同じく上級メイド、モンティーナですわあ。我々の勤務地においでいただけて光栄です。長旅の疲れを癒やさせていただきますわあ」
ユーヤは二歩ほど下がりつつ会釈を向ける。この二人には過去に壮絶なトラウマを植え付けられているが、意志の力で顔には出さない。
「よ、よろしく……。あれかな、着替えとか用意してるのかな。ラウ=カン向けのタキシードとか」
「ご用意しておりますが……」
モンティーナが流し目を睡蝶に向ける。
「ユーヤ、朱角典城では客人は自室でしか着替えてはいけない決まりがあるネ。それと基本的に王宮詰めのメイドは客人の世話はしない。侍従を持たない客は王宮に宿泊させられないネ」
「そんなルールが……」
自国民と外国人の接触を避けるような構え。理由はスパイの防止だろうか。今まで訪れた国の開かれた雰囲気からすると、だいぶお固い気風のようだ。
とはいえ、実のところユーヤとしては多少堅苦しい方が慣れていたりもする。メイドを引き連れて王宮へと向かう。
「他にも王宮内には馬車を入れられないとか、山ほど決まり事があるネ。まあ上級メイドがいれば大丈夫ネ、不調法しそうになったら止めてくれるから」
「うふふ、おまかせ下さい」
それにしても広い。
門から城まで500メーキ(約500メートル)はある。閲兵のための広場ででもあるのか、夏場ならば石が日差しを反射して目が焼けそうだ。ユーヤは沈黙を嫌ったのか、話題を振る。
「ゼンオウ氏が伏せってるらしいが……そうなると今、国を取り仕切ってるのは誰なんだ?」
「ラウ=カンはナンバー2というのを置かない気風ネ。高官たちが話し合って政治をやることになってるけど……あえて言えば劉信統括書記官ネ」
「劉信……」
その名はどこかで聞き覚えがあった。そして几帳面な性格のユーヤのことである。常に整理している記憶の箱から名前を取り出す。
「確か……かの妖精王祭儀、それにゼンオウ氏の代理で参加することになってた人物……」
「よく覚えてるネ……」
睡蝶は感心するというより半ばあきれた声を出す。
「そうネ、若いのに優秀な人で、科典、つまり役人登用のための試験で歴代最高の成績を出したネ。いくつかの役職を経て、文官のトップクラスに上り詰めたネ」
「なるほど」
ユーヤの反応は特にない。役人が傑物だろうと、興味を持てという方が無体であろう。
睡蝶は少し考えて、こんな話をする。
「ユーヤ、それにメイドの二人も、ではここで問題ネ」
「おお……その切り出し方すごくいいな」
なぜか少し感動していたユーヤを尻目に、紅柄の美女は歌うように出題。
「劉信とは若くして文官のトップに立ち、きわめて美形で女官の人気も高い。武にも通じているし名家の跡取りでもある。ではその劉信の特徴として、一番ありそうなのはどれネ?」
1、女性のような長髪
2、熊のような大男
3、元映画俳優で女性のような長髪
4、元デザイナーで片腕がない
「んん……? 難しいよお」
「そうですわねえ、美形ということでしたら、やはり3番ですかしらあ」
「マニーファは4番だと思うよお、何かドラマチックだしい、2番は絶対違うよねえ」
「ユーヤはどうネ?」
ユーヤは少し考えて、そしてわずかに笑う。
「……ごめん、この問題は知ってるから、メイドさんの答え合わせをやろう」
「あら残念。さすがユーヤってところネ」
後ろの方で小首をかしげる気配がある。
「ユーヤ様、異国の文官のことまでご存知なのですか? さすがですわあ」
「違うよ。というよりこれはクイズじゃない。ちょっとした心理テストというか、引っ掛け問題だ」
「そうなのですかあ?」
「選択肢をよく思い出して。1番が「女性のような長髪」。3番が「元映画俳優で女性のような長髪」。1番は完全に3番を内包している。特徴として一番ありえそうなのは、と聞いた場合、3番が答えになることはありえないんだ」
