表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四つ葉のクローバー  作者: 汐月 羽琉
第一章 かなしみ
3/8

心を覆うもの

 父の実家の後、母の実家を訪ねて、帰宅の途につく。父と母が談笑しているのを眺めつつ、私は友人に連絡を取っていた。

 『今から行ってもいい?』という私からの言葉は、なかなか読まれる様子がない。

 相手は、幼稚園生時代からの幼なじみである、川崎(かわさき)藍音(あお)

 藍色の音、で、あお。綺麗な名前だと思う。彼女のご両親はそれなりに有名な音楽家であるためか、『音』という字を使いたかったらしい。

 そういうご両親を持つ藍音自身もフルート奏者で、頻繁にレッスンに通っている。彼女には托也さんへのことを明かしているので、会えたことを直接話したいのだが、レッスンがあるとそれは難しい。

 だから確認の意味で連絡を入れたのだが、しばらく経っても返事がないから、今日はやっぱりレッスンの日だったのだろう。そう判断して、持っていたスマホを仕舞おうとしたときだった。

 軽快なメロディが鳴ると共に、通知が画面に表示された。目的の人物からの返信が届いたのだ。

 可愛らしいスタンプが了承の意思を伝えてくれたので、少しほっとして笑った。

「藍音の家、行ってくるね!」

 自宅に到着し、車を降りると同時に駆け出す。

「車には気をつけなさい! それと夕飯には間に合うように帰ってきなさいね!」

 止める間もなかったらしい両親の呆れ顔が視界の端に掠めた気がしたが、そんな声が追いかけてきただけだったから、感謝しよう。

「はーい!」

 返事をして、さほど離れていない藍音の家までそのまま駆けた。

 いつ見ても大きい家だなあ、と弾む息を宥めるように見上げながら、インターホンを鳴らす。

「あ、流依! 入って!」

 すぐにドアが開き、藍音に招き入れられた。お邪魔しますと声をかけて靴を脱ぐ。

「ご両親はまた公演?」

「うん。でも今日は兄さんいるから二階行こう」

 竜生(たつき)さん、今日はいるのか。大学生である藍音のお兄さんだが、あまり自宅にいないことも多いから、久しく顔を見ていない気がする。ちらりとリビングの扉を見遣ってから、彼女の後ろをついていく。

「何ー、兄さんが気になるの? まあ托也さんと友達だもんね」

 そして、その様子はしっかり見られていたらしい。にやにやと笑っている藍音に真っ赤になった。

「そ、そんなんじゃないから……!!」

 そう。世間というものは狭いもので、托也さんの親友の妹が私の親友という状況であるのだ。

 もちろん、初めて知った時には驚いた。だって、藍音に会いに家を訪ねたら、托也さんと鉢合わせしたことがあったから。あまりのことに意識が飛びかけたので、今でも藍音にはからかわれる。

「へえ?」

 未だに楽しそうな表情を崩さない藍音が、若干憎たらしい。

「托也さんの情報、聞き出していったら?」

「だからそんなんじゃないって……!」

 二階の突き当たりにある藍音の部屋に着くまでたっぷりとからかわれ。勧められたクッションに腰を下ろす頃、私は既にぐったりとしていた。

「で? 今日は托也さんに会えるかもーって言ってたよね。何があったの? 進展した?」

 キッチンから私の好きなリンゴジュースを持ってきてくれる優しさはありがたいが、いかにも楽しそうな表情で藍音はぐいぐいと突っ込んでくる。

「すっごい楽しそうだね……」

 お礼を言って受け取りながらも、少し苦笑いした。

 彼女の瞳は輝いていて、私が話すことをわくわくと待っているのが丸分かりだ。

「当然! 恋バナ食べて生きてるので」

「それ主食なの……?」

「話を逸らさない! 自分から会いに来たんだし」

「そうなんだけどぉー……」

 托也さんに会えたことは、嬉しい。

 でも、なんだかもやもやするのだ。これは絶対に、両親のあの不可解な行動のせい。

 向かい側のクッションに座りつつ、藍音は楽器を取り出して手入れをし始めている。私が煮え切らないせいで手持ち無沙汰になったらしい。

「またお得意の優柔不断? 流依っていっつもそうだよね。一度決心したくせに、それからもうだうだ悩むの。悪い癖」

 ぐさりと刺さるようなことをはっきり言ってくれるので、弁解の余地もない。

「う……。分かってるもん、自分でも」

 ただただ唸ることしかできず、言葉に詰まり、ぱたりと目の前のミニテーブルに突っ伏した。

 藍音は昔からずばずばと言うタイプ。その上、意見が的を射ていると思うから、何も言い返せないのである。生来言い争いが苦手であるので、私が圧倒されてしまうのもあるが。

「このままじゃ告白するって決めた後もさ、きっと悩んでそうじゃない? やっぱりやめようかな……でも……って感じで」

「……う」

 それもまたその通り。

「私は藍音みたいに強くなれないよ……」

「何ソレ。あたし、別に強くないよ。残念ながら」

 器用に片眉を上げて肩を竦める藍音を見上げると、目が合った。

 その瞳は芯がしっかり通っている。昔から意思が強そうな目をしていた彼女は、その外見に過たず、正しいことは正しい、間違いは間違いだと言い切れる人だった。私にとっては憧れで、だからずっと強いと思っているのだけれど、本人は違うのだという。

