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第十六話 (過日の4)





過日。


地下の空気はきらめいて見える。寒々しい冬の寒気の中で、微細な埃が光を反射しているのか。


その人物はやはり地下にいた。ブランケットを膝に置き、白い吐息をそっと空気に溶かしている。紙をめくる指にはあかぎれが刻まれ、血色はいつにも増して青白く見える。


「葵さん、これどうぞ」


七沼は缶のココアを手渡す。草森くさもりあおいがいつからこの図書館にいたのか聞くことはない、聞くのが恐ろしかった。


「ありがとう」


草森葵はそうとだけ言って受け取り、髪を指先でよけつつココアをすする。


「こないだのオープン戦、葵さんの言った通りだったよ」


関西のD大学において行われたオープン戦、七沼は見学のために現地にいた。


そこで行われたのは長文かつ超難問、既存のクイズとは別次元の問題のみで構成された、究極の名を関する早押しクイズである。参加したのは各大学のエース級であり、注目度も高かった。


その結果は、51問を読み上げ35問が無回答というもの。

ある程度のスルーは織り込み済みの大会ではあったが、その光景は極限のクイズというより、気まずい沈黙が続く神経の磨り減る光景と映ってしまった。この事件は苦い経験として、大学でのクイズシーンに一石を投じることとなる。


「良い問題も多かったんだけど、難問の雰囲気にプレイヤーが飲まれてる気がした。ペーパーのつもりで取り組めば違ったかも」


クイズ大会の予選などで行われる筆記クイズ。これをペーパー、または紙と言い、筆記クイズを勝ち上がることを紙抜けなどと言う。

草森は本に目を走らせつつ答える。


「無理だと思う。難問は人間には荷が重すぎるんだよ。どれだけ勉強したって追いつかない。知識の世界は本当に広いの。一人の人間が極めつくすのは無理なんだよ」

「……そうだね」



――でも、葵さんなら。



その言葉は像を結ばず、七沼の喉の奥で消える。


「……どうすればいいんだろう? 早押しクイズはどう進化するべきなんだろうか」

「いくつか道はあると思う。一つは、問題文を長くすること」

「長く……」

「そう、長文問題とでも呼ばれるのかしら。それはクイズの行きつく一つの形。それならきっと、七沼くんの言ってた「悪問」とも親和性が高いと思う」

「悪問と……なるほど、多段フリ問題とか、そういう方向性か」

「でも、それもきっと、完璧とは言えないけれど……」


クイズの未来について語る草森葵の眼には、いつまでも憂いの色が消えない。

どれほど知識を蓄えても、クイズについて議論しても、彼女の見据える未来には、いつも影が降りている。


この時代。

クイズ世界が成熟し、プレイヤーたちが一般社会から隔絶しつつあった時代。大学生たちが中心となり、新しい世界の創造に取り組んでいた。それがどんな世界となって結実するか、まだ誰にも見えていない。


その時代の中で、七沼は未来を案ずる。


クイズの未来を、そして美しく儚げな、唯一無二の紙の王の未来を――。





「長文クイズ、というのは?」


梟夜会シャオイエフーの店舗が臨時休業となり、お客が外に追い出されると、店内のあちこちからメンバーが集まってくる。

店内は暗く、ユーヤの感覚ではカラオケボックスに似ていた。細かく部屋が分かれた全個室タイプの飲み屋らしい。同伴喫茶という懐かしい言葉が浮かびかけて、ユーヤはそれを意識から追い出す。


「問題文が極端に長いクイズだ。僕たちの間で長文というと200文字を超えることもあるけど、おおむね100文字以上を目安としよう」


一番広い部屋に十五人ほどの女性が集まっている。テーブルにはクイズの本や辞書などがどさどさと重ねられ、部屋の隅のラジオから耽美な音楽が流れている。


女性陣はいずれも紅柄ファンガンか、もっと際どい格好をしていたが、ユーヤの眼はそれらに向かず、ただ昏い光をたたえていた。


「長くする……という部分がよく分からないんだけど」

「長文クイズは色々な意図によって生まれたクイズで……あくまで僕の解釈だが、スリーヒントクイズに近い。分かりやすいのは偉人などだ。ある偉人についていくつかヒントとなる文章を作り、連結させて問題文を作る。冒頭はほとんど誰もわからないようなマイナーな情報、後半になるに従ってメジャーな情報になる。そのような情報を多段の前フリとして問題文を作る」



問題

ある電磁気学上の現象にその名を残し、2017年の映画ではベネディクト・カンバーバッチが演じ、京都の石清水八幡宮に記念碑があり、世界的なコレクションが栃木県のバンダイミュージアムに収蔵されている、メンロパークの魔術師、訴訟王、アメリカ映画の父などと呼ばれる、白熱電球や映画の実用化などで知られる人物は誰。



