第64話 二人の過去
どうやら私たちを早く寝かせて、マルティーノおじさまとサリヴァンナ先生に居間で話し合いをさせるつもりのようだ。
追い立てられるように2階へ行かされた私たちは、お兄様の部屋に集まって話をすることにした。
「どうしたのでしょうか」
「なんか変だよね」
「過去に何かあったに違いない。よし、偵察に行こう」
クリス様、簡単に偵察に行こうって言うけど、見つかったら怒られちゃうんだからね!
「でも、もし見つかったら……」
「見つからなければ問題ないだろう。お前のミエナインがあるじゃないか」
はっ!
そうだった、ミエナインは姿を消せるから偵察にはうってつけなんだった!
でも、勝手に覗いたりして本当にいいのかなあ……。
「そうだね! さあ、みんなで行こうよ、チェリーナ」
お兄様まで行く気満々!
そういう私もすんごく気になってるけどさ。
「でも、のぞくなんて……」
「なんだよ、お前は気にならないのか? 大人たちは何があったのか俺たちには教えてくれないぞ。自力で突き止めるしかないだろ」
「そうだよ、チェリーナ。僕、このままじゃ気になって寝られないよ」
もう、わかりましたよ!
怒られるときは三人一緒だからね!
「ーーーポチッとな! だしましたよ……」
「よし! さあ行くぞ!」
「行きましょう!」
好奇心を最優先した私たちは、ミエナインを着てフードを深くかぶり全身を隠した。
足音がしないように気を付けながら階段を下り、こっそり居間へと入って行く。
そこで私たちが目にしたものは、マルティーノおじさまの胸に縋りついて泣いているサリヴァンナ先生の姿だった。
「サリー……。本当にすまない。君には何と言って詫びればいいのか、言葉が見つからない……」
「マルティーノお兄様……。抱きしめてくださらないのですか? 昔はよく抱きしめてくれたのに……」
マルティーノおじさまはサリヴァンナ先生の肩にそっと手をかけると、一歩下がって距離を取った。
「出来ないよ……。君はもう大人の女性だ。サリー、ずいぶん美しくなったな……」
「最後に会ってから、もう8年も経ったんですもの。14歳の頃の私とは違いますわ」
ええと、8年前に14歳ということは、今は22歳だね。
マルティーノおじさまは意外と若くて、まだ27歳と言っていたからサリヴァンナ先生とは5歳差ということになる。
「そうだな……。サリー……、君は……、結婚は……?」
その質問を聞いたサリヴァンナ先生の目に、新たな涙がどんどん膨れ上がっていく。
「わ、わたくしは……、幼い頃からの婚約者と結婚するのだと……、信じておりました……!」
サリヴァンナ先生の悲痛な声に、マルティーノおじさまは痛みをこらえるように眉根を寄せてぎゅっと目を瞑った。
「サリー……、すまない……。すまない……」
「チェーザレ様は王都の魔法学院に通う私の元を訪れ、婚約はなかったことにしてほしいと謝るばかりで、詳しいことは何も話してくださいませんでした。お兄様の口から説明してください……! 6年前、どうして私を捨てて駆け落ちしたのか……!」
か、駆け落ちっ!?
私は驚きのあまり危うく声を漏らしそうになった。
慌てて両手で口を押えたものだから、マントの袖が花瓶に引っかかりガタンと音を立ててしまった。
マルティーノおじさまとサリヴァンナ先生がこちらを振り向く。
ま、まずいよ!
どうしよう、見つかる!
