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四つ葉のクローバー  作者: 汐月 羽琉
第一章 かなしみ
6/8

想いの行く先

 どうしたんだ、と私を覗き込む托也さんが視界に入る。

 そんな托也さんにしがみつく私の腕がセーラー服の袖に包まれていて、これが夢――いや、正確には過去の記憶であると気づいた。

「流依?」

 ただ泣くだけの私を托也さんは問い詰めることはせず、ゆっくりと安心させるように背中をさすってくれる。その間も表情はとても心配そうだ。申し訳なく思うが、しゃくりあげるばかりで涙を止めることができない。

「また家で何かあったのか」

 泣き方が落ち着いてきた頃を見計らって、静かな声で托也さんが尋ねてきた。

 私は何も言えず、彼の服を掴んでいた力を少しだけ強める。綺麗にアイロンがかけられた托也さんの制服のワイシャツに皺が寄ってしまっていたけれど、離せない。

 そうだ、あの頃はまだ托也さんも高校生だった。

「流依」

「おとう、さんが……」

 そっと呼ばれた名前に引きずられるようにして、やっとのことでそれだけを呟く。

 彼は総てを察したらしく、それ以上は何も訊かずに、軽く引き寄せるようにして優しく頭を撫でてくれた。

「流依は? 怪我してないか」

「だいじょうぶ……」

 私の家庭は、『普通』から大きく逸脱はしていないと思っていた。でも同時に、決して『普通』になりえないことを知っていた。

 普段は、何でもない。ごく普通、だと思う。少し頑固な父と、父よりも少し年上で、気の強い母。冗談を言い合って笑い声を零す、仲睦まじい家庭。そう評されるし、自分でもそう思っていた。

 だけど両親は相互に我が強いというか、些細なことで言い合いになり、最終的には喧嘩に発展する。

 そして時には、カッとなりやすい父が母や私に手を上げることがあった。

 父は肩を怒らせて別室に閉じこもり、母は痛みにすすり泣き、私は悲鳴をこらえて体を震わせながら膝を抱えて部屋の隅で縮こまる。そして家を飛び出しては、帰りたくないと涙ながらに托也さんに電話をした。もしくは、祖父母の家の近くまで逃げて一人きりで泣いていた。

 祖父母の元が安全であるとは分かっていても、万が一にも行ったことを知られたら、父がまた不機嫌になる。それを思えば、祖父母の家に逃げ込むのは怖かったのだ。

 だったら藍音に頼ればいい。それも、ちゃんと分かってはいた。受け止めてくれただろうことも。

 でも、藍音に頼ったら、恐らく自分が余計に駄目になるだろうことを無意識に察知していたのかもしれない。

 藍音の家庭は、私から見ればとてもあたたかった。優しいお父さんと、綺麗なお母さん。少し意地悪だけど頼りになるお兄さん。そして、可愛くてしっかり者の藍音。私の中の『羨ましい』が詰まっていた。

 私の家族に他人からは見えないものがあるように、藍音の家族だって同じだろう。でも、それは慰めとならない事実。だって、私にとっては『理想の家族』なのだから。

 理想を見せつけられるのは、家族によってひび割れさせられた心を自ら砕くようなもので。

 この時は、一人きりで泣いていた日のことだったのだと思う。数度あったから、いつのことだかはわからないけれど。たまたま帰宅途中の托也さんが川べりにいる私を見つけて、あたたかい場所まで移動させて、話を聞いてくれた。

「……大丈夫。俺はいつでも流依の味方だから」

 抱擁にも満たない触れ方。それでも、肩に置かれたあたたかい手のおかげで、托也さんの優しい温度が包んでくれているかのようだった。

 ああ、そうだ。小さな頃から淡く憧れてはいたけれど、本当にそれが恋になったのは、この頃から。

 凍りついていくようだった心を、そのあたたかさで解かしてくれた。

 ある日、いつものように父が閉じこもるのではなく、私が家を飛び出すのでもなく、何だかんだ耐えていた母が、朝起きたら消えていたことがあった。

 平日は部屋まで起こしになど来ない母が、珍しく早朝に声をかけに来た。まどろみの中で曖昧な返事をして、母が出ていく背中を見て、多分私はもう一度寝てしまったのだと思う。

