夫婦で夜に語り合ったこと。
そうして、裏の仕事に就いてからというもの、不意にどうして彼女たちが死んだのか、何故あの星は無くなったのかと考えることがあった。
軍規が正しく機能していれば防げたのか、あるいはあの時自分達にもっと力があれば彼らを撃退できたのか。しかしそのときは晴れて危険勢力として軍が大義を名分を手に報復に及ばれていたことは間違いない。なら、戦わずに済むよう棲む場所を定期的に変えるべきだったか、だがそれが出来る場所があの星にあったか? なら星の外、宇宙のどこかへ逃げるべきだったか、女子供に老人や傷病人を連れて本当にそんなことが出来たのか――
やはり、無理だったのだろう。つまりあのときあの瞬間こそが、彼女たちの死期だったのだろうと、そう何度も同じ答えに行き着いた。
どれだけ懸命に生きようと、死ぬときは死ぬ。どんな悪人であろうと、どれだけ優しい人間であろうと、ほんの少しの巡り合わせでふとした拍子に消えてなくなる。どのような力を持っていようと、どのような立場に居ようとも関係ない、皆同じだ。どれだけ選択肢があるように見えても、どんな死も避けようの無いそれであることが事実なのだろうと。
宇宙の中、瞬く星が消える――当時より幼い頃に感じた漠然とした死の印象であった“自然の摂理”、それをまた感じた。
しかし同時に、それとは違った“人の死”を――あのとき、“人殺し”に手を染めて以来、まざまざと感じるようにもなった。殺す側も、殺される側も、その瞬間、実に様々な思いが渦巻き、無残に消えていくというそれを。
それは決して自然現象ではない。死を弄ぶ者により訪れる人の死――それは人が逆らえない大きな流れとは全く別のもののように感じられた。
それは人の手で止めようと思えば止められるように思えた。
だが、裏の仕事をこなすうちに理解した、それを止めたとしても特に何の感慨も湧かないこと、どれだけ悪性の人間を処分しても、自分の中で彼らの死が何の意味もなさないことを。
それは元より世界や社会に寄与する気など元よりなかったからなのか、自身に所縁の無い相手だからなのか。しかしあの下衆な男を殺した時さえ、その瞬間には既に何の意味さえ感じなかった。――その時点で私的な意義も、もうなかったから、それも当然なのか。それとも本来そうではないのか。
答えの出ぬまま、だが殺して殺して殺し続けて、その内いつのまにか、それまで以上に“人の死”というそれに鈍感になっていた。
いや、それについてただ単に考えるのを辞めたというべきか。考えたところで、何もかえってこないのだ。それも、最初の“人殺し”の時からそうであったと思う。それに遅れて気付いただった。
否、それ以前からも、戦争なんてしていなかった、と。
ノーカは、そんな十年にも及ぶ軍での生活をアンジェに語った。
「……そのようなことが……」
「まあ、俺も多少は驚いた」
雇用先が仲間を奪った軍だったとか、配属先にその下手人が居てたまたまその時の話をしているとかかなり天文学的確率なんじゃないだろうかと思う。
ノーカは、それを気遣うな、悲観するなと言うよう惚けたのでもおどけたのでもなく泰然とするが、それにアンジェは一瞬だけ目を細め、
「……そのまま、彼らが所属していたそこにいたこと、辛くはなかったのですか?」
「いや。下手人が軍そのものだったなら潰すか抜けるかしていただろうが……それでまた彼女たちが喜ぶわけでも、悲しむわけでもなかったろうしな。フリーの傭兵に戻るにしても……同じ殺しでも、そういう手合いなら、特に意味もなく戦地を彷徨うより多少は……何かの足しになるんじゃないかと思っていたかもしれなかった……か?」
当時の記憶をノーカはできるだけ思い出した。が、しかし、何の足しかと思う。
所属する組織に寄与するつもりでもなく、歪みを正すとか正義を成すとかそういう意識も無く、自分が生きていく上で身近な邪魔者を排除したかったというのが最も近いと思うもの、生きる為に必要な最低限のそれを越えてのその殺しは、その為には正直全く意味が無かったとも思う。
それだけに、安全な寝床の為にというそれは、何かしらの後付けの嘘であったかもしれないと思うが、何故、何のためにというそれは今でも分らない。
