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四つ葉のクローバー  作者: 汐月 羽琉
第一章 かなしみ
2/8

大好きな人は

流依(るい)、用意はできたのー? 行くわよ!!」

「もうちょっとー! 待ってて!!」

 呼び声に言葉を返して、姿見の前に立つ。

 すると、いつもと変わらず、どこか地味で垢抜けない女の姿がそこにはあった。見慣れた自分の姿である。

 はあ、とため息をついて、鞄を持った。

「流依ー、まだなの!?」

 時間がなくて苛立っているとき特有の、若干ヒステリックな母の声が響く。

「今行く!!」

 私はそれにほんの少し肩を竦め、ぱたぱたと階段を下りた。

「遅い!」

 案の定、怖い顔をして立っている母の姿がそこにはあった。

 こういう時は余計な言い訳はしないのが賢明。口答えしたらその分だけ機嫌は悪くなるし、そういう私たちの姿を見て父まで苛々とした空気を纏い始めるから。今までの経験上分かりきっていることなので、素直に謝るとする。

「ごめん」

「お父さんは車で待ってるから、早くしなさい」

「はあい」

 靴を履いてから玄関を出て、エンジンをかけて停まっている車に乗り込む。母の言う通り、父はすでに運転席に座っていた。

 遅れて家の鍵をかけて出てきた母が助手席に乗って、車は滑らかに出発する。

 今日は、春の彼岸の中日。我が家では恒例の、親戚回り――とはいえ、そんなたいそうなものでもない。行き先といえば、両親の実家ぐらいのものである。仏前に参って、近況を少しだけ話し合って帰るのだ。

 孫の私としては、お彼岸がどうこうというより、顔を見たがっている祖父母たちに会いに行く日。

 父は、こういう「どうしても」という機会でもない限り、自分の実家には寄り付こうとしない。母の方は、まめに実家に帰っては、祖母や隣町に住んでいる叔母たちとおしゃべりをしてくるようだけど。

 父は祖父――父の父だ――と、壊滅的に仲が悪い。というよりは、一方的に父が祖父を嫌っている様子だ。同じ空間にいても一度も目線が交わったところを見たことがない。祖父の側は、たまに父の顔を窺うようにしているのだが、父は知ってか知らずか無視している。

 それは昔から母も私も知っているので、寂しがる祖母のためにもこうしてきっかけを作り、定期的には訪れるようにしていた。

 個人的には、とある理由もあって、それはとても寂しい。

 別に、父に内緒で、自分だけで会いに行けばいいのだ。私自身、それは分かっている。でも、万が一、祖父と会ったことを父に知られてしまった場合を思うと気が重くなって、なかなか実行できない。

 前に一度だけ、一人で祖父母の家を訪ねたことがあるのだ。後々それが父に知られ、露骨に不機嫌になった。そしてその様子を隠しもしないので、家庭内の雰囲気は最悪となったことを苦々しく覚えている。

 自らの家なのに全く気が休まらない状況なんて嫌だし、何の非もない母にまで嫌な気分を味わわせるのも御免だった。

「先にどっち行くの?」

野上川(のがみがわ)

「ふうん……」

 母の端的な応答に相槌を打つ。

 その地名は、私たちが住んでいる町でもあるし、父の実家のある町でもあった。私の家は南端にあるが、父の実家は北の方面に位置しているから、同じ町とはいえ、距離はあるけれど。

 両親には気づかれないよう、小さくガッツポーズをする。ちらりと確認すれば、二人は何かを真剣に話し合っているようで、こちらを見てはいない。

 こっそり息をついて、無意識ににやにやしてしまう顔を鞄から取り出していた本で隠した。内心の喜びがあまりにもわかりやすく外に出てしまうのはまずい。

 とはいえ、気分が高揚していくのは確かだ。

 父方の祖父母の家。そこには従兄の托也(たくや)さんが同居している。ご両親が早くに亡くなって、祖父母が親代わりになって育てたと聞いていた。托也さんのお父さんが、私の父の兄に当たる。

 彼は昔から私を気にかけてくれて、よく一緒に遊んでくれた。幼い頃から大好きで大好きで、年に数度しか会えない中、その日を指折り数えていたぐらいだ。


 そう。私は、彼に恋をしていた。


 親戚だとは分かっているけれど、感情は止められない。

 第一、従兄を好きでいては駄目だという法律はない、なんて、言い訳のようなことを心中で呟く。

 綺麗な顔立ちをしていて、そして優しくて、昔から男女の隔てなく人気者だった姿を、私もよく知っていた。中高では生徒会長を任されたぐらいには人望があった。

 だからか、いつもスタイルが良くて美人な女の人たちが托也さんを囲っていたように思う。彼はそういうときは困ったような顔をしていたけれど。

 そんなどう考えても選り取り見取りの状況で、私を選ぶわけがない。五つも年が離れていて、控えめに言っても凡庸な顔立ちの私なんて。

 この想いが叶わないだろう理由の総てを理解した上で、それでもずっと、私は彼のことが好きなのだ。会えるだけで浮かれ、話せるだけでも舞い上がってどうしようもないくらい。

