移住に焦がれる者
幕間終わり
幕間 移住に焦がれる者2
「ご助力感謝します」
「いやいや、いいってもんよ。困ったときはってやつさ」
イサエルが飄々とそう言う。
「何か、お礼でもと思うのですが」
イサエルは待ってましたと心の中で思う。
「実はな。あんたトルティ国の人間だろ。ってことはある程度口利きができると思うんだが、俺をトルティ国に住まわせてくれないか」
「住まわせるって。あなたはプル国の者だろう。移住しようというのか」
ヌードラは驚きを隠せない。
「ええ。移住したいと思ってます」
イサエルは頭を下げる。
「いや、恩もあるから何かしてあげたいが、さすがに一介の軍人には荷が重い話だ。ただ、あちらに乗っている外交官なら何とかしてくれるかもしれない」
そう言って、ヌードラが指さす方向には一際ガードの堅い馬車があった。中の人が窓越しにこちらを見ているのがわかる。こちらの視線に気付くと、扉を開け自らが出てきた。
その外交官は女性であった。齢にして四十程か。外交官にしては若い気がする。しかしその若さゆえに気品のある美しさもあるようだ。
「何やら、お助け頂いたようで感謝します。トルティ国外交官を務めさせてもらっているライチです」
物腰柔らかく丁寧にお辞儀をした。さすが外交官である。一挙首一挙動の印象が良い。
「お初にお目にかかります。イサエルと言う者です」
その礼節に応じてイサエルもきちんとお辞儀をする。一応は王の訓練相手をしていた者だ。普段はがさつだが、最低限の礼儀は備えている。
「それで、どのようなお礼をお望みですか」
ライチは察しが良いのか、早く終わらせたいのか、話をさっさと進める。
「はい。実はトルティ国に移住したいと思ってまして」
「そうですか、移住ですか。わかり……えっ、移住」
ライチは合いの手で了承しようとして止まった。目を見開き、ヌードラを見る。ヌードラも少し困った顔をしていた。
「そうですか。移住ですか。前例のない事ですね。どのような意図をもって移住されたいと」
ライチは仕切り直す。外交官たるものあまり取り乱す様を相手に見られてはいけない。
「はい。私は魔術が大好きなんです。然るに本場であるトルティ国に移住し、魔術の研究に没頭したいと考えています」
イサエルは活き活きとして応える。
「なるほど。魔術の研究ですか。しかしプル国でもそれはできるのではないですか。あそこの魔術都市とは懇意に付き合っています。トルティ国の研究成果も輸入されていますよ」
ライチはどうにかして考え直して欲しいようだった。移住を扱うのは嫌なのだろう。
「私はその魔術都市の中枢にいたものです。それはよく心得ております。しかし、そこに飢餓を感じました。輸入していると言っても全てではありませんし、やはり情報量が圧倒的に違いますから」
「中枢に。ではその立場を捨てて移住しようと。それは魔術都市にはしっかり伝わっているのですか」
「はい、勿論です。王と直接話しています」
もっとも、かなり一方的な話だったが。
「私としても助けて頂いた恩がありますし、何かを返さねばとは思っています。しかし、移住は手に余る話ですね。他の事ではだめでしょうか」
ライチはイサエルが考え直さないと踏んで、直に断り出した。
「他に望むものはありません。まあ、こちらとしても確約してくれという訳ではないのです。出来れば証文を書いて頂きたい。外交官のライチがイサエルの入国・移住を推薦する、というものを」
イサエルもライチの立場が分からないわけではない。嫌だというからには政治上、今はあまり目立ったことをしたい立場ではないのだろう。移住の案件はそれほど大きい出来事だ。相手にとってそこまで負担のない形を提案する。
「入国だけではいけませんか」
それでも、ライチは首を縦には振らなかった。
「わかった。確かに移住をお願いするほどの大した恩ではないかもしれない。では長期滞在の許可をくれ。その間に自分でどうにかする」
イサエルも腰を折った。