 目覚まし時計の音で本格的に目覚めると、いつも朝ごはんの支度をしているはずの彼女は、我が家から忽然と消えていた。

 家のどこを探してもいない。唯一残されていたのは手紙だけ。

 当時、私は中学に上がったばかりぐらい。母が唐突にいなくなることなど考えたことがなくて、不在を悟った瞬間に不安で背筋が凍った。

 書き置きに何が記されていたのか、私は今も知らない。だけど母の突然の行動に父が酷く動揺していたことは覚えている。

 学校に行くよう促されて家を出たけれど、とてもそんな気になれず、私の足は托也さんの学校の方へ向かっていた。

 托也さんの通っていた野上川第一高校は私の中学からそう遠くはなく、まだ登校時間だったこともあって、高校生が続々と道を歩いては校門をくぐっていく姿を見ることができた。

 来てしまったはいいものの、托也さんに会えるとは限らない。第一、制服が違う私は目立つらしく、やたらと視線を感じる。いたたまれなさから踵を返そうとした時。

「流依?」

 托也さんの声。

 こわごわ振り返ると、ちょうど登校してきたところだったと見えて、彼は意外な存在に目を丸くしていた。

「托也さん……」

 会いに来たはずなのに、いざ目の前にすると何も言葉が出てこない。結局、何とか誤魔化そうと頭を働かせながら、口を数度開閉させることしかできなかった。

「どうした……?」

 私の顔色がそれほど悪かったのか、尋ねてきながらも只事ではないことを察したらしい。托也さんの表情が険しくなって、手を取られる。

「竜生、悪いけど今日休むわ。家の事情って言っておいて」

 びっくりして見上げたが、彼は私の反応など気にしていない。傍にいた竜生さんにそう声をかけ、すぐに歩き出してしまう。

「了解」

 竜生さんも竜生さんで、特に托也さんの行動を咎めることもなく、手を振りながら見送っていた。

「た、托也さん、」

「いいから、ついてきて。何かあった顔してる」

 好奇の目が向けられる中、それを気にした様子もなく托也さんは進んでいく。ただし、歩調は限りなく私に合わせて。

 通学路を逆走していけば、当然生徒の数はどんどんと減っていく。制服姿の人間が見えなくなったところで、それまで無言だった托也さんは静かに口を開いた。

「何があった? 家で、また辛いことあったのか」

 何か、ではなく具体的に尋ねる彼は、やはりとても機微に敏い人。

 どう説明したらいいか分からなくて押し黙る私を急かすことなく、彼はじっと待ってくれていた。

「……お、お母さんが……朝起きたら、いなくて……書き置きだけ、あって」

 ややあって、バラバラになりそうな思考を何とかまとめながら説明する。

(あかり)さんが……?」

 托也さんは、母の名前を呟きながら、信じられないとばかりに大きく目を見張った。

 当然だ。私だってその時全く信じられなかったし、これが今本当に自分の身に起こっているなんて思えなかった。

 でも母はいなくなったのだ。この目で、耳で、確かに「いない」と感じ取ったのだから。

「……とりあえず、うちに行こう。俺らにできることなんて多分そうはないけど……そんな状態で、流依も学校に行って普通に過ごせる気がしないだろうし。流依のお父さんは捜してるんだろ?」

