第65話 秘密のノート
突然、目の前に指が一本にゅっと出てきて合図を送られた。
お兄様かクリス様かわからないけど、上を指さしているところを見ると、どうやら2階に戻ろうという合図らしい。
これ以上、泣き崩れるサリヴァンナ先生の姿を見ていられないと思っていたからちょうどよかった。
「ひどい……」
お兄様の部屋の扉をパタンと閉めたとたんに、私の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「こんやくしゃがいるのに、かけおちなんて……」
サリヴァンナ先生に対するみんなの態度がおかしかったことや、マルティーノおじさまがプリマヴェーラ辺境伯領へは帰れないと言った理由がやっとわかったけど、こんなのサリヴァンナ先生が可哀想すぎるよ。
他の人と結婚した方が幸せなんじゃないかと思うけど、サリヴァンナ先生の望みはマルティーノおじさまと一緒に幸せになることなんだ。
でも……、あの状況からはたしてそんな展開になれるのだろうか。
「チェリーナ、泣かないでよ」
「なんでお前が泣くんだよ」
私だってひとごとじゃないよ!
クリス様は大きくなったら私のことをボロ雑巾のように捨てるんだから!
将来は私も、サリヴァンナ先生みたいに苦しめられるんだからね!
「チェリーナもサリヴァンナ先生と同じ目にあうんです……。クリス様はまほうがくいんでラヴィエータという女の子を好きになって、みんなの前でチェリーナにこんやくはきするって言うんです。わかってるんです」
傷つけられて泣き崩れるサリヴァンナ先生の姿は、将来の私の姿でもあるのだ。
そう思うとますます悲しくなって、涙が止まらなくなる。
一方のクリス様とお兄様は、私の言葉に驚いて目を丸くしていた。
「えっ!?」
「ええっ! 何それ、酷いな! 婚約破棄をみんなの前でって、そこまで辱めることないのに! チェリーナ、また夢で見たの?」
夢じゃないけど、前世のゲームの中で見ました。
お兄様が抱きしめて慰めてくれるから、この機会にクリス様の極悪非道っぷりをもっとお伝えしておこう。
ほんとに酷いからよく聞いてね!
「そうです。クリス様は、クリス様のとりまきの人たち、ジュリオ・ベルティーニ、ファエロ・バルトラ、ガブリエル・ガルコスといっしょにチェリーナをおとしいれて……、いいえ、ころそうとさえするんです!」
どう考えてもこの世界とあのゲームは共通点が多すぎるし、さっきのサリヴァンナ先生を見たら私もいずれああなるとしか思えなくなった。
それでも、お兄様が私を殺すわけないから、チェレスティーノ・プリマヴェーラの名前は省略しておく。
カレンデュラもお母様も生きてるんだから、お兄様の将来だけはゲームの展開と違う筈だもん。
「ええーーーーーっ! 自分が浮気しておきながらチェリーナを殺そうとするなんて、理不尽にもほどがあるよ! 人殺し! 悪魔!」
お兄様は私を抱きかかえてクリス様を責める。
「お前ら、いい加減にしろよ? なんで俺がやってもいないことで責められるんだよ。いいか、よく聞け。俺がお前を殺したとしよう。だが、その後はどうなる? お前の父親が黙ってはいないぞ。俺は消し炭にされるのがオチだ。俺は命がおしいからな、お前のことを殺すわけがない」
……それもそうだな。
私が男どもによってたかってなぶり殺しにされたと知ったら、あのお父様が黙ってる筈がない。
実行犯どころか、なんならクリス様の住む王宮ごと消し炭にするかもしれないよね。
「そうでした! あはははは! よかったあー!」
納得したら気が楽になったよ!
「大体、お前の結界があれば、誰が相手でもそう簡単に殺されるわけないだろ?」
はっ、それもそうだった。
マント型じゃなくてアクセサリーみたいな形にして、すぐに発動できるように常に身に着けているといいかもしれないな。
よし、これを機に小型の結界を開発してみよう!