自分の為でも他人の為でも、所属する組織、社会の為でもなく、では一体なんのためなのか。――ただ、アレを殺したときに感じた、妙に頭の中が冴え渡った感覚。それに頭の中を引っ張られているように、目の前に居る“それ”を排除することを決めていたのだ。
理屈ではなく“これでいい”という感覚がそこにはあった。それがアンジェがいうところの“真理”なのかと思うが、ノーカは、
「……しかし、これは、決して知性を、心を超越したなどというものではない、タガが一つ外れただけの、単なる人殺しの心理だ」
考えることを止め、思考の余地を失ったそれをそう評する。
たとえ戦争でも何でも、自身がしていた食料や寝床を得る為のそれは動物的な生存闘争であり、生きる為の不可欠な殺生という理念があった。
ノーカにとっては体感ともいえるそれだが。殺すのは敵対者のみで、無関係の、武器や敵意を持たない相手を殺しはしない。そのかわり敵と認識した者は徹底して殺すという、それがどれだけ凄惨でも、しかしそこには倫理と知性があった。
それが最小限の殺しなら、裏の仕事は最大限の殺し――たとえ敵対していなくとも、できるだけ、鼻に付く限り殺すというそれで、生きる為に必要な最低限のそれを越えて命を取捨選択し葬るそこには、その線引きすら存在していなかった。
思考や選択肢の幅が増えることを一つ賢くなるというのなら、それを失うこれは一つバカになったというようなものだ。
タガが外れた、自身で感情の抑制が効かなくなるそれとは別種の――理性の暴走とも取れる、それが真理などという御大層なものであるわけがないと、ノーカは思う。
それは――だが、しかしなるほど、アンジェたち神や天使が世界を滅ぼすそれと酷似しているといえなくもないとも思う。
神や天使も、人を殺そうと文明を滅ぼそうと何も感じるところはないらしい――それに対しもう思考を割いていない、というところ。確かに、人を殺す時はそれ以外のことに思考は割かない自分と、そこは間違いなく同じだろうと。
とはいえ異なるところもあり、彼女らのそれは世界の保全という高尚な目的、そのまま世界的に意義、意味のあるそれで、自身は本質的に何の意義もない。更には根源として彼女らの判断は社会的、世界的な理性と秩序に寄り、自身はそれらを度外視した個の経験則、人生観――体感に寄り、対極的な質を持っている。が、それも、ある種の解答に徹底して従い生きている、という点では、やはり変わらないとも思えた。
そうして、ノーカはアンジェの問いに一つの答えを出し、そこに生まれた思考の余白、それに昼に感じた疑問が滑り込んでくる。
「……昼に言っていたが、アンジェはどうして、俺のことを観察していたんだ?」
気になる、という衝動のまま問い掛けたそれは、しかしすでに彼女が口から溢した通り、彼女より上位の存在――上司的な天使が命じたということは理解しているが、それがどういう内容なのか、というその詳細までは不明だった。
アンジェは、それに一つ頷きを返し、
「いまだ生命という枷にありながら、その精神性を我々と同じ次元にまで昇華し、部分的にとはいえ超越した本能的存在がある、と。これを観察して自身に足りないものを再び手に入れるか、あるいはその個体の不足を自ら補い、我々と同じ次元にまで至らしめよとの指示でした」
言われて、しかしノーカは、彼女が自分をそんな高尚な何かに導くような雰囲気は特別なかったと思う。が瞬時に、仕事や田舎のことだけでなく自分のことも何かと問い掛けていたそれを思い出した。あれが単なる観察だけでなく、啓発行為も兼ねていたのかと。
それにしては、思い至らされることは概ね、自分が如何にちんけで至らない所だらけの人間で、夫役どころかいい歳した大人としてこれでいいのかと思い至らせられることばかりだったが――そして、重要なのはそこではないとすぐ気づき、
「いやまて――不足を補うと言ったか?」
昼に彼女が言った、神や天使、いわゆる超越者的な存在に至る為の条件――命の超越、心の超越、世界の超越とかいうそれら、そして、今聞いた内容からして自分が心のそれを果たしている(絶対違うと思う)とするなら不足分とは? ――それを補うとは?
