第21話 救いの手
お父様は、そのか細い声に応えて大声で名を名乗った。
「プリマヴェーラ辺境伯だ。フィオーレ伯爵の頼みで、こうして治癒の魔法具を持参した。アルジェント侯爵に取り次ぎ願いたい」
「プリマヴェーラ辺境伯様!? そ、それは大変失礼をいたしました」
執事は慌てて扉を開くと、私たちを中へと招き入れた。
屋敷はシーンと静まり返っている。
こんなに広い屋敷なのに、執事以外の使用人の姿がまったくみえないのが不気味だ。
「こちらでしばらくお待ちくださいませ」
「うむ」
執事は私たちを玄関近くの一室へ案内すると、一礼してアルジェント侯爵を呼びに行った。
「いよいよ、あくとくりょうしゅとの対面のときですね……」
「ーーー確かに、悪徳領主が登場しそうな雰囲気ではあるな」
こそこそと小声でお父様と話していると、コンコンというノックの音と共にガチャリと扉が開いた。
「ーーーお待たせいたしました。当主のビアンコ・アルジェントです」
部屋に入って来た人物は、金色がかったオレンジ色の巻き毛を首の後ろで一つにまとめた、大きな茶色い目をした男の人だった。
んん!?
ビアンカおばさまが男の人の服を着ている?
「ビ、ビアンカおばさま?」
私は思わずビアンカおばさまの名前を呼んだ。
「おやおやー、初めましてだね? 私はビアンコおじさまだよ。ビアンカの双子の兄なんだ。ふふふ、そっくりで驚いたかな?」
なんと!
双子でしたか。
声の高さは違うけど、おっとりした話し方までそっくりです!
「アルジェント侯爵、ご無沙汰しております。これは私の娘のマルチェリーナ・プリマヴェーラです。フィオーレ伯爵のたっての願いで治癒の魔法具を持参いたしました」
「おお、ジェルソミーノくんの頼みで……。彼は本当にお人よしだな。自領の問題ではないのに、我がことのように奔走してくれるんだよ。心から感謝しているけれど、少し心配になってしまうな」
アルジェント侯爵はふふっと笑いながらも、ジェルソミーノおじさまの気持ちが嬉しかったのか、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「はは、愛する奥方の双子の兄の窮地とあっては、フィオーレ伯爵ならば全力を尽くすでしょうな。さて、治癒の魔法具をお渡しするにあたり、こちらから条件が二つあります」
「条件ですか……」
アルジェント侯爵はごくんと唾を飲み、身構えるように姿勢を正した。
「はい。一つは、顔の治療に関しては、誰に対しても無料で行うこと。治療費を持っていない者にも平等に治療をしてあげてください。医者の生活もありますので、完全に無料にするわけにはいかないでしょうが、裕福な者から体の治療費を取れば問題ないでしょう」
アルジェント侯爵にとってお父様の提案は思いがけないものだったようだ。
パチパチと目を瞬かせて、何を言っているのか理解が追いつかないような表情をしている。
「二つ目は、この治癒の魔法具の出所を秘密にしていただきたいのです」
「……あ、あの、それが条件なのですか? 失礼ですが、金銭の話では?」
アルジェント侯爵は、恐る恐るお金の話を切り出した。
どうやら、私たちにいくら吹っ掛けられるのかと警戒していたみたいだ。
「金銭? ああ、いや。私たちは金を取るつもりはありませんよ。ただ、病気で苦しむ人々を助けたい、それだけです」
そうだよ。
命が助かっても、一生顔に痕が残るなんて人生に絶望しかねないもん。
男の人でも辛いのに、女の人にはなおさらだと思う。
「まさか、そんな……。プリマヴェーラ辺境伯、あなたはジェルソミーノくんの上を行くお人よしのようですね……」
アルジェント侯爵の大きな目に、見る見る涙が盛り上がっていった。
感激屋さんなんだなあ。
「ははは、ジェルソミーノよりお人よしはいないでしょう」
アルジェント侯爵はハンカチを取り出して目元を拭うと、しっかりとお父様の目を見た。
