第一章 英雄の誕生 第五節 戦争が終わるならなんだっていいや
精神世界とはどういったところでしょうね。
第五節 戦争が終わるならなんだっていいや4
騎兵団との戦はアマゾネスの勝利で終わった。最終的な被害は二万二千で、残り兵力は二万八千だ。最終兵器のアミ部隊が八千、部族に出張中のロイヤ部隊がどれくらいかはわからないが数千程度がそれに加わる。一勢力をこのくらいの戦禍で収められたのなら上々だ。
部族とコスカの戦闘も既に終わっているようだった。当然というか部族側の勝利で、今は魔術都市軍と戦っている。魔術都市側は兵力が温存できていたため出足は魔術都市側が優勢に戦況を進めているようだ。アマゾネスの合流が必要になってくる。
とは言え、アマゾネスはすぐには動かなかった。激しい戦闘が終わった後という事もあり、少し休憩を入れたかったというのと、できるだけ両者が弱ったところで参入したいのだ。二勢力の今の数は十万前後。このまま参戦して一気に終わらせた場合、場合によっては部族側は八万以上の兵力が残ることとなる。対してアマゾネスはおそらく三万前後。同盟破棄の可能性を考えると少し軽視しがたい数字だ。
もちろん、とは言っても怪しまれるほど待機する訳にもいかない。出張しているロイヤ部隊のことも気になる。アマゾネスは五日ほどの待機の後動き出した。
魔術都市側すればアマゾネスがどちらについて戦うかはわからないところだろう。特に、五日ほどの沈黙が出方を窺っているように見えて中立に見えるはずだ。そして自分からは戦線を拡大して敵を増やしたくないであろう。アマゾネスは別段大きな抵抗もなく最前線まで辿り着く。
戦況は意外にも部族側が押し返しており、放っておいても勝ってしまうかの勢いだ。もちろん、だからと言って静観する訳では無い。魔術都市側に攻撃を仕掛ける。魔術都市側は完全に体勢を崩し、蜘蛛の子を散らすような進撃をする。そのまま一気に押し込めるかに思えた。が、魔術都市側もそう簡単には倒れてはくれなかった。
「なんだ、あの魔方陣は」
進撃の最中、空が急に暗くなり、コルットが見上げるとそこには巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。自然と軍の足並みが止まる。
「大規模魔法」
近くにいたネネチが呟いた。魔術都市軍得意の大規模魔法だ。しかし、今まで体験したものの比ではない。戦場一帯を覆い隠すほどに展開されている。
(まずい)
コルットは頭の中にすぐその考えが浮かんだ。退避とも考えるが、今から邪魔間に合いそうにない。敵に紛れて被弾を避けることも考える。しかしおそらく、激化する敵の攻撃と魔方陣の規模の大きさから考えて、敵味方を判別するタイプの魔法である。それは許されないだろう。
「ロイヤ隊と合流だ。他の隊にも伝えろ」
それで出てきたのがロイヤ隊、魔術師隊との合流である。魔法障壁を作ってもらい、耐えるしかない。間に合うかはわからないが、今はそれしか手立てがない。
ロイヤ隊との合流はなんとかできたが、すぐに巨大魔法弾の雨が降り始めた。ロイヤ隊は既に障壁を展開しており、味方を極力守るためにその障壁を引き延ばしていた。しかし、ロイヤ隊も数を消耗しており十分な障壁を張れていない。続々と味方が集まるが、全員は守れなさそうだ。巨大魔法弾の雨が容赦なくアマゾネスと部族に襲い掛かる。次々と人馬が飛び散っていく。
このままではいけない。コルットはどうにか頭をこねくり回す。アマゾネスには精神系の魔法への耐性があるが、こういう物理的魔法に耐性がないのは悔やまれる。
「もし、加護をシールドにして盾にできるなら」
ぽつりとそんなことを呟く。すると、近くにいたネネチが反応した。
「加護の力を増大させることはできるのですが、盾にするというのは聞いたことがありません」
ネネチも考えているのだろう、かなり真剣な面持ちだ。いや、待て、加護の力を操作できるというのか。
「加護の力を操作するというのは初耳だな」
コルットは純粋に気になったので聞いてみる。
「はい、リミットオーバーブレイクと言いまして、一部の猛者が到達できる技です。加護の性能を一時的に飛躍させる技で、信じられない身体能力になります。サリー様も時々使っておりました」
コルットはそんな便利な技があるものかと感銘を受ける。しかし、盾には使えそうにない。だが、一応使い方くらいは知っておきたい。
「ネネチ、お前も使えるのか」
「はい。一応」
