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四つ葉のクローバー  作者: 汐月 羽琉
第一章 かなしみ
4/8

ズルい人

 翌日。高校に入ることだし、何か入り用になりそうな文房具を買いに行こうと、私は外出することにした。

 文房具程度だったら自分の最寄り駅周辺にも店はあるけれど、少し遠出をしてみようと思った。何となくの気分転換。大きな街へ行けばそれだけ売り物も多いし、服を見たり、本を眺めたりしてもいい。そうだ、後で親と一緒に買いに行くことにしている通学バックのアタリをつけるのだっていいかもしれない。

 休みの日といえば一日家で読書していることが多い私としては珍しく、自主的なお出かけだった。

 電車にしばらく乗り、駅舎から出ると、柔らかい春の日差しが照らしてくれる。風も穏やかだし、お散歩日和と言っていい天気だ。

 さて、この辺りで一番大きな文房具屋さんの方向はどっちだったか。マップアプリを立ち上げて確認しようとしたところで、声がかかる。

「あれ、流依ちゃん」

 聞き慣れた声に顔を上げると、知り合いの姿が目に留まった。

「竜生さん」

 目を丸くする。藍音のお兄さんの竜生さんだ。

 偶然の遭遇に竜生さんの方も驚いているようで、しきりに目を瞬いている。

「びっくりしたー、偶然だな。買い物?」

 人好きのする笑顔で尋ねてくるので、笑い返しながら頷いた。

「あ、はい。竜生さんも?」

「あーうん。でも、俺がっていうよりは……」

 言いかけたところで、「竜生?」と竜生さんの背後から声がかかる。

 その声もやはり聞き覚えがあるものだった。私は恐る恐る顔を上げてそちらの方向を見遣る。

「あれ……流依?」

 予想通り、つい昨日会ったばかりの托也さんが、そこには立っていた。

「托也、さん……」

 例のごとく、心臓が壊れそうなぐらい早鐘を打ち始める。

 何でここに。

 托也さんと竜生さんは友達なのだから、一緒にいたところで不思議はないことは頭では分かっている。それでも、思ってもみなかった人物の突然の登場に、心がついていかない。

「びっくりした。流依も買い物?」

「う、うんっ!」

 すぐに顔を綻ばせて優しい笑みを向けてくれるので、みるみる顔が赤くなっている気がした。

 なるほど。多分、竜生さんは托也さんの付き合いで一緒に出歩いていた、ということだ。

 発しかけていた言葉の続きは、「托也の用事で出てきた」とか、そういったところだろう。

「そっか。俺らもだったんだよな。何買いに来たの?」

「た、大したものじゃないけど……文房具とか……服、とか」

 不自然に言葉が突っかかってしまわないように注意を払いながら、何とか応じる。

 托也さんは、そっか、と穏やかに笑った。

 私はそれに頷き返しつつも、適当なところで別れられるように上手い言葉を探す。ずっと一緒にいたい思いはもちろんあるが、それよりもこの大混乱している状態の頭を落ち着けたかった。二人にも二人の予定があるだろうし、何より私の心臓が持たないし。

「あー、っと……托也。ほんとごめん、俺さ、藍音に買い物付き合うように言われてたの忘れてたわ」

 だが、ふと、竜生さんが軽く手を叩きながら言う。

「は? 何それ、初耳だけど」

「だから忘れてたんだって。悪い、後で埋め合わせするから、ちょっと今日は帰るわ。流依ちゃんも悪いんだけど、托也の買い物付き合ってやって」

 怪訝な表情をする托也さんに、叩いた手をそのまま合わせるようにして頭を下げ、あっという間に駅舎の中へ姿を消していく。

「ちょ、竜生さん……!」

 呼び止めようと声を張ったが、彼の動きはとても素早く、その時にはすでに改札を通った後だった。

「何だ、あいつ……」

 呆気に取られている托也さん。

 しかし、私は竜生さんの意図を正確に把握できていたと思う。

 踵を返す直前、彼は私にだけ分かるように片目をつぶってみせていた。私が托也さんを好きなことは、藍音の家にお邪魔するうち、竜生さんにも知られてしまっている。思いっきりお節介を焼かれた形だ。

