アネモネ
暖かい風がふわりと吹いて、淡いピンク色の花びらが舞った。高校に入って二度目の春を迎える。去年の入学式に比べれば落ち着いてはいるものの今年はクラス替えがある。今年、来年と二年間を同じ教室で過ごす面子が決まるわけで、少しだけ緊張しながら校門をくぐってクラス表が張り出されている正面玄関へと向かった。そこには既にたくさんの人が溢れており、自分のクラスを確認するためにその人ごみの中へと分け入っていった。古雅蓮、古雅蓮、と自分の名前を呟きながら一組から順に見ていこうとすればぐい、と肩を掴まれる。何事だと振り返れば去年、同じクラスだった友人の来栖真佐人がにこにこと笑いながらこちらを見ていた。
「よーっす蓮!お前、四組だったぞ!一緒!」
「まじで?また真佐人と一緒とか絶対うるさいだろ、やだなあ」
少しだけ顔をしかめて言ってみるも冗談だと分かっているのだろう、照れちゃってー!なんて言いながら来栖は俺の肩に腕を回してくる。はいはい、とそれを払うこともせずに無視していればそのまま俺を引きずるようにして四組のクラス表が貼ってある場所へと歩いていった。その途中でよおとかおおとかと掛けられる声に適当に手を上げたりして応えていればあっ!と真佐人が大きな声を上げた。
「うるさい、人の耳元で騒ぐな」
今度は本気で嫌がりながらぐい、と真佐人を押しのけた。ただでさえこいつは声が通る、耳元で大きな声を挙げられたらこちらとしては堪ったものではない。それを分かっているのか真佐人も悪ィ、と眉を下げながらきちんと謝ってきた。うるさくて調子に乗りやすい奴だが、こういうところがきちんとしているから付き合っていて居心地がいいのだ。
「だけどさー、泉美さんが同じクラスだぞ!?これは興奮すんだろ!」
やっべ超うれしい!とかなんとか言いながらきゃっきゃとはしゃぐ真佐人を放っておいて俺は改めてクラス名簿を見た。頭文字が「あ」の奴がいないのか名簿番号一番は泉美―泉美牡丹だった。その名前を見た途端、どきりと心臓が跳ねるのが分かる。彼女は俺の、初恋の人だった。
彼女との出逢いは確か幼稚園の頃。さすがにもう細かくは覚えていないが、その頃から彼女は「美人」という言葉が当てはまる子だったような気がする。それから小中高と同じ学校でもう十年以上の付き合いになるはずだ。と言っても同じクラスになったのは小学校低学年のときだけ。俺が彼女に恋をしたのもそのときだった。物静かで大人しい彼女は他の女の子達に比べてとても大人びて見えて、一目惚れといかなくても幼い恋心が芽生えるのは早かったように思える。
しかし所詮小学校低学年、高学年に上がりクラス替えをして離れてしまえば彼女のことなどすっかりと忘れて他の女の子にときめいたりもしたものだ。中学生になってからもクラスが違えば話すこともなく、忘れてはいないが去年まではすっかり俺の中では過去の人になっていた。
「ふーん…そんなに嬉しいのか?」
気のない俺の返事に呆れたような表情をして真佐人は大げさにため息を吐いた。しょうがないとでも言うような様子にこっちがため息を吐きたいくらいだ。
「お前馬鹿なのしぬの?泉美さんは学年一の美少女と名高い女子だぞ?そんな泉美さんと同じクラスで!嬉しくない!はずが!ない!だろ!」
言葉を区切るように付けられた感嘆符が鬱陶しい。ついでに言うと最初に吐かれた暴言もむかつく。だから俺は真佐人を無視することにした、彼の扱い方は多分これが一番正しい。ちらり、と教室の場所を確認すれば俺はさっさと足を動かしてそちらへと向かう。後ろから真佐人が無視すんなよー!と叫びながら付いてきて悪目立ちしていたので一発ぶん殴ってやった。
