第18話 トブーン初飛行
ブーン、ブーンと音を立てながら、トブーンがゆっくりと浮かびあがった。
みんな見守ってくれているけど、私はリモコンを操縦するのに必死なので手を振る余裕がないよ。
あんまり高いと怖いから、高さはもうこれでいいや。
2階の窓と同じくらいだから、4メートルくらいの高さかな?
私は正門の方向へとトブーンを操縦した。
「おとうさま、フィオーレはくしゃくけはどっちですか?」
「はあっ? お前、方向も知らずに飛んでいたのか?」
だって、フィオーレ伯爵家へ連れて行ってもらう時はいつも馬車なんだもん。
道なんてわかるわけないよ。
「ハヤメールをフィオーレはくしゃくけへ飛ばしたときは、こっちに飛んでいきましたけど、このあたりで見えなくなりました」
「まあ、こっちの方向で合っているよ。チェリーナが手に持っているそれは、難しいのか? お父様にちょっと貸してみろ」
いいけど、落とさないでくださいね?
操作はそんなに難しくないし、問題ないだろう。
「右がわでぜんごさゆう、左がわで上下のそうさをします。このまままっすぐなら、今のじょうたいのままにしておいてください」
「ほう、想像以上に簡単なんだな。力もいらないし、子どもでも簡単に操縦できるな」
お父様はリモコンを手に持って、感心したように言った。
「はい! チェリーナがそうじゅうできるように作りましたから!」
「そうか」
お父様は私を見てほほ笑んだ。
「それにしても、思ったよりずいぶん早いんだな。あそこの馬車を見てみろ。あっという間に追いついてしまうぞ」
お父様に言われた方を見ると、200メートルほど前を馬車が走っていた。
馬車がぐんぐん近づいてきたと思ったら、あっという間に抜き去ってしまう。
「わあ、うまより早いですね!」
「ああ。あの馬車はゆっくり走っていたが、もしかすると早馬と比べてもトブーンの方が早いのかもしれないな」
わあー、わあー。
景色が流れるように変わっていくよ!
変わるって言っても木ばっかりだから、代わり映えはしないけどね。
なんか、景色を見るのも飽きてきた……。
ずーっと同じなんだもん。
あとどれくらいで着くのかなあ……、ふわーあ……。
「チェリーナ。チェリーナ。もうフィオーレ伯爵領に入ったぞ。もうすぐ伯爵家の屋敷に着くだろうから、そろそろ起きろ」
はっ!
ね、寝ちゃってたんだ。
「プッ、くくく。あれほどお父様の膝を嫌がってたのに、結局はお父様の膝に突っ伏して寝てるんだもんな? 涎をたらすなよ?」
本当だ。
思いっきりお父様の膝に乗っかってるね。
しかも、すでに涎たれてるし……。
私はそっとお父様のズボンを拭って証拠隠滅を図った。
「ーーたらしたな?」
なぜバレた!?
「えへへ」
「しょうがないな、ハンカチは持っているか? ちゃんと顔を拭いておけよ?」
「はい」
私はムクリと上半身を起こすと、ポケットの中からハンカチを取り出して口元を拭った。
「フィオーレ伯爵領の花畑はいつ見ても綺麗だなあ。上から見ると絶景だ」
「わあー、ほんとうですね! どこまでもお花畑がつづいています!」
フィオーレ伯爵家は、様々な種類の花を加工する事業で大成功している。
花から香料やオイルなどを抽出して、香水や化粧品を作ったり、種から食用の油を採ったりしているのだ。
ほとんどが高級品なので、顧客の多くは貴族になる。
だからフィオーレ伯爵家ではたくさんの鷹を飼っていて、他の領とのやりとりが盛んなんだよね。
とても華やかで綺麗で、そして裕福な領なのだ。
「おお、フィオーレ伯爵の屋敷が見えて来たぞ」
気が付くと、もう領都のフィオリの街がすぐそこまで近づいていた。
街の人々が私たちを見上げて、呆気に取られたようにぽかんと口を開けている。
「おとうさま、みんな見ていますね」
「まあ、それは見るだろう。こんなもの見たことがないしな」
「あっ、あそこにいるおにいさん、この前うちにきた人じゃないですか? おーい、おにいさーん!」
あれはカレンデュラを助けに来たときの騎士さんだ!
