第93話 マルティーナの危機
1時限目の授業を終えた私は、シーンと静まり返る図書室に篭って執筆作業に励んでいた。
「そして2人はーーー、うーん……」
つい先ほどまでカリカリと調子よく書けていたというのに、ここでピタリとペンが止まってしまった。
クリス様の意見を聞いてみたいけど、クリス様は授業中だしなあ。
なぜ私が授業にも出ないでこうして脚本を書いていられるのかというと、私にはなんと免除になっている授業が2教科もあるのだ。
いやあ、まさかのチェリーナ優等生説を聞いたときは自分でもひっくり返りそうになったわ。
学院側の説明では、学年ごとの合同授業である実践魔法は、属性ごとに分かれて受ける授業だというのだ。
そして、私の属性である創造魔法は、担当する教授がいない。
まあ、現在フォルトゥーナ王国で確認されている創造魔法使いは私1人だから、これは仕方がないんだけどね……。
「ううーん……」
私は2属性持ちだから、実践魔法の授業は火魔法を選択することも考えたんだけど……。
そうすると創造魔法と火魔法の力の差が大きすぎて、成績を評価するときに問題が生じるだろうと言われてしまった。
すなわち、創造魔法では優等の評価だけど、火魔法では劣等の評価になってしまうということだ。
もちろん私は、迷いなく優等生として生きる道を取りました!
何もしなけば高評価をもらえるのに、がんばって努力してわざわざ低評価をゲットなんて、やる気を出せって言う方が無理だよ。
そして、もうひとつの免除科目は、算術の授業だ。
こっちは入学して最初の週に、私の算術レベルが高度すぎるという話が浮上して、担当教授から教えられることはないと言われて免除になった。
さすがに2教科目は何もせずに免除という訳にはいかず、週に何回か算術の教授のお手伝いをすることが免除の条件だ。
お手伝いといっても、呼ばれた時におじいちゃん教授の話し相手をする簡単なお仕事だけどね……。
いや、そんなことより、いまは劇の結末を考えないと!
「うううーん、2人は……、どうしようかなあー」
さっきから私は、最後にクリス様が迎えに来て、私が許す場面でどういう行動を取るかで悩んでいるのだ。
「やっぱり、2人は最後に抱き合うんじゃないかな。それか、キキキキ、キスとかっ! でも、みんなの前でそんな……!」
私はカッと熱くなった頬を両手で押さえた。
(おい)
「恥ずかしいよーーー!」
(おい!)
ブンブンブンブン!
あ……、頭を振りすぎてクラクラしてきた。
(おいっ! いい加減にしろ!)
「あれ、マーニ? いつ来たの?」
いつの間にか机の上に乗っていたマーニは、もふもふの毛を逆立ててフシャーッと声をあげながら、自分の存在をアピールしていた。
(さっきから話しかけているぞ! 話を聞け!)
マーニは青い目を細めて私を睨み付け、ついでとばかりにノートまで踏み付けている。
話しかけてたの?
相変わらずの怒りんぼだな。
「話って何の話?」
(マルティーナが危ない。誰か助けを呼んでくれ)
「えっ、危ないって、どうして?」
庭ででも転んだかな?
(マルティーノの妻が産気づいた。その騒ぎに気を取られているうちに、マルティーナが家出をしてしまったんだ。嫌な予感がしてずっと見張っていたというのに、隙を突かれてしまった……)
「ええーーーっ! いっ、家出? なんで? どうして? 何があったの?」
まだ12歳のマルティーナが家出だなんて、いったいどんな辛いことがあったんだろう?
まさか、虐待されてるとかじゃないよね……?
(長々と経緯を説明している暇はないんだよ! マルティーナはプリマヴェーラ辺境伯領行きの乗合馬車にもう乗ってしまった。マルティーノは妻のお産で右往左往しているから、チェーザレに連絡してダニエルを迎えに寄越せ!)
