第十四話
※
少年は町の隙間を歩く。
様々な人間が入り交じるシュテンにおいて、その少年が見咎められることはない。彼のような子供は町の片隅にいて、豊かさの影で生きていた。
大学が封鎖された話は聞いていたが、元よりここで寝起きしている自分たちにはさしたる影響もないことと、いつものようにその日の糧を求めて歩く。
だが今日は何もない。
子供でもできる日雇いの仕事はなく、炊き出しもない。食堂の裏手に行ってみれば、数人が言い争う声がする。
「帰ってくれ、水脆はもう無いよ」
「そんな、こっちだって食い物がないんだよ。何かないのか」
「食材の切れ端はあるがね、食わせるわけにいかない。腹でも壊したらコトだから」
「頼むよ、そんなこと言って、自分たちだけは食料を隠してるんじゃ」
「帰りな」
言い争っているのは料理人と学生たちのようだ。だがそこまで殺気立ってはおらず、やがて学生たちはすごすごと退散する。
「くそっ、封鎖はいつ解けるんだよ」
「仕方ないさ、とにかく今は食料を確保しとこう」
「ああ、急ごう。いくつかの屋台で盗みが起きたって噂もあるからな」
「食い物が……」
少年が困惑の顔を浮かべていると、声がかかる。
「石、こっちおいで」
呼ぶのは50手前ほどの婦人。恰幅のいい体つきをしており、芯の通った職人の腕をしている。大陸の七舌とも呼ばれる人物らしいが、石と呼ばれた少年にはよく分からない話だ。
「ほら、これ持ってきな」
渡すのは固焼きの麺包がいくつか。それにチーズや素揚げした小魚など。すべて布の袋に入っている。
「今はみんなピリピリしてるから、人に見られるんじゃないよ。友達がいるならその子と分け合って食べな」
「おばちゃん、何が起きてんだよ。みんな食料がどうとかって言ってたけど」
「甘えてんだよ。頭のいい学生様とはいっても、豊かな時代だからね、食べ物が無くなるなんて想像したことも無いのさ」
食べものが無くなる、それは実のところ石にも想像しづらい事態だった。自分が食料を手に入れられるかはともかく、町全体から食べ物が無くなる事態など起きるのだろうか。雲や土が消えてなくなるような話に思える。
「無くなったらどうなるんだ?」
「さあね、無くなってみないと分からないよ」
そして婦人はまた仕事に戻り、石はシュテンの町並みを眺める。
昨日の朝よりずっと騒々しい気がする。どこからかラジオの音も聞こえ始める。
大学全体が揺れていた。騒々しさの怪物が、あちこちで生まれ始めるような気配が……。
※
「虎窯ってのはね、元々はハネっ返りの集まりなのよ」
聖地と呼ばれる縦穴の中腹。三悪の一人、猫は自分たちのことをかいつまんで話してくれた。
「ラウ=カンでクイズといえば一問多答や早押しが多くてね、虎窯はそれを変えようとした連中が作ったの。シルエットクイズとかバラマキクイズ、連想クイズとかアベッククイズとかね。でも七十七書も大事にしてたのよ。だから幹部と会長は科典にのっとった試験で選んでたの」
ミルクを入れた濃いお茶と乾燥したパン。それを朝食代わりに腹におさめつつ話す。
「言ってみればそれだけのサークルだったんだけど、数年前から政治的な活動も始まった。シュテンをもっと開かれた大学にしたかったからね。奨学制度も充実させたかったし、科典以外での登用制度も作ってほしかった。そんな理想を掲げて活動してたんだけど。そこへあの虎煌が現れたの」
脇には陸と桃もいる。二人はその名前に緊張を示す気配があった。
「虎窯は来るもの拒まずだったけど、ほんの数日でサークルの空気が塗り替わっていった。そして乗っ取られたのよ。同時期に何人か入ってきたけど、いま思えばあれもグルだったわね」
「何のために乗っ取りなぞしたのじゃ?」
