fiction 1
「皆さん、此度はこの国立ベルトハルツ名誉学園への入学おめでとう。わたしの名はグラウス=バリウス、名誉なことにこの学校の学長をやらせてもらっている」
深く、深く底なしの沼のように、されど沼とはまるで正反対の、ずっと居たいと思わせる、そんな場所。
「この日この瞬間から晴れて新入生となるわけだが皆さんには先のことにしっかりと目を向けていってほしい。軍人になるものや貴族になるもの、役人になるもの、はたまた卒業後も勉学に励むものも出て来るだろう」
ただそこにいるだけ、いるだけで快楽の渦へと飲み込まれて行く。人生、大抵何もしなかったら悪い方向へ向かって行くものだ。
「この学校に入ってから様々な選択肢に遭遇するだろう。その時、自分たちの先の、将来のことを考えて行動していってほしい。然すれば自ずと自らの望む道へと進む事ができるだろう。だか、日々の努力を欠かしてはならない」
そう、人生とは逆方向の動く歩道のようなものである。歩く、つまりは努力をしないとたどり着くことは出来ないのだ。
「皆さんには真面目に、日々の授業に励んでもらい、延いては我が国の発展へとつながるような人材になっていってほしいと思っている」
そう、つまり何もしなくても極楽浄土へと行けるなんて世界はないのだ。もしあるのであればそれは現実ではない。
「とくに人の話を聞いている時に居眠りをする人間にはならないでほしい。ではこれで私の話を終わらせていただきたいと思う」
つまりこれは現実ではない。詰まる所何が言いたいかというとこれは現実ではなく――
「ねえ、ちょっと、寝てないで早く起きなさい。先生たちに見つかるわよ」
「んんっ、ん? 入学式は終わったのか?」
などとカッコいい言葉を連ねてみたが、単に熟睡から目が覚めたものの起きるのも面倒臭く、かといって目を瞑っているだけなのも暇。そのためとりあえず脳みそを使ってみただけ、詰まる所ただの現実逃避である。
「やっと起きたの?あなた入学式でよくも堂々と寝れるわね。人数が多いから先生方にはバレてないでしょうけど、学長には目をつけられていたわよ」
と、横に座っていた赤髪の女子が親切にも今の状況を教えてくれた。未だに少し頭がぼやけており、現状の再確認を試みる。
(確かクソジジイに学校に無理矢理入れさせられて…今は入学式か)
周りを見渡す余裕も出てきたため、周囲を見渡してみる。かなり大きい会場のようで、端の方にいる人物の顔を確認することは難しそうだ。
もちろん、周りには会場を埋め尽くすほどの学生がおり、眩しいほどの純白の制服が目に焼き付く。しかしどうやらそれは制服の色だけが原因ではないようだ。
(みんな張り切ってんなあ…)
そうこうしている内に、頭もようやく通常航行に移ったようだ。先ほど声をかけてくれた生徒に目を向ける。
「入学早々やっちまったかなぁ…そういえばお前は?」
そこでこんな綺麗な赤髪の知り合いはいないことに気づき――というか知り合いそのもの自体が少ないのだか自分でいうと悲しくなって来るので目を瞑っていることにする――名前を知らないことを思い出す。
「あなた、初対面の女子に向かって"お前"は失礼だと思わない? それに名を聞くのなら自分から名乗るのが礼儀じゃなくて?」
と、まるで貴族のような丁寧なお言葉で文句を言われる。ムカつかないわけでもないが、今更この程度で怒りを露わにするような若々しい精神は既に何処かへ行ってしまっている。
「まあ、入学式に堂々と寝ている人に礼儀を求めるのも無理な話ね。いいわ、私から名乗ってあげる。私の名はエリス、エリス=ブリュンバルよ」
その名を聞いた瞬間、脳が急激に活発化する。全細胞が臨戦体制にはいったかのような錯覚をする。だが悟られてはならないと必死に自制する。
「失礼な奴で悪かったな。俺の名はアスト、アスト=ベルガルドだ」
さも何もなかったかのように自然な対応をする。
「アストね。いいわ、同級生になるんだし名前は覚えておくわ。まあ、来年あなたが後輩にならない限りはね」
「そりゃあ、ありがたいことで」
全く思ってないが一応の感謝はしておく。今はそんなことよりも何かが頭に引っかかり、しかしその原因も今一分からず、どうしようもない苛立ちが芽生える。
「さ、そろそろ移動のようね。ま、一緒のクラスにならない事を祈っておくわ」
と、失礼な事を言いながら立つエリス。だか、何やら考え込みぶつぶつと言っていて動かない為、席が詰まってしまっている。ちなみにエリスが座っている席が一番左端なため、エリスが動くか、右にいる全員が動くまでアストも身動きが取れない状況だ。
「ほら、早く行かないと後ろが詰まってるぞ」
「そ、そうね」
気のせいよね、などと言いながら足早に席を立って行くエリス。
アストも同じクラスにならないように祈ってはいるものの、悪い予感が頭の中をグルグル走り回っていた。
アストの悪い予感の的中率には少々自信があり、この時すでに自分の未来が見えている気がしたアストであった。