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四つ葉のクローバー  作者: 汐月 羽琉
第一章 かなしみ
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ありふれた内緒話

 家に駆け込むようにして帰ったが、両親はまだ仕事から帰宅する様子はなかったので助かった。確実にひどい顔になっているだろうから。

 ひとしきり泣いて、藍音に「告白したけど駄目だったよ」と連絡して、かかってきた電話で話を聞いてもらって。そうしたら、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚があるものの、何とか涙は止めることができた。

 親に顔を見られる前に、早めにお風呂へ入った。湯上がりに目が腫れていないか確かめると、だいぶましな顔になっている。ある程度泣き喚いたら、それなりに心も落ち着いてきたらしい。

 多分、托也さんへの恋心は、そうそうすぐには忘れられない。だって、ずっと好きだったのだから。

 でも、彼の目にはやはり自分が映ってはいなかったのだと分かれば、いつかは忘れることができるのではないか。たとえちょっとずつだったとしても。

 そんなことを、殊勝な部分では考えたけれど。

「無理、かも」

 自嘲気味に笑って、被っていたタオルをばさりと落とす。

 こんなに好きだというのに、忘れ去ることができるだなんて思わない。

 何事もなかったように托也さんの隣に立つこともできなくなるかもしれないが、忘れてしまったら、私が好きでいたこと自体が嘘になりそうで。

 忘れたくない。好きでいたい。

 そう思っていられるうちは、自分の気持ちに素直でいようと思った。

 帰宅した両親と共に晩ご飯を食べて自室に引っ込んだ後、たまたま目に入った真新しい本の表紙を撫でる。

 今日、托也さんも買っていた新刊だ。一足先に購入していて、つい昨日読み終えたばかりの。

 感想を言い合おうと離していたあの時間が、遠くに行ってしまったかのようだ。

 私が気まずくて托也さんを避けてしまうだろうから、言い合える日は、恐らくそうそう来ない。

 ため息を吐き出すようにしてから、その本を本棚の一角に収めた時だった。

 軽いノックの音と、「入ってもいい?」という母の声。

 普段だったら即座にドアを開けてくるくせに、今日ばかりはそのまま私の返事を待っているようだ。

「……? うん、いいよ」

 私、何かやらかしただろうか。不安になりつつも、そう応じる。

 母はそれに静かにドアを開け、目が合った私に静かに言った。

「話があるんだけど、大丈夫?」

「うん」

 何だろう、改まって。少し身構えるも、母が私のベッドに腰を下ろすので、私はその向かいにある勉強机の椅子に座り、母の方を向いた。

 少し逡巡するかのように黙りこくる母親を、私は何も言わずに見つめる。

 話の内容に皆目検討がつかない以上、黙っているしかなかったのだ。

「……流依は、托也くんに昔から面倒を見てもらっていたけど……何か聞いたこと、ある?」

 かなりの間があってから、母はこちらを真っ直ぐに見てくる。

