第111話 迷探偵チェリーナ
ラヴィエータは硬直したまま目を見開くばかりで、どうすることも出来ないようだった。
その時、びゅうっと横殴りの強い風が馬車を押し戻すように吹き付けて来たおかげで、馬の足がすこし鈍る。
速度が落ちた今のうちに逃げないと、正面衝突でもしようものなら命がない。
「ラヴィエータ! 早く逃げないとぶつかってしまうわ!」
「何をしているんだッ! ーーウォーター・ウォール!」
逃げようとしないラヴィエータにいらだったのか、クリス様は鋭く詠唱して2メートルほどの高さの水の壁を出現させた。
ヒヒィーーーーン!
ラヴィエータと馬車を隔て、忽然と現れた水の壁に驚いた馬が大きく嘶いた。
そして、進行方向を誘導するようにカーブしている水の壁に沿って、馬車はラヴィエータにぶつかることなく校門を出て走り去っていった。
「ラヴィエータ!」
私たちは急いでラヴィエータの元へ駆け寄った。
ラヴィエータは真っ青な顔でぶるぶると震えながら、びしょ濡れになって尻もちをついている。
「ラヴィエータ! 大丈夫? ーーうおっと!」
水の壁は消えたものの、大量に出した水のせいで出来たぬかるみに足を取られてズルッと滑りそうになった。
クリス様……、こんなにたくさんの水が出るようになってよかったですけど、後始末が大変です……。
「大丈夫か?」
私がツルツルと足を滑らせている間に、クリス様はラヴィエータに手を差し出した。
「は、はい……」
ラヴィエータは震える手を伸ばし、おそるおそるクリス様の手に掴まる。
「びしょ濡れになってしまったな」
クリス様はラヴィエータをぐいっと引き上げながら、すまなさそうに言った。
「あ、あの。クリスティアーノ殿下、危ないところをお助けいただき、ありがとうございました」
「ああ、無事でよかった」
まだショック状態から抜けきらないラヴィエータを安心させるように、クリス様は小さくほほ笑んだ。
…………うん?
こ、これはッ!
恋が始まってしまうやつじゃないですか!?
危ないところを王子様に助けられる可愛い女の子って、王道過ぎるほど王道のヒロインだ。
こういうの、漫画や小説や映画やドラマその他もろもろで数えきれないほど見た気がする!
「……あっ!」
クリス様から距離を取るため一歩後退ったラヴィエータは、顔をしかめて声をあげた。
「どうした?」
「あ、足が……」
どうやらさっきの騒動で足をくじいてしまったようだ。
クリス様が手を貸すより早く、私のすぐ横をザッと駆け抜けて行った人影がよろめくラヴィエータの体を支える。
「ラヴィエータ、大丈夫かい? さあ、僕に掴まって。」
私たちより少し遅れて駆けつけたのはアルフォンソだ。
アルフォンソは少しかがむと、ラヴィエータの膝をすくってサッと横抱きにした。
「アルフォンソさん……、ありがとうございます」
「クリス様、チェリーナ、ここは僕に任せてください。ラヴィエータ、すぐに治療するからもう少し我慢してね」
アルフォンソは私たちに一声かけると、ラヴィエータを抱いて女子寮の方向へと歩き出した。
軽々とお姫様抱っこが出来るようになったなんて、アルフォンソも大人になったなあ。
なんとなく2人の後ろ姿を見送っていると、遠くで騒ぎを見ていたらしいお兄様たちが集まって来た。
「さっきのあれは何だったんだ!? いくら薄暗くなって来ているとはいえ、あの距離で人が立っているのが見えないものなのか?」
お兄様が憤慨したように言う。
「……わざと轢こうとしているように見えましたが……。しかし、今日のように貴族が大勢集まる日に、わざわざ事件を起こすなんて正気とは思えません」
デキ男のファエロはあごに片手を当てながら思案するように言った。
「正気じゃないなら頭がおかしいんだろ?」
ガブリエル……、特に考えがないなら無理に意見を言わなくてもいいからね。
「あれだけの騒ぎになっても止まることなく走り去った以上、殺意があったと見ていいだろう。しかし、どこの貴族家にでもあるような普通の黒い馬車だったから、誰が犯人か分からないな」
ジュリオが悔しそうに眉間にしわを寄せる。
ふふふふふ。
ついにやってまいりました、私の出番がッ!
