彼女は愛を見つけ、そしてノーカは、
マリーが来てから七日目、彼女はレンタカーで個人の脚を手に入れつつ、バカンスがてらノーカの家に泊まり過ごしていた。
三日目の時点でいつまでいるのかとノーカは訊ねたが、休暇をまとめて消化してるからまだしばらくと図々しくも居座り続けている。
世間では、新婚夫婦の間に転がり込んだ昔の女――として近所の住民とも顔合わせし、その話題をかっ攫い、そこで更に彼らにノーカの昔の武勇伝を伝え、ああ、うん、こっちでもか、そっちでもか、と妙な連帯感を得ている様子だった。
ともあれ、彼女の粗野な姉御肌は、この田舎の気風に酷く合っていたようである。
下ネタ塗れの世間話にも軍隊仕込みの卑猥な会話で快く対応し、瞬く間に老人たちの年増な孫娘になり、ご婦人達とは今の都会の流行などを上品にお話しし、その中で気前よく最新の化粧品を手持ちの分だけお裾分けしキャッキャウフフと田舎マダムたちに溶け込んでいた。
どうもマリーの中に、都会と田舎の差は無いらしかった。
いともたやすく住民たちと親交を深めたその様子に、ノーカがどうやったのかと訊ねると『期待にはなんだって倍返しするくらいが丁度いいのよ』と返された。
なるほど、というその成果か――特に独り身のご老体から、遅咲きの春の証だと幾らかの貢物を受け取っていた。
どうも、深夜の酒盛りに出張ってストリップをやらかした結果らしい。しかもその中の一人に本気で跪かれて口説かれた。
それはクラゲ食堂で午前の軽い食事休憩していたところだった、マリーも最初ははぐらかしたが、その彼は正装で身なりを整え、その手に両腕で抱えなければいけないほどの花束を持ち、彼女の前に恭しく差し出しながら厳かに跪いた。
それは初デートへの誘いであり正真正銘愛の告白だった。彼は真剣に、ロマンチックで情熱的でとても素敵なセリフを恥かしげもなく正面から告白し続けるそんな老紳士に――四十路の乙女心は爆散した。
マリーはポッポッと頬で熱烈に恥じらいながら、最後は潔く受諾した。
彼女がいかに素晴らしいかその魅力を彼女に向け朗々と語り上げその心を証明した詩人に、誇りある軍人は四十路にして純粋な少女の顔して陥落したのだ。
そしてそのまま二人は記念すべき初デートに連れ立って出かけた。
男達は呆然とし、女達は狂喜乱舞だった。
尚、その後、そのままご一泊して、帰って来て最初の一言は『やってないわよ!?』である。
マリーは『せめて両親に挨拶を済ませるまでは!』と、どうにかその夜の老紳士の猛攻を潜り抜けたらしい。そのお陰で、今もなんとかノーカの家で寝泊まりしている。
どうやら出会ってその日に老紳士に恋愛的に完全屈服させられることだけは免れたようである。ほぼ詰みの状態だが。
そして、
「……アンタら、全く声はしないのに、ベッドの悲鳴だけがしてやたら生々しいのよ」
次のデートまでお預けで、悶々としている。……ここまで計算して泳がせたのだとしたら恐るべき詩人である。
しかし彼女曰く、ノーカ達は、終わったと思って、しばらくしたら、またギシギシギシギシし出す。その間隙で何してるんだろうなとロマンスとエロスが溢れているんだとか。
良く軋むのはベッドではなく床の防犯機能の一つだとノーカは思いつつ。
「……やはり来客用の寝室も必要か」
一先ず、家の改築を思い描いた。土地は余っている、なら改築するより増築だろうと。寝泊まり出来る客室を別棟として作り、ついでに、アンジェの茶飲み友達用にガラス張りの談話室、それらの周囲に景観も良く造園もした方がいいだろうかと無感情に計画を練っていた。
そんな中、
「マリーさん、ちゃんと寝たいならウチくる?」
「それも悪くはないんだけど、さすがにどうせあと数日よ……。あ~、いっそラゴンさんのとこ行っちゃおうかなぁ……」
「おお!? 行っちゃえ行っちゃえ!」
レナがマリーに声を掛ける、彼女も既に四十路の純真と顔を合わせ、そして仲良くなっていた。
年齢差に物怖じしないレナには、マリーも嘘偽りなく好く馴染んでいた。
『アタシも結婚してたら、これくらいの子がいたのかしらねえ……』と、自分より若いセツコが子供を産んでここまで大きく育てたそれに自分で自虐したその瞬間は何故だか背中の冷や汗が止まらなかったそれを、都会の女に憧れを持つレナが、『お母さんより年上なのにワイルドでエロかっこいいよ?』と、要するに自分がなりたい大人の女として評価したからだが。