「長期滞在。それでしたら、なんとか。了解しました。そのようにします」
ライチもこれで了承し、すぐに証文の準備に動いた。イサエルはふぅと溜息を吐く。
「やっぱり、お偉方との話は疲れるな。それが嫌で立場を放棄したというのもある」
近くにいたヌードラに愚痴をこぼした。
「まあ、今回は移住という特殊なケースですので、ご勘弁を」
ヌードラは申し訳なさそうに言った。
「いや、まあ入国と滞在が円滑に進むだけでも儲けもんだけどな」
イサエルも別に責めるつもりはない意志を示しておく。
証文をもらい、ライチ達とは別れることになった。今回女性外交官を使うのは行き先がアマゾネスの土地だからだそうだ。よく見れば、護衛もみんな女性だった。
イサエルはそのままトルティ国へと進んで行った。
「それにしても、あのヌードラとかいうやつ、なかなか強かったな。世の中は広い」
イサエルの武人としての部分がポツリとそう呟かせた。
さらにそこから三日が経ち、ようやく関所についた。
「プル国のイサエルだ。ここにライチ殿からの証文がある」
そう言ってイサエルは門兵に渡した。
「承りました。確認するので少々お待ち下さい」
そう言って門兵はその場で証文を開けて確認する。
「確かに、研究のため、三か月の滞在で宜しいですか」
中身を開ける訳にはいかなかったので今内容を知ったが、三か月しかないのかと苦虫を噛む。半年は滞在できると思っていたのだ。もちろん、トルティ国の事情には詳しくないのでこれでも長い方なのかもしれないが、いささか不満を漏らしたくなる。ライチにしてやられた気分だ。
「はい、そうです」
とはいえ、三か月は自由に動けるのだ。当初のままでは商売のためなので三週間が限度だっただろう。それを考えれば随分と増えた。前向きにそう思うようにした。
「まあ、何にせよ待望のトルティ国だ」
その後も特に問題なくイサエルは意気揚々と入国した。
「で、どこ行けばいい」
さて、行き場所がない。なにぶん土地勘がないのだ。入ったはいいが、どこから行けばよいかわからない。そもそも目的は移住であるのだが、その場合どこに行くのが正解なのかもわかっていない。トルティ国にはドラグナーがいる。そこを目指すべきか。そこはどこか。
「あの、どうしました」
立ち往生していると後ろから声をかけてくる者がいた。若い男の声だ。
「いや、道がわからなくてな」
そう言って振り返る。どうやら二十代半ばくらいの青年だ。
「どこに行きたいのですか」
青年はさわやかに話しかけてくる。
「ドラグナーのいるところかな」
イサエルは頭を掻きながら応えた。
「ドラグナー、リオン様ですか。これは失礼しました。偉い方なのですね」
急に青年が膝を折り始める。イサエルは慌てた。
「いやいや、そういう訳ではない。実は、移住をしたいと考えててな。どこに行けばいいか迷っているのだ。というよりそもそも土地勘がないのでどこにも行けないのだが」
イサエルは素直に身の上を話した。
「移住。それはまた大胆な事を考えるのですね。そういう事なら中央庁まで案内しましょうか。通り道になりますし」
青年は親切に道案内を買って出た。
「是非頼む。イサエルだ」
「ドメスです」
二人は簡単な自己紹介をする。どうやらドメスは今、長期休暇を貰っており、国内を旅しているのだという。普段は船舶業を営んでいるとか。ちょうど帰る道のりでイサエルを見つけたというわけだ。
「へぇ、魔導武闘。トルティ国にはない戦い方ですね」
道中、魔術の話になり、魔導武闘の話題となった。
「そうだろう、そうだろう。なんせ始祖は私だからな」
イサエルは鼻を鳴らして応える。
「えっ、始祖なんですか。じゃあ使い手も限られてる」
ドメスは驚いて食いついた。
「ああ、プル国でも使い手は俺くらいだったかな」
イサエルは魔導武闘は特に誰にも教えてなかったなと確認しながら言う。
「なんか、もったいないですね」
ドメスは残念そうだ。
「もったいない」
イサエルは言葉の真意が掴めなかった。
