今の話。昔の話。②
基地を出た直後からの、この土地に来るまでの経緯、その後、ここまでの田舎暮らしを聞き終えたマリーは、深い、深い眉間の皺を刻み、疲れ切った溜息を吐いた。
襲ってくる宇宙海賊をせん滅して、密猟者を発見次第処分して、宇宙害獣とは月一かどころか下手すりゃ週三日はバトルして……田舎暮らしってそんなの血塗れだっけ? と、疑問するも、結局一般人として暮らしてもこいつはコイツだと理解しやがてその心を建て直した。
要するに、退屈はしていなかったのだろう、と。厚意で大目に見て。
「……それにしても、アンタがまさか田舎で農業生活なんて信じられないわ」
「そうか?」
「そうよ。まあ軍を退役した男の大体が? 大概家族の都合も顧みずにそれを目指すんだけど、まったく、もっとちゃんと報告・連絡・相談をしなさいよって話よ。手紙には『結婚した。仕事も落ち着いてきた。一応報告しておいたが、他に何か知りたいことがあったら連絡しろ、もしくは直接来い』以外何もなかったし」
言われて、現行で家族として共同田舎暮らしをしている仮初の妻に、そんなに迷惑なのかと目で訊ねるも、そんなことは無いと言いたげに眼に疑問符を浮かべているのを見て、これはただの価値観の違いだろうと自己弁護する。
それから元同僚曰く、手紙の不備についても、
「……こちらとしては他には何も特別なことなどなかったしな。それを知りたいのなら直接来てもらうより他あるまい?」
ただ畑を耕して作物を採集して宇宙塵の回収など、特別興味を引くような話題でもなく読み手を楽しませる出来事でもなかろうと。まして現役の軍人相手に殺戮指数の更新など――と、気を配ったつもりだった。
というそれに、
「いや、あるでしょう!? 仮にも親しかった人間に対して、てっきり一年か二年か半年かくらいで連絡来ると思ってたのに十年、十年よ!? 一気に十年後よ?! 正直もう完全に忘れられたかただの口約束と侮られたか死んだかと思ってたわよ!!?」
「……仕方ないだろう? 銀河を幾つも跨ぐとなると電波も光も時間が掛り過ぎる……そう頻繁に連絡など取れるわけがない」
言いながら、ノーカは再三自分はいったい彼女の何の地雷を踏んでいるのかと疑問する。
先ほどまでの朗らかな元同僚はどこへ行ったのか、徐々に右肩上がりでモチベーションとリアクションが派手になっている。いくら縁があったとはいえ、仮にも辞めた職場の人間と、そんなに密に連絡を取り合うものなのか? と思い、やはり自分も決して間違えているわけではないだろうと疑問視しつつ、付け加えてこの宇宙の通信状況を鑑みるが、
「――ちゃんと会話が出来ない男は糞だって言ってんのよ」
そんな文脈がどこに存在したか、と懐疑的な目をマリーに送る。
ノーカは、それがいわゆる家族のすれ違い――男と女、妻と夫の意識の違いの問題であるということには全体のニュアンスから薄っすら気づいた。
だがと、そしてはたと、そもそもそんな連絡を取り合い期待する関係だったかと疑問する。更には、彼女には自分がそんなマメで神経質で他人との交流も厚い人間だと思われていたのかとも。
もしそうであるのなら、それは彼女の認識不足だと思った。どう考えても自分はそんな人間ではなかっただろうと。
そして……そこで、やはりアンジェの事を見る。お前とはちゃんと会話しているよな? と目で確認したそれに、彼女はなんとなくといった様子で無表情に頷きを返した。……これは、自分の方が彼女の動向に気を付けなければならないだろうと思う。そして今度はマリーに顔を向け、
「――これからは気を付ける」
マリーは、意識が遠退いたよう、ガクリと肩で項垂れた。
まるで、絶望的な何かに脳がノックアウトされたように。
しかし、
「……まあ、こんなド田舎じゃそう簡単に連絡取れないのも仕方ないか」
やはりマリーにしても、決して元同僚が自身を蔑ろにしたわけではないとは分かった様子だ。
確かに、同一銀河を飛び越えると、否、その内側であっても超長距離の通信は時間も手間も掛ると。銀河間どころか恒星間でさえ何十光年という距離の中、光の速さを駆使しても如何せん桁違いの誤差、遅延が当たり前になってしまうのだ。
そこで物理的に、手紙の配達という形で情報をワープの人力で直接運ぶというそれが逆に用いられているのだ。