 そこに静かな覚悟が見えて、私は思わず身構えてしまう。

「何かって言われても……。いつも言ってる通り、大した話はしてないから」

 抽象的な問いかけに、母が一体何を探ろうとしているのかがわからない。

 だけど、何となくこの先を聞いてはいけないような気がして、心臓が軋むように派手に鼓動している。

「そっか、それもそうよね」

 言いつつ、母はわずかに目を伏せる。

 強い視線から逃れられて一息つくも、すぐに真正面から見つめられて、短い間でも気を緩めてしまったことを酷く後悔した。

「托也くんはね……ううん、托也くんが、ね」

 強い視線に絡め取られ、呼吸すら忘れてしまいそう。

 そして次の瞬間、何事もなかったかのような口調で、彼女は告げた。


「……托也くんがあんたの本当のお兄ちゃんだって、知っているの?」


 彼女の口から飛び出した言葉を、理解するのに時間がかかった。

 いや、違う。多分無意識のうちに、脳が理解を拒否していたのだ。

「どう、いう……?」

 だって、托也さんは従兄で。親戚で。祖父母と一緒に暮らしていて、伯父さんの息子で。

 現実を直視したくないばかりの抵抗のような考えが、次々と浮かんでは消えていった。

「……そう。知らなかったんだね」

 母は、私の表情から総てを察したのだろう。小さく息をついている。

「お父さんとお母さんはね、互いに二度目の結婚なの。……お父さんにも、お母さんにも、前の人との間に、二人ずつ子供がいる」

 彼女の口から語られるものは、私にとってはあまりに非現実的すぎて――でもきっと世の中からすれば、ありふれていた。

「お母さんの子は、二人とも前の人が連れて行った。でもお父さんの子は……お父さんと前の人とで、一人ずつ引き取った」

 符合していく。辻褄が合っていく。

 托也さんが私を慈しんでくれた訳。母がいつも曖昧な顔をしていた理由。父が一番気にかけるような素振りを見せていたのに、決して托也さんに積極的には関わろうとしなかったこと。


「……お父さんが引き取った子が、托也くんなの」


 父の実家に行った時、托也さんは私とは話をする機会をくれたけれど、私の両親のいる居間には決して近付こうとしなかった。たとえば何か用事があったとしても、父と視線が交わることはなく、まるでそこに存在しないかのようにしていた。

 それは、托也さんだけの態度ではない。父も、托也さんを一瞥することもなかったし、会話をしようとしているところも見たことがなかった。

 私はそれが昔から不思議で、もっと幼い頃、聞いてみたことがあった気がする。私は、たとえば母方の叔父や叔母と久々に会えば、たくさん話しかけてもらっていたから。

 ――たくやおにいちゃんは、るいのおとうさんがきらいなの?

 幼い私の、直球の問いかけ。托也さんはどこか困ったように笑って、私の頭を撫でた。

 ――憎い、かな。

 憎い。その感情は、当時の私には全く分からないもの。私がよほど怪訝そうな顔をしていたのだろう、托也さんはやっぱり困った顔で笑っていたのを、はっきり覚えている。

 その他のいくつもの記憶に埋もれて、今の今まで忘れていた。最大のヒントだったのに。

 ――そんなわけないだろ! 違う! でも、だって、俺たちは……!