みなさまお待ちかね、名探偵チェリーナの登場です!
「ふふふ、私には分かりました! 黒馬車連続殺人事件の犯人がッ! 犯人はこの中にーーー」
私はぐるりと周りを見回した。
ん?
よく考えたら、このセリフを言うタイミングは今じゃない気がするな。
いろいろ聞き込みとか科学捜査し終わってからの、ラスト15分くらいで言うべきセリフだよね。
「は、いません。この中にはいません!」
「当たり前だ」
「そりゃそうだろ。走り去ったのを見てるんだぞ」
「何を言ってるんだよ」
慌てて軌道修正したものの、男性陣から口々に非難を浴びせられる。
ちょっとフライングしただけなのに手厳しいな。
「ゴホン! 犯人は崖の上にいます!」
「は? 何で唐突に崖の上なんだよ」
知らないけど、犯罪者になると崖に集まりたくなるんじゃないの?
なんであんな逃げ場のないところにわざわざ行くのかわからないけど、よく刑事さんに崖の上に追い詰められてたよ?
「犯人は、10代から20代、あるいは30代から40代の、女性もしくは男性である可能性が高いでしょう!」
って誰かが言ってるの聞いたことある!
……あれ?
なんか、白い目で見られてる気がするな。
「……はあ。馬鹿馬鹿しくなってきた。カレン、中に戻ろうか」
「はい」
私の話に呆れたお兄様が中に戻ろうと言い出すと、みんなもぞろぞろと後に付いて行ってしまった。
ちょ、ちょっと!
私の話が佳境に入るのはこれからだったのに!
犯人は知人の線が濃厚だよ!
……で、ラヴィエータの知人って誰だろ?
皆目見当が付かないな。
「まったくお前は……」
クリス様はハーッと大きなため息を吐いた。
みんなと同じく、クリス様もだいぶ呆れてるみたいだ。
……もしかすると、ラヴィエータと運命的な恋に落ちたことを自覚したせいで、ついに私に愛想を尽かしたのかもしれない……。
「クリス様……。あの、もしかしてラヴィエータのことを……」
「何だよ?」
じろりと私をにらむ。
「私と婚約破棄したいんじゃ……」
「……」
クリス様は無言でじっと私を見ていた。
「クリス様?」
「……99回だ」
「えっ?」
なんの話?
「お前が今までに”婚約破棄”と言ったのは、99回」
ええっ!?
数えてたの!?
「そ、そんなに言いましたか!?」
「ーー俺は考えていた。もしお前が100回婚約破棄と言ったら、それは本気で婚約破棄したいという意味だと受け止めようと。いい婚約者であろうと俺なりに努力して来たつもりだったが、俺の気持ちがお前に届くことはないようだ。お前は、結婚に捉われず、自由に生きる方がいいのかもしれないな。……手を放すときなのかもしれない」
クリス様は私の方を見ようとはせず、夕日を見ながら寂しげにそう言った。
「ク、クリス様……」
ど、どうしよう!?
本当に別れ話になってしまった気がする。
いや、気のせいじゃない、本当に別れ話の真っ最中だよ!
「……俺たちには冷却期間が必要なようだ。少し離れて、お互いに将来のことをよく考えよう」
クリス様はそう言うと、くるりと私に背を向けて歩いて行ってしまった。
「クリス様……っ!」
小さくなっていくクリス様の背中を呆然と見つめながら、どうしてこんなことになったのか考えようとするけど、頭が真っ白になってしまって考えがまとまらない。
クリス様……。
いつもなら怒った顔をして、婚約破棄はしないってすぐに言い返すのに……。
今日は、言ってくれなかった……。