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fiction 54

「アストさん聞こえていますか?」


 鼓膜を優しくなでるように過ぎ去る聞覚えのある声、目の前を光芒のように照らす金色の髪。脳を掠めるのは幼き記憶。


「フィー……ネスか」

「あら、アストさんは私の名前を忘れてしまったのですか。私悲しいです」

「ち、違うって! 少し寝ぼけていただけだ!」


 わざとらしくハンカチを取り出して泣く真似をするフィネス。それにマンマと引っかかったアストは何とか弁明しようと必死だ。


「ふふっ、どうやらお元気なようですね。いきなり倒れてしまったのでとても心配したのですよ?」

「心配させてスマンな。一応俺の方が護衛っていう立場なのにこれじゃ真逆になっちまってるな……」

「そのようなことはありませんよ。ルーシェ先輩からご武勇は聞いています。とてもご活躍したようですね」


 まるで物語の英雄を見るような目に、アストも少し小恥ずかしくなってくる。


「そ、そんなのルーシェ先輩が盛ってるだけだよ」

「あら、ルーシェ先輩は嘘つきだとおっしゃりたいのですか?」

「すいませんでした俺が悪かったです」

「ふふっ、素直なアストさんも好きですよ。それよりケイネス様もそのような場所にいらっしゃらないで此方に来てください」


 後ろを向いたフィネスの視線には病室の扉があり、少ししてこの部屋に入ってくるものがいた。


「別に俺は貴様の様子を見に来たわけではない。護衛の癖してその体たらくな貴様と違い、フィネス様をお護りしているのだ。断じて貴様に会いに来たわけではないことを肝に銘じろ!」

「ケイネス様もとても心配していらっしゃったのですよ」

「ちょっ、フィネス様! そのようなことは断じて!」


 病室にもかかわらず随分と騒がしくなっている。しかし生憎とこの部屋は個室のようで、アスト以外にルームメイトはいないようだ。


「あれ、アストはようやくお目覚めか! って、フィネスさんいたんですね」

「あ、アストさん、起きてよかったです」

「はあ、そのまま永眠しててもよかったんだけど?」

「って、お前らも来てたのか。それにしてもエリス、さすがに酷すぎやしないか……」


 さらにレスト、リタ、エリスと追加の面々がぞろぞろと入室してくる。一気に大所帯となった病室だが、それでも広さにはまだまだ余裕がある。


「それにしても、アスト一人にこれまた随分と豪勢な部屋なんだなあ」

「確かにレストの言う通りだ。アレは馬小屋で十分だろ」

「今どき馬小屋を探すほうが大変だわ」


 レストやケイネスの言う通り、確かに一人の患者に対して過剰とも呼べる広さだ。さらに周りの騒音などもほとんど聞こえない。アストの歳であれば流石に小児科ではないはずなので泣き声が聞こえなくともおかしくはないが、それにしても他に患者がいる気配がほとんどしない。


「まるで隔離されているよう……いや、隔離されているんでしょうね」

「ん? そりゃどうゆうことだ、エリス」


 レストの疑問も致し方ない。患者を隔離するケースとしてまず考えられるのは感染症、そして精神的な病だろう。しかしそれなら面会を許されるはずもない。現にこうして五人も乗り込んでいる時点でその可能性は皆無であろう。


「おおよそ、バルナルの森の悲劇ってとこかしらね」

「ん? なんだそのバルナ――」


 何か達観した様子で語るエリス。その言葉に部屋にいる一同は何か察したようだ。

 しかしアストにとっては聞いたことのない単語。だがその質問は、部屋に響く扉を叩いた音によって妨げられる。


「失礼します。おやおや、どうやら目覚めたようですね」


 数人のコメディカルスタッフを引き連れてやってきたのは白衣を羽織っている一人の優しそうな男性。白髪が目立ち始めており、一目で経験豊富だと見て取れる。


「お友達がたくさん来てくれているようで何よりです。楽しいお喋りをしている所を悪いんだが、これからアスト君と少しプライベートな話があるから、少し外に出ていてもらえるかな?」