 もうすぐ会えるとなると、心臓が痛いくらいに跳ねた。


 しばらくして目的地に到着し、父が呼び鈴を鳴らす。

「はいはい、ちょっと待ってね」

 声と共にまず祖母が出てきて、それから祖父が姿を見せる。

 二人とも嬉しそうで、満面の笑みだ。最後に来たのはお正月だから、再会できたことが嬉しいのだろう。私も元気な二人の顔が見られて嬉しい。

「いらっしゃい。流依ちゃん、ちょっと見ない間に可愛くなったねぇ」

 祖母の欲目の褒め言葉には、けらけらと笑ってお礼を言う。自分が地味な方であるのは重々理解しているため、勘違いはしない。

 玄関先で軽い挨拶を済ませ、仏壇にお参りし、居間へと移動する。その途中、祖母がはっとしたように手を打った。

「そうだ、流依ちゃん。今日は托也もいるよ」

 幼い頃から托也さんにはなついていたから、祖母にはそのイメージが強いらしい。

 不意に出された名前に、私の心臓はどくどくと強く暴れ始めた。

「托也、托也ー!! 流依ちゃんたちが来たよ!」

 おばあちゃんが上階に向かって数回声をかけると、俄にばたばたと騒がしくなる。遅れて聞こえてくるのは、階段を駆け下りる音だ。

「流依が来たってー? ……あ、ほんとだ。久しぶり、流依」

 私の姿を認めた瞬間、優しい笑顔を浮かべる。私はその表情が大好きだった。

 この人こそが、托也さん。井上托也さん。

「ちょっと背ぇ伸びたか?」

「伸びてないしもう伸びない! 托也さん、私に五センチちょうだい!」

「あはは。五センチもあげたら、俺もちっさくなっちゃうから却下で」

 私の突拍子もないお願いに楽しげに笑ってくれたので、嬉しさのあまり、一瞬にして顔がかあっと熱くなった。

 でも、鈍い托也さんは気づいていない。そもそも恋愛対象として見られていないことも一因だとは思うけれど。

 現在二十歳の托也さんから見たら、まだ中学生である私なんて『子供』で、最初から眼中にない。妹扱いも当然だ。

 高い背、長い脚。整った顔、優しげな瞳。耳に心地よく響く低めの声。しかも成績優秀で、有名な国立大学に首席で入学したほどの人だ。将来もいろんな人に期待されていて、外交官になりたいのだと聞く。これでモテない方がおかしい。

「漫画でも読む?」

「う、うん……」

「よっしゃ。じゃあ、おいで」

 祖父母と両親に退席することを伝えてから、お言葉に甘えて托也さんの後を追い、階段を上る。

 向かうのは、元々誰も使っておらず空いていたところを、托也さんが書庫代わりにしている部屋。托也さんのお気に入りの場所らしいが、私にとってもそうだ。私も読書好きであり、結構な数の本を所有しているけれど、托也さんには敵わない。壁に並べられた本棚いっぱいに本が並んでいる。