わざわざ人力でなくとも、ワープに使う超空間を介した超時空通信もあるにはあるが、その為だけに常時空間に穴をずっと開いておくのは危険な上に費用も嵩むので、緊急時に政府機関のみの使用となっている。
また、過去に跳ぶ波動を使用しての時間跳躍通信こそそれら速さと時間と距離の問題を解決し宇宙規模でもラグの無い通信を可能としているのだが、如何せん未来から過去に情報を送る都合、逐次その内容が変わることがある為、情報通信の手段としてはまだ試験中である。
が、やはりそれはそれ、これはこれと言った様子で、ソファーに仰け反って寄り掛かり、
「落ち着いたら連絡するって言ったのにさぁ……」
四十路女が拗ねた様子に、何やってんだと思いながら、ノーカは呆れることなく、
「……それが落ち着いたのがつい最近だ」
「――本当に? 本当はどうでもよかったんじゃなくて?」
「ああ。本当だ」
妙にしつこく絡む元同僚に、ノーカもいい加減鬱陶しさを覚える。
それとも、職場を辞めて以降の人付き合いとして、やはり自分のした事は一般常識として悪いことだったのかと疑問しないでもないが。
そこでアンジェが、
「……ノーカ。マリーさまとは一体どういったご関係だったのですか?」
「同じ隊の人間――というのはもう話したが……」
無表情に、いつもの調子で淡々と――? ほんの微かな違和感を覚えつつ、ノーカは、彼女のいつもの知識欲だと思い、そう答える。
それ以上でもそれ以下でもない、ただの戦友、適度な距離感のある仲間、戦術上の自身と同じ駒の一つ。範囲で言うなら友人未満、家族未満でしかし命を預け合う、単なる仲間以上の存在、というところだ。これをどう言い表せばいいのかと言えばやはり戦友だろうと。
「……いいえ。それだけではなくなにか特別な縁のようなものを感じるのですが」
だが、アンジェはそれでは納得できないとでもいうようである。そこでノーカは久しぶりに、自身の常識が通じない不思議な生き物を見る眼でアンジェのことを見る。彼女のその言い分からして、まるで自分達が過去、男女の仲――恋人か何かのよう、親密であった。というようだが。
心当たりがあるにはあるが、しかしそこに恋愛感情は絡んでいない。
そこで後ろめたいことがあるでもないので、何のためらいも無くノーカはアンジェにそれを説明しようと口を開いた。
だが、
「――ああ、それはね? こいつにプライベートでLessonしてたのよ、一般教養と学問の――いわば教師? 恩師っていうの?」
それより先に、マリーはノーカに替わるよう答える。
「……恩師、ですか?」
アンジェの疑問に、親切に答えながらしかしその当の本人には口を挟ませない空気を、どこか挑発的な笑みをもってアンジェに告げていた。
何故だろうか、その瞬間、ノーカは一瞬リビングの空気が凍った気がした。
しかしアンジェはそこで表情を変えず――むしろ疑惑が純粋な興味に変わったというように、目と翼で疑問符を掲げる。その純粋な動物のような顔に、マリーは、しょうも無さを感じ苦笑を漏らした。
疑いもしないのだな、と、マリーはそこで、それと並んで座るノーカを見やり、揃った同じ犬種がそれを感じ取り、
「そう、恩師よ。――こいつ、スカウトで軍に採用されたんだけど、学歴、学位どころか高等教育に義務教育すら一切受けてなかったのよ。おかげで学術知識が偏ってるわそれどころか普通の社会での常識――クレジット端末の使い方や預金とかそういう社会常識も、あたしが隊の先輩としてプライベートで教育と生活指導をするよう任されたの」
その当時、かつてノーカと対峙した時のよう、庇護欲をそそられ教示する。
目の温度を柔らかにする女達の間に、一瞬、目に見えない火花が散る気配を感じたノーカだが、気の所為かと思った。
いや、それは間違いなく迸ったのだが。
「……あの時はホント苦労したわぁ……なにせ勉強だけじゃなく、ただの私生活の仕方を教えなきゃなんないとか、なに? あたしは人じゃなく動物に何を教えてるの? ってねえもう……」
まるでその反動のよう、話題に呼応し女二人の視線が自身に突き刺さり、居心地を悪く感じたが仕方がない。
過去、その非常識さを嘆いた司令官と部隊長から足りない常識と教養を埋める為にと軍務の傍らの通信教育での学歴取得を勧められたのは事実だ。
