第十五話
※
「私はクイズがどう進化するかを考えてたの」
階段を降りていく。どこまでも続く螺旋階段。獣脂ランプの明かりだけが狭い範囲を照らす。
先頭を歩くのは「悪問」の猫。ついて行くのはセレノウのユーヤ。そして雨蘭。
「どう進化するというのじゃ?」
「例えば『楽譜がなければ人生を弾こう』といえば誰の……」
「ハリエル・マゴールじゃな」
「そう、あまりにも有名すぎて、その名前だけが条件反射的に飛び出してくる。でも一般の人がマゴールのことをどれだけ知ってるのかしら。コンサートでもマゴールを演る人はほとんどいない」
辿り着くのは古い棚。厚手の本がぎっしりと格納されている。
「マゴール自身はそこまで評価が高い音楽家じゃないし、反体制的でもあったから、伝記や雑誌は廃棄されてこの穴に棄てられた。私は研究のために彼についての問題を作ったの、300問ほどね」
ユーヤはじっと聞いている。二人の女性の間に立っているはずなのだが、彼は静かにしていると気配が消えてくる。今は帽子掛けのように存在が希薄である。
「他にもいろいろ作ってみてるの。タックトゥにおける反則の一つ、散逸手が生まれたのはどの街? アンナ・ヴィクバニエンが98年の競技会で出した背泳500ミーキの記録は何分何秒? 『涼みの岩』で大岩が持ちかけた取引、要求されたのは何?」
「なんじゃその問題は……」
雨蘭はぼんやりとした反応だった。困惑というより、思考がどこかで止まったような間がある。
「難しい?」
「いや、難しいというより……そんなこと誰も覚えとらんじゃろ。クイズになっておらぬ」
「だから「悪問」なのよ」
どのようなクイズを良問とし、悪問とするかは一種の共通認識によって決まる。
一般的には知名度が極端に低いもの、細かな数値を問うものなどが悪問とされ、他には答えが一つに絞られないもの。悪質なミスリードがあるものなども時に悪問となる。
さらには読み上げの速度やリズム。出題の順番など。出題側は常に批評の眼に晒されている。
「こういうのを作ってリスト化しておけば、いつか役に立つと思ったの。もっとクイズが盛んになって、すごいクイズ戦士が山のように生まれてくると、問題はどんどんマニアックになっていくはずだってね」
「……分かるよ」
ユーヤは短く言う。ランプの乏しい明かりでは、その表情は伺えない。
「問題の難問化、それはクイズ世界が行き着く未来の一つと思われていた。この土地にもその考え方が生まれていたんだね」
「ユーヤよ、お主のその……住んでいた土地ではどうだったのじゃ。問題がマニアックになっていったのか」
「そうでもない。高難度なクイズに取り組む人たちはいたけど、そのような難問専門の大会はさほど多くなかった。一段階でも難しくすると、覚えるべき知識の量は指数関数的に増えるからだ」
「あなたどこの出身なの? クイズが盛んなハイアード? それとも雑学に強いパルパシア?」
「遠い土地だよ」
その答えに猫は少し首を傾げるが、話したくない事情でもあるのかと察し、深くは聞かない。
「でも本当にどうするの。自分で言うのも嫌だけど、虎煌とその側近たち、あいつらの強さは異常よ。まともにやっても勝てない」
「そんなことはないよ」
ユーヤは事もなげに言う。猫は少し唇を尖らせる。
「どうしてよ」
「極端なことを言えば、人間が二人いるとき、その知識量が完全に同一だったり、一方が全ての分野で上回っていることは有り得ない。必ず互いに得意な分野がある」
ユーヤは両手を柏手のように重ねる。手を少しずらすと、互いにはみ出してる部分がある。
「クイズを勝負事と考えた場合、重要なのはこの点だ。クイズのジャンルと範囲をこちらが指定できるなら、必ず有利な状況を作れる。どれほど実力差があっても、王と村人であっても」
「カルトクイズでもやるっていうの? さすがにそんなもの受けるはずが……」
「策はある……これは君の描くクイズ世界の未来にも繋がる形式のはず。その名を長文クイズという」
「長文クイズ……」
「今日中にそのクイズを作成して、勝負を取り仕切れる人が必要だ。紹介してくれないか」
「それは……やれるとしたら梟夜会でしょうね。クイズイベントの運営に特化したサークルよ。でも、繰り返しになるけど虎窯がその勝負を受けるかどうかが……」