「プリマヴェーラ辺境伯、この度のお取り計らい、何とお礼を申し上げればよいのかわかりません。本当にありがとうございます。きっと多くの人々の救いになることでしょう。顔の治療を無料で行うことについてはお約束いたします。しかしーーー」
アルジェント侯爵は、言い難そうにそこでいったん言葉を切った。
「治癒の魔法具の出所については……、すでにプリマヴェーラ辺境伯家から頂いたことは知れ渡っておりまして……なんとも……」
「ああ、そうでしたな。いや、それはよいのです。誰が作ったのかという事さえ秘密にしていただければ」
「そうですか! それでしたらお約束できます! 誰が作ったのかは私も存じ上げませんからね」
アルジェント侯爵はほっとしたように表情を明るくした。
「そうそう、遅くなりましたが、手紙を預かって来ているのです」
お父様はそう言って、懐からジェルソミーノおじさまから預かった手紙を取り出した。
「ありがとうございます。失礼して、読ませていただいても?」
「もちろんです」
アルジェント侯爵は頷いて席を立ち、チェストの上にあったペーパーナイフで封を切って手紙を読み始めた。
「ーーーふふふ、ジェルソミーノくんらしいな。他の領にも、治癒の魔法具を分けてあげてくれと書いてありますよ。アルジェの街を拠点として各地へ運搬してほしいと」
手紙を読むアルジェント侯爵から、小さな笑みがこぼれた。
「お願いできますか?」
「ええ、もちろん出来る限りのことはさせていただきますよ。私もお二人のご厚意に報いねばなりませんから。皆で力を合わせて、この苦難の時を乗り越えなければ」
い、いい人だっ!
やっぱりね、ビアンカおばさまのお兄様だもん、絶対いい人に違いないと思ってたんだよね!
私のにらんだ通りだったな、うん。
「よろしくお願いいたします。では、運んで来た治癒の魔法具はどこに出しましょうか。この部屋に出しますか?」
「ええ。ここは玄関にも近いので、この部屋に保管することにいたしましょう」
了解です!
そういえば、何個必要なのかな?
大きさは、30センチ幅と15センチ幅のどっちがいいんだろ。
「チェリーナ、この部屋でいいそうだ。ん? どうかしたのか?」
お父様は私の思案顔に気付いて、どうしたのかと尋ねてきた。
「はい。大きさは、大きいのと小さいのとどちらがいいでしょうか? それから、なんこひつようでしょうか?」
「うーん、お父様は小さいほうが使いやすいと思うが、医者はどう言うかな? どれくらい必要なのかもさっぱり見当がつかないな……」
お父様は腕を組んで首を傾げた。
「おやー、それでしたら、我が家の主治医が到着してから決めてはいかがでしょうか? 本人の口から治癒の魔法具をいただいたお礼を言いたいだろうと思って、いま呼びに行かせているのですよ」
ああ、フィオーレ伯爵家の主治医の息子さん一家のことね。
たしか、ジェルソミーノおじさまがあげたラップが尽きるまで治療を続けたと聞いた。
その人が一番経験豊富だから、意見をもらえると確かに助かる。
「わかりました。そういえば、誰一人街中を歩いていないようですが、皆家の中にいるのですか?」
「ええ、病気がうつらないように不要な外出は禁止しているのです。そうは言っても食料に限りがありますし、いつまでも閉じ込めておくわけにもいかず、本当に困っていたところなのですよ。しかし、今日からは劇的に状況が変わることでしょう」
アルジェント侯爵の顔は希望に輝いている。
その時、コンコンというノックの音がして、お茶のトレイを持った執事が入室してきた。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました。ジェンナ先生が到着なさいましたが、お通ししてよろしいでしょうか?」
「おやー、思ったより早かったね。うん、お通ししておくれ」