「使い方を教えてくれ」
「あっ、はい」
ネネチは少し狼狽えるような反応だ。おそらくはサリーから教わったのだろう。教わった相手に教えるというのに不思議な感覚があるのだろう。
「まずは心の中の加護の聖域に訪れ、その中心に行き、そこで加護の女神にお願いをするのです。その後は聖域にある女神の泉に身を委ねます。そこで加護の力を、身体の周りに感じるものを、集中して感覚として得る感じでしょうか」
コルットは目が点になる。心の中、加護の聖域、加護の女神、泉。どれもピンと来ない。サリーができていたので、できないことはないだろう。そう思っていたが、少し特殊な感覚の様だ。
「心の中では一分を一時間に感じますので、さほどの時間はかかりません」
「ちょっと待て、ネネチ。心の中に行くというのはどういうことだ。正直意味が分からない」
さも当然という感じで話すネネチを止めて、話を整理させる。
「あっ、すみません。そうですよね」
ネネチにはサリーにはできるものという感覚がまだ残っているのだろう。あるいは教わったときに同じように教わったかだ。
「そもそもこの技が万人に使えないのはこの心の中の聖域に辿り着けない者が多いからだという事を忘れていました。記憶がないという事はその感覚も理解できないのですね。
簡単に言うと、お願い事をする感覚です。お願いをするとき心に願いを念じますよね。それと同じです。ただ、その際に心の聖域をイメージしなければなりません。聖域とは神聖な場所です。自分の中心がどこかをイメージし、その場所を探すのです。そしてその場所で自分なりの聖域をイメージして下さい。後はそこに自分の姿もイメージして下さい。全てがイメージできたときに、そこに自分が立っています」
ネネチなりに易しく説明してくれているのだが、果たしてできるものか。自分の中心をイメージするというのは意外と難しいような気がする。心ということか。心だとしてそれがどこにあるのだろう。脳か、心臓か。中心というからには心臓な辺りな気がする。
それに加えて自分の姿と来た。普通の人なら大して問題ではないだろうが、コルットの場合は簡単には判断できない。サリーの身体なのだからサリーとしてイメージした方が良い、のだろうか。加護はサリーの身体に対してかかっているのだからそれが筋だろう。
というよりこの技は肉体的な技と言うより精神的な熟練度による技ではないだろうか。つまり、自分ではできない気がしてくる。
「ポイントはできると信じ込むことでしょうか」
ネネチが説明を終える。できると信じることか。今のところ絶望的である。とは言え、できたら儲けものである。やるだけやってみるというのもいいかもしれない。
「そうか、やってみる」
コルットはそう言って、目を閉じる。
ポイントは信じること。できる、できる、できる。とりあえず、サリーとして考えることにする。中心は心臓の辺りを想像しておこう。
さて、肝心のお願いだが、加護の力を飛躍させて下さいと言うところか。いや、どうせなら盾にしたいが。どうせダメ元なのだから盾という事で行こう。皆を守れる盾だ。
次は心の聖域のイメージか。聖域と言うのだから深緑に囲まれた神殿かな。イメージしてみる。
そして、自分の、もといサリー姿。正直サリーのイメージはいつも鏡で見ている姿しか知らない。特に印象的なのはやはり最初に見た時のサリーだ。衣一つ着ずに自分の姿を、身体を見るために見たときのあの印象が強い。気品があり背筋がスッと伸びていた。女性としてのふくよかさと戦士としての引き締まった身体が脳裏に浮かぶ。
これで、いいのだろうか。コルットはゆっくり目を開ける。と、そこには自分がイメージした神殿の入り口があった。驚くことに成功したようだ。
コルットは恐る恐る進んでいく。靴を履いていないので、小石や小枝が気になるが、そういう痛みは感じなかった。夢の中のようなものなのだろうか。ほっぺをつねってみるが、痛くない。どうやらそのようだ。そうこうしているうちに神殿の中の広場に到着した。
広場には巨大な石像が置いてあった。美しい女神像だ。長いショールを肩に掛け、そのショールが全身の恥ずかしい部分を覆っている。女性としての曲線美が艶めかしく、像は遠くを見つめていた。確か、加護の女神に会うと言っていたが、この像のことなのだろうか。コルットはとりあえずお願いしてみる。
(我の名はサリー。今、貴女の助けを借りたくてここに来ました)