 私が信じられないようにしているからか苦笑いでもう一度肩を竦めて、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「それにさ」

 覗き込んでくる表情は真剣である。

「自分のことを弱いって思うなら、強くなりな。誰にも文句を言われないぐらいに」

 ほら、やっぱり、強い。

「何があったの」

 改めて問われ、私はようやく勇気を振り絞りながら上体をテーブルから起こした。

「托也さんは、いつも通りだった。でも」

「でも?」

「親が、ね」

 ああ、と納得したような顔をしている彼女も、私が常々不思議に思っていることを知っている。

 私が托也さんと関わりを持つたびに必ず訊かれる内容。答えに耳をそばだてている父。

 父が気にしているから、母は多分私に訊いてくるのだ。つまり、何かあるのだとすれば、私の父と托也さんの間に、なのである。

「確かに、変だよね。まあ、親御さんにも何かしらの考えがあるんだろうけどさ」

 ピカピカに磨き上げられた楽器が、窓から差し込む夕日を反射してきらりと光った。

 考えに沈んだ私の顔が一緒になって映り込んでいるのを何とはなしに眺めながら、彼の笑顔を思い浮かべる。子供みたいなあの顔を。

 そして次に浮かんだのは、何とも言い難そうな、母の複雑な表情だった。

「……でも」

 言葉がぽろりと口の端から(こぼ)れ落ちる。

「ん?」

「何となく、いい話じゃない気がする」

 目を見張る藍音。私は告げたことをほんの少し後悔しながら、またも突っ伏した。

「……何でそう思うの?」

「親子だから、ってしか言えないかも。……あんまり根拠はない」

 野生の勘がきっと一番近い。こうだから変なのだ、と述べられたらいいけれど、生憎と上手い言葉は全く浮かんでこない。

 怪訝そうな顔をしていた藍音も、私の説明に納得したようにして、手入れの終わったらしい楽器をケースへと戻している。

「その人たちの間でしか成り立たないコミュニケーションってあるからね。親子に限らず」

 彼女の台詞に頷いて、私も座り直した。

「だから……私からは、なるべく触れたくない」

 私が知りたいと思って母に尋ねることで、やぶへびのようになるのは避けたい。違和感は、それこそ数年単位で抱えているものだ。今さらわざわざ掘り返さなくたっていい。

「……そっか。流依がそれでいいなら、あたしは何も言わない」

 それを聞くと、藍音は優しく笑って、また頭を撫でてくれる。

 厳しいことを言っても、最終的にはこうして私の味方でいてくれる。そういう藍音が、私は大好きだった。

「うん。ありがとう、藍音」

 あるいは家族よりも互いをよく知っているかもしれない親友は、ただ笑って首を振ってくれた。



「ただいま」

 ご飯時になる前に藍音の家からはお暇し、自宅へと戻った。

「おかえり」

 キッチンの方向からは、母の声。リビングでは父が新聞を広げている。

 二人の様子は、もういつも通りだ。車で見せたような謎めいたものは存在しない。

 私はそれを確認してから、ゆっくりと階段を上り始めた。

 卒業式も終わり、高校にも無事入学できることが確定している私は、今は中学校最後の春休みを謳歌しているところだ。いつ解決するかも分からない悩みを抱えるよりは、たとえば通学に使うバッグはどういうものにしようとか、制服が出来上がるのが楽しみだとか、そういう目先のことで頭をいっぱいにしていたい。

 通う高校は残念ながら托也さんの母校ではないが、それなりに大変だった受験を思えば、通うことができるというだけでほっとする。

 クラスに馴染めるだろうか、友達はできるだろうか。期待と不安が入り交じる。いや、藍音も高校は音楽家のある別な学校に通うために離れてしまうし、どちらかといえば不安のほうが大きいかもしれない。

 それに、決して勉強が得意とは言えない私だ。高校の授業についていけるだろうか。

 従兄妹同士なのに、托也さんとは似ても似つかない成績である自分が情けない。

「托也さん……」

 小さく呼ぶと、心臓が跳ねて落ち着かなかった。

 次に会えるのはいつになるのだろう。私のことはやはり妹みたいにしか見ていないのだろうか。彼女はいるのだろうか。いや、いないわけがない。でも彼女ができたなんて聞かないし。つらつらとまとまらない思考がいくつも押し寄せる。

「勉強、みてほしいって、頼んでもいいのかな……」

 一人きりの自室で、その呟きに応じる人は、当然誰もいなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