第99話 校長室にて
そりゃ最初は王都へ行きたくないって言って散々駄々をこねたけど!
だからといって、入学したばかりで退学になってうちに帰るなんて!
いくらなんでもそれはあんまりだ。
お父様にもお母様にも、それに領民にも合わせる顔がないよ!
校長先生からの呼び出しに蒼白になって立ち尽くす私を見かねたのか、クリス様はスッと席を立って私の方へやってきた。
「きっと大した用事じゃない。俺も付き添ってやるから心配するな。大丈夫だ」
そう言ってクリス様は私の背中をそっと押して席へと誘導し、椅子を引いて座らせてくれた。
「僕も一緒に行くよ。家の事情で緊急事態だったことは僕からも証言するから」
「は、はい……。クリス様、お兄様、よろしくお願いいたします」
2人が一緒だと少しは心強いけど……。
ついさっきまでマルティーナとダニエルの婚約でほのぼのしていたというのに、一転してこんなことになるとは……。
校長先生に、何を言われるんだろう。
不安な夜が明け、私はクリス様とお兄様に付き添ってもらい、重い足取りで校長室へと向かった。
校長室の重厚な扉の前に立つだけで、禍々しいオーラに気おされて足が竦む。
コンコン。
私は震える手で校長室の扉を小さくノックした。
「お入りなさい」
中から返事が聞こえると、お兄様がサッと扉を開けてくれた。
「しっ、失礼、いたします……」
「マルチェリーナ・プリマヴェーラさんね。私は校長のマーゴ・ミネルバよ。あらあら、クリスティアーノ殿下にチェレスティーノ君までどうしたの?」
大きな机の向こう側に座るミネルバ校長は、美しい白髪が上品な老婦人だ。
「私たちは妹の付き添いで参りました。昨日のことは僕からもご説明させてください」
お兄様が早速口添えしてくれる。
「昨日のこと? 何かあったのかしら?」
ミネルバ校長は心当たりがないというように首を傾げた。
「妹は、家の事情で外出せざるを得なくなりまして……、そのことでお話があったのでは?」
「あらまあ、そんなことがあったの。それは大変だったわね。でも今日は違う話なのよ」
え、違う話なの!?
ほーーーっ……、退学にはならないんだ……っ!
よかったあー!
私が思わず安堵のため息を漏らすと、ミネルバ校長はいたずらっぽく微笑んだ。
「ほほほ。怯えさせてしまったかしら? それにしても、あなた達兄妹を見ていると、あなた達のお父上を思い出すわねえ。チェーザレ君は、私の長い教員人生の中でも群を抜いて印象に残る生徒だったわ」
「父がですか?」
お父様の話が出ると、お兄様は誇らしげに目を輝かせた。
それは、魔法学院始まって以来の超優秀な生徒としてってことですよね!
私たちのお父様はやっぱりすごい!
「ええ、そうよ。特に、この魔法学院の校舎が危うく焼失しそうになったときには、本当に肝が冷えたわねえ。あれは生涯忘れられそうもない出来事よ」
はっ!?
なにそれ、詳しく!
「えっ、校舎がですか? 何があったのでしょうか?」
「実践魔法の時間に、演習場で担当教授から全力を出せと言われたそうでね。それで本当に全力を出したら演習場が大変なことになったのよ、ほほほ」
ほほほって。
「な、なるほど」
「あの時は水魔法の教授や生徒達が総出で消火にあたってね。なんとか演習場と、校庭の木立だけの被害で済んだのよ」
演習場は丸焼けだったんだ……。
お父様って実は問題児だったんじゃなかろうか。
そういえば、魔物相手に全力で火魔法を放ったときは、危うくエスタの街まで燃え広がりそうになったんだよね。
その時に比べれば、お父様の中では手加減した方なのかもしれないけど……。
「それは……、父がご迷惑をおかけしました」
お兄様の謝罪の言葉に合わせて、私もペコリと頭を下げた。
うちのお父様がすみません……。
「あら、ただの思い出話よ。謝る必要はないわ。それでね、マルチェリーナさんには別の用事があるのだけれど」
……別の用事って、まさか別の悪事がばれたとかじゃないよね?