「ええ。きっと立派な戦術なのに、イサエルさんしか使えないなんて、もったないです」
「なるほど。考えたことも無かったな」
イサエルはまだ33歳である。弟子をとったり、後継者を育てるという方向には思考がいってなかったようだ。
「もし、良ければ。トルティ国で教えてみては。おそらくですが、移住に有利に働くかもしれませんよ」
移住という言葉を聞いて、イサエルは敏感に反応する。
「んっ、どういうことだ」
「移住はさっきも言ったようにハードルが高い案件ですから、何かしらトルティ国にとっても利益がないと許可が下りないと思うんですよね。そこで、魔導武闘という門外不出だった戦法を教えるというのがあれば、許可しやすいのでは」
「なるほどな」
これはとてもいいアドバイスを貰ったとイサエルは思った。
「ところで、実際にはどういう戦法なんですか。本当にトルティ国にプラスになるものじゃないと難しいですよね」
「ああ、四肢に魔力を集中させて強い体術を繰り出すって感じだな」
「体術。では体術に近いのですね」
「ああ、魔術は使うが、ほぼ体術だ。反応速度や威力を上げるためのものだからな。ってそれじゃあやっぱりだめか」
言いながら、魔術感がない事を悟るイサエル。
「いえ、逆にいいかもしれません。一応トルティ国には体術は柔術っていう技がありますが、それはあくまで防御のため。しかし魔導武闘は攻撃型ですから今までのトルティ国にはないです」
「そうか、いいか」
一気にテンションが上がるイサエル。
「後は、どれだけトルティ国の国民に馴染むものかですよね」
ドメスは顎に手を当てて考える。
「そんなに難しくはないぞ」
「では、少し手合わせしませんか。どういうものか見てみたいので。それでその後私に教えてみて下さい」
顎にある手を解き、ドメスは立ち止まってイサエルを見つめた。
「おお、そういう事なら喜んで」
イサエルは立ち止まり、ドメスに対峙する。少し、緊迫感のある空気が流れる。
「で、どれくらいで戦えばいい」
イサエルはトントンッとつま先を地面に当てて、感触を確かめている。少しずつ距離を取ってよい間合いを作る。
「一応、全力で。私も少しは戦えるのですぐには終わらないかと」
ドメスも地面に足をしっかりと着け、身構えている。
「オーケー、全力な」
そう言って、イサエルは四肢に魔力を集める。そして、高速で駆け出した。拳がドメスを襲う。
ドメスは躱さずにそれを受け止めた。両手でからめとる様にし、そのまま勢いを受け流してイサエルを投げ飛ばす。イサエルは大きく飛ばされた。
「確かに凄い体術だ」
そう言うドメスの額には既に汗が滲んでいた。
「おお、口だけではないようだな。それが柔術か」
イサエルはしっかりと着地する、それほどダメージはないようだ。
「では」
もう一度高速で迫る。そしてフック気味のパンチを繰り出した。ドメスは反応する。先程のように受け止める算段だ。しかし、パンチはドメスに届かなかった。
「フェイントだよ」
するどい蹴りがドメスを襲う。が、それはシールドにより防がれた。しかし、そのシールドごとドメスを吹き飛ばす。
「いつの間に。防御はお手の物ってか」
イサエルの蹴りはシールドで軽減されたがドメスまで届いていた。ドメスの口から胃液が零れ落ちる。
「ガードしても、この威力か」
ドメスは息をゼイゼイに言葉を漏らす。
「この辺でやめとくか」
イサエルは余裕の表情である。
「いえ、もう少し」
しゃがれ気味の声でドメスは応える。
「オーケー、殺しはしないから安心しな」
そう言って、イサエルはまた動く。
「明鏡止水」
と、ドメスはそう呟いた。
「うらぁ」
イサエルの拳が的確にドメスのこめかみを狙う。が、それは凄まじいスピードであるにも関わらずドメスに避けられてしまう。
「動体視力の良いことで」
イサエルは構わず、逆手で拳を振るう。しかし、それも躱されてしまう。
「さっきまでと違う。では」
いささかの疑問が過ぎるも、戦闘中に考え過ぎるのは悪手だ、すぐさま次の行動に移る。
