『天使に関する不可侵協定』締結の日(シリル視点)
本編に登場しなかったミシェルのお兄様のお話です。
お兄様は善人ではないのでご注意を。
魔法学園へ入学してから、数ヶ月がたったころ。
放課後に僕とセルジュは、学食にいた。
「おいシリル、これからなにがはじまるんだ?」
「わかりません。が、この場にあつめられたのは男子生徒だけのようですね」
学食には、下位~上位クラスまでの新入生の男子生徒がほぼ全員あつまっているようにみえる。
貴族の令息といえども十歳の男子がこれだけあつまったので、学食は非常ににぎやかだ。
ただ、このなかにルシアン殿下の姿はない。
授業がおわって声をかけようかとおもったときにはすでにいなかったし、殿下にこのような集会へご足労いただくのも申し訳ないきがしたので、僕は嫌がるセルジュだけをつれてこちらへやってきた。
皆、あつめられた理由はしらないようだけれど、きこえてくる話では上級生にあつめられたようだ。
上級生が新入生としての振る舞い方についてでも、指導しにくるのだろうか。
組織においてはそのような指導がおこなわれる場合がおおいので、上位者とうまくやるには穏便にすませる能力も必要だと父上がいわれていたのをおもいだす。
僕はめだつ性格ではないので問題はないがセルジュが心配だとおもっていると、最上級生の証をつけた男性が一人、学食へとはいってきた。
すらりと高い身長は十歳の僕たちとでは、雲泥の差がある。
大人への階段はあと数段で最上階といった雰囲気の彼は、蜂蜜をとかしたような色のウェーブがかった髪の毛がやわらかくゆれ、果実のような赤い瞳があたりをみまわした。
「これで全員か?」
彼が中央へ到着すると、彼のまわりに各クラスの委員長があつまり状況を報告しはじめた。
下位と中位クラスの男子生徒は全員あつまっているようだ。
「俺の召集に応じなかったのはルシアン殿下だけか……。あいつの結婚相手は上位クラスの人間だろうから、まぁ良い」
この国の王子を『あいつ』よばわりとは。この人はいったい誰なんだろう。
そうおもいながら、なんのきなしにセルジュへ視線をむけると、いつも落ち着きのないセルジュが緊張した様子で最上級生をみていた。
「セルジュは彼をご存知ですか?」
「あいつはエルの兄貴だよ……」
「エルとは?」
「エルは俺の幼馴染だ。あいつには何度嫌がらせをうけたことか……」
上位クラスの問題児として、入学そうそうに教師を手こずらせているセルジュが緊張する相手か。
すこしだけ最上級生に興味がわき視線を中央にもどすと、なにやら紙が全員にくばられはじめていた。
僕たちにもまわってきたその紙にかかれている内容をよんでいると、隣のセルジュが「うげぇ……」と嫌そうな声をあげる。
「天使に関する不可侵協定?」
そうかいてある題名のしたには、協定にかんする内容が詳細に記載されていた。
どうやらこの魔法学園には『天使』とよばれる生徒がいるらしい。
名前はミシェル・ブラント。
年齢は僕たちとおなじく十歳で、中位クラスの女子生徒のようだ。
容姿はウェーブがかった蜂蜜色の髪の毛と、赤い瞳が天使のように可愛い女の子らしいが、この特徴はどう考えてもあの最上級生と似ている部分がおおい。
どうやらセルジュがさきほどいっていた『エル』という子が、この『ミシェル・ブラント』であり『天使』のようだ。
不可侵協定の内容としては、その『天使』はとても臆病な性格をしているので、けしておどろかせるような行為をしてはならないというものだ。
しかしこの内容……。
どうかんがえても妹にほかの男をちかづけさせたくない兄の、いきすぎた行為にしかみえない。
『万が一にも天使を我が物にしようなどと身の程知らずが現れた場合には、天罰が下る』と、しっかり明記されている。
僕にも可愛い妹はいるが、さすがにこの最上級生の行動はやりすぎにもほどがある。
「全員、不可侵協定の内容を熟読しろ。異論を唱える者がいなければ、この協定は全員の賛同の元に締結されたと見なす。何か質問はあるか?」
「あの……、こちらにかかれている天罰とは……」
下位クラスの委員長が手をあげて質問をすると、最上級生は「いい質問だ」と笑みを浮かべた。
「実際に見なければ、不可侵協定の大切さがわからないだろうからな」
そういいながらあたりをみまわした最上級生は、ある一点に目をとめる。
「良い実験台がいるな。セルジュこちらへ来い」
「ひぃぃ……!おっ俺、もうかえる!!」
セルジュが慌てて椅子からたちあがって出口へと走りだそうとしたが、最上級生は素早く杖をセルジュに向けて、早口で魔法を詠唱する。
すると杖のさきから水の縄のようなものが出現し、セルジュにむかってのびると彼を捕獲した。
セルジュをとらえた水の縄はそのままおおきくなっていき、セルジュをすっぽりとつつみこんだ水の球体へと変化した。
球体のなかでセルジュが苦しそうにもがく姿をめにして、学食内は一瞬のうちに恐怖につつまれた。
「さっ賛同しますから、セルジュを開放してください!このままだと、セルジュが死んでしまいます!!」