「うん……」

 常々のように冷静で優しい口調に、自然と涙腺が緩みそうになるのを何とかこらえた。

「よし。ちょっと歩くけど、もうしばらく我慢して」

 托也さんは私の頭を撫で、また私を導くように手を引いて歩いていく。

 全部が非現実的な中、托也さんと繋いだ手の温度だけが確かだった。

 たまたまその日は祖父母が旅行でいない日。それを托也さんから聞いて、私は少しだけ安心した。母の事情を父の両親には知られたくない思いがあったから。

 一方的に母を悪者にはしないだろうが、人の親として、いざとなれば父の味方となることは大いにあり得る。私が逃げ込むことで、母が不利になるのは嫌だった。

「中、入って」

 家の前に着くと托也さんの手は離されてしまったけれど、玄関から一歩足を踏み入れれば、托也さんと同じにおいに包まれる。

 途端、張り詰めていたものが一気に緩んだ感覚があった。涙腺は崩壊し、止めどなく涙が溢れ出る。

 まるで痛みを共有しているかのような顔をしながら、そういう私を托也さんが見ていた。涙を拭ってくれる指に甘えつつ、いつものようにワイシャツを掴む。

 二人とも靴を脱がず、三和土(たたき)に佇んだまま、どれぐらいそうしていただろうか。

 気遣わしげな笑みを浮かべつつ、托也さんは私の顔を覗き込んできた。

「今日は流依の好きなことをするよ。何がしたい?」

 普段だって優しいのに、更に甘えさせようとしてくれているのだ。

 泣きすぎてぼんやりする頭をどうにか回転させて、托也さんを見上げる。すると、口調や言っていることに違わず、穏やかな目が向けられていた。

「ほん、とに……?」

「うん。当然だろ」

 睫毛に残っていた涙を弾いて、しっかりと頷いてくれる托也さん。

 私はそれに数瞬だけ迷ってから、小さく呟いた。

「…………ただ、いっしょに、いて、ほしい……」

 普段だったら、逆立ちしたって言えなかった。この想いが伝わってしまったら、托也さんと疎遠になりかねない。怖かったけれど、母に置いていかれたこの時の私にとっては、托也さんにまで置いていかれることの方がもっともっと怖かったのだ。

 彼は何を思うのだろう。恐れでわずかに早まる心臓の鼓動を抱えながら、掴んだままの彼のワイシャツにますます皺を寄せる。

 だが、私の不安など一瞬でかき消されることとなった。私のお願いを聞いた托也さんが、何でもないことのようにあっさりと頷いてみせたから。

「分かった」

 驚く間もなく手が引かれ、靴を脱ぐよう促される。言われるまま従ってようやく家の中へ足を踏み入れると、托也さんは私を連れて自室へと向かっていく。


 今にして思えば、托也さんはきっと知っていたのだ。家族に突然置いていかれる痛みを。何事もなく続いていくと思っていた日常から、当たり前にいたはずの家族が欠ける苦しさを。


