fiction 53
カツッ、カツッ、カツッと深閑な聖堂の回廊を歩む少女の足の音が響く。その少女の目の前には重厚で神聖さを感じさせられる——一般的な成人より一回り、二回りほど——大きな扉が鎮座していた。
「入れ」
少女が声を掛けようとする前に、扉の奥から男の声で入室の許可が下りる。部屋の作りがしっかりとしている所為か、その声はくぐもっており聞き取りづらい。しかしそれは部屋の向こうにいる存在もまた同じで、少女の足音が聞こえたとは思えない。
人が通るには何もかもが明らかに過剰なその観音開き扉を、か細い腕で難なく押し開ける。
部屋の奥にはこれまた豪勢で大きな椅子がおいてあり、その椅子の周りを囲うように二人の男女が立っていた。
扉を閉め、二、三歩進んだところで膝をつき、最敬礼をするリタ。
「リタ=ビルケールです。例の件のご報告に参りました」
「よいよい、面を上げよ。今の余は単なる貴族の小娘でしかない」
「それでも四大貴族のお嬢様なら単なる小娘とは言えないと思うけど?」
「レーネ、揚げ足を取るなんて酷いぞ」
「陛下、僭越ながら揚げ足でもなんでもなく、ただの事実かと」
豪勢な椅子に座っていたのは四大貴族の一つであるクラリス家のご令嬢——クラリス=フォン=アルテンだ。そのちっこい体とは明らかに椅子のサイズが合致していない。あんよが宙ぶらりんになっている。
そのアルテンの周りにいるのが、先日のアルス=マグナでアスト達と共闘したレーネ=ハイネス、さらにクラリスの護衛であるヴィック=ゾーマスの二人であった。
「リタ、陛下もこのように言っているのだから頭を上げたまえ。そのような格好では報告も聞き取りずらい」
「……了解しました、ヴィック旗長」
渋々といった様子で、最敬礼を止めて直立状態へと変更する。
「言っておくが今の私も親衛隊旗長ではなく、アルトハルツ第二学園の一生徒にすぎん」
「はっ」
「それで、奴さんは?」
「今回のバルナルの森の悲劇の首謀者と見ていたバーナス運営委員長は拘束時、既に用意していたであろう薬によって自殺しました」
「バルナルの森の悲劇?」
「アルス=マグナが行われた森の名称です。運営委員会、ひいては教育連盟としては死亡者が出てしまった今回の事件を悲劇として収めたいようです」
「なるほどな。で、そのバーナスだが、死んだのだとしても脳みそを刳り出せば何か出てくるんじゃないのか」
死人に口なし、とはよく言うが、発達した科学技術をもってすれば死人の記憶を探り出すことなど造作でもない。ただ、人道的観点からあまり公に行えるものではないが。
「その後、脳を確認してみましたが、重要な情報は何も取り出すことができず、恐らく自殺時に服薬したものが脳の記憶部を破壊する何らかの魔法薬だった可能性があります。鑑識に依頼を出しているので、詳細な結果は分かり次第長官に報告します」
「ふん——では今回の事件で得られたものは何もないと?」
部屋の気温が二、三度下がったような錯覚を覚える。それほど、ヴィックの問いかけには重みがあった。
「確たる証拠は何も……しかし、今回の調査で浮かび上がってきた存在があります」
「聖龍院、だな」
「……旗長は既にご存知だったのですね」
「だから旗長ではないと……まあ今はいい。聖龍院に関しては龍化したやつとの戦闘時に相手が口走っていてな」
「ならほぼ確実でしょう。今回の事件の黒幕が聖龍院だというのは」
「ホントにそうかのう」
そこへ口をはさんできたのは今まで黙っていたクラリスだ。先ほどまでぶらぶらさせていた脚を組み、ひじを立てている片手に頬を乗せている姿は、普段は感じさせないカリスマ性を醸し出している。
「余は不思議なのだよ。教育連盟への介入といい、龍血清やレーネを抑えつけたアーティファクトの入手法といい。そもそもなぜレーネの存在を知っていたのか」
「確かに、私が人間ではなく吸血姫であることを知っていたようだしね。それにあのアーティファクトだって相当の効力を持ち合わせていたから、国宝クラスの価値はあるんじゃないかしら。特に超越魔法を封印した魔晶石は国宝、なんてチンケな物差しじゃはかり切れないわよ」
「そんなものを親衛隊すら把握していなかった無名の組織が用意できるとは思えんのだがのう。それに、動機が謎だとは思わんか」
「四大貴族の令嬢に、次期大司教、この二人の暗殺とこれほどまでの大規模な動きが釣り合っているようには思えないわね」
確かに貴族派閥の中でもトップ4であるクラリス=フォン=アルテンと、国教であるアルケー教の次期大司教の価値は非常に大きい。しかし、まだ役職にもついていない小娘を殺したことで直接的な利益があるとも思えない。
