第20話 アルジェント侯爵領へ
いつまでもフィオーレ伯爵家でのんびりしていては、日が暮れる前にうちに帰れなくなる。
私たちはトブーンの元へ戻ると、ベンチに座ってシートベルトを着けた。
カレンデュラに借りた帽子はしっかり手に持って、飛行中に飛ばされないように向こうに着いてからかぶるつもりだ。
「それじゃあ、気を付けてね。あそこに見える山を越えたところがアルジェント侯爵領だよ。まっすぐ行けるのなら、それほど遠くはないと思うのだけれど、どうかなあ?」
ジェルソミーノおじさまはそう言って優雅に首を傾げた。
えっ、どうかなって、そんな風に言われると不安になっちゃいますけど?
「まあ、何とかなるだろう。万が一何かあっても、ハヤメールで連絡を取ればいいしな」
「おお、ハヤメールとはうちの天井に引っかかっている魔法具のことだね? なかなか返せなくて悪いね。何しろ手が届かないものだから、長梯子を用意させているところなんだよ」
「えっ? ハヤメールならここにありますけど? さっき自分でもどってきました」
私はポケットから取り出したハヤメールをジェルソミーノおじさまに見せた。
「ええっ、いつの間に!?」
「チェリーナが居間に入ったときにもどってきましたよ。はいたつを終えると、おくりぬしの元へもどる魔法がかかっているのです」
「それは便利だなあ。いやはや、チェリーナがこんなにすごい魔法使いになるとはね。王都の魔法学院に通う日が待ちきれないんじゃないのかい?」
いいえ、まったく。
満面の笑みで問いかけるジェルソミーノおじさまに、私は無言で首を振った。
だってさあ、勉強なんてしたくないし、3年も家族と離れて暮らすなんて嫌だよ。
私はずっとプリマヴェーラ辺境伯領で暮らしたいな。
たまに観光で行くくらいならいいけどさ。
「まだまだずっと先の話だよ。さあ、そろそろ出発するとしよう。帰りにまた寄らせてもらうよ」
「ああ、気を付けて。よろしく頼むよ」
お父様がリモコンを操作すると、ブーンと音を立ててプロペラが回り始めた。
トブーンはすうっと浮かび上がると、山の方向へ向かって動き出した。
「じゃあ、またねー!」
「気を付けてーーー!」
見送るフィオーレ伯爵一家に手を振り、視線を進行方向に戻そうとしたその時、目の端に何かが映った。
正門の方を見ると、息も絶え絶えになって門の格子を握りしめている騎士さんの姿があった。
「あっ、さっきのおにいさんだ! おーい、おにいさーん!」
街に入るところからここまでだいぶ距離があったと思うけど、もしやずっと走って来たの?
「さよーならー! あっ、たおれた」
騎士さんは飛び立つ私たちを見ると、格子から手を放して大の字にひっくり返ってしまった。
そうか、全力を尽くして戦って、そして燃え尽きたんだね……っ!
わかる、わかるよ。
その熱い情熱だけはッ!
アディオス アミーゴ!
次の大会でまた会おう!
「アルジェントこうしゃくりょうは、どんな所なんでしょう? おとうさまは行ったことがありますか?」
「ああ、王都へ向かう時には必ず通る街道沿いだからな。何度も通ったことがあるよ。うちの領よりもずいぶんと都会だぞ。おそらく、他所の領との行き来が多いから病気を持ち込まれてしまったんだろうな」
そうか、都会はそういうリスクがあるんだな。
人が多くなれば治安も悪くなるし、都会なのも良し悪しだね。
「ビアンカおばさまのおにいさまには会ったことがあるのですか?」
「ああ、まあ挨拶程度はしたことがあるが、あまり交流はないな」
「ラップをひとり占めしようとたくらむ、あくとくりょうしゅでなければいいですね……」
ジェルソミーノおじさまにかかれば、みんな気さくでいい人になっちゃうからね。
私はしっかり自分の目で見極めるつもりだよ!