 個人的には、何の覚悟もなく二人きりにされて、全くどうしたらいいか分からないのだけれども。

 兄さん、それは要らない気遣いっていうんだよ。藍音がもしこの場にいたら、きっとそう言っていたに違いない。

「ま、いっか……。どうする? 流依さえよければ、だけど、一緒に回る?」

 そして托也さんは、竜生さんを疑ってもいないらしい。

 相変わらずの穏やかな様相で訊かれるので、どうせ一人でふらふらしようと思っていた私は断ることもできなかった。

「うん……」

 小さく頷くと、彼はまた笑ってくれる。

「ありがと。じゃあ、まずは流依の行きたい店から行こうか?」

「あ、いいの! 別に買いたいもの決まってるわけじゃないから、托也さんの買い物が先で」

 藍音に評された通り、優柔不断である自覚はある。特に目的もない買い物に連れ回したら、それこそ一日潰れかねないこと請け合いだ。

「そっか? じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 托也さんはぱちぱちと目を瞬かせたけど、特に否やと言うことはない。目的の店があるのだろうショッピングモールの方向へと歩み始める。

「え、っと……托也さんは、何を買いに来たの?」

 その隣を歩きながら、私は随分と高い位置にある托也さんの顔を見上げた。

「ああ、俺も服とか、その辺り。あとは本屋も覗こうかなと思ってたけど、行くと長いし、流依を付き合わせるのもな」

 本屋。その単語に私の表情は一気に輝き、首を振る。

「私も行こうと思ってたから」

 その台詞に今度は托也さんの表情が輝く。

「そっか、さすが流依。持つべきものは本好きの妹分だ」

 言いつつ、頭を撫でてくる。

 妹分。

 笑ってくれることも、触れた手も、とても嬉しいのに。胸がずきりと痛んだ。

 今さら、そんなことを気にしていてどうするのか。私は年の離れた従妹で、托也さんにとっては妹みたいな存在でしかないって、知っていたのに。

 しばらく二人で歩き回って、いくつかの店で買い物を済ませる。さすがに二人とも疲れが見え始めて、ショッピングモール内の手近なカフェに入り、休憩することにした。

「いやー、あの作家の本を買い逃してたなんて、気づかなかったらショックだった。教えてくれてありがとうな、流依」

「ううん。托也さんも好きなことは知ってたから」

 飲み物とお菓子を注文して待つ間、先ほど寄った本屋で見つけた本について語らう。托也さんが好きな作家の新刊が発行されていたことを知らなかたらしく、たまたま私が話題に出したことで購入できたのである。

 ほぼ総ての著作を持っているぐらいには、私もその作家が好きだ。だから、托也さんが好きだと知った時はとても嬉しくて、よく覚えていたのだった。

「これ、流依はもう読んだ?」

「読んだよ。面白かった」

 胸の痛みは消えないながら、こうして共通の趣味のことで話せるのは嬉しい。

「まじか、さすが早い。じゃあ読み終わったら感想言い合おう」

 早く読みたくてうずうずしているらしい様子に笑いながら、私はしっかりと頷いた。托也さんに会えるチャンスをむざむざと捨てるような真似はしない。

 その返答に托也さんがあまりにも嬉しそうに笑うので、勘違いしてもいいかなあとか、都合よく考える。先ほど言われたことを未だに気にしているくせに、まるで忘れたみたいに。

 少しだけでいい。夢を見たかった。叶わなくても、受け入れてもらえなくても、托也さんが好きだから。

「悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ。もし来たら先食べてて」

 少しして、托也さんはそう断りながら離席する。返事をしつつそんな姿を見送り、彼が戻るまでの暇を潰そうとスマホを取り出した時。

「ねえ、隣のテーブルの男の人、めっちゃイケメンじゃない?」

 隣のテーブルにいたらしい女の人たちの会話がふとした隙に聞こえてきてしまい、身を縮める。

 彼女たちがこの後に続ける言葉なんて、容易に予想がつく。何度かそういうことがあった。だから、聞いてはいけないと思うのに、耳を塞ぐこともできない。

「でも女の子と一緒だよ」

「いやーあれはどう見ても妹ってところでしょ。まあ別に付き合いたいとかはないけど、目の保養だよねー……すごい」

 ああ、やっぱり。

 か細い息が、ほんの少しだけ開けた唇の隙間から抜けていく。

 声は潜められている上、内容も別に悪意のある内容じゃない。

 でも、だからこそ、強く胸が軋んだ。

 本人からも『妹分』と称され、他人からも妹に見えると言われ。やっぱりこの恋心なんて分不相応なのだろうかと考え始めてしまう。涙がにじまないようにするのが精一杯だった。