さらに国宝級のアーティファクトやら龍血清、さらには超越魔法を封印した魔晶石までも用意してあったとなると、明らか支出の方が肥大化しているように思えてならない。さらにそこまでの実行力を持つ組織を親衛隊が見逃しているはずもなく。
これほどまで大きく動けるだけのメリットが隠れているのではないだろうか。そして、聖龍院の後ろにはそれだけの実行力を与えられるだけの力を持ったより大きな何らかの組織が潜んでいるのではないか。
「もしくは、余のことを分かっていた、とかなら納得できなくもないがな」
「そ、それは……」
「ま、その方が全ての辻褄が合うんじゃない?」
「……ではこの一件は最重要事項として長官に報告します」
そういい、踵を返すリタ。その額には一筋の汗が流れている。
「ああそうだリタ。アスト君の件なのだがね——」
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真っ白な壁は清潔感を感じさせるが、どこか無機質で少し落ち着かない。しかしこの無機質さこそが病室であることを認識させてくれる。
「し、師匠!」
「なんだお化けでも見えるのか?」
ベッドの横に置かれていた椅子に座っている人物はクラウヘルネ=ベルガルド——アストの師匠、其の者である。
「い、いや、なんでここに?」
「朝っぱらから人間の存在理由の考察か?」
「師匠の場合は人とは言えな——」
「あん?」
「なんでもないです」
まるで宇宙の深淵を覗いているような、そんな深い紫色の虹彩と髪だ。少しだけだが、色合いがアストと若干似ているかもしれない。側から見ると真っ黒な髪の毛にこれまた真っ黒な瞳だが、よくよく見るとやや紫がかっている…気がしなくもない。極めて黒に近い至極色と言うべきだろうか。
そんなアストとは違い、神秘ささえも感じ得るアメジストのような髪をぞんざいにパサリと右手で払いながら睨みを利かせられた為、すぐさま失言を撤回する。
師匠と共に暮らすにはこの超絶反射神経が必須なのだ。失言しないに越したとこはないのだが。
「はぁ、しかし麻酔薬なんぞで眠りこけるなんて、まだ修行が足りてないみたいだな」
「麻酔薬?」
そこでそうやく、何で自分は知らないところで寝ていたのかという根本的な疑問が湧き出る。
龍擬きとの戦闘後、ルーシェ先輩と集合したところまでは直ぐに思い出すことができた。
(確かその後——)
「——真っ暗になったと思ってとにかく目の前ぶったぎったら出てこれて、それでなんだっけな?」
「相変わらずの幼稚園児並みの語彙力だな。お前が転送されたのは医療カプセルだ。アルスマグナの選手はみなそこへと転移される」
「はー、じゃあぶった切ったのはあんまり良さそうじゃないっぽいですね。しかし、それにしても俺はいつのまに寝てたんだ……」
「だから麻酔薬だ。カプセル内は液体に満たされているからな。飲み込んだ麻酔薬が仕事を果たしたということだろう」
アルスマグナの帰りの転移陣には軽い精神安定系魔法がかけられている。
目的としては二つあり、一つはPTSD——心的外傷後ストレスの防止だ。
いくら各校の精鋭が集まっているとはいえ、千年戦争が終結したこのご時世、殺し合いなど起こりうるはずもない。ましてや選手はまだ学生の身分。戦闘の才能と精神の強さは別物ということだ。
二つ目の目的としては、急激な安堵感を与えることにより意識を絶ってもらうことにある。怪我を負っていようがいまいが、選手はみな治療カプセルへと転移することになる。その治療カプセルは特殊な液体で満たされており、意識を保ったままだと、それこそ恐怖体験になってしまう。光が一切なく、さらに呼吸もできないとなってはパニックになるのも無理はない。
それを防ぐために転移陣で意識を半覚醒状態にし、カプセル内の強烈な麻酔薬で完全に意識を絶ってもらうのだ。
もちろん本来は転移が目的の魔法陣のため、精神魔法としてはそこまでの威力があるわけではない。そのためレジストしようとすれば簡単にできるし、精神魔法に対する抵抗を持っているような場合は通用しない。
アストの場合、目の前にいる師匠に常日頃精神魔法をかけされられすぎて遂には抵抗を得てしまっていた。
蚊に刺されすぎて痒くなくったというのと同レベルの習得方法である。そんなアホな、と思うかもしれないが、実は有効な手段だったりする。
そもそも精神魔法とは、相手の精神空間に介入し虚像を植え付ける魔法のことだ。そのため精神自体を弄るわけではない。それは疆界に介入する行為となるからだ。
今回の魔法も、最初から精神を安静にさせているわけではない。精神状態を直接安定状態にさせるのではなく、虚偽の安定状態を植え込むことにより、次第に脳もそれに順応していく、というものだ。
