32 アデリナ王女
私が目を覚ました理由は、気持ちよく眠れてすっきりしたわけではなく、身の危険を感じて覚まさずにはいられなかったからでしょう。
暖かな日差しを感じながら、ぼやけていた視界が次第にはっきりとしていきます。
目の前には青空が広がっていて。私の状況とは無関係にゆっくりと流れていく雲は、のどかな午後のひと時を演出しています。
どうやら私は、地面に寝そべった状態のようです。
手に土の感触があることに気がついた瞬間、殿下にいただいたドレスを汚してしまったと悟り、悲しみが湧いてきました。
すぐにでも起き上がってドレスの状態を確認したいけれど、私にその気力はもう残っていません。
なぜかというと、先ほどから視界に入っては見えなくなりを繰り返している水色の物体によって、私は生存の危機に晒されているからです。
端的に申しますと、スライムにガンガンHPを削られている真っ最中のようです。
「やっと目覚めたようね。このままスライムに倒されてしまうのではないかと、心配してしまいましたわ」
私の心配など、露ほどもしていないであろう微笑みを浮かべながら視界に入ってきたのは、私の記憶ではつい先ほど遭遇したばかりのアデリナ殿下です。
眠らされてからどのくらい時間が経過したのかわかりませんが、空の様子を見る限りではまだ夕方には早い時刻のようです。
どうしてこのような目に遭っているのか彼女に尋ねたいですが、今は少しでも体力を温存しておかなければ本当に危険です。
けれどこういう場合、悪役は自ら話さずにはいられないのが、地下書庫にある本の時代からの常識。
私が黙っていても、理由は知ることができるはずです。
アデリナ殿下は気分良さげに、いつの間にか奪ったらしい私の魔法の杖を弄び始めました。
「話す余裕もないのね。いいわ、私の未来のお義姉様になり損ねる貴女には、特別に教えて差し上げますわ」
私のHPが尽きるのを待つかのように、長々と話している経緯を要約すると、彼女は王妃になりたいという願望が人一倍強いようです。
予想ではルシアン殿下を奪われた恨みかと思っていたのですが、ルシアン殿下に対する想いはそれほど強くなかったようで。
「ルシアン殿下のほうが好みではありますが、王妃の座さえ手に入れられるのならどちらでも構いませんの」
早々に第三王子に鞍替えしたようですが、クロード殿下を王太子に押し上げるには私の存在が邪魔だったようです。
「貴女、アーデル公爵に溺愛されているようね。ルシアン殿下だけでは飽き足らず老人まで手玉に取るなんて、恐ろしい子。それに本の知識も厄介だわ」
その二つさえなければ、ルシアン殿下から王太子の座を奪い取るのは容易いとアデリナ殿下は笑いましたが、殿下は私がいなくともこれまで積み重ねてきたように、着実に貴族の心を掴んだと思います。
「だから貴女には申し訳ないけれど、私のためにここで力尽きてちょうだい」
まるで人を道具のようにしか思っていない様子は、まさに王族らしい態度とも言えます。
この国も含め周辺諸国の王族は絶対的な存在であり、王族が「不敬だ」と主張すれば、たとえ貴族を手にかけたとしても罪に問われることはありません。
ただ、民の心がわかると称賛されているこの国の王族は、滅多にそのような理由で人を排除したりはしませんが。
「そろそろかしらね。貴女が力尽きる場面に居合わせるのは私のイメージが悪くなるので、そろそろお暇いたしますわ。ごきげんようミシェル、次にお会いするのは私が寿命を全うした時かしら」
ふふっと、お茶会を退出するかのような軽い挨拶を一方的におこなったアデリナ殿下。それから、王女とは思えない力強さで私の魔法の杖をボキッと折り、それを私の手元に落としました。
「狩りの最中に杖が折れて、スライムに負けてしまうなんて。落ちこぼれの貴女らしい最後だわ」
そう言い残して去ろうとしたアデリナ殿下に、付き添っていた従者らしき男性が声をかけました。
「アデリナ殿下、この杖はどうしますか?」
男性が言っているのは、私がしっかりと手に握っている杖のことでしょう。
「最近は常に持ち歩いているそうだから、それがないと逆に怪しまれるわ。杖をついたところで出口まで戻るHPはもう残ってないはずだから、放っておきなさい」
アデリナ殿下と男性が去っていく足音を聞きながら、私は一番緊張した場面から解放されてホッと息を吐きました。
この杖がなければ、本当に人生が終了してしまうところでした。
眠らされている間も握りしめていられたようで、本当に運が良かったです。
そしてアデリナ殿下が、私のHPを低く見積もってくれたことも幸いでした。
彼女は中位クラスの平均レベルを参考にでもしたのでしょうが、私はすでに上位クラスの最低レベルに達しているので、HPにはまだ少しだけ余裕があります。
幸運が重なったのも大きいですが、それもこれも殿下のおかげです。
下位クラス時代の私ならとっくに息絶えていたでしょうし、何よりもこの杖がなければ全てが終わっていました。
殿下に感謝しつつ、しっかりとアデリナ殿下が去ったのを確認してから、回復魔法をかけました。
体が楽になるのを感じ、命の危機を脱したことに心底安心します。
次に、のんきな表情で私のお腹の上で飛び跳ねているスライムを倒そうと思ったのですが。
「ミシェル!!」
いつもタイミングよく現れる主人公の彼に、お任せすることにしました。
剣を引き抜きながらこちらへと走ってきた殿下は、スパッとスライムを切り倒します。その姿があまりにかっこよくて、思わず見惚れてしまいました。
いつもかっこいいですが今日は正装をしているせいか、尚更そう思ってしまいます。
けれど、どうして殿下が正装で休日の魔の森に現れたのでしょう?
疑問に思っている間にも、殿下は私の上半身を抱き起してくれました。
このようにして殿下の腕の中に納まるのは、これで三度目です。
「ミシェル、大丈夫か! 怪我はないか!?」
「はい、殿下にいただいた杖のおかげで助かりました」
ありがとうございますと微笑むと、殿下は緊張した顔を少し緩めて私を抱きしめました。
「助けるのが遅くなってごめんね。手続きに時間がかかってしまったんだ」
「手続き……ですか?」
どのような意味でしょうか。
続いて殿下が来た方角からは、シリル様となぜかジル様、それにクロード殿下までもが私たちの元にやってきて。その後ろからは、騎士団に捕らえられているアデリナ殿下と男性の姿が。
状況がよくわからなくて殿下に視線を戻すと、彼は私の手を取り指に口づけしながら微笑みました。
どうしてこの状況で、恥ずかしい目に遭わされているのですかっ。
先に説明をお願いします……。