マリーのそれも含めて、女の社交力は男のそれと比べてある種の超能力だと、普段は鬱陶しいぐらいに思っていたがその認識を改めさせたそれだ。今はもう本当の叔母か姪かというくらい仲が良いそれである。
友情とも家族ともまた違う、博愛? ともいうような二人の関係を、扉の無い壁一枚の彼方に遠巻きに耳で聞きながら、
「……でも行ったら今度こそ最後まで……あぁっ! ……やっぱり我慢するわ」
「ええ? なんでなんで!?」
「この歳で可愛い女の子になんてなりたくないってぇの! ……なんかもう全部持ってかれちゃいそうなんだもの」
憂鬱な顔で拗ねながら、真っ赤に頬を染めるというそれが既に可愛いんじゃないかなと十五歳田舎少女は思う。単純に見えて複雑な四十路の乙女心に、最中、ソファーに座るアンジェを後ろからその金色の長い髪を、手を止めずに新しい髪型をアレンジし遊び。――されるがままになっているアンジェも、現在の状況を分析し、
「……やはり控えるべきなのでしょうか?」
自身らの夫婦性活を、というそれを申請したが、マリーはそこからいつも通りの粗野な表情でまったり、
「ああー、いいのいいの。新婚夫婦宅に邪魔してるあたしの方が悪いんだから」
「うーん、――我慢が効かない旦那様が悪いんじゃない?」
突き刺さる声を無視して、ノーカは一人台所で拭いた食器を棚に片付けて行く。
毎日毎日自然に誘ってくる妻に全く責任はないのかとノーカは思う、来客がいるから手を握るだけ――というそれを無視して夫を抱擁してくる妻も悪い。
上品な下着で、それがまた彼女を惹き立てているのも悪い。
ただでさえ一度アンジェに溺れてからというもの、彼女からの誘惑に逆らえなくなっているのに。彼女の柔らかさを感じると、気付けば心の内にある言葉にならない何かが暴れ出し、溢れ出してしまうのにだ。
早く自分のものにしろ、してしまっていい――これは自分のものだ、自分のものにしろ――喰らい尽くせと、そんな自分に気付き正気に返り、恐ろしくなるのだが、彼女がその翼で抱きながらよし良しと撫でで来るので無言でスンスンと鳴く犬のように甘えてしまう。止まらなくなってしまう。
本当に酷い性欲だ。そう思いつつ……これは本当に性欲なのかとも思う。
そして多分、そうなのだろうと思う。そしてそれを……彼女に告げていいのかと悩む。そしてノーカは、その度にそれは言い訳ではないのかと自身を諭そうとし、そしてまた、その度にそれでいいのかと自問し、そしてただ……今は、いつまで悩んでいるのかと。
ここ数日、ふと耽ってしまう物思いにしかし作業の手は止めず、ノーカは台所をあらかた片付けた。
ピカピカの台所を確認する。もはや自分だけがこの場所を使っているのではないので、きっちり。
むしろ、この場所の主人は自分ではなくもはや彼女である為、とも自覚しつつ。
それからドアの無い扉の向こう、ノーカはリビングで寛ぐ三人の女共に向け、
「――茶でも淹れるか?」
聞くと、それぞれの会話の隙間に、
「コーヒーもどき、アイス、砂糖抜きミルクで」
「同じくでミルクと砂糖たっぷりがいい」
注文を挟んできた。だがアンジェだけが会話を止め――いや、最初から聞きに徹していたため間隙を取らずに、
「……申し訳ありません。私もレナさんと同じものを」
「――わかった」
本当は紅茶がいいのだろうと思いつつ、彼女の妙な気遣いを尊重し、インスタントのコーヒーもどきを三人分注文通りに淹れ(レナはお子様用カフェインレス)、それから更に個人で調整できるようミルクと砂糖を、ついでに適当な焼き菓子も追加でまとめて添えて持って行く。
元より甘味や家業として果物を好んでいたアンジェだが、最近は柑橘系に近い香りと酸味とさっぱりとした甘みのそれがブームのようなので、それも。
それらに粗雑な感謝をするマリーに、愛嬌たっぷりの眩しい笑顔と言葉をくれるレナと、丁寧な感謝の言葉と恭しい目礼をするアンジェに、早速柑橘物を手に取るその隅に腰を掛けた。
建前として、夫婦であるが――いや、今は女三人の時間なのだからと、彼女からほんの少しだけ距離を、近くに、遠くに、拳一個ずつ何度か取り直した。
断じて余人二人の前でよく飼い慣らされた犬になり可愛がられない為にではない。そこで砂糖を一匙にミルクをたっぷり入れた自分のアイスコーヒーに口を着け、女達のコイバナに、自分も加わろうと、