私もお父様に似て、自覚なくやらかしちゃうタイプだったらどうしよう。
「は、はい。何のご用でしょうか……?」
私は恐る恐るミネルバ校長に尋ねた。
「創立記念パーティのことよ。あなたからパーティメニューを提案したんですって? 料理の作り方やら何やら、当日のことを事前に打ち合わせたいと王宮料理長から手紙が届いたのよ」
「ああっ! その話でしたか!」
なあんだー!
寿命が縮んだよ、もうー!
「……その話か」
「その話ならわざわざ付いて来ることもなかったね」
クリス様、お兄様、いろいろ文句はおありでしょうが、校長室を出るまで静かにしててくださいね?
私1人で聞いたら忘れるかもしれないし、しっかり要点を覚えていただけると助かります。
「それで、今度の週末に何人かで訪ねて来たいそうなのだけれど、了承していいかしら?」
「はい、大丈夫です。お待ちしております」
私はにっこり笑って快諾した。
あ、ルイーザの予定はどうだろう?
まあ、大丈夫かな!
「もし手伝いが必要なら言ってちょうだいね。それから、宰相様からも手紙が届いて、余興にはどれくらいの時間がかかるのか、予め所要時間を伝えておいてほしいそうよ。あなた、パーティで余興をやるの?」
「は、はい。えーと、実は、余興についてはまだ準備中で……。おそらく1時間ほどではないかと思います」
「まあ、随分長いのねえ。お客様が飽きてしまわないかしら?」
ミネルバ校長は心配そうに眉を八の字に下げた。
でも映画って大体、短くても1時間半はかかるよね。
生の舞台だと、前半1時間半、休憩を挟んで後半1時間とかが普通だし。
それに、作品の出来には絶対の自信がありますのでご安心ください!
「クリスティアーノ殿下も出演されるんですよ。きっと、飽きることなく最後までお楽しみいただけると思います!」
「まあっ。クリスティアーノ殿下が余興を? それは大変興味深いわ。お客様もきっとお喜びになるでしょう」
あの、私の演技も見所なんですよ?
クリス様と私では知名度が違うから、期待値も低いだろうけど。
でもいいんです。
私たちの劇が公開されたら、あの新人女優は誰だと大騒ぎになって、そして一躍スターダムに!
ーーってことになる予定ですから。
「……ええ、不本意ながら、私も出演しています」
渋い顔のクリス様とは対照的に、お兄様は愛想よくミネルバ校長に微笑みかけた。
「内容はともかく、いろいろな意味でお楽しみいただけると思いますよ。今まで誰も目にしたことのない、新しい世界を垣間見ることになるでしょう」
お兄様!
私の脚本をそんなに評価してくれていたなんて!
「まあすごい。期待しているわ。それでは、宰相様と王宮料理長には、私の方から返事をしておくわね。もう行っていいわよ」
「はい。失礼します」
よーし、燃えてきたぞ!
今日の放課後の撮影に間に合うように、書いて書いて書きまくるよー!
それから私は、授業中に構想を練りつつ、休み時間を利用して執筆作業に取り組んだ。
今は昼休みを返上して図書室で書き終えた脚本を、サンドイッチをつまみながら読み返しているところだ。
うん、かなり上出来なんじゃないかな。
私がんばったよ!
ミネルバ校長をはじめ、いろんな人に期待されていると思うと、自分でも驚くくらい筆が進んだよね。
誰も悪くならない結末に向けて何とか辻褄も合わせられたし、自分としては大満足の出来だ。
「チェリーナ」
ふいに声をかけられて振り向くと、私の様子を見に来たらしいクリス様がいた。
「クリス様! いまちょうど書き終えて、読み返していたところなんです。クリス様もお読みになりますか?」
「ああ、読む」
まあ、大絶賛すると思うよ!
クリス様の反応にわくわくしながら、しばらく無言で脚本を読む姿を見つめていると、クリス様はおもむろに顔を伏せて肩を震わせ出した。
えっ……、もしかして……。
クリス様、泣いてるの!?