でも私は慎重派だから、念には念を入れて一言いわせてもらいますね。
「クリス様、もしこんやくはきしたくなったら、その時はそっと知らせてください。チェリーナはこばみませんので、ころす必要はありませんよ」
「お前な。お前が見たのはただの夢なんだからな? そんな時はこないぞ」
クリス様は憮然とした顔をしている。
まあ、今の段階ではクリス様に非はないからね。
「ねんのためのやくそくです!」
「はあ……まったく。わかったよ。でも婚約破棄はしないからな」
やった!
言質は取ったからね!
「チェリーナ、紙に書いておいてもらったら? 後でそんなことは言ってないとしらばっくれられるかもしれないよ?」
しらばっくれるの?
とことん酷いやつだ。
「お前ら……。俺は卑怯な手口で女を殺すようなことはしないぞ! 婚約破棄もしない!」
へいへい。
あんまりしつこいと本気で怒り出しそうだからこの辺で引いておくとしよう。
「ゆめが現実にならないことをいのります」
「チェリーナが殺される夢だなんて心配だな。他にも何かわかってることはあるの? 前もってわかってるなら、そんな状況にならないように対策できるかもしれないよ?」
そうだよね……。
前世のゲームの情報は覚えている限りノートに書いておいたから、二人に相談してみようかな。
「ノートにゆめのないようを書いておいたので、部屋からもってきます。ちょっとまっててください」
私は部屋に戻ってノートを手に取ると、すぐにお兄様の部屋へ取って返した。
「えーと……」
何を書いたんだっけ。
あ、そうそう、まずは人物紹介からだったね。
「ヒロインの名前はラヴィエータ・エベラ。金髪にヘーゼルの目。エベラだんしゃくのしょし」
「ひろいんって?」
「ひろいんとは何だ?」
お兄様とクリス様が揃って首を傾げる。
あ、すみません、そこからでしたね。
「うーん……、中心となる女の子のことです。みんながこの子をすきになるんです」
「ふーん」
「なんとなく理解した。それにしても、お前よく庶子なんて言葉を知っていたな」
馬鹿にしないでほしいな!
それより話を元に戻すから、ちゃんと聞いててよね。
「つぎはジュリオ・ベルティーニ。きし団長であるベルティーニはくしゃくの次男。あま色の髪にみどり色の目」
「騎士団長? ベルティーニ伯爵は副団長だった気がするけどな」
へえ、ベルティーニ伯爵って本当にいるんだ?
それなら、そのうち出世して騎士団長になるってことじゃないかな。
「いまから7年後、クリス様が17さい、チェリーナが15さいになったときのはなしです」
「そうか」
「つぎはファエロ・バルトラ。さいしょうであるバルトラこうしゃくの長男。きんかっしょくの髪に金色の目」
「バルトラ侯爵は確かに宰相だ。チェリーナの夢はすごいな……」
バルトラ侯爵も実在の人物か……。
「つぎはガブリエル・ガルコス。王宮まじゅつし長であるガルコスこうしゃくの長男。くろ髪に青い目」
「ガルコス公爵も王宮魔術師長であってる……」
「すごいよ、チェリーナ。僕も知らない貴族の名前を、勉強もしないチェリーナが知ってる筈がない。やっぱりチェリーナの夢見の力は本物なんだよ!」
お兄様がキラキラした目で私を見ている。
お兄様、喜んでる所すみませんけど、夢が本当になったら私殺されるんですよ!?
そこんとこヨロシクね?
「他には何かないのか? そのノートを見せて見ろ」
えっ、ダメダメ!
うっかり変なこと書いちゃったかもしれないし、こんなの見せられないよ。
「ひみつです!」
「見せろ!」
「チェリーナ、見せて!」
クリス様とお兄様が手を広げて私に向かってくる。
ちょっと、2対1はずるいよ!
「だめっ! ーーああっ!」
ノートを持った腕を上にあげたら、クリス様にパッと持ってかれちゃったよ!
しまった、向こうの方が背が高いんだったー!