 入院していたのだから、色々と話さなければならない。今の時代、インフォームドコンセントは当たり前だ。男性の纏う雰囲気も相成って、特に気が立つこともなく外へ出る一行。しかし、エリスだけは表情が硬い。


「なんだエリス、そんなにアストから離れたくないのかよ」


 ガハハと笑いながらおちょくるレスト。未だに絶対零度の死線、もとい視線が向けられていることに気が付いていない。


「レスト、向こうでたくさんお話、しましょうね」

「ひっ!」


 来るときも騒がしかったが、部屋から出るだけでも随分と喧しい。個室でなければクレームは避けられなかっただろう。


「ずいぶんと賑やかですね」

「あはは、なんかすいません」


 何もしていないアストだが、何となく謝ってしまう。

 その間にも、引き連れてきたスタッフがせっせと仕事をしている。仰々しい機械をいじくっている様子を見る限り、看護師は機械に疎くてはやっていけそうにない。

 しかし、ドアの見張り要員など、どう見ても無駄に多すぎる気がしないでもないが、その分目の前のお医者さんが偉いのだろうと、無駄な思考ばかりが冴えわたるアスト。やはり睡眠は大事ということだろう。


「さて、まず自己紹介からしようか。私の名前はギュスターヴ=デュナン、連盟病院機構グループの理事長なんかをやらせてもらっている」

「は、はあ……なんか偉い人ですかね?」


 偉い人間はやたらと肩書を長くしたがるという特性を持っていることをアストは経験則で知っていた。それに付き添いの看護師の数からしても、下っ端ではないことは確かだ。

 そのため、連盟病院機構などというものに心あたりは一切なかったが、目の前のお爺さん――というには少し若い気もする――の立ち位置というのは何となく察することが出来た。しかしだからと言ってアストが適切な対応を取れるかと言われれば別問題だ。


「はははっ、その認識で構わないよ」


 明らかに失礼な態度であったが、どうやら逆にお気に召したらしい。というより、単純に温和な性格というだけかもしれない。


「アルス=マグナでは大変な思いをしたようだね。幸いにもアスト君に目立った外傷はなかったようだから、カプセルの睡眠薬が抜けるまでこの病院で寝てもらっていたんだよ」

「どうやらそうみたいですね」


 おかげさまで素晴らしい目覚めを迎えることができた。もっとも、寝起き直後に師匠の襲来があったこと、そして地獄に落とされることは予想外であったが。


「これから特に治療することもないから、手続き諸々が終わったら退院してもらって構わないよ。しかし頑張っても夕方まではかかりそうだ」

「というか、今は何時頃ですか?」


 アストは先ほど目覚めたばかり。それにこの部屋には何故か窓がなく、ノンレム睡眠をとっていたアストにとって体感時間もあてにならない。


「もうすぐ昼に差し当たるころ合いだ。なぁに、昼食はきちんと用意されるから安心してくれ」


 大仰に笑いながらも命綱を垂らしてくれる。実は先ほどから猛烈な空腹感に見舞われていたのだ。

 それもそのはずである。アルス=マグナにおいてはろくな食べ物を摂取していなかった。それだけならまだしも、睡眠薬により眠らされていた時間は何も摂取できていない。

 もちろん病院にいる限り、何らかの方法で栄養素は注入されていたのだろうが、空腹感までもを解消できるわけではない。


「では本題に入ろうかね」


 その様子を見てなのかは知らないが、無駄話はこれまでのようだ。

 その瞬間、少し部屋の雰囲気が変わったような気がする。少し冷たい感じだ。それもピリピリと肌をさす類の。

 考えるまでもなく、目の前にてにこやかに立っている理事長とやらが原因だろう。別に表情が変わったわけでも、口調が変わったわけでも、ましてや本当に空調が変動したわけでもない。