雨蘭が尋ねるが、猫はかぶりを振る。
「さあね。分からない。サークルは古典ばかり重んじるようになって、昔からの仲間も辞めていくか、もしくはあいつらに感化された。掲げる理想は似ていても、中身はまるで違う。白納区だけならともかく大学の封鎖だなんて、何考えてるのかしら。そんな力づくの事でゼンオウ様が動くとは思えないけど」
(おそらく、占拠それ自体が目的だからだ)
ユーヤは思う。彼が激痛にうなされながら言ったことでもある。すなわち今の虎窯の目的はラウ=カンとの交渉などではなく、このシュテンを丸ごと焼き滅ぼすために動いている。
それはさすがに誰も本気で信じてはいなかった。ユーヤにとっても論理の段階を飛ばした話なことは分かっている。
「それに虎煌のやつ、表にも出てないみたい。ずっと白納にいて、練習試合みたいなことしてるのよ、意味分かんない」
(学園を封鎖した時点で、目的が終わってるからだろう)
(学生たちの前に身を晒すのはリスクでしかない。できれば身を隠して、人心掌握に務めていた方がいい。あの高台の上での試合も、恐怖と圧力で人を支配する手法に見える。あるいは、自分に従わない会員を追い出すためか)
(ある集団を掌握し思いのままに動かすには、従来からの目的を残しておくほうがいい。会員たちに昔からの目的に沿っているよう思わせている)
そのような発言は言葉にするのは憚られた。想像で補ってる部分が大きいためだ。
ユーヤは毛布を掛けられ寝かされた状態だった。睡蝶と桃で包帯を取り換えている。
「私たちも虎煌は止めたいと思っている。できればサークルも取り返したい」
「こちらから……」
視線がユーヤに集まる。彼は全身が火照っており、荒い息をつきながら言う。
「こちらから挑めば、向こうは七十七書を元にした一問多答を指定するだろう。それで勝てるかい?」
「無理、だと、思います……」
桃が言う。陸などは歯噛みする気配があった。
「あの、人、たちは強すぎます。シュテンで主席クラスの人でも八割正解がやっとなのに、やすやすと全問正解を……」
「大丈夫ネ、私が戦えばいいことネ」
睡蝶がぽんと胸を叩きつつ、自信ありげに言う。
「お姉さん、が、ですか? あの、失礼ですが科典を受けたご経験でも……」
「まあ公式にじゃないけど、こう見えてもちょっと得意ネ」
「……だが、一人だけ勝っても意味がない」
ユーヤははっきり言及はしないが、試験形式の勝負は望ましくないと感じていた。
この閉鎖環境では問題の入手も、運営の人員を集めることも困難である。公平な勝負を担保できるとは思えなかった。
「できれば早押しで勝負したい……そして観客を入れる。観客の眼があれば早押しでの不正は難しい」
「賛成ね、でも、そもそも一人だけ勝っても虎窯は奪えないわ」
猫が言い、巨大な扇のような、外側に膨らんだ階段の上に5枚のコインを置いた。
「会長以下、5人の役員がすべて取られてる。仮に会長職を奪えたとしても何の議決権もない。それどころか他の役員によって罷免されるでしょう」
「じゃあ3人以上と、七十七書以外で戦うってことが条件ネ? その場合、向こうから勝負を挑ませないと無理ネ」
「それが難しいのよ……」
三悪がここで手をこまねいていたのはそのへんが原因のようだ。逆を言えば得意分野なら彼らにも勝機はあるのだろうか、とユーヤは考える。
「あなた、さっき言ってたでしょ。「勝負を受けざるを得ない」とか何とか、何か交渉材料でもあるの?」
「ない」
ユーヤのあまりにも端的な答えに、1メーキほど沈黙の雪が積もる。
「な、ないって」
「適当に嘘をでっち上げるならいくらでもできる。塀に爆弾を仕掛けたぞと脅すとか、兵士がすでに塀の中に入ってきてて、僕の手引きで君たちを逮捕できるぞ、とか。まあそんな話で押し切ろうとしたんだ」