そんなことできるのかと、目でも問うノーカに、アンジェは、
「いくつかの手段が御座いますが、私が用いるそれはあくまで貴方個人に対してのみ適用される物です。なのでそれをこの宇宙に棲む全ての人類に行うなどは決して不可能だとご理解ください。それから、私という個が知るそれ以外の手段に関しましても、他者の助力を得てのそれでは返って、現状、この宇宙で特に優先すべき精神性に於いての進化の妨げにしかならないでしょう」
それをこの宇宙の人類に用いれば、という発想に先回りして答えたそれに、ノーカは、やはり安易に人の様々な限界を超えることはできないのだろうと悟る。
彼女の言う通り、精神性に於いての成長を主眼に置くのなら、その手段として既にそれらを超越した天使たちからの助言を、答えを得る――見方を変えれば、努力せず他者を利用するだけ、もっと言い換えるのなら、ただ人の言うことをきいて鵜呑みにしているだけ、というそれは、確かに適していないだろう。
心の変化――発想や思想の転換やその体現、それを成す最適な過程かといわれればこれは違うというのは分かる。
だが、それ以外なら? 心のそれはさておき、他二つを超えさせるのならと思うノーカに、やはりアンジェは先読みを利かせ、
「ただ、問題ない範囲で一つだけ助言させてていただくのなら――心の超越が伴わずにそれ以外の二つの超越がなされたなら、どちらにせよ、この宇宙棲む知的存在はその過ぎたる力によって自滅の道を歩むでしょう」
「……なるほど、その通りだな」
道理、ともいえる。あの強大すぎる力に溺れず生きられるか? といえば、無理だろうと。
全ての人がそうではないだろうが、たとえば、死に怯えることがなくなれば人はどうなるか? これまで通り意欲的に生きられるだろうか? 多くの人間がその心を持ち崩すだろう、法律とてそれを順守させる武力があってこそ初めて機能するがその前提すら崩される筈だ。
それが現在のこの宇宙に於いて、未熟な人が、彼女たちと同等の力を得るということのもっとも大きな可能性だろう。
それを踏まえると、案外、神や天使は、未熟な知性が自身らと同等の力を持つそれを防ぐため、該当する危険な宇宙も滅ぼしているのではないのかと思わないでもないが――
そこでまた一つ疑問が出てくる。
「……知性体が持つ強い意思や感情が、宇宙の外側に悪影響を与えるというのなら、そこで活動しているお前たち、神や天使のそれらは影響を与えないのか?」
通常の生命が持つそれですら、宇宙の外側にとって害悪であるなら、これを超越したより強大な彼女らのそれは? と。 まして、そこで直接活動しているのなら彼女達の意志や感情は常にそこに垂れ流しになっている筈である。
これまで聞いた話から、その理由をよほど優れた倫理観や精神性を身に着けているからと予測するノーカにアンジェは、何故だろうか、少しだけ翳りを帯びたような目の動きで、
「……私を見ていて気付きませんでしたか? 酷く、感情が希薄であると」
ノーカは無言で頷く。生まれたばかりの人造生命ならまだその面の醸成未熟なのだろうと思っていた――今は単にそういう性格だと思っているそれだが。
「本来、天使には感情が存在していません。知性はあり、意思はあり、確かな自我も存在していますが、それらを原動とせず、感情には類されない“真理”を原動としているため、混沌の海――強い感情や意思が事象を決定づけるそこでも、影響を与えずに活動ができるのです。……いえ、基本として干渉できない、というべきでしょうか」
アンジェが言うそれは、先天的な資質としてそれに支配される、覆しようの無い“能”とでもいうようであるが。話を聞くに、それが環境に適合していることだろうか?