 理事長の放つ雰囲気、威圧感、これらが一気に膨大したのだ。これは比喩表現などではない。体から溢れる魔素が威圧感を感じさせているのだ。

 これは交渉事がうまかったりする者、統治者として才覚を放つ者などに共通して見られる特徴だ。これに呑まれると、相手の術中にまんまと嵌ることになりかねない。


 しかしアストにとっては、タンポポの綿毛すらも吹き飛ばすことが叶わない程度のそよ風にしか感じられない。

 それもそのはず、超大型ハリケーンのような人間…? の下で散々虐められてきたのだ。


「お金の話なら学校に文句付けてください。どうしてもっていうならフィネスにつけといてください」


 最早アストにとって、フィネスは無担保で無尽蔵に最速即日融資可能な銀行とでも思っているのだろう。


「ほう、のまれない(・・・・・)とは、いやはや流石龍殺しの英雄なだけはあるようだね」


 にこやかに語るものの、その中には聞きなれない随分と物騒なワードが紛れ込んでいた。


「龍殺しの英雄?」

「その通り。何故・・か、突如・・として現れた龍を狩った少年として、今やお祭り騒ぎだよ、はっはっは」


 聞き捨てならないことばかりだ。まず龍を殺したのがアストだとどうしてわかるのか。試合中における通信関連は全て遮断されてしまっていたはずである。そのため、バルナスの森の中でおきた事件に関しては分かるはずがないのだ。

 となると、アストより先に起きていた人物による証言があったに違いない。そしてその人物にアストは心当たりがある。ルーシェだ。彼女は転移先が医療用カプセルで、その中が睡眠薬により満たされていることを知っていた。そのため飲み込むことはせずに脱出できたはずだ。

 しかしそれなら疑問はさらに深まる。龍が出た原因など、龍血清に違いないからだ。そしてそのことはルーシェはよく知っているはずだ。

 それならば、わざわざ強調するかのように、“何故か”、そして“突如”というワードを混ぜることにはならないはずである。


 理事長の顔から笑みが消え去る。


「今回の事件、正直言って君たち学生が見ていい領域の問題ではないんだ。そしてそのことを口外されることもよろしくない。そのことは分かるね?」


 理解の悪い問題児に向けて教え込むように、ゆっくりと、しかしはっきりと言葉を紡いでいく。それは放出された魔素による威圧感と重なり、合成波のようにアストを襲ってくる。

 言外に、龍血清のことの口止めをしているのだろう。学会が禁止した龍血清に教育連盟が関わっていたとしたら、国際問題になりかねない。

 言葉の通り、学生が踏み込んでいい領域ではない。下手をすれば宇宙規模の戦争につながりかねないのだ。


「下手にくっちゃべったりはしませんよ」

「それはよかった。君のような聡明な子ならわかってくれると思っていたよ」


 理事長は非常ににこやかな様子で片手を横に出す。それを見かねた看護師がすかさずタブレット端末を差し出す。


「……それは?」


 もはや嫌な予感しかしない。何か企んでいるのは確かであろう。


「いやね、今回のアルス=マグナはほぼ崩壊状態になってしまい、優勝校どころの話ではなくなってしまっただろう。しかしアスト君のように立派に戦ったのにそれは酷いと思ってね。そこで上の人たちが協議を重ねた結果、卒業分の単位に関しては贈呈することにしたんだよ」

「そ、それは本当ですか!」


 アストにとって、卒業できるかどうかは一番大きな目先の問題として立ちはだかっていた。それが解決できるというのであれば願ったりかなったりだ。


「ああ、もちろんだとも。特に功労者であるアスト君には三年分の授業料、それに雑費もこめた奨学金も無償で贈呈される。もちろん返済する必要はないし、一年で卒業したとしてもあまりの二年分を返金してもらう必要もない。細かいことはこの契約書を読んでくれ」


 渡されたタブレットには、まるで暗号のように文字の羅列により埋め尽くされている。普段のアストならこんなもの読みたくもないが、このタブレットにふれた瞬間、そうもいかなくなった。