三悪はあんぐりと口を開ける。
「睡蝶、雨蘭」
「ん、なんじゃ」
「どしたネ」
「小切手帳は持ってるかな。あるいは大きな宝石とか、現金をメイドに持たせてるとか」
「宝石ならいくつか持ってるネ」
「我もあるぞ、このエメラルドなら3億はするのう」
「え、ちょっと」
猫が慌てて言う。
「お金で勝負を受けさせようっていうの!?」
「勝てば問題ない」
「そういう意味じゃなくって! お金なんかで動くわけないでしょう!」
「猫、虎煌と接触できるかな。睡蝶は格闘技の達人でもあるから、護衛についてもらうといい。僕は顔を見せない方がいいだろう。相手の反応はいくらか予想できるから、あとで予行練習を……」
「勝手に進めないでくれる!? だからお金なんかで受けるわけないってば!」
(そう、受けるわけがない、普通なら)
だが、もし受けたなら。
もし、わずか数億ばかりの宝石を賭け草に、会長の座を賭けられるのなら。
(それはきっと、事態が予想よりも最悪である可能性が……)
※
「みんな気が立ってるな……」
少年は町の隙間を歩く。
大学封鎖から二日目ともなれば、熱狂的に交わされていた議論にも変化が生まれる。いわく虎窯の語る理想については語り尽くしたので、今は事態がどう推移するのか、朱角典の城はどのように対応するかの話題になっている。
「なぜ兵士が対応しないんだ。門を破るぐらいできるだろう」
「危険だ、バリケードに火薬でも仕込まれてたらどうする。交渉で穏便に済ますべきだ」
「外から食料は来ないのか、塀越しに投げ込むとか……」
「人か物かは分からんが、何度か妖精に弾かれるのが目撃されてる。入ったとしても焼け石に水だろう」
「やはりゼンオウ様は伏せっているのか、表に出てきてないようだ」
「それについて噂なんだが、男性型濃性粘液トリコモナス感染症とかいうご病気に……」
言葉の意味はよく分からないが、そんな声を聞きつつ歩く。
と、広場の方からざわめきが。
「……?」
誘われるまま行ってみれば、そこは奥側にステージを持つ広場。そのステージに二人二組、計四人の人物がいる。
片方は黒っぽい学朱服に身を包んだ長身の男たち。
いま一方はすみれ色の髪と丸っこいショートヘア。どちらも眼鏡をかけた二人組の女性。
「ではこれより勝負を開始いたしまーす!」
背後から押されるような圧を感じる。どうやら広場に次々と人が集まってるようだ。潰されぬように隙間に潜り込みつつ、イベントの予感に足が前に動く、少しでも良い場所を確保しようと。
「まだ手がかりはつかめないか」
「はい、なにぶん学生の数が多すぎて……」
ふと視線が流れる。どこかで見覚えのある男と、赤いリボンのメイドが目に止まった。だが興味はすぐステージの方に向かう。
「これより行われますのは今や世界の台風の目、その名も高き放蕩者の旅団、虎の強さをその身に宿す知の英雄たち、虎窯の会長の座を争う団体戦でございまーす! 司会は私、同じくシュテンの女流クイズサークル代表。モットーはお茶とお菓子と早押しと、梟夜会の鈴鈴が努めさせていただきまーす!」
その名を表すような特大の鈴で頭を飾り、黄色の紅柄を身に着けた司会者が高らかに叫ぶ。その間にも観客は次から次と詰めかけ、広場はもはや足の踏み場もない。
「さあこのシュテンの混乱のさなか、降って湧いたこの団体戦。この大学封鎖においても必ず大いなる転換点となることでしょー! ではまず第一回戦はー! こちら!」
そして別の女性スタッフたちが、横断幕を高々と掲げる。
「世界初の試みとなる新クイズ、その名も百文字超え長文クイズでーす!!」