「キャン!」
諦めかけたその時、マーニの声が聞こえた。
「……動物の声?」
「ああ、無人島で俺を助けてくれた狐なんだ。一緒に連れて帰って来た」
ほっ……、マーニが立てた音ってことになった。
はー、焦った、まだ心臓がバクバク言ってるよ。
視線を元に戻したマルティーノおじさまは、ふうっとため息を吐いて静かに語り始めた。
「……サリーも知ってのとおり、俺には産まれたときから母親がいなかった。俺とニーナは同じ時期に生まれ、うちの侍女だったニーナの母親に双子のように育てられたのだ。子どもの頃は、ニーナへの気持ちは兄妹のような愛情だと思っていたが、成長するにつれてそれは違うと気が付いた。
しかし、俺には幼い頃に親に決められた婚約者がいて、この気持ちは諦めるしかないのだということも分かっていた。だが……、ある日ニーナの結婚が決まった。この屋敷での侍女の仕事も辞めるから、もう顔を合わせることもなくなるのだと言う。
それを聞いた俺は、居ても立ってもいられなくなり、半ばニーナを攫うように駆け落ちしてしまった……。言い訳にしかならないが、ジョアン侯爵の一人娘である君と結婚したい男は星の数ほどいる。君のように条件のいい貴族の娘なら、俺がいなくなれば代わりはすぐにでも見つかると思っていたのだ……」
うわあ……。
お前には逆玉狙いの男がわんさかいるんだから不自由してないだろ、って言ってるように聞こえるんだけど。
そんなこと言われて納得する女の人っているのかな。
「条件ですって? 酷いわ……! 私の気持ちは考えてもくださらなかったのですね……」
サリヴァンナ先生はポロポロと涙をこぼしながら訴える。
やっぱり……。
せめて、君の美貌があれば引く手あまただと思ったくらい言えなかったのかね。
財産目当ての男なんて御免被るよ。
「サリー、すまない……。妹のように愛おしく思っていた君を、こんなに傷つけたくはなかった。君の気が済むまで何度でも詫びるよ……」
「いいえ! 何度謝っていただいても私の気が済むことはありません! 謝りたい気持ちがあるのなら、私のことを一人の女性としてちゃんと見てください!」
え、なんで一人の女性として見ることがお詫びしたことになるの?
意味がわかりません。
「……どういう意味なんだ?」
「私は妹ではなく、幼い頃からあなたをお慕いしている一人の女なんです。本当のことを言えば、手紙一つ残さずいなくなってしまったお兄様を恨んだこともありました。でも、お兄様が死んでしまったかもしれないと聞いて、私は改めて自分の気持ちが分かったのです。こうして生きて戻られたのなら……。戻ってきていただきたいのです、私のところへ……」
ひえええええええ!
嘘でしょう!?
婚約者がありながら他の女と駆け落ちするような男、往復ビンタをお見舞いして倒れたところを踏んづけてやればいいのに!
どうして戻ってきてほしいのか、私にはぜんぜん理解できないよ。
「サリー……、俺は君に相応しい男ではない。俺にはもう子どももいるんだ。君は、君に相応しい立派な男と結婚するべきだ」
「嫌です!」
サリヴァンナ先生は、マルティーノおじさまのシャツの胸元をぎゅっと握りしめた。
「サリー、分かってくれ……。俺はニーナを亡くしたばかりで、すぐに他の女性のことなど……、とても考えられないんだ」
そうだ……。
サリヴァンナ先生の辛い気持ちも分かるけど、マルティーノおじさまも奥さんを亡くしたばかりで傷ついている。
「すぐにとは言いません。私がこの屋敷に滞在する5年の間に、お兄様の気持ちが変わらないのでしたら……、その時は、私は父が決めた相手と結婚いたしますわ」
「ーー5年もの時間を俺のために無駄にしてほしくないんだ。どうか、他の男と結婚して幸せになってくれ」
マルティーノおじさまはそう言うと、サリヴァンナ先生の手を振りほどいて部屋を出て行ってしまった。
「お兄様……っ! ううっ……」
一人その場に残されたサリヴァンナ先生は、ソファに倒れ込むように身を沈めると声を殺して泣き始めた。
これからどうなるのが二人にとって幸せなことなんだろう……。
前世でも今世でも恋愛経験ゼロの私には、難しすぎて見当も付かないよ……。




