第113話 赤い花と白い花
クリス様が抱き寄せてくれたことにほっとしながら、私は必死にコクコクと頷いた。
「じゃあなんでいつも婚約破棄、婚約破棄って言うんだよ?」
「だっでっ! グリズざばのぼうがっ、びでぃんでっ……ズビ」
「……お前はまず鼻をかめ。ほら」
クリス様が差し出したハンカチを受け取ってチーンと鼻をかむと、私はポツリポツリと自分の気持ちを口にした。
「クリス様は、きれいだから……、私じゃ、つりあわないと……、思って……」
「はあっ? 綺麗とか汚いとか、そんな馬鹿馬鹿しい理由だったのか? 意味が分からない」
汚いってひどい!
そこまでは言ってないよ!
思い返せば、プロポーズの言葉からして酷かった。
「だって、クリス様、私のことブスって言った……っ!」
「うっ、お前、意外と根にもつな。あの時は俺も子どもで、照れくさかったんだよ……。本当はブスだなんて思ってなかった」
「でも、小さい頃から、お母様に似て綺麗だってみんなに言われるのはいつもお兄様でした。私はそんなこと一度も言われたことありません……」
お父様にそっくりね、としか。
「それは、顔のつくりの問題じゃなくて、印象の問題だろ」
……どういう意味ですか?
私が首を傾げていると、クリス様は説明を続けた。
「お前は髪や目の色がプリマヴェーラ辺境伯と同じだし、なにより、大胆不敵で破天荒かつ大雑把な性格が父親にそっくりだからな。よく見れば顔のつくりは辺境伯夫人に似ているが、それが霞むほど父親似の印象が強いんだよ。大体、お前はチェレスがみんなに綺麗だと言われるというが、お前たち兄妹はよく似ているぞ」
そう指摘されてよく考えてみると、お兄様が赤毛になり始めたころを境に、似ていると言われることが多くなったかもしれない。
お兄様はクリス様と並んでいても絵的に見劣りしてないけど……。
「そうでしょうか……。私はクリス様に釣り合っているんでしょうか……」
「まだ言うか。ーーよし、それなら、俺が白薔薇だとしよう」
は?
なにそれ、自慢?
「白薔薇って……」
俺様は白薔薇のように美しいってか。
確かに美しい白金の髪からしてイメージにぴったりだけど、その話、いまじゃないといけないんですか……。
「まあ聞けよ」
「はあ……」
仕方がないから聞くけど、なるべく手短にお願いしたい案件だ。
「白薔薇は一見美しいかもしれないが、肌を突き刺す棘だらけだ。人々は遠巻きに眺めるだけで、誰も手を触れようとはしない。対するお前は、例えるなら赤いチューリップだな。まっすぐ空に向かって元気に咲いている。見るものが思わず微笑んでしまうような愛らしい花だ。お前の周りには人がたくさん集まってくる」
……もしかして褒められてる?
愛らしいだって。
えへ、そうかな?
「お前は、赤いチューリップは美しくないと思うのか? 醜いから白薔薇には相応しくないと?」
「思いません! 赤いチューリップもかわいいです!」
チューリップにも薔薇とは一味違う良さがある!
「そうだろう? 確かに俺たちの見た目の印象は正反対かもしれないが、それが何だというんだ。性格だって全然違うけど、違うからいいんだよ。お互いにないものを補い合っていけると思わないか?」
思います!
それに赤と白は縁起がいい!
「はいっ! 赤い色と白い色は幸運を呼ぶ組み合わせなんですよ。私たちお似合いってことですね!」
「そうなのか。なぜ幸運を呼ぶんだ?」
知らないけど、昔から紅白は縁起がいいと決まってるんですよ。
「結婚式の時とか歌合戦の時とか、おめでたい時に使う色だから?」
「歌合戦がめでたい……? いや、その前に歌合戦とは何なんだ? お前の言うことはときどき本当に意味がわからないな。でもまあ、めでたいなら文句はないよ。いちごのロールケーキの色でもあるしな」
いちごのロールケーキは真ん中に赤いいちご、その周りに白いクリーム、そして赤と白を混ぜたピンク色のスポンジケーキで出来ている。
言われてみればおめでたい色の組み合わせだし、私たちにぴったりだね!
「私もう見た目のことでくよくよするのは止めまーーー、すみません、あともう1つだけ」
止めます、と言いかけて、前から気になっていたことを思い出した。
「なんだよ」
「クリス様は、私に病気を移した責任を取って婚約したんですよね……?」
意を決して疑問を口にする。
「はーっ。お前の顔に責任取らないといけないような痕が残っているのか?」
クリス様は片眉を吊り上げて不満そうに言った。
「……それは、ないですけど」
自慢じゃないけど、私は肌だけはつるぴか卵肌なのだ。
「それなら責任取る必要はないよな? 婚約は俺がそうしたかったからだよ」
クリス様はふっと表情を和らげると、言葉を続けた。
「お前と出会って、鉛色の雲に覆われたようだった俺の世界は一変したんだよ。お前が青空に変えてくれたんだ。王宮に住んでいた頃の満たされない気持ちはいつの間にか消えてなくなり、気が付くと俺は、お前と一緒にいつも笑っていた。お前は俺に、お前と一緒なら一生笑っていられるだろうと思わせてくれるんだ」
「クリス様……」
そんな風に思ってくれていたとは知らなかった。
私が考えていたよりも、クリス様は私のことを好きなんだと思っていいのかな……?
コンコン!
突然、2人の間に漂っていたふわふわした雰囲気を破るノックの音が響いた。
「こんな時間に誰だ? 見つかったらまずい。ちょっと姿を隠すぞ」
クリス様は声をひそめながらミエナインを羽織って姿を消した。
もうとっくに面会時間を過ぎているから、どうやらここに来るときはミエナインで隠れてきたようだ。
「いいぞ」
「はい」
クリス様の姿が見えなくなったのを確認して扉を開けると、そこには女子寮の寮母さんが立っていた。
もしかして、クリス様が忍び込んだのがバレたんじゃっ!?
私は内心はらはらしながら寮母さんに用件を尋ねた。
「こんばんは。何かご用でしょうか?」
「ええ、たった今マルチェリーナさんにお手紙を届けにいらした方がいましてね。面会時間を過ぎているので私が代わりに預りましたから、こうして届けにきたんですよ」
面倒見のいい寮母さんは、手紙を預ったその足で早速届けに来てくれたようだ。
「まあ、それはありがとうございます」
「いいんですよ。それじゃあ、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
パタンと扉を閉めると、クリス様が顔を出した。
「なんだ手紙か」
「そうですね。誰からでしょうか」
私は手紙を裏返して差出人の名前を見ようとしたけど、名前は書かれていなかった。
「……王家の紋章だな」
そういわれてよく見てみると、確かに赤い封蝋に王家の紋章が押されている。
「アントニーノ王子からかもしれませんね。遊びにきてほしいって言っていましたから」
私は机の上のペーパーナイフを手に取ると、手紙を開封して内容にざっと目を通した。
「あっ、お手紙は王妃様からでした。ーーーええと、今度の休みに王宮に遊びにいらっしゃいって言ってますよ。美味しいお茶を用意しておきますって……、んあっ!?」
「どうした」
手紙の内容に驚いて思わず奇声をあげた私を、クリス様がいぶかしげに見た。
「……あの……、手紙の最後に、クリス様には内緒にしておくようにと、書いてありました……」
もう遅いけど……。
王妃様……、そういう大事なことは、できれば一行目に書いておいてほしかったです……。