 私は連れられるままに部屋に入り、クッションに座った。托也さんは一旦私から離れ、押し入れからタオルケットを出してくる。

「少し眠ったほうがいい。顔色が酷いから」

 肌触りのいいタオルケットで私を頭から包むようにして、托也さんは私の頭を撫でた。

「……起きても、一緒にいてくれる?」

 じわじわと心を不安が覆う。置いていかれるのではないか。目が覚めたら一人なのではないか。

 小さな子供のように確かめる私に、彼は一切迷惑がることなく笑顔で応じてくれた。

「いるよ。大丈夫」

 托也さんが手を握ってくれている。私はそれでも足りなくて、彼の脚にしがみつくようにして畳に寝転がり、目を閉じた。

 心労からのものか、確かに眠気は強かったため、あっと言う間に眠りに落ちる。

 しかし、やはり精神は不安定だったのだろう。普段はほとんど見ることもない悪夢で何度も目が覚め、気づいたら涙が頬を伝っていた。

 薄目を開けるたび、托也さんがこちらを心配そうに見ているのが分かる。彼の指が、先ほどと同じように涙を拭ってくれていた。

 無意識だったが、寝言ででも彼を呼んでいたのだろうか。

「大丈夫。ちゃんといるよ」

 言い聞かせるような優しい声と、手が握り直される感覚。

 それに少し安心して、また目を閉じて。その繰り返しだった。母が見つかった、という一報が入るまで。

 結局、母は夜遅くに父によって見つけられたらしい。

 二人の間でどんな会話があったのかは知らないが、それ以後母が出ていくようなことはなく、表面上はいつも通り。突然の失踪なんて初めからなかったかのようだった。

 でも、彼に握られていた私の手が、彼に涙を拭ってもらった目尻や頬が、幻ではないと覚えている。

 家族とは離れ離れになっていた托也さんと、家族から見捨てられそうになっていた私。あの時間において、間違いなく私たちは一番深いところで繋がっていたのだと、今さら分かる。

 独りに耐えきれない時間というものの存在を身を以て知るからこそ、彼は私にとても優しかったのだと。




 翌朝。

 カーテン越しの淡い光が射し込む窓辺で、雀が賑やかに鳴いている。

 懐かしい夢を見た。ぼんやりと天井を見つめながら、寝ながら流していたらしい涙を拭う。

「流依、休みだからっていつまでも寝てないでね。ご飯もさっさと食べてね。出かけるなら戸締まりはちゃんとするように」

 ドアの向こうで、母がいつもの口上を述べている。これから仕事に向かうのだろう。父は少し前に出ていったし、いつも母はそれを見送ってから出かけていく。

 ああ、よかった。あの日のように、部屋の中まで入ってくるような異変はない。

「はぁい」

 昔を思い出して少し怖かったこととか、何より昨日の話にショックを受けていることを何となく悟られたくなくて、なるべくいつも通りの声色で返した。

 母はそれ以降は何も言わず、静かに階段を下りて出ていく。

 玄関のドアが閉まり、施錠された音を聞き届けてから、私はゆっくりと身を起こした。

 一晩寝て、衝撃は多少和らいだと思う。だが胸を塞ぐ重たいものはそのままで、一人で処理しなければならないことは分かっていたけれど、やはり抱え込むのは難しすぎた。

 暇だったら買い物に行こう、と藍音に連絡を入れてみたところ、すぐに了承の返事があった。それにほっとする。

 いつもいつも藍音には聞いてもらってばかりで申し訳ないけれど、今頼りにできるのは彼女だけだった。自分一人きりで考え込むとろくなことにならないことは経験上よく分かっているので、聞いてもらって、もう少し感情の整理をつけたい。自分がどうしたいのか、これからどうするべきなのか。