サリーの口調を真似して願ってみる。こんなのでいいのだろうか。と、石像がみるみる色を帯び、石の肌から人の肌に変わっていく。生気のない姿から荘厳な存在感を醸し出す姿へと変わっていく。その巨大さもあってコルットは少し後退りしてしまう。
「貴方はサリーではありませんね」
その巨大な女神が発した第一声は思いもしない言葉だった。コルットは何と答えればよいかわからない。
「貴方の本当の姿におなりなさい」
そう言うと、コルットの周りにキラキラした七色の輪が出てきて、下から上へと昇っていく。それに合わせて身体がいつぶりかのコルット自身のものになっていった。コルットは驚きながらも、懐かしさを覚える。ただ、目の前にいるのが仮にも女性であり、自分は男で、しかも裸だという事で妙な恥ずかしさを感じた。反り上がる股間を抑えて隠す。
「あっ、えっと、コルットと申します」
とりあえず恥ずかしくて女神を直視できないが、自己紹介だけする。何度も自分自身の身体に今はダメだと言い聞かせる。
「あまり気にしなくて大丈夫ですよ。人間の摂理です」
女神は優しく微笑みかける。あはっと苦笑いをしてコルットは返した。
「それで、何をしにここに」
依然として女神は優しい。コルットはその優しさに解されて少し冷静になる。
「あの、アマゾネスにかけられた加護を高める技を習得しに来ました」
コルットは加護が自分にかけられたものでないため、少し申し訳ないような気持ちになる。
「そうですか。加護を引き出したいと」
女神はそう呟いて少し考える。やはりコルットにかけているものでないので無理なのかもしれない。
「貴方はアマゾネスではありませんね」
「はい」
やはりそこが問題かと思いながら素直に応える。
「どうして加護の力を引き出したいのですか」
女神は少し間を置いて質問する。
「それはーー」
コルットはここに来た経緯を説明する。ついでにどうして今サリーの身体に憑依しているかもだ。
「そうですか」
女神は短くそう言って、少し考える。
「アマゾネスにどうしてあのような加護が掛けられているかご存知ですか」
すると、女神からよくわからない質問が出てきた。考えたことも無い。
「いいえ。全然。いや、強いて言うならか弱いからですか」
以前少しだけ考えたことがあった。そう、自分の、サリーの身体を調べた時だ。快感という弱点のようなものはなく、女性特有の非力さは感じなかった。まあ、快感が弱点かは知らないが。コルット的には拷問、調教の末の快楽堕ちみたいなエロ小説を何度か読んだことがあるので弱点だ。
「そうですね。女性はか弱いです。そして美しくあるべきです」
女神はどこか遠くを見つめるように滔々と語り出した。
「人間には男と女がいます。男は狩りに出るために強く逞しく、女は家を守るだけなので非力なままに。そして、女は生きる為の強さを備えた男に魅力を感じ、男はより美しい女を好みます。
女は子孫を繁栄の為の子を産む役目を持っています。そして、どの男を受け入れるかは本来なら女性が決められることなのです。ですが、男は傲慢に進化していました。その力強さでもってか弱き乙女達を無理やり我が物にする輩が多いのです。対等であるはずの男と女の関係がその力でもって崩れてしまったのです」
コルットは無理やりどうこうといった風に女性と接したことはないが、妄想とかではそれに近いことを想像して楽しんでいた。つまり他人事ではない。それに実際そう言う輩がいるのは事実だ。ほんの少し縮こまる。
「男は食料、生きる糧を得ているということに傲慢でした。女の役目を自分達のそれよりも卑下したのです。女はただ丈夫な子を産めばいいと。
私はそうした状況を看過できなかった。そこで、女性にのみ特有の加護を掛けたのです。男のそれより強く、また男がひれ伏したくなるほど美しくなれる加護を」
女神は遠くを見つめていた目をコルットに向ける。コルットはびくっと少し怖がってしまった。自分は男だ。
「神聖な女体に宿りし穢れた魂よ。いかようにその魂をその身に移した」
女神から重く痛々しい圧がコルットに向けられる。そう言えば、アマゾネスの加護は精神魔法なようなものへの耐性が強いはずだ。きっとそれを言っているのだろう。どうやってその保護を突破したのだと。しかし、コルットの中に答えはない。
「その、魔法をかけられて」
コルットは気圧されて声が小さい。先程も説明した言葉をぽつりと呟いただけだった。
「我が加護は容易に屈せぬ。どれほどの使い手ぞ」