教室に入れば見知った顔もちらほらあって少しだけ安心する。人見知りではないが知り合いが全くいない中にひとりだけ放り出されるのは嫌だから。…まあ、真佐人が同じクラスにいる時点でひとりというわけでもないのだが。そんな真佐人を見ればもう他のクラスだった奴とも仲良く話していた。彼の社交的な性格が羨ましい、と思いながら自分の席を見れば廊下側から二列目の一番前…泉美の隣の席だった。なんでこんなにあ行とか行の苗字が少ないんだ、と思いながらも少なからず嬉しい気持ちはあるわけで。しかしながら久しぶりの初恋の人との再会に格好悪いことに緊張もしていた。だから、泉美がまだ教室にいなくて隣が空席になっている状況に少しだけ安心した。中学や高一の時分に時折廊下ですれ違う彼女は、思い出の中の彼女よりもずっと美しかったから。
「あれ、もしかして蓮の隣泉美さん?うっわー、超羨ましいんですけどー」
唇を尖らせて拗ねたような口調でそう言いながらいつの間に傍に来たのか真佐人がのしりと後ろから俺に抱き着くような形で圧し掛かった。重い、と腕を上げるようにして振り払えば簡単に離れて俺の横に立った。その顔はなんとも面白くなさそうだ。
「なんで蓮が泉美さんの隣なんだよ、どう考えても古雅のお前がここって変じゃね?あー、もっといれば俺が隣だったかもしれないのに」
逆になんでそこまで言われなければいけないのか分からないが、真佐人にとって可愛い女の子が隣の席であることは結構重要なことなんだろう。それを表すように俺の隣むっさい男だしー、とつまらなそうに呟いていた。…隣の男子に謝るべきだと思う。普段通りに真佐人とじゃれていれば席のすぐ近くのドアががらりと開いた。先ほどから何回も開くドアに気を向けるのも面倒で、真佐人とそのまま会話を続けていたら懐かしい声が鼓膜を震わせた。
「……座りたいんだけど、いいかな?」
興奮したようにそわそわとしている真佐人を自分の席へと帰して(その際、ものすごく嫌そうな顔をされた)、彼女を席へと通して、自分も席に付いて、今に至る。十年近くぶりに間近でみた彼女は白磁のような肌に艶やかな黒髪がよく映えていて、少し垂れ目がちな黒目の大きな瞳を長い睫毛が縁取っていた。これは確かに真佐人が「学年一の美少女」と讃えるのも分かる。それほどまでに美しく、幼い少女の面影と大人の女性の色香とのアンバランスさが彼女の魅力を引き立たせていた。
「……古雅くん」
不意に名前を呼ばれてどきりとした。若しかして、自分でも気づかない内に見つめてしまっていたんだろうか。それに彼女が気を悪くしたんだろうか…そんな思いが湧いてきて僅かな罪悪感に思わず少しだけ俯いてしまった。
「……何?」
「間違ってたら悪いんだけど、小学校の…低学年のときだったかな。クラス、一緒だったよね?」
その言葉に顔を上げれば泉美は気を悪くしたような様子もなく穏やかで、少しだけ不安そうな笑みを浮かべていた。
「え…嗚呼、うん。覚えてたんだ?」
まさか覚えていたとは、とまではさすがに思わなかったが一方的に片想いをしていた記憶があるだけに彼女も自分のことを、とは考えていなかった。でも、一応はクラスメイトだったわけだし昔の話ではあるが全てを忘れるということはないんだろう。
「覚えてるよ、幼稚園からずっと一緒でしょう?でもそのとき以外はクラス違ってたから…嬉しいな、またこうして同じクラスになれて」
そんな言葉と先ほどとは違い年相応の無邪気な笑顔を向けられるとそこに他意がなかったとしてもどぎまぎしてしまうのが悲しい男の性だ。だからと言って心の内を晒してしまっては格好が付かない、平静を装って俺も泉美に笑いかけた。
「俺も、泉美と同じクラスになれて嬉しいよ。これから、改めてよろしくな!」
手を差し出して握手を求めるようなことはしなかったがそれだけでも十分だったようで、泉美もこちらこそ、と言って優しく微笑んでくれた。―このときはまだ彼女のことは綺麗なクラスメイトとしか見てなくて、例え初恋の相手だったとしてももう一度同じ感情を抱くとは思わなかった。俺にとって彼女は淡い想い出の登場人物で、手の届かない存在だと、そんな風に認識していたのであった。