「は、はひっ! 承知いたしましたっ!」
マルティーナがうちに向かっていると聞いて少しだけほっとした。
単にダニエルに会いたくなったのかもしれない。
「あーあー! おとうさまー! おとうさまー! こちらチェリーナ隊員、緊急事態です、どーぞー!」
私はポケットから通信機を取り出すと、早速お父様を呼び出した。
『ーーチェリーナ。今日はどうしたんだ? また美味い食べ物でも思い付いたのか?』
お父様、私そんなに食べ物ばっかり出してるわけじゃありませんからね!
「違いますよ! マーニが緊急事態を知らせに来たんです。サリヴァンナ先生のお産のどさくさに紛れて、ティーナが家出をしてしまったそうなんです。もうプリマヴェーラ辺境伯領行きの乗合馬車に乗ってしまったらしいです」
『なにっ、家出だと!? まさか、ティーナはジョアン侯爵家で辛い目にあってるんじゃ……』
やっぱりお父様もそう思う!?
婿養子であるマルティーノおじさまの連れ子ということで、サリヴァンナ先生が産んだ子どもたちと差別されている可能性も捨てきれない。
まさかとは思うけど、物置小屋に寝かされたり、下働きをさせられたり、食べ物をもらえなかったりとかしてないよね……。
「それで、マルティーノおじさまは当てにできないから、ダニエルを迎えに来させてほしいと言っているんです。お父様、ダニエルに迎えに行くよう言っていただけますか?」
『ああ、わかった。すぐに向かわせよう』
(急いでくれよ。プリマヴェーラ辺境伯領に繋がる街道には、この頃タチの悪い盗賊が出る。俺はマルティーナの元に戻って結界で守るが、反撃できる者が必要だ。じゃあな)
マーニは不穏な言葉を残して、目の前からふっと消えてしまった。
「えっ、盗賊が出るのっ!? マーニ、待ってよっ!」
『盗賊だと!? こうしてはいられない、ダニエルと一緒に何人か向かわせよう。いったん切るぞ!』
通話終了ボタンを押したブツッという音がして、そのままお父様との通話は途切れた。
「たたたた、大変だよーーーーっ! 私も助けに行かないと! 風魔法使いがいないと間に合わないよ! お兄様も呼んでっ!」
私は通信機を握り直して、思い切り叫んだ。
「おにいさまーーーー! おにいさまーーーーー! 早く返事してーーーーーっ! おにっ……」
『ーーチェリーナ、うるさいよ。授業中は連絡しないことになってるだろ』
通信機の着信音は、マナーモードにすることも可能だ。
こっそり通話ボタンを押してくれたらしいお兄様は、ヒソヒソ声で返事をしてくれた。
無視されなくて助かった!
「お兄様! 緊急事態なんです! ティーナが家出をしてしまったのですが、ティーナの乗った乗合馬車は盗賊の出る街道を通るそうなんです! 殺されてしまうかもしれません! 早く助けにいかないとっ!」
『ええっ!』
『プリマヴェーラ君、どうかしましたか?』
お兄様が驚きのあまり出してしまった声で、教授に気付かれてしまったようだ。
ブツッと通話終了ボタンの音がして、私たちの会話は途切れた。
「お兄様っ! ああっ、お兄様がいないととてもじゃないけど間に合わないのに!」
通信機を握りしめたままどうしようかと思案していると、手の中の通信機からブーブーと着信を知らせる音がした。
「お兄様!」
『チェリーナ! 校庭の隅で待ち合わせよう! 急げ!』
お兄様の声とともに、バタバタと廊下を走る音も聞こえてくる。
どうやら、授業を抜け出してくれたみたいだ。
「はいっ!」
私も急いで机の上のものをかき集めてアイテム袋につっこむと、そのまま図書室を走り出た。
マーニがいるからすぐに殺されることはないだろうけど、反撃の手段がないことが心配だ。
結界はどれくらい持つんだろう……。
「ティーナ! すぐに行くから、少しだけ待っていて!」