解、トーマス・アルバ・エジソン



「長文クイズの出現にはいろいろな動機があるんだが、多段フリ問題は競技性を求めるものでもあった。より知識の深いクイズ戦士は、より前のフリで押せる理屈だね」

「初めて聞く形式ね。ラジオでは長すぎる問題は敬遠されがちだし、前フリが複数あるなら読み上げのトーンも考えないと……」

「私、も、虎窯フーヨウで作問をしてましたけど、問題文の長さを気にしたことはなかったです……」


鈴鈴リンリンはクイズの運営側として、タオはクイズ戦士として興味が引かれているようだ。


「10問先取の勝負として、これから2時間ほどで30問ほど作ってほしい。可能だろうか」

「何とかするわ。会場の手配と飾り付けもメンバーで手分けしてやってもらう」

「できる限り豪華に、派手にやってくれ、それで報酬の方は」

「明細は後で出すけど、全員参加だから8000ディスケットぐらいね」


少しの間。


「……ずいぶん安いけど」

「このお店は商売だけど、クイズサークルは学業の一貫。イベント運営もね。報酬は一人あたま500ディスケットでやってるの。そのかわり気に入った仕事しか受けないのよ。じゃあ細かい打ち合わせやりましょ」

「ああ、ある程度はそちらの裁量でやってくれ。とにかく盛り上がるような工夫を……」

「いやーんこちらの方、触り方がえっち」

「よいではないか、やはり若い子は肌触りが違うのう、どんな化粧品使っとるんじゃ?」


盛り上がり始めてた雨蘭のところにつかつか歩き、脳天に手刀を落とす。


「はうっ!?」

「遊んでんじゃない! 打ち合わせに来たんだろうが!」

「そうは言ってもすでにボトル入れてしもうた」

「早っ!? いやそうじゃなくて君も聞いとかなきゃダメだろ! 君の試合もあるんだぞ!」

「それよりユーヤよ、我は大変なことに気づいたぞ」


急に真剣な顔になり、小さく手招きをする。


「……? どうしたんだ」


ユーヤがソファの横に座る。すぐに若い女性が横に来て席を詰めた。


「うむ、これは我の長年の経験、多くの人や物に触れてきて磨いた、卓抜たる観察眼ゆえの気付きじゃ。さしものユーヤも気づいておらんようじゃが……」

「……な、何だ」


そして雨蘭は息を呑み、ひそかな興奮で目元を歪ませつつ、言った。


「あのタオという娘、千年に一人の美尻じゃ……!」

「……」


人生で最強クラスのデコピンが打てた。





「ゆーやさま」


クイズイベントの打ち合わせを終え、店を出たところで声がかかる。

見ればピンクリボンのメイド、マニーファが来ていた。青い布包みを背負っている。


「ゆーやさま、ごめいれいのもの、集めてきました」


と、包みをほどいて現れるのは大量の串焼き、葉物野菜で巻いた焼き魚、肉饅のような白い饅頭などである。それぞれ油紙で包まれ、飴玉や蜂蜜の瓶などもある。


その上にちょこんと座るのは純白の妖精。冷気を放つ氷晶精ピチーティアである。食料は適度に冷えており、痛むような様子はない。


「ああ、ご苦労さま、よくここが分かったね」

ルウさんにお聞きしましたよお。これ、みなさんで召し上がりますかあ?」

「いや、この食料はイベントで配る。食べ物が少なくなってきて、どの屋台も食料を絞ってきてるからね」


歓楽街であるこの通りでは、食料品店はメニューに紙を貼って値段を書き換えている。そうでない店は臨時休業のようだ。


おそらく大通り沿いの屋台はほぼ全滅だろう。どの店も一両日中に封鎖が解けると見越していたのか、食料は出し尽くしてしまったようだ。


「マニーファ、君はどこかの厨房を借りて、これらの食料を元の形が分からない程度に料理し直してくれ。鍋に仕立てるのがいいだろう。それとクイズイベントで炊き出しを行うという触れ込みも頼む。2時間でできるかな」