始業式からもう一ヶ月が経つ。クラスにも慣れ、友人も増えて真佐人も含めて数人でつるむようになった。他クラスに別れた友人とも廊下ですれ違ったときには声を掛けあったり、偶に一緒に昼食を摂ったり放課後に遊びに行ったりと充実した日々を送っている。担任の意向で席替えは行われなかったから相変わらず泉美とは隣の席で、委員会も同じになった。見た目の印象とはいい意味で違い、彼女はとてもおしゃべりで話し上手だった。冗談を織り交ぜての話は面白く、時には時事を話題に出すこともあった。それと同時に聞き上手でもあるらしく俺の話をいつでも楽しそうに聞いてくれていた。
そんな時の中で俺の泉美に対する印象は随分と変わった。出逢った当時の物静かで大人しいイメージはそのままだが明るくどこかお茶目な面もあるのだと知った。大人びてはいるが楽しそうに笑ったり時折拗ねたような表情を見せる彼女は俺と同じ高校二年生で、高嶺の花なんかじゃなくごく普通の女子高生なんだと。他のクラスメイトもそれが分かってきたのか元々、人気のあった泉美はしょっちゅう話しかけられるようになってきて休み時間には囲まれるほどだった。それでも授業中に時折言葉を交わしたり、委員会がある日には家が近いこともあってか偶に一緒に帰ることもあった。昔から知っているからというわけだけでなく泉美と一緒にいるのは楽しかったし、自然体でいられて楽だった。真佐人達といるのも勿論楽しいし何の気兼ねもなくいられるのが楽ではあるがそれとは少し違うような、そんな関係。クラスメイトとも友人とも違う、言うなれば幼馴染だろうか。そう呼ぶには些か離れすぎていたような気もするのだが。
「泉美、帰ろう」
委員会が終わって帰り支度をしながらそう彼女に声を掛ける。お互いに同じ方向に帰って行く友人が偶々委員会内に他にいなかったことと暗い時間にひとりで泉美を帰らせるわけには行かないという思いから送って行ったのが切っ掛けで、今は自然と一緒に帰るようになっていた。委員会がない日は俺は真佐人達と、泉美も友達と帰っているからこうして肩を並べることはないので初めは面倒だった委員会も少しだけ楽しみになってきている。
「うん。あ、本屋さんに寄っていてもいいかな?」
「いいよ、そっちのほう回ろうか」
他の委員達に挨拶をしてからふたりで並んで帰途に就く。歩幅の小さい泉美に合わせて歩く速度を緩めながら普段通りに談笑しながら帰った。横を見れば少し低い位置で泉美が可愛らしく笑っていて、目が合えば小さく首を傾げる。そんな仕草のひとつひとつに、俺はいちいちときめいていた。気付かないふりをしていたけど、…彼女を、また好きになってしまったみたいだ。いつからか、なんて分からない。再会したあの日から好きだったのかもしれないし、過ぎ行く日々の中でゆっくりと恋に落ちたのかもしれない。
はあ、―思わずため息が漏れる。騒がしい昼休み、真佐人の隣の席に座って昼食を摂る俺の視線の先には…泉美。あの日から以前にも増して泉美を意識するようになった。一挙一動…とまではいかないが彼女のふとした仕草や表情に目を奪われ、彼女が他の誰か(特に男子)と話しているとやきもちをしたりもした。自分では面に出ていないと思っていたが、…どうやら、そうでもないようだ。
「蓮ってさあ…泉美さんのこと好きだよなあ」
泉美を見つめながらぼーっとしていた俺に真佐人が不意にそう言った。一瞬、何のことか分からなくてきょとんとしてしまったが次の瞬間には動揺してオレンジジュースの紙パックを握りつぶしてしまっていた。ストローからオレンジジュースが溢れて手を伝い、慌ててティッシュで拭いながら真佐人に視線を遣った。
「……何言ってんの、御前」
否定的な言葉を投げつつもあからさまな俺の態度に真佐人は嘆息を漏らせばやれやれといった様子で美味しそうにラーメンをすすってからもう一度口を開いた。
「泉美さんのこと、好きなんだろ?」