「……つまり神や天使は、この宇宙の外側という世界にとって、安全な種……ということか」
間違いのないよう確認を取るそれに、アンジェもまた無表情に頷きを返した。
だが何故だろうか、それを言うアンジェは、ノーカには気落ちした気配を滲ませているように見え、そして、
「……そしてそれが、私がこの宇宙に落された理由にもなります」
「……どういうことだ?」
翼が背中に隠れ、どこか畏縮したようであるそれをみて、慎重になりながらもノーカは訊ねた、自分の観察とういう手段――天使への復帰という目的、その条件を満たすため、それだけではなかったのかと。
が、そこで思い出す、天使として活動することに支障をきたした、というようなことを言っていたそれかと。
その問いに、アンジェは自嘲か自傷かほんの微かに眉だけを下げる。が、それは気の所為としか言いようのないほどあまりにも希薄な表情だが、しかし、
「……これでも、私は天使という括りの中では異常なほど感情が豊かになります。それこそ、このままではいずれ、世界に良からぬ事象を引き起こす可能性があるほどに」
ノーカは、改めて、つぶさに彼女の事を観察する。
決して、強い感情が宿っているようにはみえない。淡々とそれを言う彼女を見ていれば、確かに、彼女が言った通り神や天使という種には、生物としての生理的な反応、感情が存在していないように感じられる。
だが、確かに、薄く、そこにあるようにも感じられる。
それは常人としてみれば、それでも怜悧、無関心、不感症などと言われるかもしれないほど微かな情動だが、しかし、それさえも、否――それがそこに存在すること自体が間違いなのかとノーカは思い至る。
先ほど言っていた、彼女たちはそういう存在なのだと。そもそも、彼女たちにとってはそれがあることが自体がおかしいのだと。
そして、
「……そこで私は、今、現状、事象が確定付けられた一つの宇宙という結界の中に居ることで、この感情が混沌の海へ影響を与えてしまうことを防いでいるのです」
生物に限らず、そこに存在している物は、その周囲にある環境に適応、適合――それを受け入れるか、それに受け入れられたともいうべき必然があって初めてそこに存在することが許されている。そしてそれが適わなければ、そこにある何かしらの外因か内因によりその存在は排斥され、それが成されない場合は、逆にその存在が周囲を破壊し排斥し、破綻させていくものであるが――
神や天使とて、一歩踏み外せばそこは同じなのだろうか?
広い宇宙においては知性、心、感情というそれも、環境を構築し変化させる一因――素材なのだろうか? おそらくそれ故の、いわゆる防疫隔離なのだろうとノーカは理解する。
一息。
そして――
息を、静かに飲む。
そして、想像した。彼女がそれを必要とする、重大な病であるのなら――
隔離された場所で、それが治らなかったなら――
その想像が、間違いではないことをノーカは察し、だからこそ確かめずにはいられず、
「……なら、もし天使に復帰することが出来なかったら」
「そのときはこのまま、この宇宙と共に消える所存です」
アンジェは、既にそのことを承知済みなのだろう、覚悟、なんてものをする猶予を今更必要としていない様子だった。
そのあまりにも静かな彼女に、彼女の意向を尊重し、その喉元までせり上がった言葉をノーカはそのまま飲み干し、そして、
「……そうか。……お前がそう決めたのなら、それでいいと思う……」
何かを握り込むよう、拳に力無い握力を籠める。
それを何事もなかったかのよう開放し、それから、ノーカはこの話題に触れないことを誓うよう、一度視線を切る。
訊いたとして、返ってくる答えがどんなものか気にならないわけではないが、それを聞いたとして、しかし、それがどのような内容でも、彼女が望まないことを言ってしまいそうな気がノーカはしていた。
切った視線を戻す。
生き様と死に方を決めたものに、ケチをつけるつもりはない。だが、
彼女に何を願おうとしたのか、何故、それを言おうとしたのか。それらを誤魔化すようノーカは、
「……これからどうするつもりだ?」
「……どうする、ですか?」
「……ああ。……目的を果たす為には、このままここにいるんだろうが、その間、これまでと同じようここで暮らすのか? それとも何か新しいことでも始めるのか……お前がお前として、ここで何をするのか……、いや、……したい事か?」
それに、アンジェは微かに目を丸くする。
「……私が、私として……この宇宙で?」
それは彼女にとってよほど予想外のことだったのか、珍しく面を喰らった様子だが。ノーカも逐一何かを鑑み、省み、顧みるように、
「……ああ。……天使として復帰できるか否かは、その時まで分からないのだろう? なら、それまでの間……天使として担っていた、与えられた役割以外のことをしてもいいんじゃないのかと思うんだが……違ったか?」
言う、でなければ“観察”行為の一部だとしても、ここでの生活でそれに関係のない趣味の茶や近所付き合い、遊行や遊興にわざわざ付き合うことも無かった筈だと。
ノーカは思う。それにもしそんな厳格な指示、命令であったなら、警告なり罰則なりが、既に彼女に命を下したその上位者から突き付けられている筈だった。それがないということは――天使に戻れなけれはそこで死ぬ――死ね、死んでいい、という指示であるのかもしれない。なら、現状において、天使ではないアンジェは尚更、それを責務として負っていない可能性すらある。