 母が用意してくれていた朝ごはんを済ませ、手早く出かける準備を済ませる。

 待ち合わせにしていた最寄り駅にたどり着くと、一足早く藍音がもう来ていた。

「ごめん、待たせた?」

 慌てて走り寄ると、彼女は笑って首を振る。

「ううん、ほぼ今来たところだよ」

「そっか、よかった。付き合ってくれてありがとうね、今日は」

「ううん。それで、どうした?」

 笑顔で返した私に、直球で飛んできた質問。

 え、という口の形で固まった私を見て藍音が笑っていた。

「ばーか。分からないわけないでしょ。何年友達やってると思ってるの」

 つまり、藍音にはお見通しだったのだ。

「あ、お……」

 虚勢なんて無意味だと悟った途端、こらえようとしていた涙がぼたぼたと溢れ出す。通行人は怪訝な目で私をチラチラと振り返るが、藍音は動じることなく私を抱きしめる。

「よしよし。とりあえず、予定変更。買い物じゃなくてあたしの家に行こう」

 藍音本人はどうでも、私が気まずさに話が上手く出来なくなることを予測したのだとみえる。

 私は次々と溢れ出す涙を拭いながら、藍音についていった。

 この歩き方は、まるで托也さんとの出来事の再来だ。私は常々、こうして誰かに手を引かれてばかりいる。

 間もなく藍音の家に着き、やはり手を引かれたままで部屋に入った。いつも借りているクッションに腰を下ろすと、向かい合うようにではなく、私の隣に彼女は腰を下ろす。

「……托也さん関連?」

 肩越しに感じる彼女の体温が心地よくて、それに引きずられるようにして頷いていた。

「私、……托也さんと、私、ね……」

 言わなければ。自分に刻みつけるためにも、口にしなければ。

 頭では思うのに、声が喉に焼き付いてしまったかのようにして上手く形にならない。

 数度深呼吸をする間も、藍音は心配そうに私を見ていた。

「私たち、兄妹、なんだって」

 ようやく言い切ると、心臓が痛いくらいに跳ねる。

 どうして。どうして。どうして。神様、酷いよ。

 好きなのに。たった一人、ずっと好きでたまらない人だったのに。

 彼の目に一瞬でも映れるのならば幸せだった。強欲になったつもりなんてなかった。想いが叶うだなんて思っていなかったけれど、ただ恋い慕うことさえ許されないなんて。

 散々泣いたと思ったのに、また涙が溢れ出して止まらない。こんなに泣き虫だったつもりはないのに、痛みが薄れなくて困る。

 藍音は呆気に取られたような表情をしながら私を見ていた。多分、何を言われたのかは分かっても、理解にまでは及んでいないのだろう。無理もない。母から直接聞いた私だって、脳が理解を拒んだのだから。

 托也さんが父の子供だったこと。母と托也さんの間で交わされた約束。聞いた話をぽつぽつと話す。

 静かに聞いていた親友は、話し終わると同時に私をぎゅっと抱きしめてきた。

 私も彼女にしがみつくようにして力を込める。そうでもしないと、二度と立ち上がれない気がした。

 托也さんがいなくなるわけではない。分かっている。

 思い出としてこの想いなんて忘れて、自分は彼の妹だと認めてしまえばいい。分かっている。

 道理を分かっていたとしても、感情がそれに追いつかない。追いつくのなら、誰も恋なんてしない。

「流依」

 かなりの時間、無言だったと思う。どれぐらい経った頃だったか、藍音が私を呼んだ。

 びしょびしょなままの顔を上げると、藍音の顔が涙でじんわりと滲んでいる。

「いいんだよ、好きでいても」

 何を言われるのだろうと思っていた私は、大きく目を見張った。

「でも……」

「そうだね、きっと世間的には絶対駄目ってことなんだろうね。でも、流依は好きなんでしょう?」

 私が言わんとしたことを先回りして、彼女は真剣な目で問うてくる。

「うん、……すき」

 夢で見た過去は、今も私の中で大切な思い出。

 彼の笑顔のおかげで励まされた。心が折れそうになるたびに思い出した。どんなことがあっても彼は味方でいてくれると信じて、耐えてこられた。

「それなら、流依の気が済むまで好きでいればいいと思う。誰があんたを批判したって、あたしも流依が好きだから。流依がどんな答えを選んでも、ずっと流依の味方でいる」

 藍音の声色は、本気だった。私にはよく分かる。

 さっきまでと違って、今度は嬉しさに涙がこみ上げてくる。

「藍音、藍音……ありがと……」

 震える手で涙を拭い、精一杯笑う。


 神様、私はあなたを憎んでいます。どうして大好きな人が兄なのかと、恨んでいます。

 だから、たったひとつだけ我儘を言わせてほしいのです。托也さんを好きでいることを、許してほしいのです。

 叶わなくたっていい。永遠の片想いだっていい。いつかは薄れるかもしれない想いでも、この瞬間の私にとっては本当の心だから。


「やめないで、みる……もう少し、もう少しでいいから……托也さんを、好きでいたい……」

 涙を拭って、震えた声であっても、はっきりと告げる。

「うん」

 藍音はやっぱり真剣な目で頷いて、手をしっかりと握ってくれた。

 私はその体温に安堵しながら、ただ泣いた。もう一滴もこぼれなくなるまで。枯れきった後、もう一度、立ち上がれるように。

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