※
「受けよう」
30分ほど後。
相手の返答に、猫は少し固まる。
「受ける……の?」
「受ける、今から舞台を作るとのことだが、今日中にできるのか」
「ええ、それは、まあ……いま別の人が手配してるみたいだけど」
白納区のとある建物。虎窯が会議などに使っている場所だが、そこに乗り込んだのは猫と睡蝶である。
敵の本拠地であり、猫たち三悪は狙われる存在、なおかつ一日前に一悶着あったばかりの睡蝶も同行している。いきなり襲われる覚悟もしていたが、あっさりと虎煌の居場所へ通され、提案は簡単に受け入れられた。
虎皮をかぶった人物は、こちらの差し出した紙を確認する。
「2対2を3回行う団体戦……そちらが勝ち越せば我々の持つ幹部職をすべて譲渡する、我々が勝てば10億ディスケット相当の宝石、相違ないか」
周りには例の黒い学朱服の連中もいる。棍は持っていないが、壁に張り付いてこちらを見張っているようだ。睡蝶との間で殺気が交わされるのが分かった。
「ええ……その条件で。クイズはこちらで指定したものになるけど」
虎煌は例のように虎の頭部をかぶり、体に無数の布を巻き付けたような姿である。ゆっくりと頭を動かす。紙に視線を走らせているのか。
「いいだろう」
「いいんだ……」
猫は後頭部のあたりのみで混乱する。
なぜ勝負を受けたのか、わけが分からない。
シュテン全土を包囲しているこの状況で、クイズ勝負をやるだけでも異様なことなのに、本当に会長職を賭けるのか。
「他には」
「いえもう何も……じゃあ会場が決まったらまた来るから……」
「分かった」
くぐもった重い声。感情の起伏が見えない。
「なんで受けたの???」
帰り道も疑問は続いていた。後ろを歩いていた睡蝶がその呟きに応じる。
「10億ディスケットは大金ネ、いくら大変な仕事の最中でも、受けたくなっても無理ないネ」
「そんな馬鹿な」
虎窯の幹部として朱角典にも出入りしていた猫には、世間の評価はどうあれこの占拠は「大事業」とか「偉業」というものにも見える。それを投げ出すリスクを犯す、というのは理解が難しい。
「じゃあ、確実に勝てると踏んでるネ、舐められてるなら好都合ネ、相手のスキを突けるネ」
「うーん……」
確実に勝てるから戦う。それなら何とか通らなくもない。
しかし猫すらよく分からない世界初のクイズ、そこに何の不安もないのだろうか。
「深く考えてもしょうがない、ユーヤの計算が当たってたってことネ。私たちは全力でクイズをすればいいだけネ」
その言葉は猫を納得させるには至らなかった。彼女は振り向き、眼鏡の奥で目を三角にする。
「睡蝶さん。ずいぶんあの方を信用されてるようだけど大丈夫なの。虎煌はもちろん、あの側近たちも七十七書でやすやすと九割を超えてくるのよ」
「ユーヤが勝てると言ってるなら勝てる、そういうことネ」
「またそんな事を……」
あの男。あの幽鬼のように不気味な印象のある、謎めいた気配の男。
三悪は常に虎窯を監視していた。だから一部始終を見ていたのだが、彼は急に虎煌に食って掛かったかと思えば、直後に側近に袋叩きにされたのだ。三人で目を丸くしたことを覚えている。
語る言動はどこか不思議な響きがあり、確かに自信のようなものも見えるが、果たして彼は何者なのか。
周囲には赤が濃い。思索にふける者のための陰赤の赤。大蛇の腹中のような暗い路地を歩く。
「確かに、ユーヤが嘘や出鱈目を言ってるようには見えなかった。策があるのも本当なんでしょう」
「でしょう? 細くて弱々しいけど、クイズでは頼りになるネ」
「……でも、あの人は本当にすべてを語っているの?」
「ん……?」
「あの人、悲しんでるように見えた。罪を背負うような、誰かの不幸を悼むような。あの眼は何に対してなの? 彼には何が見えているの? そしてなぜ話してくれないの?」
「きっと、まだ予想の範囲だから言えないネ。ユーヤはできるだけ全てを説明しようとする男だし……」
あの時。
シュテンが封鎖され、高い塀に妖精の守りが張り巡らされたとき。
ユーヤは泣いていた。暗闇の中、一筋の涙が。
――このシュテンは、いざという時に焼き尽くせるように出来ている。