その事実をまざまざと突き付けることは、彼女に負荷を強いるかもしれない為、言葉を選んだが。それでも、今彼女が何かを負っているとしたら、それは彼女がそうと感じているだけの、個人的な使命感であろう。
それは命題足り得ても、決して逃れられないそれとは別物の筈だった。心情的にはそうではないのだろうが、実は選択の自由が許されているのではないかとノーカは思うが、しかし、やはりまだ戸惑いを隠せないようアンジェは逡巡し、無感情な目の焦点を彷徨わせる。
「それは、いえ、……しかし……」
その反応から、もしかしたら、そういう思考のやり取りがあったのかもしれないそれを察し、
「それほど真面目に取るな。……まずいことなのか?」
「……いえ、分かりません……そんなこと、考えたこともありませんでした……」
やはり戸惑うように、しかし顔の表情は動かさないままだ。ただ、気配は先程とは違い、彼女の脳裏を示すよう翼が苦悩に喘いでいるようにみえる。
だが、極端な話、それを禁じられていないのであれば、“天使に戻る”というそれを放棄し、この宇宙で死を選ぶことも彼女の自由だと思う。
これはかなり悲観的な発想だが、しかしそれも彼女が選べる幾つかの道の一つとして存在しているのは間違いないだろうと。
最悪――最悪の場合。兵士として死というそれに数限りなく対面して来た経験から、悪くない死に様を迎えたらしき者は、その死を迎えるに至った生き様に納得していたことだけはノーカも理解していた。だから、どう終るとしても後悔しない生き様をその身に刻むべきだと、それを伝えようと――伝えたい――伝えるべきかと悩み、しかし、
「……まあ、なんにせよ……難しい問題ということは確かだな」
「…………はい」
また、それも彼女の意志を尊重するには邪魔になるだろうと、ノーカは結局、それだけで口を噤むことにした。
そうして、顔を合わせる彼女は、元より浮世離れした神秘的なそれが、酷く細いようにノーカには感じられた。
それはいつもと同じ無表情の筈だが、その顔は神や天使などという大それたモノの筈なのに、まるで朴浅な、ただの女のようにノーカは思えた。
だが、いや、それはいつも通りかと思う――いつも通りだ。
そして、
「……そろそろ寝ようか」
まだ話が終わったわけではないが、そろそろ夜も遅いと感じ、服を脱ぎ、下着だけでノーカはベッドに上がる。
仮初でも、夫がベッドルームで服を脱ぐ仕草に、中央から人一人分ずれ、アンジェは背を向け――就寝の準備を終えたノーカに虚を突くよう部屋着を脱がされ、簡素に自身の寝支度を手伝われた。
髪も整えず、就寝着も着させられず、粗雑な横這いで腕枕に抱えられ、共に毛布を被る。
灯りを消す、何もしないのかとアンジェは視線で問うが、何も言われず深く抱かれて、温かな闇の中、それが答えだと悟る中、夫が寝ようとする気配と共に自身の頭を撫でて来る。
それに合わせて目を閉じる。慣れた心地の中、取り留めもなくアンジェは、
「……いやではありませんか?」
「何がだ?」
「……観察、しているのですよ? あなたという存在の在り方、心の出来、不出来を、こちら側の……いえ、貴方に関しては、私の私的な理由で」
「悪意あってのことではないだろう。……前に言ったかもしれないが、こちらの都合には何の差し障りもないどころか、お前が居るお陰で生活は目に見えて良くなっているくらいだ」
騒がしくなった、賑やかになった――退屈していない。空虚な時間が減った。
心の中で色々言い換えた挙句、逆に足りないと感じたそれを補うため、彼女の体に自分から体を埋めるよう、またほんの少し強く抱き寄せる。
それに、ノーカの肌と熱を感じつつ、
「……そのようなこと、言いましたか?」
「……言ってなかったか? ……なら、覚えていてくれ、そういうことなんだ。……むしろ、俺とここにいることが嫌にならないか?」
更にもう少し、力が篭り、
「……いいえ。それはありません」
「そうか?」
「はい。ご心配なさらないでください。……ですが正直申し上げたいことが一つあります」
「なんだ?」
「肥料とはいえ、生き物の排泄物に直接腕を突っ込み発酵を確認したり、特に、土を口に入れ畑の出来をみるのはどうかと」
「機械に頼らないのも、感覚として大切なんだが」
「健康上の問題にいつ発展するか。危険です」
「子供が口に入れても安全な食べられる肥料や、土を主食とする鉱物人種、あるいは植物系人種向けのカレーやチョコ味のそれもあるのだが――いや、これからはお前の言う通りにしよう。……他にも何かないか?」
「いいえ、今のところそれ以上のことは」
「そうか、心配かけてすまなかった」
「……これからも、ここに居てよろしいのですか?」
「ああ。構わない」
「では、これからもよろしくお願い致します」
「ああ。……そういえばなんだが」
「はい」
「俺を観察していて、何か参考になったか?」
「……いいえ。貴方は、ノーカであるということしか」
「そうか。まあそうだろうな」
ノーカの中に在る答えも変わらない、彼女は彼女で、自分は撃つべきものを撃つべき時に撃てる、そういう生き物というだけだ。一応、神や天使がそれを必要だとする事情は理解できるが、しかしそれを御大層なもの扱いする事に関しては神や天使の頭がおかしいのではないかと思わないでもないがと。
だが、いやと、
(……もしかしたら、神や天使というのも、ある意味で発展途上の存在なのか?)