私は知った顔を見つけてテンションがあがり、ぶんぶんと手を振った。
「いてて。おい、チェリーナ暴れるなよ。落ちてしまうぞ」
ぶんぶん振った手がお父様に当たってしまったらしい。
「おとうさま、ごめんなさい。ーーーあっ、あの人はしりだした! ジェルソミーノおじさまに知らせにいくつもりですね。よーし、きょうそうだー!」
「だから、競争はしないって。どう見てもこっちが早すぎて勝負にならないだろう」
でも、やってみないと分からないよ!
「いけーーーー!」
「話を聞けよ……」
競争は私たちの圧勝で終わった。
私たちは騎士さんを遙か後方に置き去りにしてフィオーレ伯爵家の正門前に着くと、上空から門番に来訪を告げた。
「おーい、プリマヴェーラ辺境伯だ。フィオーレ伯爵に会えるか? 今朝、手紙を貰ったのだが」
「ププププ、プリマヴェーラ辺境伯さまっ!?」
そんなにどもっちゃって大丈夫?
「フィオーレ伯爵の望みの品を持参した。取り次いでくれ」
「は、はいっ! ただいま!」
門番の一人が目を白黒させながら、転がるように屋敷へと駆け出した。
すると、表の騒ぎに気付いたのか、正面扉が開いて中から執事とジェルソミーノおじさまが出てきた。
カレンデュラと、4歳年上のトゥリパーノお兄様も一緒だ。
「カレンーーーー!」
「チェリーナー!」
私たちはお互いの名前を呼んで手を振り合った。
ジェルソミーノおじさまは、私たちに向かってこちらへ来いと手招きしている。
お父様はリモコンを操作して、門を乗り越えて正面扉前へと進み、ゆっくりと着地した。
「やあ、これは驚いたな。この乗り物はなんだい?」
ジェルソミーノおじさまは目を瞠っている。
ジェルソミーノおじさまは、輝く金髪にカレンデュラと同じ新緑色の目をしたイケメンさんだ。
お父様がいま32歳だから、少し年上のジェルソミーノおじさまは33歳か34歳だと思うんだけど、どうみても20代にしか見えない程見た目が若い。
領地と年齢が近いこともあり、お父様同士も子どもの頃からの友達なのだ。
「これは、チェリーナのひみつへいきです!」
「秘密兵器? 秘密なのに私たちに話してしまっていいのかい? それに、道中誰にも見られなかったのかな?」
し、しまった……っ!
秘密がばれたら秘密兵器じゃなくなっちゃう!
「ククッ、これはトブーンという乗り物で、チェリーナが魔法で出したんだよ。ジェルソミーノ、会うのは久しぶりだな」
私がショックを受けているのに、お父様は笑いを噛み殺しながらジェルソミーノおじさまに挨拶している。
「チェーザレ、会えて嬉しいよ。先日はカレンデュラを助けてくれて本当にありがとう。今朝鷹を飛ばしたのだけど、手紙は届いたのかな?」
「手紙を読んですぐに飛んできたんだよ」
「手紙を受け取っていてこの時間に我が家に着いたと? 鳥が飛ぶほどの速さで人間が移動できるとは驚いたな……」
そうだよね、馬車で移動したら4時間はかかる距離だもんね。
お父様は懐から懐中時計を取り出すと、パチンとふたを開けて時間を確認した。
「今は10時か。俺たちが屋敷を出たのは9時頃だったから、1時間程で着いたことになるな」
「1時間……」
私たちが1時間で着いたと知ったジェルソミーノおじさまは、何かを考え込むような呟きをもらした。