 兄妹なんだから。


 今日、彼が続けようとしていた言葉の先。やっと分かって、体が震える。

 ああ、初めから叶うはずがない想いだったんだ。

 半分とはいえ、托也さんと私には確固とした血の繋がりがある。それを托也さんは初めから知っていて、言えなくて、だからあんなに苦しそうにしていたんだ。

 彼は最初から優しく突き放してくれていたのに。妹分とわざわざ口にして、適度な距離を取って。

 私はそれに気づかずにいたばかりか、きっと托也さんを傷つけた。

 母は、気づいていたのかもしれない。私が托也さんに恋をしていることを。

 それは決して認められないものなのだと、私の感情の取り返しがつかなくなる前に、真実を伝えてくれようとしたのだろう。

「……流依。托也くんにはね、適切な時期が来たら私から伝えるからって……言わないでいてくれるように、お願いしていたの。だから、黙っていてくれた」

 まだ子供である私が、理解できる年齢になってから。托也さんは、私の母との約束を律儀に守って、何も言わずに口を閉ざした。私が本当のことを知らなかったから。

 母と托也さんの精一杯の気遣いは、ほんの少しばかり、遅かった。

 ねえ、どうして? 私はただ、あの人が好きなだけなのに。

「でもね、流依。托也くんとあんたが兄妹でも、お父さんとお母さんの子はあんただけだから……難しいことは、考えなくていいからね」

 続いた母の言葉には何と反応したのだか、もはや意識の外で、よく覚えていない。

 気づいたら母はいなくて、私だけがぽつんと部屋には取り残されていた。

「兄妹、かあ……」

 はは。自分のものじゃないような笑いが口の端から漏れ出て、せっかく治まっていたはずの涙がぼろぼろと溢れ出る。

 気づいたら、スマホを取り出して、電話していた。

『……はい』

 すぐに受けてくれた、聞き慣れた柔らかな低い声。

 托也さん。托也さん。托也さん。

 言いたいことはいくつもあったはずなのに、うまく言葉にならずに喉が詰まる。

『流依』

 私が泣いていることがわかったのか、托也さんは優しい声色のまま、労るように私の名を呼んだ。

「たく、や、さん……」

『うん』

「私、今、お母さんから……全部、聞いて……」

『うん』

 全く要領を得ない私の言葉の続きを、辛抱強く待ってくれている。

 そうだ。私は彼のこういうところが好きだった。好きなんだ。

「…………、私、たち……兄妹、だった、んだね……だから、托也さんは……」

 私の気持ちを受け入れることも、否定することもできなかったんだね。

 口にしようとした言の葉は、形にならずに枯れ落ちた。

『うん。……ごめんな』

 静かな声だったけれど、その落ち着き払った調子のせいで、却って托也さんの表情が悲痛に歪んでいると分かってしまった。

 責めるつもりなんて初めからなかった。しかし、それを悟ってしまえば、たとえ冗談でだって責めることもできない。

『流依のお母さんと約束してたから、何も言えなくて、ごめん』

 電話越しだから見えないのに、涙にくれるばかりで言葉にならず、ただただ首を振る。

『まだ言わない、って決めた頃、流依は七歳ぐらいで……確かに、分かってもらうには、少し早かったと思う。だから、俺も納得の上で約束した』

 二人の判断は正しい。その頃の私に理解できたかといえば、多分無理だったと思う。

 そして、感じる必要もないはずの負い目を感じて、托也さんに今のようには接することはできなかったはずだ。

 私は両親に守り育てられているのに、托也さんからは父親を奪った、と。

『流依には……ただ、真っ直ぐに育ってほしかった。流依は、大切だったから』

 「流依は、大切だったから」。彼は私以外の存在については触れない。

 いや、違う、きっと憎んでいるのだ。言葉の中に隠しきれない、父との確執のようなものを感じ取る。

 でも、憎いとまで称した人の子供である私を、托也さんは慈しもうとしてくれた。実際、今日に至るまで、優しくしてくれた。いくら私の父が憎まれていたと知ったところで、彼との今までの思い出を全部嘘だったなんて思わない。それほど馬鹿じゃない。本当の心がなければ、何の利もないのに私に構う必要は托也さんにはないのだから。

 私も、托也さんがとても大切だったし、今でも誰にも変えられないぐらい大切だ。たとえ、托也さんの言う『大切』が、私の思うものとは違っていたとしても。

「違う、違うの……托也さんは、何にも、悪くない……ごめんなさい、何も知らなくて、困らせて、傷つけて、ごめんなさい……」

 ごめんなさい、と。無意味な謝罪だって分かっているのに、何度も何度も繰り返して。そのたびに、托也さんはなだめるように言う。「流依が謝らなくていい」と。「流依は何も悪くない」と。

 私はどうするのが適切だったのか。

 多分、正解なのは、叶うはずもない恋心は封じ込めること。今まで何も知らされていなかっただけ、離れ離れになっていただけの兄妹であると、何事もなかったかのように生活していくこと。

 けれど、そんなこと、私にはできそうもない。

 好き。好きなんだ、たまらなく。兄妹だと知っても、叶わないと知ってもなお。強く強く。

『だから……泣くな、流依』

 托也さんの声が、胸の苦しみを表出したかのようにして、初めて歪む。

 きっと彼は、困っている。どうしたらいいのか分からないでいる。私と同じように。

 托也さんからしてみれば、ずっと妹として接してきた相手に唐突に恋心を打ち明けられて、やはり混乱しているのだと思う。そして同時に、彼はこれまで通りに私を関わろうとしてくれている。

 だから私は、応えるしかなかった。大好きな人を、困らせないために。

「ありがとう……托也さん」

 それ以外、言葉は浮かんでこなかった。

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