僕が椅子からたちあがってそう訴えると、この場にいた男子生徒全員がおなじようにたちあがって賛同の声をあげた。
「物わかりの良い新入生で助かる。ではこの場にいる全員の賛同の元に、天使に関する不可侵協定は締結されたと見なす。以後、妙な真似をしようとする前に、今のセルジュを思い出すのだな」
ニヤリと最上級生が笑みをこぼしたのと同時にセルジュをつつんでいた水の球体は消滅し、セルジュは床にどさっと落ちた。
「セルジュ、大丈夫ですか!」
そう叫びながらセルジュのもとへかけよるあいだにも、大多数の男子生徒たちはにげるように出口へと殺到した。
咳き込むセルジュの背中をさすっていると、視界のはしで僕たちのほかに一人だけ逃げ出さなかった者が最上級生をあおぎみているのが目にはいった。
「ブラント様、すばらしい魔法でした!僕は貴方様が卒業したあとも、下位クラスの生徒には協定を厳守させると誓わせていただきます!」
「ほう……、お前は下位クラスの委員長だったか。良い心がけだな、卒業までミシェルの安全はお前に任せた。だが勘違いはするなよ、お前が模範となり協定を守らせるんだ。いいな」
「はいっ!おまかせくださいっ!」
こんな協定にみずから足をふみいれるなんて、下位クラスの委員長はどうかしている。
それほど今の魔法に魅入られたのか。
それともすでに天使の存在をしっていて、天使の兄に取り入ろうとしているのか……。
どちらにせよ、かかわりたくない相手だ。
「たてますか?セルジュ」
「ありがとう……シリル。俺たちもはやくかえろうぜ……」
セルジュは騎士団長の息子。体力には自信があるのか、それとも最上級生の嫌がらせになれているのかわからないが、大事にはいたらなかったようだ。
彼に肩を貸しながらたちあがり出口へむかいはじめると「おい」と、うしろから声がかかった。
「お前は宰相の息子だろう?念のために殿下にも協定は伝えておけ」
「わかりました」
「それからセルジュ。今まではミシェルに男性への恐怖心を植え付けるためにお前を野放しにしていたが、もうその役目も不要だ。二度と俺のミシェルに近づくな」
「そんなぁ……」
「なんだ、溺れ足りないのか?」
「わっわかったよ……」
妹を独り占めするために、妹を男性恐怖症にさせたというのか?どこまでも歪んだ心の持ち主のようだ。
たとえ天使に惚れたとしても、この兄の存在をしっている僕たちが天使に手をだすことはないだろう。
セルジュを馬車乗り場まで送り届けた僕は、ルシアン殿下をさがすために校舎へもどった。
殿下はもう帰城されたのかとおもっていたけれど、馬車がまだあったので学園内にまだいらっしゃるようだ。
父にはすすめられたがまだ殿下の従者になるとは決めていないので、わざわざさがしにいく義理もないけれど、あの最上級生は本当に恐ろしい。
殿下に危険があれば父の仕事にも影響がでそうなので、すぐにでも協定については知らせてさしあげたほうがよい。
殿下はちかごろ図書室をよくおとずれているときいていたので、僕はそちらへとむかった。
図書室へはいるとちょうど本棚のあるあたりからでてきた殿下をみつけることができた。
殿下にしてはめずらしく、頬を赤くしてぼーっとしている様子だ。
「殿下、こちらにいらっしゃったのですね。顔が赤いようですがご体調がすぐれないのですか?」
「あ……シリル、聞いてくれ。ついに俺は天使をみつけてしまったんだ」
まるで幸せな夢でもみているかのような表情の殿下。
確か不可侵協定には、『天使』は図書室をよくおとずれると書かれていたので、殿下がいっている天使と不可侵協定の天使は同一人物とおもったほうがよいだろう。
せっかくいそいで報告にきたのに、手遅れだったようだ。
すっかり一目惚れしたような様子の殿下に不可侵協定を伝えるのは気がすすまないけれど、最上級生の脅威をかんがえると話さないわけにもいかない。
殿下に不可侵協定の紙をわたして説明をすると、殿下は特に落胆する様子はみせなかった。
「そうか。俺の知らないあいだに、そのような協定ができていたんだね。知らせてくれてありがとう、シリル」
「殿下はこの協定をまもるおつもりですか?」
「そうだね。俺としてもあの子をおびえさせたくはないから。けれど、月に一度くらいはこっそりみたいな」
さきほどは一目惚れでもしたのかとおもったけれど、殿下はそれで満足のようだ。
恋というよりは、宝物をみつけたような感覚なのかもしれない。
「僕もその天使をみてみたいです。次回は僕も一緒につれていっていただけませんか?」
あの最上級生は怖いけれど、殿下が気にいるほどの子がどのような姿をしているのか気になる。
不可侵協定では遠くからながめる行為は許可されているので、罰がくだることもないだろう。
せっかくみつけた宝物をみせろといったら気をわるくされるかとおもったけれど、殿下はうれしそうにほほえみながらうなずいた。
「うん、一緒にいこう。シリルもきっと気に入るとおもうよ」
殿下は優しいかたのようだ。今まであまり接する機会はなかったけれど、ひとまず友人としては仲良くなれそうだ。