挙句、実質、学歴、学力それ以前の問題で、食う、寝る、壊す、殺す、それ以外――常人に於ける人間の人間における人間らしい文化的社会的生活、生きる喜びその部分が『その他』で一%以下で、これはもう明らかに人ではない何かを突き進むその有り様にその『その他一%』をどうにか二、三割、単なる非常識くらいまでに引き上げられないかとマリーがその超非常識の面倒を看させられていたのだ。いい歳した大人、否、当時青少年が本来口出しされないであろうそんな部分まで、口出しされるほどの退廃ぶり、そこをまず真っ先に、立派な大人にヤバイと言わしめた――その過去の恥である。
だから、本当に結構な恩師であり、軍籍時代に於いて最も恩義がある人間――普通の関係ではない、というのは間違いなかった。
狂犬紛いの山犬を、軍用犬にまで仕立て上げるその労力。
むしろ、そこを思い出すと、軍を抜けて初めて一般人になった、その経過報告を怠ったのは、ああ、確かに、何の音沙汰も無いのは、恩知らずかもしれないと。
ようやく理解するが、
「……」
はて、それだけか? それだけではないなと。
ノーカは、そこで恥じ入ることなく、
「……その代わり、買い物の荷物持ちや、外での飲酒後の送迎、他か、何か役に立つことがあったら便宜を図ることを約束したし、その役目も果たしただろう」
若干小声で、微かに弱気でそう言い切るも、
「――それで足りると思ってんの?」
「……それはたとえ極めて癖の悪い酒(脱ぐ、絡む、叫ぶ、暴れる)の相手とその後始末まで度々させられていてもか?」
今度は、それなりに大きな声で。自分も大概な非常識であったが、目の前の同僚も大概な迷惑を掛けていただろうと。
「ああうんそれはね? 悪かったと思ってるわよ? ――でもね?」
「なんだ」
自分の悪行を全く気にした様子は無く、しかしその代わりに、
「――十年間、心配してたって言ったらどうよ?」
気軽に、さりとて真摯なそれを――隠した風に。
じっと見つめてくる元同僚に、臭い演技を感じ、謝らなくていいだろう、謝らなくていいよな、と思いつつ。
ノーカは迷った。それが嘘ではないというそれも感じた。どうしたものか。しかしそこで、アンジェが握る手を強くきゅっとした。
そこで仮初の嫁を見て……じっと見て。ややあって許可のような、それであると同時に、指示であるようなそれを受信した気がした。
そして、
「……悪かった」
素直に謝ることにした。
「……あんた、意外と女の尻に敷かれるタイプなのね?」
それにマリーは愉快痛快と頬を緩める。
夫婦の平和――改めての新婚の祝福を、しかし威厳の無さを揶揄に言ったそれを、彼女の表現がひどく迂遠だからこそ、これが本気で人を悪し様にはしていないことは感じていた。
それを踏まえた上で、ノーカは否定しない。
それどころか普段の彼女とのやりとりを連想し、追想し、そして該当するアンジェの言葉尻、目尻などを思い出し、
「……むしろ悪くはないが?」
女の尻を、そう評する。これが夫婦間の上下関係――それを利点と魅力と感じ、相互理解としか思っていないことは分かったものだが。しかし実在の尻――撫で心地も、掴み心地も、形も良い、慎ましくもふっくらとしたそれと好評したその視点が明らかに含まれていることにアンジェは少しそわそわと翼を震わせる。
今夜は――尻主体だろうと。二人して満更ではない。そんな様子にこの夫婦相当上手く行っているなとマリーは呆れるほど感心した。
野犬上がりの軍用犬が、よくぞここまで立派な家犬に更生したものだと。
また、酷く感慨深く思う、美人の若奥様まで貰って、これは一般人として多大な戦果ではないか。
なら言うべきことは一つだろうと、
「……まああれね……結婚おめでとう?」
脱帽、と肩を竦めながらに、苦笑と小皺が滲んだ屈託のないそれに、
「――ありがとう」
しかし、まるで昔のままの不愛想な礼が返って来る。
やはり、それなりに老けたものの根本的なところでは十年前と変わらないのかと、マリーは懐かしさを感じた。
しかしそれもまた、十年の月日、懐かしいと感じるそれに、目の前に確かに横たわったそれを感じ、自分もまた歳を食ったものだと、やはり肩を竦めた