「わかりましたあ。すぐにやりますよお」


と、メイドは一礼をして引き返し、雑踏に消える。食べ物の香りに通行人の何人かが首を巡らすが、香りを追ってもそのピンクの影は目視できない。


タオが尋ねる。彼女と雨蘭は先に店を出ていた。


「あ、あの……ユーヤさん。どうしてイベントを盛り上げる必要があるんですか?」

「……パンとサーカス、だよ」

「……?」

「人々の不満を反らすためには、食べ物と娯楽が必要だということ……。食料を盗んで不満を煽ったのは僕だから、とんだマッチポンプだけどね」

「な、なるほど、学内の混乱を増すことによって、虎窯フーヨウに勝負を受けさせる。さらにその食料を不満を反らすために使う……」

「そういうこと……。それより、勝負は2対2での三回戦。二戦目は君と雨蘭だ。インターバルを作るからおよそ四時間後の勝負になる。体を休めててくれ」

「わ、わかりました」

「雨蘭も……」

「ユーヤよ、休むのはよいが我らはまだ二回戦の種目を聞いておらぬぞ。どんなクイズなんじゃ?」

「……それは、相手側とほぼ同時になるように伝える、不公平の無いように」


クイズサークルに依頼するとはいえ、運営にユーヤが関わっている。その気になれば必勝の策はいくらでもあるだろう。


だが、それはユーヤという人間性が許さない。

有利な状況を作ることと、不正を排除すること。どこまでが許容されて、何が受け入れられぬのか。ユーヤは精神を削りながらそれを見極めんとする。

絶対に交わらない炎と氷の血、その2つがこの偏屈な異世界人の体内を駆け巡っている。


葛藤と苦悩の時間が、まだまだ続くかに思われた。





そして知の舞台は幕を上げる。


「第五問 メルニエンス歴272年に発見され、『その地にて蝶は川面を埋める』」と称された景勝地/で」


ぴんぽん


「はいマオ選手!」

「リダロ河!」

「正解! 問題の続きを読み上げます。景勝地であり、その後統一歴99年まで再発見されなかったため、架空のものの喩えとして用いられる「リダロの水」という言葉の語源でもあるセレノウの指定河川といえば何! 正解はリダロ河です、おみごと!」


観客はすでに二千人を数える。

前列には銀写精シルベジアを構えた男たちが大挙しており、広場の外周では簡易的な屋台で温かいスープなどが振る舞われている。それに混じって梟夜会シャオイエフーのブロマイドなども売られていた。


「すげえぞこのクイズ……とんでもない難易度じゃないのか」

「ああ……虎窯フーヨウの三悪のことは聞いてたけど、噂通りの実力者だったか」

「いや、相手側もすごいぞ、何でも今は奥にいる虎男が代表らしいが……」


それはやはりこの世界、この時代、そしてこの大学という特殊な場所であるためか、観客はまず何をおいてもクイズに関心が引かれているようだった。


虎窯フーヨウに対して野次を飛ばすものも少なくないが、それは圧倒的な狂騒の中に飲み込まれてしまう。彼らの不満の多くは空腹から来るものであり、無償の炊き出しがあるとなれば、食べ終える間はクイズに関心が向くのもやむなきところか。


周囲には光の妖精も飛び、梟夜会シャオイエフーメンバーによる生演奏で音楽も鳴らされ、過剰なほど盛り上がっている。この閉鎖環境のストレスが一気に吐き出されるような眺めか。


「……もっと盛り上がってくれ、もっと……」


セレノウのユーヤは会場の外縁付近におり、人波をかき分けて少しずつ移動している。襟元が乱れそうになるのを押さえて、少しずつ。


「痛えっ!」


背後で声が。

振り返れば、ユーヤと似たような学朱服を着た人物が、別の男の手をねじりあげている。


「脂ぎった手なのに手癖が悪いですね。爪も伸びてるし。関係ないですが」


その男が革の財布を取り落とすと同時に手を離す、男はほうほうの体で逃げていった。


「ほらユーヤさん、財布をられるところでしたよ」


財布のことは気にしていない。どうせ小銭しか入っていないからだ。

それよりも、ユーヤの名を知る人物。


「君は……」


おどけるように開かれた眼、軽口と冗談だけを編み続けるような尖り気味の口。その奥に見える美男子然とした顔立ち。長い黒髪を後ろで結い上げた人物。


劉信リウシン統括書記官。


「……なぜ、ここに」

「何言ってるんですか、シュテンの封鎖となれば国の一大事ですよ。しかもゼンオウ様の奥方が取り残されてる。助けに来たに決まってるでしょ。心配してたんですよ空腹のあまり教科書とかかじってないかと」


話しつつ、二人は会場の片隅に移動する。絶叫に近い歓声もあって、二人の会話を気にする者はいない。


「脱出の手筈は整ってますから、隙を見て逃げましょう」

「…………。いや、まだ出ていけない。虎窯フーヨウとの直接対決にこぎつけたところだ」

「ほう」


劉信リウシンは人の頭の隙間からステージを見て、拡声の妖精によって響く司会者の声を聞く。


「なるほど、問題文が異様に長い……これはあれですね。凄み・・の演出でしょうか。学生たちの不満を反らすために、なるべくステージを盛り上げる必要があると」


(この男……)


「うーむ、やはり噂通りの御方ですね。クイズの形式ひとつに色々な意味を持たせている。鈴鈴に依頼したのも良いと思います。私もファンなんですよ。もう梟夜会シャオイエフーのグッズで三部屋埋まってますから」


軽口を叩きながらも分析は的確、淡々とユーヤの企みを見抜いていく。ユーヤは表情を変えぬまま、すべてを見透かされるような恐れに冷や汗を流す。


(……いつもそうだな、事態は常に、悪い方に流れていく)


ステージを見る。人の頭の隙間、回答者と司会者たちのさらに奥にいる、虎の毛皮をかぶった人物。



虎煌フーコウ、あの人物が劉信の変装ならば、まだ救いはあったのに……)


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