04 魔の森
翌日の放課後。
いつものように図書委員の活動をしつつ、今日も訪れた殿下に本をお勧めした後。
今日は早めに図書室を退室し、学園の裏に広がる魔の森へとやってきました。
入り口の門から見る森は草地も多く、野花なども咲いていてのどかな雰囲気。
しかしこの森は遥か辺境まで続いているそうで、魔の森という名に相応しくモンスターが数多く生息しています。
森の奥に進むほどモンスターは凶悪さが増し、放っておけばそれらの生息域が広がってしまいます。なので、軍が定期的に討伐してバランスを保っているのだとか。
学園の周囲にいるモンスターはそれほど凶悪ではないので、学生の練習場として開放されていますが、私はひとりで森へ入るのは今日が初めてだったりします。
理由は簡単。学園へ入学すると、ひとりひとりにオリジナルの魔法スキルが与えられるのですが、私に与えられたのは補助魔法が多く、残念ながらソロには向きません。
ひとつだけある攻撃魔法も、レベルが足りなくて未だに開放されていないという始末。
けれど、最弱モンスターであるスライムならば、通常攻撃でも倒せるかと思ったのですが……。
「えいっ、えいっ! えいっ、えいっ!」
考えが甘すぎました。
いくら杖で叩いても、スライムはぷよ~んと跳ね返るばかり。一向に倒せそうにありません。
このままでは永遠に叩き続けることになりそうですが、そろそろ腕が疲れてきました。
一度モンスターに攻撃を仕掛けると、途中で逃げ出すのはとても難しいです。
セルジュ様くらいの身体能力があれば別でしょうが、私は読書ばかりの毎日ですので走る遅さにはかなりの自信があります。
かくなる上は、そろりそろりとスライムを叩きながら森の入り口まで移動し、一気に学園の敷地へ逃げ込む方法を取るしかなさそうです。
学園の敷地にさえ入ってしまえば結界があるため、モンスターは襲ってきませんので。
そうと決まればすぐに実行です。スライムを叩きながら、私はゆっくりと後退を始めました。
杖でボール遊びをしているような気分ですが、スライムはボールより優秀です。必ず私の元へ戻ってくるのですから。
ちらちらと後を確認しながら後退していると、森の入り口が見えてきました。
ここからなら私でも走れそうです。
タイミングを見計らってくるりと反転し、勢いよく足を踏みこみました。
しかし足が地面から離れる寸前、何かが引っかかる感触があり。
崩れる体勢を立て直すような技術は、私には持ち合わせがありません。
この程度の機敏な動きも無理だったのかと心で悟るよりも先に、全身が地面に打ち付けられる衝撃で、体に刻み込まれます。
直訳すると、つまずいて転びました。痛いです。
追い打ちをかけるように、背中の上ではスライムがぷよぷよと跳びはねていて、地味にHPが削られていくのを感じます。
こうして私は、徐々に死の淵へといざなわれるのですね。
妙に余裕があるのは、回復魔法があるからなので。
もう少し敗北感を味わってから回復魔法をかけて、再度脱出を試みたいと思います。
そう、のんきに構えていると、誰かが走り寄ってくる音が聞こえてきました。
「ミシェル!」
こんな不甲斐ない私を助けてくださる、ヒーローがいらっしゃるのですね。
と思いたいところでしたが、この声はこの数日間でしっかりと覚えてしまいました。
さすがは殿下。実に主人公らしい、登場の仕方です。
背中で跳びはねていたスライムの気配が消えると、殿下は私を抱き起してくれました。
不覚にも殿下の腕の中に納まるのはこれで、二度目です。
「ミシェル大丈夫かい? どうしてこんなことに……」
殿下は心配そうに、私の顔を覗き込んできます。
「スライムが倒せなかったので、逃げようと思ったのですが、失敗しました」
最終学年とは思えない非力さをありのままに伝えると、殿下は言葉を失いました。
補助役とはいえ、スライムも倒せないような生徒は稀なので当然でしょう。
このまま呆れて私への興味を失ってくれたらと思いましたが、殿下は優しい微笑みを私に向けました。
「何か目的があったのかな? 俺で良ければ、狩りを手伝うよ」
「よろしいのですか……?」
私は殿下に攻略されたくないがために、欠片を集めようとしているのですが。ハーレム予定者がひとり減っても、本当によろしいのですか?