「……マリー、水を差すようで悪いが、仕事の方はどうするつもりだ?」
自分の生徒たちを放り出すのか――それもこの前ちゃんと向き合うと決意したばかりのそれを反故にするつもりかと。もちろん、ここに引っ越してくるならこれからの収入と貯蓄は大丈夫なのかというそれも含まれているが。いや、これは彼女がここで恋愛的交際――というか結婚をするなら避けられない問題だと。レナがあからさまに空気が読めてないと眉間にしわを寄せ冷たい視線を送って来るが、アンジェもいつもの無表情の中に冷たいそれを忍ばせて来るが。
本当に死活問題じゃないかと。状況だけを読み女の会話の空気を読んでなかったことは分かったからその目を止めろと言う駄犬に、当のマリーだけが快く相槌を打つように、
「もちろん――迫るわ」
肉食獣の笑みで、狩人の目をして。彼女は甘くないコーヒーミルクをゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に飲み干し、テーブルに自信たっぷりに置き、その舌舐め擦りを隠すかのようその腕で拭い言った。
「……何をだ?」
「当然、アタシについてくるのか、それともアタシについて来させるのかをよ」
更には高みを愛する登山家の目をしている。
「……放棄するという選択は無いんだな」
「当たり前でしょ? あんな情熱的で素敵な老紳士がこの宇宙にあの人以外いるとは思えないわ。……わたしなんかのことをあんなに好きだって言って下さるんですもの……ここに留めさせるつもりなら、それでもその時だけは三ヶ月待ってもらうけど、きっと待ってくださるはずだわ……」
後半、口調も顔も恋する乙女の淑女になった。これは彼女をこうさせる考古学者の詩人を賞賛すべきかとノーカは思う。
そして、彼女の恋のクリティカルが軍人とは真逆の畑に住まう人種だったとは、それは四十歳まで秒読み残り0.2秒まで見つからない筈だと思った。素人ストリップの素っ裸を見て一目惚れした相手に次の日きっちり身嗜みを整え恋文染みた文句と花束持参で女神とまで讃えその慈悲と愛を乞う包容力たっぷりな老紳士など――居るわけがないだろうと。
さておき、仕事と旦那の両方を手にする気しかない骨太な決意には感心を禁じ得ない。仕事を捨てる、捨てないではなく、そこまで人を好きになったマリーに対して、ノーカは、だがなんとも言えない表情で、
「……この短い期間でよくそこまで決意したな」
「いや、アンタラほどじゃないでしょ」
「……そうか?」
そういえばそういう偽装設定だったなと、いつぞやのよう思う。
「……なあに? まさかアンタ自分の女だけじゃなくお姉ちゃんにも甘えたいの?」
「……いいや?」
力強く言うが、そんな情けない顔をしていたのだろうかとノーカは疑問する。
事実と虚構が入り混じっているが、アンジェとは出会って半日足らず、会話をしてから三十分と経たず結婚を決めたという塩梅だ。その、限りなく偽りである自分達に対し、本当に本物のそれを見せつけられたノーカは、アンジェとのこれまでの日々が、ひどく心苦しいもののように感じられた。
それでも、これまで彼女に掛けた言葉、彼女と歩んだ日々、そして弛まず寄り添い合う努力は、決して嘘ではないのだが。マリーとラゴンのほんの数日、数瞬のほうが、はるかに色濃く極彩色の輝きを放っているような、そんな気がするのだ。
それで当然だと、理屈では分かる。
自分たりのそれは所詮、偽り、という条件の上に成り立つものだ。
それに比べて、掛け値なし、条件なしの本物のそれと比べれば見劣りするのは当然であろう。
そう納得し掛けるのだが。
そこで、それが羨ましいのかと思い、また気付き、なら自分はそうなりたいのだろうかと、そして、何故そう思うのだろうかと疑問を感じる最中、
――空気が、震える様な圧を感じた。
「……なんか、揺れてる?」
レナがそう疑問する最中、ノーカとマリーは気づく。
これが多数の艦船が大気圏内での航行時、その重力偏向が周囲の気圧に複数干渉して起る独特の鳴動だ。それも一隻や二隻の戦艦では引き起こせない艦隊クラスのそれだということに。
すぐさま二人は窓へ駆け寄り、そこから青空を眺めた。
そこには予想通り、駆逐艦、巡洋艦から戦艦まで、夥しい数の軍用艦が浮かんでいた。