 分かっている。ようやく高校生になろうとする私は、托也さんやその年代の人たちから見れば、充分に子供なんだって。

「流依?」

 どれぐらいそうしていたのか、自分でもよく分からなかった。托也さんの声が聞こえてきて驚き、顔を上げる。

「どうした? 具合悪いか?」

 心配そうにしているから、私の顔色はよっぽど悪かったのだと思う。

「……ううん、大丈夫。隣からちょっと過激な話が聞こえてきて、びっくりしただけ」

 にこりと笑って首を振った。幸い、先ほどまで隣のテーブルにいた女の人たちは店を出ていたようなので、申し訳ないが方便に使わせてもらう。

「あー……聞きたくなくても聞こえてくるときあるよな」

 私の言葉を疑う様子もない托也さんはそれを信じてくれたようで、苦笑ぎみに頷いていた。

 ちょうど注文の品が届いたので、幸いなことに話がうやむやになってくれる。

 ケーキを食べて、お茶を飲んで、今度は私の買い物に少し付き合ってもらって、一緒に服を眺めて。まるでデートみたいだ、なんて、虚しいことを考える。

「ありがとう、わざわざ送ってもらっちゃって……」

「いいんだよ。女の子なんだし、危ないだろ」

 微笑んでくれる托也さんに、「まだ子供なんだから」とは言われなくて、ほっとした。もう少しだけ、幻影に浸っていたかったのだ。

 最寄り駅からの見慣れた道のりを一緒に歩いている、ほんの少しの違和感。それが少し楽しくて、笑う。

「ん? どうした、楽しそうだな」

 それを見たのか、托也さんも釣られたように笑って首を傾げた。

「一緒に歩いてるのが、楽しくて」

「歩いてるだけなのに?」

「うん。だって、托也さんと一緒だから」

 言ってしまってから、どこか告白じみていたことに気づく。

 動揺で目を泳がせながら托也さんを見上げると、案の定、彼はわずかに驚いた顔をしている。

「……、普段一緒に歩かない相手と歩くのは物珍しいしな」

 数拍の沈黙の後、何事もなかったかのように笑う托也さんは、ズルい。逃げ道を用意する優しさを見せてくれているのだと理解しているけれど、それでもやっぱり、ズルいのだ。

 頭のいい彼のこと。今の間は、私の気持ちを正確に図ったがために生まれたものだろうと察しがつくのに。

「ちがう、よ」

 言ったら後悔する。分かっていた。

 そうだとしても、この想いを、なかったことにはしてほしくなかったのだ。

「托也さんだから、嬉しいんだよ」

 口にした瞬間、托也さんは言葉を失ったような顔で私を見る。

「……托也さんが、すき……だから」

 こんな道端で、何の心の準備もなしに言うことになるなんて、思ってもみなかった。

 先ほど以上の沈黙が流れる。

 当然だ。托也さんにとっては迷惑でしかないだろう。ただの『親戚の子供』に、こんなことを言われたところで。

「流依。……ごめん、気持ちはすげえ嬉しいけど、」

「分かってる。こっちこそ、ごめんなさい」

 それ以上、聞きたくなかった。泣かないようにするのに必死だった。

「迷惑、だったよね」

 どうにか絞り出して走り始めようとする。

 目には涙の膜が張っていて、今にも決壊しそうなのが自分でも分かった。そんな顔を托也さんに見せたら、困らせるに違いない。もうこれ以上は、彼に気を遣わせたくなかった。

 でも、そんな私の腕を、托也さんはしっかりと捕まえた。

「流依、違う……! 迷惑とかじゃなくて……っ!!」

 初めて聞くかもしれない焦った声。何かを必死に言い募ろうとしているのは分かったが、結果が変わらないなら私にとっては同じことだった。

 掴んでくる手を振り払おうとしたが、彼は思った以上にしっかりと掴んでいるようでびくともしない。

「離して! 私なんて、子供で……どうでもいいと思ってるんでしょ!」

 こういうことを言うから子供なのだ。冷静さを残した部分ではそう思うのに、溢れてきた涙は止まらなくて、みっともないほどに流れ落ちていく。

「そんなわけないだろ! 違う! でも、だって、俺たちは……!」

 彼は怒ったように声をわずかに荒らげて、そして、はっとしたように黙ってしまった。

 だって、何だというのだろう。

 見張った目から、残っていた雫が頬を伝って流れて、地面に滴っていく。

 托也さんは真っ青な顔で硬直し、言葉を失っていた。

 彼はきっと、もうこれ以上何を言うことはないのだろう。私はその様相から察した。

 緩んでいた手を今度こそ解いて、走り始める。

「流依!」

 それにようやく硬直が解けた托也さんの声が追いかけてくるのは分かっていたが、振り返ることはできなかった。

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