「あ……」
「2番と4番は劉信氏についての説明に少しそぐわない。そして人間は、より詳しく説明されている項目を答えだと思いたがる傾向がある。これを代表性ヒューリスティックとも言うんだけど……つまり3番が説明のイメージと合致しているので、つい3番を選んでしまうってことだね。もう少し言うと、普通に考えたら元映画俳優で文官トップなんてほとんどありえない経歴だし、もしそうなら上級メイドの君たちが知らないとは考えにくい」
「その通りネ。これはシュテン大学で生まれた問題の応用。あの大学では引っ掛け問題とか、意地悪な問題がブームになったことがあるネ」
「僕の世界でも流行ったよ。10回クイズとか世紀末クイズとか」
はふう、と深いため息のような、熱っぽい吐息がユーヤの首筋にかかる。
「さすがですわあ。というより、今の回答は上級メイドとして思慮が足りなかったですわあ。申し訳ありません」
「ごめんだよお」
「気にしなくていいから……」
「皆様」
声がかかる。
まだ距離があるが、朱角典城とおぼしき宮殿の入口。緋色の円柱が立ち並ぶ場所にその人物はいる。
「ああ丁度よかった、あの人が劉信ネ」
「あれが……」
それは確かに、腰まで伸ばされた漆黒の髪。
それを盆の窪で縛って背中に垂らし、ひっつめになる頭部に帽子を乗せている。帽子は筒型であり、上部に板状のものを乗せ、そこからすだれのような飾りが下がっている。全身はゆったりとした長裾の服で包まれていた。
ユーヤの知識で言うならそれは冕冠。高位の身分の者が大義の際に着用したものだが、この世界ではごく日常的に身につけるのだろうか、そのように思う。
「睡蝶さま、困りますよ勝手に出国されては。今は国の一大事なんですよ」
「悪かったネ。知恵を借りたい客人がいたから急ぎ連れてきたネ」
「そちらの方ですか?」
劉信は段の上にいたので、やや慌てた様子で降りてくる。並ぶと背丈はユーヤよりやや高いぐらいか。
「名はセレノウのユーヤ。まだ公にはなってないけどセレノウの第二王女、エイルマイル様とご結婚されているネ。セレノウの国風の関係で、第一王位継承権者となっているネ」
「ああ、あなたが異世界から来られた御方ですね。断片的ですがハイアードでのご活躍のことも伺っております。一度お会いしたいと思っておりました」
「よろしく」
社交的な握手を交わす。ユーヤの手を劉信が両手で包み込むような動作だった。
「ところで睡蝶さま、シュネスに行かれてたならお土産はないのですか。私あれ好きなんですけどジュビーシってやつ」
「急ぎだから何もないネ。体のどこかに砂粒ぐらい残ってるかも」
「じゃあそこに黒い紙とか敷きますからジャンプしてくれますか、何粒か落ちるかも」
「あとでネ」
軽口を交わしつつ宮殿に入る。
回廊にはおよそ調度品というものがない。しかし柱に細かな彫刻がなされ、さらに壁には壁画が全面に描かれている。何かの物語なのか、ひとつながりの巨大な絵だが、歩くに連れて少しずつ場面が移り変わっていく。
「何だか聞いてた印象と違うよお。もっと役人っぽいお固い人だと思ってたよお」
「そうねえ。うふふ、でも美形ですわあ。笑いかけられたらとろけてしまいそう」
「そうだね……」
ユーヤも二人の後をついて歩く。
「劉信、ゼンオウ様はどうなされてるネ」
「ゼンオウ様ですか……残念ですがお隠れになりました」
「!」
目を見開くのはユーヤである。隠れる、とはユーヤの国では死の隠語だったからだ。
「本当ネ……なんとか話はできないネ?」