「あぁ。ミシェルと二人で狩りができるなんて嬉しいよ。さぁ、日が暮れる前に終わらせてしまおうか」
「ありがとうございます、ルシアン殿下」
生徒手帳を重ねるとパーティーを組むことができるシステムのため、殿下と私はパーティーを組み、モンスターを探して森の奥へと歩き出しました。
「あのう……、ルシアン殿下。どうして手を繋がなければならないのでしょうか?」
「この辺りのモンスターは、見つけてから剣を構えても十分に間に合うし、ミシェルはよくつまずくようだから心配で」
「…………」
苦笑気味に微笑む殿下には、返す言葉がありません。
私は確かによくつまずくので、幼い頃はつまずくたびにセルジュ様に大笑いされたものです。
そしてそのまま土に埋められそうになった経験は、数知れず……。
嫌なことを思い出してしまいました。
「ダークマウスだ。ミシェル少し離れていて」
「はいっ」
殿下は私の手を離すと、腰に帯びている剣をつかみました。
剣は引き抜いたと同時に、炎に包まれます。
噂には聞いていましたが、殿下は無詠唱で炎を出すことができるようです。
一連の動作があまりにも優雅で、思わず見惚れてしまいましたが、私はハッと我に返り杖を構えました。
どんなに弱いモンスターが相手でも、パーティーメンバーには補助魔法をかけなければなりません。
それが学園でのルールなのですが、今にして思えばそれがゲームのバトルシステムだからでしょう。
「ミシェルの愛を受け止めて!」
補助魔法を詠唱すると、殿下の身体は一瞬だけ淡く光りました。
この補助魔法は、各種ステータス値を上げる便利魔法スキルですが、魔法をかけられた殿下は妙に嬉しそうに微笑みました。
「もちろんだよ」
そして、私は気がついたのです。
私の魔法スキルが、こんなに恥ずかしいものだったなんて。
前世の記憶が戻り今の今まで、気にも留めていなかった自分はどうかしています。
ゲームでは『CV.人気声優』でこれが詠唱されていて、男性プレイヤーに人気の要素だったようですが、これでは主人公へアピールしているようなものではありませんか。
「あの、今のはただの詠唱で……」
一応、言い訳をしてみましたが、殿下は私の発言を華麗にスルーして、ダークマウスに切りかかりました。
見事にスパッと真っ二つに割れたダークマウスは、砂粒のように消え去り。
後に残ったは、マウスの皮と共に『ミシェルの欠片』が。
キラキラ光るそれがどうして私の欠片だとわかるかというと、しっかりと私の顔があったからです。
むしろ、手のひらサイズの私の顔がドロップされたと言うべきでしょうか。
この上なく不気味です。
そんな異様なものがドロップされたにも関わらず、殿下はそれが目に入っていない様子でマウスの皮だけを拾い上げ、私に渡してくれました。
「どうかしたの? ミシェル」
「いえ……、ありがとうございます」
オンラインゲームでは、『特定の人にしか見えないアイテム』というものが存在しますが、もしかしてそのたぐいなのでしょうか。
試しに、自分の欠片を拾ってみました。
手のひらサイズとはいえ、光る自分の生首はあまり触りたくありませんが、ありがたいことに皮膚っぽい感触はありません。どちらかといえば、お人形のような触りごこちでしょうか。
それを殿下の前で振り回してみると、殿下は拳を口元に当ててくすりと笑いました。
「可愛い動きだね。急にどうしたの、ミシェル」
「少し準備体操をと思いまして」
どうやら本当に、殿下にはこの欠片が見えていないようです。
私にだけ見えるのは、私が転生者だからなのでしょうか。
「ミシェルと狩りをするのは楽しいよ。嬉しい補助魔法もかけてもらえるし」
「詠唱に深い意味はありませんが……」
「できることなら、その補助魔法は俺だけのために使ってほしいな」
「授業があるので難しいと思います」
「ミシェルと一緒に授業を受けるには、俺が下位クラスに入るのとミシェルが上位クラスに入るの、どちらが良いと思う?」
「殿下が下位クラスにだなんて、困ります」
「それなら答えはひとつだね。これから毎日、レベル上げを一緒にがんばろうか」
にこりと微笑んだ殿下は、私の手を取って再び森の奥へと歩き出しました。
誘導尋問的に、とんでもないことが決まってしまったような気がするのですが。今のは冗談ですよね?
私が上位クラスを目指すなんて途方もない作業ですよ。