「また増えた?」

「んー、漫画をこないだどさっと買ったからなー」

 難しそうで私にはとても手が出ないような洋書とか、昔よく読み聞かせてもらった絵本とか。漫画もあるし、映画の脚本などもある。この部屋にある本は、多種多様だ。

「どれ?」

「これこれ」

 差し出された一冊に、私の目は輝いた。

「あっ! これ、私も気になってたやつ! 借りていい?」

「もちろん。読んでいきな」

 お言葉に甘えて、座布団の上に座ってからページを繰り始める。

 托也さんと私の本の好みはだいぶ似通っていた。私の読書好きは托也さんから影響された部分が大きいこともあるだろう。

 だから、この部屋に外れはほとんどない。托也さんが面白いと思って買った本なら、十中八九私も面白いと感じるはずだ。

 私が手の中にある本に夢中になり始めたことに、托也さんは気づいたらしい。彼も手近な本を一冊棚から抜き出して、静かに読書を始めている。

 しばらく、互いに干渉しない、静かな時間が流れた。托也さんも私も集中に入るのは早い方だった。

 少しして一巻を読み終えた私は、興奮気味に本を閉じる。それを待っていましたとばかりに托也さんが目を輝かせながらこちらに近づいてきた。

「気に入った?」

「めちゃくちゃ! このシーンかっこいい……!」

 勢いよく頷くと、彼の表情が更に輝いたのがわかる。

「俺もそこ好き。やっぱいいよな?」

 二人とも同じ感想を持った。その事実だけで、元々速いテンポで刻まれていた私の心臓の鼓動が激しくなる。

「すっごくいいよ! この表情と相まって、ものすごく胸に来る……一巻目なのに怒涛の展開すぎてびっくりした」

「やっぱそう思う? 流依なら分かってくれると思ってた」

 他にはこのシーンが好きだとか、このキャラクターが大好きだとか。そんなふうに語り合う時間が愛しい。

 皆の前では『完璧な人』の姿を崩さない托也さんが、まるで子供みたいに無邪気な顔をこの時は見せてくれるのも嬉しい。私だけの特権みたいで。

「そういえば、もうすぐ流依も高校生になるんだよな。早いなあ……この間中学に入ったと思ったのに」

 ひとしきり語り合ってから、ふと托也さんは呟く。

 私はその言い方に思わず笑ってしまった。

「托也さん、まだ若いのにじいちゃんばあちゃんみたいなこと言わないでよ」

 くすくすと笑っていると、彼はそれに少しだけ照れ臭そうに頬を搔いて、同じように笑う。

「でも、本当にそう思うんだよ。小さい頃から見てきてるし」

 慈しむような色を湛えた目が覗き込んできたので、私は一瞬にして落ち着かなくなった。

 大切にされている、とは、思う。ただしそれが『妹のような存在として』であることを、痛いほどよく分かっていた。

「……ありがと」

 震えそうになった声を何とか抑え込んで笑うことができた自分を、褒めてあげたい。いつも通りの声色で応じられたはず。

 でも、托也さんはほんの少し訝しげな表情をして、私の顔を見ていた。

 彼は人の機微に鋭いほうだ。恋心を誤魔化そうとしたことがバレてしまっただろうかと息を詰めかけたところで、それを遮るように響いてきた声があった。

「流依ー! 帰るわよー!! 早くしなさい!」

 お母さんだ。

 いつもだったら、夢のような時間の終了を報せるその声がちょっとだけ恨めしくなるのだけれど、今回に限ってはいいタイミングで声をかけてくれた。私の父が時間にとにかくうるさい人間であることを知っている托也さんは、もう帰るという状況であれば、引き止めづらいだろうから。

「はーい!! ……じゃあ托也さん、またね」

 名残惜しい気持ちを隠しながら、笑顔で別れの挨拶をする。

「ああ、また来いよ。次までには全巻揃えとくから」

「やった! ありがと!! ばいばいっ」

 やはり、托也さんはそれ以上追求してくることはなかった。私は笑顔のままで頷いてから手を振り、部屋を出た。

 そのまま廊下を軽く駆けてから下りる直前で振り返ると、托也さんが部屋の入り口から顔を出して手を振ってくれていた。

 それにもう一度振り返してから、階段を急ぎ足で下りていく。

 待っていた両親と共に祖父母にも別れを告げて、私は外へ出た。

「……流依。托也くんと何を話してたの?」

 車に乗り込もうという時、母が不意に尋ねてくる。

「えー? 別に、特に何も。いつもみたいに本の話だけだよ?」

 そう答えると、彼女は何とも言い難い、不思議な表情になった。ほっとしたような、がっかりしたような。相反した感情がぶつかり合ったもの。

 怪訝に思う私を置いてきぼりにして、さっさと車に乗ってしまった。仕方なく、私も車に乗り込む。

 ――いったい、どうしてだろう。父と母は、祖父の家に行くと、いつも托也さんのことを気にする。私が托也さんのところから帰ると、必ず母が訊いてくるのだ。「托也くんと何を話したの?」と。

 父は何も訊いてこないけれど、耳をそばだてているのを知っている。

 そしてそれに常に同じ返答をしながら、私自身も訊けない言葉を呑み込むのだ。

 どうして托也さんだけがお父さんの実家に住んでいるの、と。

 私は、托也さんの両親に実際に会ったことがない。少なくとも物心ついて以降、たったの一回も、である。

 父の兄、つまり私の伯父に当たる人が父親であることと、その伯父が早くに亡くなっていることは知っている。仏間には伯父の写真もあるから。托也さんが何度か話題に出してくれたことがあって、会ったことのない伯父は穏やかで優しい人だったことも知っている。

 だが、托也さんは母親については触れたことがない。

 仏間には曾祖父母の写真と伯父のものしか写真がないから、存命である、のだと思う。托也さんとは一緒に住んでいないだけで。

 伯父とは離婚したから托也さんとは一緒にいないのか。それとも他の理由があるのか。私は、ずっと尋ねることができずにいる。どこかタブーであるような気がしていたからだ。

 こっそりと、お父さんとお母さんを盗み見た。

 二人は何かを話し合っているが、声が小さすぎて私には聞き取れない。

 逆に言えば、私に聞こえないように話しているということで、いくら耳を澄まそうと無駄なことだ。社内に流れる音楽の音量が不自然でない程度に上がっている。この両親は、昔から内密な話をするときはそうだった。

 小さくため息をついて、窓の外を見遣る。

 分からないことを考えても仕方がないのだ。自分に言い聞かせるように心中で呟いた。

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