「さあ……こちらから呼びかける方法がないんですよね。大声チャンピオンでも呼んできますか。たしか昨年のチャンピオンはセレノウの方で、銅鑼とか土砂とかそんな名前だったような」
「? ちょっと二人とも、隠れるってどういう状態なんだ?」
劉信が、ふと振り向いてユーヤを見る。
「ああ、ご存知ありませんか。ではそちらの壁画をご覧ください」
右側を示す。
老人が黄金の光に包まれ、しずしずと歩いて山道を登る、そんな図だ。
「これは?」
「金様燈路という絵ネ。ラウ=カンでは王は死ぬことがないとされてる。老境を迎えると黄金の繭に包まれ、より高位の存在となると言われてるネ。山は神聖な地であり、そこで永遠に生きるとされてるネ」
「死に際に行方不明になったミュージシャンに生存説が流れたりするでしょ。あれですよ。それでラウ=カンの皇帝は死期が近づくと山に入るんです。だからコウレンとかジョサイとか、大昔の王様もまだ生きてることになってます。でも葬儀はやるんですけどね。葬儀屋がうるさいもんで」
それは軽口と言うには際どすぎるような気もしたが、こういうときは大体ユーヤの感覚がこの世界と合致してないのだと思い、何も言わない。
「ということは……ゼンオウ氏の出した命令については」
「ああ、シュテンを焼けってやつですか……困ってんですよね実際。乱心だとか言ってる人もいますが、仮にもゼンオウ様の勅令ですし、文書にもいっぱいサインされてるのでどうしたものかと……」
役人らしい弱った声を出しつつ、また歩を進める。
「動機は分かったのかな……なぜ燃やせと命じたのか」
「皆目わかりません。文書の破棄についてもずいぶんお諌めしたんですけどね。文李院のヨウドウ様なんか地に頭こすりつけすぎて頭が半分になりました」
劉信は左右の絵画をつらつらと見つつ、のたりのたりと歩を進めている。やがて十字路に差し掛かると、こちらを見ぬままに話を切り替える。
「睡蝶様、お食事まだでしょ。そちらのユーヤ様を交えて何か腹に入れましょう。空腹だと何も浮かびませんからね、空にも浮かびませんし」
「分かったネ。ユーヤにラウ=カンの面包料理をご馳走したいネ」
「それは楽しみだな……」
「じゃあ渗透脆はどうですか。すぐご用意できますよ」
「いいネ、じゃあそれで」
と、睡蝶はユーヤを振り向いて手を取る。
「客人はまず食事に案内するのがもてなしの作法ネ。着替えも用件もその後で」
「ああ……そういえばシュネスでもそんな感じだったな、分かったよ」
「食事の間はこっちにまっすぐ行って、あとは女官に聞いて欲しいネ、私は別の入口から入るネ」
「分かった」
客人と主人が別の入口から出入りする。それもどこかで見た作法である。これまで断片的に垣間見てきたラウ=カンの文化に、これからどっぷり浸かるのだという感覚がある。
(……だが)
劉信と睡蝶が去り、メイド二人を脇に控えて、ふいにユーヤは自分だけの想念に潜る。
それは、ユーヤという人間が営々と身に着けてきたもの。
身に着けたままに実践することが己の責務だと感じている、必ずしも好ましくない人間性。
すなわち、猜疑心。
(あの、人物)
劉信。
優秀な文官であり、今はラウ=カンをきりもりする手腕。それでいて軽妙洒脱、人当たりの良さとユーモアを前面に出した人物。
その人物は会話のあいだ、ほとんどユーヤを見ることがなかった。
かの勅命の動機が分からず、ほとほと困り果てていると言ったのに、「何か心当たりは無いか」という視線を向けることもなかった。
それは優秀さと自信の現れ、と言えなくもないが――。
(……ラウ=カンの国主、ゼンオウ氏)
思い出す。あの百余年を生きた怪物の姿を。大陸でも屈指のクイズ戦士であり、老獪という言葉の頂点にいるような人物を。
(本当に、自分の意志で山に隠れたのか……)