ノーカは想像をする。比類なき力を持っているが、自然と共生する動植物と同じで、この宇宙の外側という環境に適合し、そこで何かの役割を果たしているだけの――知性、自意識を持つが故に、後天的な意思の元、独自に世界における役割や立場を主張しているだけの――人間と同じか――
知性があっても心が無く、その生き物としての能を果たすことにのみ終始するなら、むしろとてもシンプルな微生物や、ウイルスなどに近いのではないのか?
仮にもしそうであるのなら、その生物の本来の能に揺らぎを齎すであろう感情が必要ないのも、最適解なのかもしれないと思う。
だが、生き物における心と、そうではない生理的反応の垣根、更にはそれを超えた者との差はなんなのかまではノーカもやはり分らなかった。ただ、その心が揺らぐということにアンジェは悩んでいる、それには思考を割かずにはいられない。
改めて、彼女に何か出来ることはないかと鑑みる。
とりあえず、自身の観察というその目的――彼女が何かを見出すまでの間、自分は自分らしくしているのが良いのだろうかと思う。自分の中にある何かに彼女の求める答えがあるのなら、それは今までの自分か、これからのそれに含まれているのかもしれない。ならこれまで通り、自分なりに考えて生きることが適切かもしれない。
では、彼女に対して一番有益であろうことは何かと、やがて思い至ったそれにノーカは、
「……とりあえず……俺が死ぬまでの間は、付き合ってやる」
「はい。……? ……、……死ぬまでですか?」
「なにかおかしいか?」
思いのまま口に出す。人には寿命があるのだから、それが最大限の協力かと本意というノーカに、アンジェは、
「……いいえ、なにも」
またなんとも言い難いような間をもって口を噤む。が、しかし翼がなにやら毛布の中で左右別々の様相を醸し出す。どうもアンジェを抱くその腕に抗議するよう躍動し、かと思えばむしろこれで良いとそれを宥める様子だが。
ノーカは、口には出さない彼女に合わせ、それを背中ごと撫でつけた。すると翼は押し黙り、揃って大人しく身を任せてくるので、これでよかったのだろうと思う。しかし同時に、こうしたことが彼女に本当に何か意味を成すのかと疑念が持ち上がる。
天使という超常的存在に、自分は、本当に力になれているのかと――
だが、特に意味が無くとも、まあそれでもいいかと思う。自分の人生の一部がそうなろうとも。彼女に、それを捧げようと。
それから、寝ようと思い、器用にもそのままノーカは眠りに落ちていく。その中で、これが天然なのでしょうか? というアンジェの声を聞いた気がしたが、ノーカは気にせず、もはや寝相で彼女を撫で続けた。
投稿が予定より大幅に遅れて申し訳ありませんでした。
そしてもう一つ申し訳ないのですが、気温の乱高下の所為か体調が思わしくないため、しばらく不定期な更新にさせて貰います。
とりあえず本編ラストまでの草稿は終わっているので、これからそれの添削をしつつの清書になるので、完結しないということはあり得ないのでご安心ください。