「フハッ! お前、よく悪徳領主なんて言葉を知っていたな? はっはっは!」
「知らない人ですから、ゆだんはできません。お金もちだけにこうがくで売りつけて、大もうけするあくにんかもしれないですよ」
ほんと、お父様も気を付けて!
人がいいだけじゃ人生の荒波を乗り越えられないからね!
貴族は腹黒いって相場が決まってるんだよ。
初めて会う貴族は泥棒と思うくらい警戒してもいいんじゃないかな。
「はっはっは! チェリーナは意外としっかりしてるんだな! ああ、傑作だ! アルジェント侯爵に会った時にお前が何というのか楽しみだよ」
もう、そんなに笑わなくったっていいのにさ。
笑われてもいいもん、私の活躍で詐欺を未然に防ぐんだもん。
それにしても、さっきからずーっと同じ景色が続いているな。
高度を上げて木の上を飛んでいるから、一面が緑の絨毯だ。
ほんとに進んでるのか疑いたくなるほど全く同じなんだけど……。
暇だなあ。
いつ着くのかなあ。
「おとうさま、あとなん分でつきますか?」
「……チェリーナ、5分ごとに同じ質問をするなよ。お父様だってこの景色には飽き飽きしてるけど、もう少し頑張ってくれ。あと一息で山頂だから、山を越えて街が見えてきたら気分も変わるだろう」
「はあい。はあー……、おしりいたい……」
わかりましたよ、山を越えるまでがんばりますよ。
クッション持ってくればよかった……、はあー……。
「おっ、ついに山頂だぞ! おおー、いい眺めだ。チェリーナ、遠くに街が見えるぞ」
「わあーーー! すごーい! ずっととおくまで見えますよ、おとうさま! ここから王都は見えますか?」
うわー、遠くまで見通せて気持ちいいー!
「はは、さすがに王都までは見えないなあ。領都のアルジェの街で我慢してくれ」
「やっぱり、くろうして山をこえたあとのながめはさいこうですね! おとうさま!」
「……苦労? してないよな? 座って文句言い続けてただけじゃないかよ」
お父様が小声で何か言ってるな。
トブーンのプロペラ音で聞こえないよ!
「あーーーっ、さいこーーー!!」
私は大声で叫んだ。
山頂って気分が上がるわあ。
そこからの飛行はとても順調だった。
目的地が見えてきたら、あっという間に着いた気がするな。
山の向こうが見えない時はものすごく長く感じたのに、どうしてだろう?
不思議だなあ。
「……街には着いたが、なんだか様子がおかしいな。全く人通りがないぞ。みんな家に籠っているのか?」
お父様に言われてキョロキョロしながら街の様子を見ると、確かに誰も歩いていない。
こんなに大きな街で、人が一人も歩いていないなんてことがあるんだろうか。
「ほんとうですね。なんだかこわい……」
「まずはアルジェント侯爵家へ行って事情を聞いてみよう」
「はい」
私たちがアルジェント侯爵家の正門に着くと、驚いたことにそこにいる筈の門番がいなかった。
「門番もいないのか。仕方がない、勝手に入らせてもらうしかないようだ」
私たちは門を乗り越えて、そのまま正面玄関前へと向かった。
ブーンブーンというプロペラ音に気付いたらしい誰かが、窓の向こうから外の様子を窺っているのが見えた。
私はドローンから下りると、カレンデュラに借りた帽子をかぶって顔を隠した。
「よし、用意はいいな。では行くか」
「はい」
この街のただならぬ様子に若干怯えながら、私はお父様の後を付いて歩く。
お父様は扉に付いたノッカーを手に取ると、ゴンゴンと鳴らした。
しばらくすると、扉の向こうに人の気配を感じた。
「ーーーどちらさまでしょうか?」
しかし、誰何の声が聞こえるだけで、私たちのために扉が開かれることはなかった。