バレてないと思ってたわけ?…そう続くような言い方にぐ、と言葉に詰まった。確かに俺は、泉美が好きだ。好きだけど、でも、秘密にしていたつもりなわけで。真佐人にバレてしまっているということはもしかしなくても他のやつらにも感づかれているのだろうか?そんな不安が過って眉根を寄せれば真佐人がまたため息を吐いた。
「あのさあ、毎日楽しそーに話してて委員会のある日は一緒に帰ってて?しかも惚けた面で見つめているとなればそんなの俺は泉美さんに惚れてまーすって言ってるようなもんだろ?」
一旦そこで区切ってからしかも、と続けられた言葉に瞠目した。
「泉美さんと蓮が付き合ってるって噂、じわじわと広がってんだぞ?」
「は……なんで」
「なんでって…だから、仲良くしてるからだろ。男女が仲良くしてればイコール付き合ってる?ってことになるのは自然じゃん?」
泉美さんと噂になるとか羨ましー!…先ほどまでのそこそこ真剣だった空気を壊すように真佐人がそう言ったが俺の耳には入ってきていなかった。泉美と噂になるのは、俺は嫌じゃない。でも、泉美は…?「ただの友達」だと思っているならその噂は迷惑でしかないだろう。ならば、俺がとる行動はひとつだけ。なるべく…泉美と、関わらないようにすることだ。
それからの俺の態度は顕著だった。会話をしても二言三言で終わるようにするし、授業中以外はなるべく泉美に近寄らないようにした。何か言いたげに見つめられた気もするけど、泉美を守るためなんだと半ば自己満足のような気持ちで敢えて知らないふりをした。…だけど、一週間もしないうちに泉美のことが恋しくなって、また前のように笑顔で会話をしたいと願うようになってきてしまった。やっぱり…好きなのだ。でも、好きだからこそ変な噂で困らせたくない。
矛盾しているような気持ちを抱えながら過ごしている俺に見かねたように真佐人は「いいじゃん、話せば。つかいっそ告って振られてしまえ」などとアドバイスとしているのか俺を不幸にしていようとしているのか分からないことを何度も言ってきたが俺はその都度、頑なに首を横に振った。その様子についに真佐人にもお手上げだと呆れられてしまった。自分でも頑固だとは思っているが、泉美に嫌われたくない。それだけで耐えているようなものだった。くだらない意地なのかもしれない、真佐人の言うように潔く告白をすれば逆にいい方向に向かうのかもしれない、…たとえ、振られたとしても、今まで通り友達として。しかし告白する勇気などなく、…そもそもその勇気がないからこうして避けているのだ。どうするのが最善なのか分からないまま毎日を過ごし、委員会の日がやってきてしまった。
ついこの間までは委員会の行われる教室までも一緒に行っていた。委員会が終わったらそのまま帰宅するので荷物を全部整理して用意をすれば当たり前のようにふたりで並んで向かう。然して遠くもない距離、だとしてもふたりで並んで歩けるのが幸せだった。今思えば学年でも有名で目立つ泉美と並んで歩いているのだからそれだけでも十分に噂になる要素があったのだ、何故気付かなかったのだろう。…泉美だけを、見ていたからか。そんなことを考えながら用意をしていれば隣の席の泉美は俺のほうをちらり、と見てから先にとっとと行ってしまった。自分でそうなるように仕向けたようなものなのに酷く傷付いていることに気付いて小さく嘲笑してから追いかけるように俺もそこへと向かった。
委員会の席はクラス毎で決まっているから、ここでも俺と泉美は隣だ。委員長から伝えられる連絡事項を泉美が綺麗に委員会ノートに纏めて俺が配られたプリントを纏める。必要最低限の会話以外一言も喋らずに黙々と作業に取り掛かっていた。今日は特に忙しいようで他のことを考えている暇がなかったのが、少し有難かったように思える。ただただ集まってわいわいするだけの日だったとしたら、俺はその空気に耐えられない。…作業は思ったよりも時間がかかって、外はもう真っ暗になっていた。
「みんなお疲れ様ー、今日はこれで解散!」
