第71話 忍び寄る影
「おい」
誰か呼んでる……?
気の……、せいか……、むにゃむにゃ……。
「起きろ」
「んあ? マーニ……?」
眠い目を無理やりこじ開けると、人型になったマーニが私のベッドのすぐそばに立っているのが見えた。
「ねむい……、あした……」
何の用か知らないけど明日でいいでしょ……。
「嫌な予感がする」
嫌な予感?
そんな漠然とした不安で寝た子を起こさないでほしいな!
「もうー、なんなの?」
話し切るまで出て行ってくれなさそうだね……。
私は渋々ながら身を起こしてマーニの話を聞くことにした。
「悪意を持った人間が近づいている。お前に危害を加えるかもしれない」
「ええっ!?」
なにそれ、一大事じゃない!
それを先に言ってほしかったな!
私が慌ててベッドから飛び降りると、マーニは呑気そうに言った。
「今夜はこないぞ。まだプリマヴェーラ辺境伯領に入っていないからな。アルジェント侯爵領とフィオーレ伯爵領の境の山道で野宿している」
「えっ、どうしてそんなことが分かるの?」
「見てきたからに決まってるだろう。不穏な気配を察知して、気配の元を探りに行っていたのだ」
ええー、そうだったの!?
姿が見えないから、てっきりその辺で遊んでるのかと思ってたわ。
まさか私を守るために偵察に行ってたなんて……、サボってると思っててごめん……。
「お前が呼んでいたのは聞こえていたが、危険がないことも分かっていたからな。偵察を優先したのだ」
「そ、そうでしたか……。おてすうおかけします……」
明日の朝、早速お父様にこの緊急事態を報告しなければ。
「敵の頭はお前を殺す気はないようだが、何かに利用する気だな。攫う計画を立てていた」
それって、アルジェント侯爵が言ってた神殿の人なんじゃないの!?
「どんな人たちでしたか? しんかんですか?」
「さあ? 違うと思うけどな。5人組の男たちだったが、敵の素性はわからん」
「えっ!?」
神獣なのに分からない?
なんかこう、神っぽい特別な力で何でもお見通しなんじゃないの?
「それが分かったら偵察になど行く必要ないだろう。分からないからわざわざ見に行ってきたんだぞ。悪いことが起こりそうな漠然とした予感があるだけで、全てを見通してるわけじゃない」
……虫の知らせ的な?
割と普通の人間ぽいんだね。
「敵の頭に殺意がないからと言って安心はできないぞ。敵の一行の中に、殺意を持った人間が混じっているからな。もしかすると他に首謀者がいて、別の命令を受けているのかもしれない」
「ええっ!」
こんな夜中にそんな複雑なこと言われても……!
朝まで覚えてられる自信がないよ!
「……まあ、お前は俺が守るから安心しろ。今まで働き詰めで腹が減ったぞ。供え物を出せ」
「は、はい。ポチッとな! マーニさま、ステーキでございます……」
「うむ。……お前が殊勝な態度だと笑えるな」
人型のマーニは綺麗な口元を歪めて、今にも吹き出しそうな顔をしている。
むうー!
ムカつくけど、我慢だ!
これからマーニに守ってもらわないといけないし。
ほんと、くれぐれもよろしくお願いしますね?
待ち遠しい思いで朝を迎えた私は、着替えを済ませるなり階段を駆け下りてお父様を探した。
「おとうさまー!」
「どうした。朝から騒々しいぞ」
まだ朝食の時間には早いから、きっと執務室にいると思ったらやっぱりいた!
書き物をしていたお父様は、手を止めて顔を上げた。
「マーニがっ! ていさつで! あやしいって!」
「待て待て待て。何を言っているのか分からないぞ。落ち着いてゆっくり話すんだ」
私は頷いて、スーハーと大きく深呼吸をした。
「ゆうべ、ねている時にマーニがおこしにきました。いやなよかんがするから、ていさつをしてきたと言うのです」
「なにっ!? それで何か見つかったのか?」
お父様もやっと私のテンションに追いついて来たようだ。
遅いよ!
「はい。アルジェントこうしゃくりょうと、フィオーレはくしゃくりょうの間の山で、あやしい5人ぐみの男たちがのじゅくをしていたと言っていました。敵の頭はころす気はないようですが、何かにりようしようとしているのを感じるようです」
「殺す気はないのか。すると、アルジェント侯爵が警告していた神殿の使者かな」
お父様は殺意はなさそうだと聞いて一安心したみたいだけど、安心するのはまだ早いんですよね……。
「チェリーナもさいしょはそう思いました。でもマーニは、敵の中にさついをもった人間がまじっているとも言っていました。他の人から、別のめいれいを受けているのかもしれないと」
「なんだと! おのれ、俺の娘を殺す気でやってくるとは、どうやらそいつは命がいらないらしいな!」
お父様は、ガタンと椅子を後ろにひっくり返しそうな勢いで立ち上がった。
うん……、ほんとにね。
自殺願望でもあるのかと思うよね。
お父様に消し炭にされたいなんて、変わった人だな。
「おとうさま……」
「大丈夫だ、チェリーナ。お前の命は俺が必ず守る! 神殿へも連れて行かせないぞ!」
そう高らかに宣言するお父様は、怒りのためか筋肉が盛り上がって大きな体がさらに大きく、豊かな赤い髪はメラメラと燃え盛る炎のように見えた。
軍神もかくやという勇ましさだけど、シャツが破れないか心配だ。
……どこからどう見ても、神殿のひょろい神官がお父様に勝てるわけないと思うんだけど……。
なんで挑んでくるんだろう……?
早ければ今夜にでも敵がやってくる可能性をみんなにも伝えると、みんなの間に不安と緊張が走った。
お父様とマルティーノおじさまは、外での仕事を取りやめて家で私たちを守ってくれるという。
安全が確認できるまでは、私たち全員家から出ない約束だ。
うう……、庭にも出られないって地味につらい!
こんなことになってるのは私のせいだから、付き合わされているみんなには申し訳なく思ってるけどさ。
でも、早く外で遊びたいなあ……。
「おい。分かってるだろうが、勝手に抜け出そうなんて思うなよ? どこに暗殺者が潜んでいるかわからないんだからな」
暗殺者か……、まさかそんな人に命を狙われる日が来るとは思わなかったよ。
クリス様は、割と日常的に暗殺者に狙われる日々を過ごしていたのかな。
「はい。かってに抜け出したら、きけんだということは分かっています」
「そうだよ、チェリーナ。まだ結界のリボンの効果が分かってないんだし、お父様のそばにいるのが一番安全だよ」
昨日から結界のリボンを身に付けているけど、実は結界のリボンがどれくらいの防御力があるのかはまだ分かってない。
殴る程度の攻撃は防げたけど、剣で切りかかられたり、矢で射られたりした場合の検証ができていないのだ。
でもたぶん即死することはないと思うな。
最初の一撃だけでも防ぐことが出来たら、その後は実績のある結界のマントを着ればいい。
防御しつつ姿も消せるから、敵から逃げられるもんね。
「しかし、本当に神官が襲ってくるのか? プリマヴェーラ辺境伯よりも強い神官がこの世にいるとは思えないが……」
そうですよねー、それは私も本当に不思議です。
「うーん、死んでかみさまのそばに行くことがもくてきとか……?」
死刑になりたいからと言って、罪もない人を殺しちゃう通り魔的な歪んだ自殺願望なのかもよ?
できれば、わざわざうちに来ないで仲間内で助け合ってほしかったけど……。