――魔法契約か


 タブレットに触れた瞬間の鳥肌が立つような嫌な感じ。心臓を素手で触られるような、自分の内側に介入してくる不快感を感じる。

 ただのペーパーの契約などと違い、魂まで縛り付けるのが魔法契約。魔法適正をあまり持たないものにとってはそこまで強制力を持たないため、一般的な取引で使われることはまずない。


 科学力が大いに発展した現代社会において、魔法というものはそこまで有用なものではなくなってきている。戦争をしたければ全自動化された戦車なり戦艦なりを投入すればいいだけだし、怪我や病気なら医療カプセルに放り込めばいい。

 今や、魔法というものにそれほどの価値は見出せないのだ。そのため身近に魔法使いがいる方が珍しい。()っくの()うに魔法と科学の力関係は転回している。

 このような合理的理由の他にも、大多数の心理的作用も大きく働いている。

 魔法というはどうしても選民思想と仲が良い。確かに魔法にも努力は必要だ。いくら魔法の才能があっても、練習無しに使えるわけではない。

 しかし、その才能がないものはいくら努力したところで無駄なのだ。知力、体力などと比べてもはるかに先天的な要素が強すぎる。

 このことは人類の中で大きな格差を生みかねない。この格差は多くの人々に劣等感を与え、独裁政治など平等とはかけ離れたところへとたどり着く。魔法とは優生思想の淵源と成り得るのだ。

 諸悪の根源といっても問題はないのかもしれない。そのような代物に、大多数――つまり先天的魔法適正が低い人達は忌避したがる。この声は科学の力が強まれば強まるほど比例して大きくなっていった。魔法なんて無くても問題ないんだぞ、そんな声だ。


 そのような時代背景のおかげか、今では魔法の練習などはろくにしないため、先天的魔法適正が高かったとしても才能を開花せずに――そもそも才能があることを知らないまま――放置している人が多数だ。

 そのため、魔法契約は今のご時世ではとても便法と言えるものではなくなってしまっている。契約する側も、させる側も、両方に高い魔法適正が求められる、それが魔法契約なのだ。

 しかしそれでも、条件さえかち合えば非常に有効な契約方法に成り得る。例えば武術部門におけるアルス=マグナの参加者など、魔法適正が低いわけがない。


 渋々と契約内容を目で追っていく。どうやら画面をスクロールすれば下にも永遠と続いているようで、これも一種の策略なのでは? と疑いたくなる文量だ。

 それでもどうにか読んでみる限り、おかしなところは特になさそうだ。お金の件も理事長の言葉に嘘偽りはなかったし、単位に関しても問題なく受領できそうだ。

 一番最後までスクロールしきる。どうやら本題は最後の最後に書かれているらしい。


「……今回の事件に関しては――」

「一切口外しないこと。ただそれさえ守ってくれればいい」


 アストの言葉を遮ってきたのはもちろん理事長だ。そのにこやかな笑顔は周りに良い印象を与えるだろう。しかしアストにとっては悪寒しか感じない。


 だがしかし、アストにとってこの契約はそこまで悪いものではない。いや、それどころかむしろ大歓迎とも言える。

 優勝を逃すということは卒業分の単位を逃すということである。まだ二回のチャンスはあるためそれほど悲観していたわけではないが、今年ほどの優秀なメンバーが揃うことはほぼあり得ない。そのことを考えると、今回で単位を取れないのは痛手ではあった。

 だがこの契約さえ結べば、バルナスの森の事件について話さないだけで単位やお金がもらえるのだ。

 その契約の代償が事件のことを話さないこと。これはアストにとって代償には成り得ない。事件の捜査は難航するのかもしれないが、そんなことは知ったものではない。下手な正義感に突き動かされるような衝動もない。

 もはや答えは決まっていた。



「その契約、結びます」


用語集、登場人物、魔法理論・名称、組織を更新しました。

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