委員長の言葉にだりィー、早く帰ろうぜーという声が飛び交ってだるだると生徒たちが立ち上がって帰って行く。まだ纏め終わっていないプリントを整理してしまってから俺も帰ろうかと立ち上がった。泉美は教室のときと同じように、既に帰ってしまっていたようだった。そのことに俺は、少しだけ不安になる。誰か一緒に帰る人はいるんだろうか、夜道にひとりは危険だと。心配する資格なんて、俺にはないのに。
もやもやとした気持ちを抱えたまま下駄箱に辿り着くと誰もいなかった。…否、ひとりだけいた。泉美が、誰かを待っているように立っていたからだ。ひとりじゃないのかと安心すると同時に誰と帰るつもりなんだろうと小さな嫉妬心が湧いた。それに緩く首を振って靴を履きかえて帰ろうとすれば泉美に呼び止められる。
「……古雅くん」
再会した日と同じように呼ばれているのに、その声は震えているように感じた。
「……まだ帰ってなかったんだ」
誰か待ってんの?…その質問は聞かずに飲み込んだ。だけど次いだ言葉はそれに対する答えでもあった。
「古雅くんのこと、待ってたの。一緒に、帰らない?…話したいこと、あるし」
どこか遠くで、今度こそ終わりだと思った。付き合ってるわけじゃないから別れるという表現は正しくないけど、そんな気分だ。話したくない気持ちもなかったといえば嘘だけど、一緒に帰れるのを喜んでいる自分が勝ってああ、と返事をした。彼女の表情がほっと緩んだのは気のせいだろうか。
途中まで、お互いに無言だった。話があるといったのは彼女だから俺から態々聞くことはないと思っていたし、彼女も彼女でどう切り出そうかと迷っている様子だった。
「……古雅くんさ、最近私のこと避けてるよね…?」
静寂を破った泉美の第一声は疑問形だったけど、そうなんだと断定するような言い方で図星の俺は何も答えられずに押し黙ってしまった。伺うように泉美に視線を遣れば俯いている。細い身体が頼りなく見えた。
「私、何かしちゃったのかな…?古雅くんに、…嫌われるようなこと」
「違う!」
咄嗟に否定すれば泉美は驚いたように顔を上げて俺を凝視してから首を横に振った。
「嘘吐かなくてもいいんだよ?迷惑、だったんでしょ?…ごめんね」
彼女の綺麗な顔が歪む。そんな顔をさせたくて離れたんじゃない。これなら、こんなことになるくらいなら…はっきりと気持ちを告げてしまったほうが泉美のことを傷付けなかった。馬鹿だ、本当に俺は馬鹿だ。好きな人を、悲しませるなんて。…今にも泣きそうな泉美の肩をそっと掴めばこちらを向かせる。戸惑いがちに俺と目を合わせる彼女を見て意を決したように、言葉を紡ぐ。
「嫌いでも、迷惑でもない。ていうか、逆に泉美にそう思われるのが嫌で、避けてた。……好きなんだ、泉美のこと。友人としてじゃなくて、ひとりの…女の子として」
思ったよりもすんなり出た言葉に一気に力が抜ける。散々悩んだ日々がくだらなかったような気がした。…泉美は少しだけ潤んだ大きな瞳を瞠って俺のことを凝視した後、頬を染めてさっきとは違った空気で俯いた。嫌がる素振りを見せない彼女に期待をしてしまう。返事が聞きたい、心臓は五月蠅いぐらい鳴っているのに頭は不思議と冷静だった。
「……泉美」
優しく名前を呼ぶと再度俺の方を見る。逡巡するように偶に視線をどこかへやる様子に色んな意味でのもしかしたら、が浮かんでは消えていく。
「あのね、」
「……うん」
急かしたい気持ちをぐっと抑えて返事を待つ。たった数十秒がとても長い時間に思えて息が詰まる。
「私もね、古雅くんのこと…蓮くんのこと、好き、だよ。…同じ意味で」
はにかむような笑顔と、初めて呼ばれた下の名前と、「好き」という言葉と。その全部が可愛くて、嬉しくて。
「……牡丹」
そう名前を呼んで思わず抱きしめていた。一瞬強張った身体の力が抜けて背中にそろそろと腕が回される感覚にこれは都合のいい夢じゃないんだと思えて、思いたくて。
「好きなんだ、…大好きなんだ」
もう一度そう呟いた―…