――ゼンオウ氏は本当にシュテンを焼く気だった。そして、それは実行されようとしている。
――抵抗しなくては……。
「……」
想起されるいくつかの言葉。それは不安の色をしていた。
睡蝶は伊達眼鏡をかるく持ち上げ、呼吸を落ち着けると、心の乱れを体内に引っ込めて言う。
「大丈夫ネ」
何が起ころうとも。信じよう。
彼にはきっと、信じてくれる人が必要だ。
「ユーヤは、世界を変える男だから」
※
「こ、こっちです」
白納区を出て、桃の案内で大学内を歩く。
通りには人が溢れている。建物の中で休んでる者も多いはずだが、大学生は太陽の下にいないと落ち着かない習性でもあるのか、声高に言葉を交わしている。
封鎖は三日目、いよいよ虎窯への不満の声が高まってきている。口論からの喧嘩も少なくないようだ。
「こちら、です」
行き着くのは学内の南の隅。奥まった道には左右に極彩色の建物が並んでいる。アーケードになっており妖精の光が飛び交い、きわどい姿の女性たちがアンニュイな様子で立ち尽くす。
「……大学だよね? ここ」
「ほほう、噂には聞いておったが、思ったより規模がでかいのう、店もバラエティに富んでおる」
同行していた雨蘭は女性の足をまじまじと見ていたが、ともかくその店構えの一つに入る。
看板に梟夜会と出ていたが、それが店名なのかサークル名なのかよく分からなかった。入るとすぐに紅柄を着た女性がやってくる。
「いらっしゃい、お客さん初めて? テーブルチャージで5000、指名は7000、ワンオーダー一時間、今は割増料金もらっててね、その代わりボトルキープでイベントやってあげるから」
「あの、鈴鈴さん、にお会いしたいんです」
早口で喋っていた女性に、桃が割り込む。
「あら桃じゃない。やっとうちの店に来てくれる気になった? そっちのパルパシアの留学生はバイト志望? ルージーソックスじゃないの、イカしてるわね」
「ふふん、分かるかの。スカウトならば契約金は弾んでもらうぞ」
「あの、鈴鈴さんを」
「ん? 店長に用なの? じゃあ二階行って」
その女性はさっさと立ち去ってしまう。ユーヤは少し圧倒されていた。
「……ここ、クイズサークルなんだよな? お店じゃないよな?」
「お店、でも、ありますけど……。いちおう、人気ナンバーワンのお店だとか」
「梟夜会はパルパシアでも有名じゃぞ。双子都市にも支店があるからのう、大臣がよく全身トラ縞に塗られて帰ってきおる」
「理解するより早く情報出さないでくれる?」
二階に上がってみれば、お香の煙が立ち込めており、窓は閉ざされて薄暗い。壁に大小無数の鈴が掛けられており、奥には椅子に座って片膝を立てている女性がいた。
「いらっしゃい」
赤に染まる街の中で、大輪の夏の花を思わせる黄色の紅柄。頭につけた鈴は丸まった猫ほども大きい。睡蝶に比べれば小柄な体で、立て膝になって足の爪にやすりをかけている。
ユーヤが前に出て問いかける。
「あなたが鈴鈴?」
「そうよ、何の用?」
「仕事を頼みたい。クイズでの決闘、その作問と司会進行、相手は虎窯の現会長」
その女性はついと視線を上げてユーヤを見る。驚くほど大きく丸い瞳。愛嬌のある顔立ちであり、ユーヤにも彼女のスター性、イベント映えしそうな素質が分かる。
「大変な大勝負ね、じゃあ安全確保からになるかな。場所は白納区を使えるの?」
「いや、勝負はシュテンで一番目立つステージで行いたい、一般生徒の観客も入れる」
「そんなの無理よ」
やすりを置き、足先を持ち上げて爪先を見る。
「みんなピリピリしてる。虎窯とその代表に不満がある生徒も多い。人前に出てきたら何が起こるか分からない」
「絶対に不可能なほどだろうか?」
「そりゃ対策は打てるけど……わざわざ人前でやらなくてもいいじゃない」
鈴鈴は消極的な様子だったが、ユーヤはそこを譲りたくないようだった。煙を払いのけるように歩み寄り、熱を込めて語る。
「ぜひ頼みたい。大勢の前でなくてはダメなんだ。大きければ大きいほどいい。力の限り盛り上げてほしいんだ」
「どうして?」
「……クイズは、多くを巻き込むことができる。僕はクイズの力を信じている。この大学の騒動も、多くの人間の思惑も、幸福も不幸も、時代すらも、そして」
「世界は、きっとクイズが変えていく」