第140話 カレンデュラの魔法
ホットプレートの前でアタフタする私に、子ども達の心配そうな視線が突き刺さった。
「おねえちゃん……」
「だいじょうぶ?」
「がんばって」
正直ぜんぜん大丈夫じゃないけど、子ども達に失敗したなんて言えやしないよ……!
こうしている間にも、トルティーヤになる筈だったものは発がん性物質へと劇的な変化を遂げていく。
「こ、焦げすぎだわ……」
見かねたらしいアルフォンソが、私の手からパッとフライ返しを取ると、生地の残骸を掻き寄せてお皿に回収してくれた。
「みんな、これはチェリーナが悪い例を見せてくれたんだ。大人でも慌てるとこうなるから、落ち着いて作るようにと教えたかったんだよ。それじゃあ、今度はラヴィエータが焼いてみてくれる?」
「はい。今のはちょっと生地が大きかったので、それで返しにくかったのかもしれませんね。もう少し水を加えて、薄く小さめに焼いてみましょう。それから、焼く前に油を引いた方がいいと思います」
あッ、油か!
そうだよ、焼く前に油を引かないと焦げ付くに決まってるじゃんッ!
ラヴィエータは生地に水を足してかき混ぜると、薄く油を引いたホットプレートにお玉ですくった生地をそっと落とした。
お玉……、キミ、いたの……?
「さあ、焼けましたよ。マルチェリーナ様がおっしゃった通り、この魔法具は本当に扱いが簡単ですね。火加減を見ないで済むなんてとても楽で驚きました。料理に慣れている人なら、すぐに使いこなせるようになりますよ」
ああ、そう……。
本当に、キレイに丸く薄く焼けてますね……。
「チェリーナ、ハンバーグべんとーを出してくれる? この生地に包んで試食してみようよ」
「え、ええ。そうね……。ーーポチッとな」
私は自分の無残なデモンストレーションに意気消沈しつつも、アルフォンソに言われた通りに魔法でハンバーグ弁当を出した。
はあ……、かっこ悪い。
私もお料理、習った方がいいのかな。
これじゃ、実演販売のバイトすらできないもんね……。
私はなんとなく、わいわいとホットプレートを囲む輪から外れて遠巻きにみんなを眺めた。
「どうしたんだよ? 珍しく元気がないじゃないか」
しょんぼりしていた私に気付いたのか、クリス様が隣に来てくれた。
「だって……、失敗してしまいました。誰にでも簡単に使えるって言ったのに……」
誰にでもの中に、製作者本人が含まれていないなんてビックリだよ。
「あれくらいの失敗、別に気にすることないだろう? 子ども達には死活問題かもしれないが、お前はこの先料理なんてする必要がないんだから」
「だって……、私って何もできない……。私はナイフとフォークより重いものも持てない、非力な箱入りお嬢様なんだって思い知りました……」
こんなんじゃ1人暮らしなんて無理だよ……。
それに、11歳の女の子に負ける女子力でいいのか甚だ疑問だ。
「ナイフとフォークより重いものを持てない……? お前、さっき重そうな鉄板を軽々と持ってたよな。まあそんなことより、お前が料理をしたら料理人の仕事を奪うことになる。それに俺は、お前のアイデアはすごいと思うけどな。料理は多くの人間が出来るが、お前には誰にも真似できない想像力と魔法がある」
え……、そうかな?
えへへ、そう?
そうだよね、私には私にしか出来ないことがあるんだから落ち込むことはないんだ!
「クリス様、ありがとうございます」
ふー、あやうく自分が世の中に貢献できないタイプなんじゃないかと誤解するところだった!