女神の怒りが顕わになってくる。コルットは尻餅をついてしまう。尻餅をつきながら思うのは、そう言えばシーミャのことは良く知らないということだ。ただ、テンタティブドラグナーとは言っていた。
「テ、テンタティブドラグナーです」
半ば悲鳴を上げるように応える。女神は表情こそ変わっていないが、目の鋭さや言葉の覇気がまるで違う。
「人間如きに我は後れは取らぬ」
女神が張り上げるように強く言う。コルットは完全に縮こまってしまう。
「わ、私としても、これは不慮の事故でありまして、私の意図の中ではありません。それに私は貴女が敬愛する女性、アマゾネスを守るためにここに訪れました」
あまり慣れていない敬語を混ぜつつ、焦りながら言葉を並べる。女神はコルットの言葉に関心を寄せたようだった。コルットをじっと見て、鋭い目つきに宿っていた殺気を抑えている。
「アマゾネスを守るためか。確かにお主の心の響きにはそれらしきものがあったな。どのようなものか」
女神が殺気を抑えてくれるので、コルットは詰まっていた息を自由にしていた。コルットはこれ以上機嫌を損ねない様に言葉を選びながら発言する。
「はい。えーっと。今、人間界では戦争をしており、我がアマゾネスが窮地におります。具体的には魔術師どもの大規模魔法にて大打撃を受けようかというところです。そこで打開の方法を探るためにここに伺ったという訳です。
加護を操る女神様なら何か方法をご提示頂けるものと思いここに来ました。なにやらアマゾネスにはリミットオーバーグレイクなる秘技を女神様からご教授頂くことがあると」
敬語はなれないが、サリーの口調を真似するように自分なりに精一杯使う。そう言えば、元の身体になってからは口調が自動変換されないなとふと思う。もしかしたらここが心の世界だからかもしれない。
「アマゾネスの危機か。確かにアマゾネスは我が子同然。その危機となれば放っておけはしない」
女神はコルットからは視線を逸らし、少し考えるように空を見つめた。
「だが、男に我が法力を授けるのは癪」
女神はそう言ってちらっとコルットを見る。コルットはそれを怖がり内心びくっとする。もう帰りたいとなんだったら思い始める。
「我が法力は精神を使い用いるもの。故に肉体が変われど使用することはできる。つまりお主が元の身体に戻ってもその法力は使える。それが気に食わぬ」
女神は苦虫を噛み潰すように言葉を捨てていく。
「その、無理なら仕方ないですが、せめてアマゾネスを守る案がありませんでしょうか。心こそ男ではありますが、アマゾネスは今や私にとっては仲間なのです。ともかくどうにかしたくて」
コルットとしては元々ダメもとだったため、無理なら無理でもいい。他の方法を探すだけだ。確か精神世界の方が現実より時間が経つのが遅いと言っていたため、ついでなら今のうちにその案を模索しておきたい。
「なるほど、お主のアマゾネスへの想い。偽りではないようだな。であるならば、法力を預けてやってもよい」
「えっ、本当ですか」
コルットは意外過ぎて声が緊張感のないものになる。かろうじて言葉だけは丁寧なものを選べた。
「ふむ、今回だけは特別です」
女神の口調も段々と優しいものに変わっていく。どうやらリミットオーバーブレイクを使えるようになるようだ。
「ただし、我が法力を授ける事ができるのは一度だけ。また、その形態も基本的に変えることはできません」
コルットは女神の言葉に少し引っ掛かる。形態と言ったが、何種類かあるのだろうか。
「ここに来るものはこぞって力を求めます。貴方もまた力を求めるのですか」
女神が問う。どうやらリミットオーバーブレイク以外の法力も使えるようだ。今欲しいのは確実に盾系の法力だ。だが、本当にそれでいいのだろうか。一度しか得られないと言った。他の人同様にリミットオーバーブレイクの方が良いのではないだろうか。自分の弱さを知っているだけにそういう身体強化的な技の方が後々役に立つかもしれない。コルットは暫く考え込む。
「貴方に問いましょう。この力は何のために使うかを」
見かねた女神が質問をしてくる。何のため。そうだ。自分の為にここに来たのではない。仲間を守るためにここに来たのだ。やはり必要なのは守りの力。コルットは答えが決まる。
「そうでした。仲間を守りたいです。仲間を守れる力を私に下さい」
「フフッ、ハッハッハッハ」
コルットが答えると女神が笑い出した。コルットはきょとんとする。
「コルット。もし貴方が他の人と同じ力を求めるようでしたら、即刻ここでその魂をかき消すところでした。私が許した姿と異なる故に、です」