「流麗撃」
さきほど魔獣に打ち込んだ技だ。流れるような攻撃がドメスを襲う。
右ストレート。流される。
左フック。流される。
勢いをつけた回し蹴り。足を払われ、身体を回される。
イサエルの目の前が回転した。ものすごい勢いで空中で腹を中心に回されているのがわかる。空中にいるため、遠心力があるため抵抗ができない。そして、ドメスの渾身の掌底が突き刺さる。
ドゴッ
イサエルは思いっ切り飛ばされた。軽く血を吐いてしまう。身体が地面に着くと、抵抗も出来ずに二転三転と転がってしまう。やっと落ち着いた先はドメスから10メートルは離れていた。
ドメスは地面を蹴ってすぐにイサエルに近づく。しかし、イサエルは立ち上がって体勢を立て直す余裕がなかった。腹部からの激痛が身体の自由を奪っている。
ドメスは近づき、拳を打ち下ろす。しかしそれはイサエルの顔面すれすれで止まった。
「俺の負けだな」
イサエルはポツリと呟いた。すでに抵抗の意志はない。いや、淡い希望を打ち砕かれた姿だ。魔導武闘を使っての移住の件はこの敗北でパーになってしまった。イサエルは、放心しながら空を仰ぎ見る。
「素晴らしいですね。これならいけますよ」
と、ドメスが明るい調子でそういった。
「えっ、何言ってるんだ」
イサエルはわからない。自分は負けたはずだ。
「いや、いけると言ったんです。魔導武闘をトルティ国に広める方向で移住の件行きましょう」
ドメスはどんどん話を進める。
「えっ、どういうことだ。俺は負けたはずだ」
イサエルが目を点にしながら聞く。
「勝ち負けは関係ないですよ。有用かどうかなので。実は私船舶業と言いましたが、一応国営の船舶業でして、国の機関の一つを担っています。外交の要職ではあるんですよ、一応。私の方で書簡を書きますのでそれを中央庁に持って行って下さい。それで後は流れに任せれば大丈夫かと」
「は、はぁ……。って移住できるという事か」
イサエルは飛び起きた。もう痛みなど忘れている。
「あっ、そうだ。後教えてもらうんでしたね。そういうスキルがイサエルさんにあるか知りたいので、道中だけでいいので教えて下さい」
「いや、それはいいけど。えっと何から……。ってドメス君、いや、さんは凄い人だったんですね」
急にイサエルは畏まった。それに対してドメスが噴き出す。
「今まで通りでいいですよ。それより、どうやるんですか」
ドメスは魔導武闘にかなり興味があるようで、すぐにやり方を聞いてくる。目がらんらんと輝いている。
「ああ、えーっと。ってその前にさっきのめいきょうなんちゃらってのはなんだ」
イサエルは自分の敗北に繋がったドメスの技が気になって聞く。むしろ、武人としては先にそちらの正体が知りたいところだ。
「ああ、明鏡止水ですね。秘密です。門外不出って事で」
ドメスがお茶目に応える。その茶目っ気にイサエルは肩透かしを食らった気分になる。
「俺のも本来、門外不出なんだが」
イサエルは聞けなかったことに不満を漏らす。
「移住したくないんですか」
ドメスが痛いところを突いてくる。
「わかったよ。冗談だ」
こうして、イサエルは一方的に自分の技を教える羽目になった。何か二重に負けたような気分になる。だが、しかしそれ以上に移住の権利を得る布石を得たことが大きく、そんな負けなど些細なものにも感じられ、イサエルの気持ちは高揚しているのだった。
その一か月後。あらゆる審査を終え、イサエルは居住の権利を得た。勢いだけでプル国を旅立ったイサエルだが、強運の元移住を手にしたのである。その後、イサエルがトルティ国の国民となり、果てはドラグナー選挙に立候補することは誰にも、イサエル本人でも思い描けない出来事であった。
しかし、裏を返せばそれは、イサエルがそれほどまでにトルティ国の信用を得たという事であり、イサエルが本気でトルティ国を愛していたという結果なのだろうと思う。イサエルは正真正銘のトルティ国の住人なのだ。
今後の活動のため、ご感想などお待ちしています。