私はやっぱり褒められて伸びる子だな。
「元気が出たか? じゃあ、俺たちも試食してみよう。それに、お菓子の方も食べてみたい」
「はい!」
せっかくだから、クレープをたくさん重ねてミルフィーユを作ってもらおうかな。
そんなことを考えながら、私はクリス様の手を取ってみんなの輪に戻った。
残念ながら、今日は時間と材料の都合でクレープの試作は実現できなかった。
手ぶらで急に来たからしかたがないね。
その代わり、私たちはいま孤児院の裏庭に出てきている。
少しでも材料費が安くなるように、これからカレンデュラが畑に魔法をかけてくれるんだって。
「この畑では何を作っているのかしら?」
カレンデュラが子ども達に尋ねている。
「いまは、じゃがいもと玉ねぎとトマトとキャベツです。それから、あっちにベリーの木があります」
「そう。じゃあ、この畑と、ベリーの木に魔法をかけましょうね」
カレンデュラはそう言って、畑に向かって手をかざした。
カレンデュラの魔法は、一応土魔法に分類されるんだけど、土自体を動かすようなものではない。
土の成分が変わるのか何なのか、作物の実りが良くなったり、花を綺麗に咲かせたりすることができるのだ。
ジェルソミーノおじさまやトゥリパーノお兄様もこの土魔法が使えるんだけど、二人の見た目からして、土魔法というよりも植物系の魔法と言われた方がしっくりくる気がするよね。
実のところ、土に魔法がかかるのか、植物に魔法がかかるのか、本人たちにもよく分からないらしい。
「さあ、これでいいわ。じゃあ次はベリーの木に行きましょう」
「もうおわったの?」
うん、パッと見は変化なしに見えるから不思議に思うよね。
でも、フィオーレ伯爵家特有のこの魔法のおかげで、フィオーレ伯爵領は花の名産地になったんだから、魔法の効果は折り紙付きだよ!
「そうよ。私の魔法はすぐには分からないのだけれど、作物の実りが良くなる魔法なの。土を入れ替えたりしなければ、3年位は効果が続くわよ」
「まああっ! それは助かります! ありがとうございます」
ポカンとする子ども達をよそに、実りが良くなると聞いた先生方は手を叩いて大喜びしている。
ホットプレートとは段違いの高評価だ。
まあ、食費の節約に直結するもんね。
そして、ベリーの木に魔法をかけ終わるのを待って、私たちは急いで学院に戻ることにした。
ちょっとのんびりしすぎたようで、すっかり日が傾いてしまったのだ。
「じゃあみんな! 屋台の営業がんばってね!」
「うん! おねえちゃん、おにいちゃん、ありがとう!」
「ありがとう!」
「ありがとうございます!」
そして私たちは、手を振る子ども達や先生方に見送られながら孤児院を後にした。
「みんな喜んでましたね」
私は隣に並んだクリス様の顔を見上げた。
「ああ、行って良かったな」
「そうですね。ーーあっ!」
しまった!
「どうした?」
「肝心なお肉のことを忘れてましたッ! アルフォンソ、中身の作り方を教えるのを忘れちゃったわ!」
私は後ろを振り向いてアルフォンソに訴えた。
「ああ、それなら大丈夫だよ。口頭でも説明したし、ラヴィエータが作り方を紙に書いてくれたよ」
すごいな、抜かりなしですか。
「そうだったの。よかったわ」
「もう少し時間があれば、お菓子の方も試作できたのに残念だったなあ」
時間があったとしても材料がなかったけどね。
「そうね。私もクリス様にいちごのミルフィーユを作ってあげたかったわ」
「いちごのみるふぃーゆ? その言葉、前にも聞いたな。どんな食べ物なんだ?」
クリス様は好物のいちごに興味を引かれたようだ。
「さっき作った生地に卵と牛乳と砂糖を入れて、薄く焼いたものを何枚も重ねたケーキなんです。生地と生地の間に薄く切ったいちごや生クリームを挟むので、味も美味しいですが、見た目も楽しいんですよ」
「いちごのみるふぃーゆ……。どこから切っても、どこから食べてももれなくいちごに当たるのか……」
クリス様は心を奪われたようにつぶやいた。
え、金太郎飴じゃないからね?
「いちごのみるふぃーゆ……」
ん?
いちごに食い付く人物がもう一人。
この声は、ひょっとしなくてもガブリエルだな……。