コルットは言われてハッとする。アマゾネスを守るために来たと自分で言っていたのだった。攻める力は自分の為のものでしかない。危うい所だったとヒヤッとする。
「奥に行き、泉に身体を浮かせなさい。直に力の使い方がわかります」
女神はそう言うと、石像の姿に戻っていった。これ以上話すことはないという事だろう。
コルットは像の後ろにある扉から奥へと入って行く。扉を開けると目の前には大きな泉が広がっていた。森の木々に囲まれており、空には雲が浮かんでいる。
コルットはそのまま進み、泉の前に立った。泉は澄んでおり、自らの姿が鏡のように映し出される。コルットはそこで久しぶりの自分の姿を確認する。懐かしい。こうなってみると男だった頃が羨まれる。変な責任感に捕らわれることも無く、自由気ままに生きていたあの姿。女になってみたいなど思った自分が阿保だった。もちろん普通の女の子ならまだ違ったかもしれないが、どちらにせよムダ毛の処理やら何やらと、美しさを保つ面倒も多いのだ。それにこの身体は追及したかった性の快楽も追及できない。もっとも、性の追及に関してはこの身体になってからの色々でだいぶ薄れてきてはいるが。
コルットはゆっくりと泉に足を踏み入れていく。腰ほどまで浸かってからゆっくりと仰向けに浮かんだ。すると木々に囲われた空が目の前に広がる。心の中に空があるというのも不思議なものだが、それを言ったら神殿やら森があるのもそうだ。あくまでここは自分が想像した世界であり、自分自身の心の中なのだ。
女神はただこうして浮かんでいれば良いと言っていたが、何か起こるのだろうか。コルットにはただ水に浮かんでいる感覚しかわからない。何か特別なものが身体に湧き起こる訳でもなく、ただただ水に浮かび空を見つめているだけだ。
それから長い時が流れる。二、三時間は経ったろうか、コルットはいつの間にか何も考えなくなっていた。ただぼーっとしていた。コルットは自分の呼吸音と心臓の音だけを静かに聞きながら、雲の流れを見つめている。
ドクン
心臓の音が次第に大きく感じられ、その鼓動に合わせて水が幾らかの波紋を作り出しているのがわかる。
ドクン
鼓動を大きく感じるたびに波紋も大きく感じられる。
ドクン
次第に意識はその波紋の行方を追うようになり、目の前にいる空はどこかへ行ってしまった。
ドクン
コルットはいつの間にか目を閉じていた。するとより鼓動を感じる事ができる。
ドクン
身体が鼓動に合わせて生きているというのを感じるようになる。生きているというのは息をしているというべきか、鼓動により生命エネルギーを受け取り、活き活きとしているのだ。
ドクン
細胞の一つ一つがそうして生きて、この身体は生きている。それを感じた。
ドクン
加護の力がその生きている細胞を支えているのを感じ始めた。細胞一つ一つを支えるように力が染み渡っている。
――
すると、鼓動が聞こえなくなる。驚き、目を開けるが、真っ暗で何も見えなかった。まるで自分が死んでしまったかのような感覚に陥る。コルットは混乱し、身体を動かしてみる。しかし動かせたような感覚はなく、ただただ混乱を極めるだけだった。
しかし混乱していても仕方がない。落ち着こうと深呼吸をしてみる。もちろん感覚はなかったが、幾らか思考が冷静になった。ここはイメージの世界。もしやそのイメージがなくなっただけなのでは。確かに自分はぼーっとしていた。そう思考を纏めて、コルットはイメージをした。自分の身体を、世界を。すると、すーっと先程までの世界が戻ってくる。
ッハー
大きく息を吸う。物理的な深呼吸ができた。まるでずっと息を止めていたかのようだ。心臓も止まっていたのかもしれない。少しの間息を荒く吸い、少しずつ息を整える。澄んだ空気が肺の中を満たしていく。
入ってくる空気に合わせてイメージが膨らんできた。何かを掴んだ気がした。イメージが手に取るように自在に広がる。加護の力がそれを助けてくれる。その感覚を掴んだ気がした。
コルットは目を瞑って、現実世界に戻ることを試みる。もうここに用はない。帰り方をそういえば聞いていなかったが、なんとなくわかる気がするのだ。目を閉じて現実世界をイメージする。コルットは現実世界にいた時の感じを思い出す。どう生きていて、何があったのか。どういう人がいて、どういう形だったのか。その世界に、自分はいると。
今後の活動の為感想など頂けると幸いです。