大した差は感じられないかもしれないが、これには立派な違いがある。本当に精神が変革される前に一段階の工程があるのだ。
もし直接精神を変革するのであれば、その精神魔法に抵抗する方法は一切なく、出来ることと言えばその魔法を受ける前に対処するしかない。
しかし一工程——虚偽の情報を植え込むという動作を挟むことにより、その段階で虚偽かどうかが判別できれば精神が順応することにはならず、結果して精神魔法を防いだことになる。
そして、それが虚偽かどうかという判別は、一種の慣れによるところがある。つまり、精神魔法をかけられすぎて抵抗を得てしまうというのは、決して有り得ない話ではないのだ。もちろん、会得する前に精神が壊れる可能性の方が高いが。
しかし野生の勘なのか、精神が壊れる前に精神魔法への抵抗を得てしまったアスト。今回の精神魔法も少し違和感を覚える程度で、全くをもって意味を成していなかった。
とはいえ、転移後に大量に飲み込んだ麻酔薬には抵抗できなかったようだ。もちろん薬物系の修行もしていなかったわけではないが、はっきり言って無意味としか言いようがない。
世の中には様々な薬品が存在する。風邪薬、整腸剤、胃薬、麻酔薬。しかしその薬一つ——例えば風邪薬を見ても、様々な成分の薬がある。化学的に合成したものもあれば自然のものを利用したものもある。また、合成と偏に言っても、全く同じ成分を皆が合成するわけではない。
そのため、ある薬の抵抗を得たとしても、すこし構造を弄ったりするだけで別物へとなってしまう。物質の構造の他にも成分の割合、キラリティーなど、差が出るところは数知れず。
はっきり言って、薬剤抵抗性を得ようとしても無駄だ。ある特定の薬だけならまだしも、ごまんとある薬全ての抵抗を獲得出来るはずがないのだ。なので完全に飲み込む前に毒かどうか判断するスキルの方が有用となる。
そのため流石のアストと言えども、一般では入手できない強力な麻酔薬、それも大量に飲み込んでしまえば為すすべがない。数分間動き回れていただけでも驚嘆に値するのだ。
「寝込んだ俺を心配しにでも来たんですか?」
自分で言っておいて、その可能性はゼロだと確信していた。師匠がそんな無駄な行為をするわけがない。
「なんだ、心配して欲しかったのか? ククッ、ガキらしいな」
「いいから本題に入って下さい」
「つれないヤツだな。一つは学園ごっこのことだ。まあゼーベルの爺から詳しいことは聞いてくれ」
「また、名前呼んだら怒られますよ」
アストの脳裏には、嗄れた声で喚き散らす光景が浮かんでいた。
「あんな若造怒らせとけばいいんだ」
「百歳超えてて若造って……」
「とにかく、お前は来年から親衛隊に入ってもらう」
「今度は親衛隊ですか……って親衛隊!?」
一番不安視していた組織、それが親衛隊であった。元老院の息がかかっているアストを軍のトップに置くということは、実質軍を元老院が支配下に置くということである。このような組織の一強化を、親衛隊が見逃すはずがない。
そのため、アストと元老院の繋がりがバレるということは一番避けなければならない最重要事項と言える。
にもかかわらず親衛隊に入隊するなんて、蜂蜜を体に塗りたくって腹ペコクマさんの前で寝るようなものだ。
「そんなことあの爺さんが許可するんですか?」
「お前が馬鹿な所為で状況が変わっているということだ」
「だから俺は馬鹿じゃ——」
「変革、したんだろ?」
「……」
「なんでバレたのか、そんな顔だな。イデア界に介入した余波なんて何光年離れてても感じ取れるに決まってるだろ」
「いや、あと時は仕方がなかったといいますか」
「別に怒っているわけではない。むしろ褒めにきたんだ。あの時以来使えないでいたからな」
「……頭の中で弾け散るんだ、死の叫びが」
死、死、死、死、死
最期の狂死曲が頭の中を巡る
本当の死を生きたまま体験するかの如く新鮮な死
「いいか、それを克服しない限りお前は弱者のままだ。目の前で家族を殺された、あの頃のまま、ただの甘ちゃんなんだよ」
記憶が巡る。赤い水溜りを作っていた両親、そして瞳に恐怖を宿したまま亡くなった妹の記憶。
「——っ! だから俺は剣を」
「その程度の付け焼き刃でよくほざくなぁ。言っておくが、お前のその剣技はあったら便利、程度のものでしかない。序列一桁どころか、二桁台でも通用しないだろうよ」
「お前には、アニムスの変革しかないんだよ」
一番聞きたくなくて、直視したくなくて、理解したくなくて、けど自分が一番わかっていたこと。
いつのまにか師匠はいなくなっていた。しかし師匠の言葉が自分の頭をずっと巡っている。そう、結局は自分には価値がないことは分かっていた。価値があるのは偶然もっていた訳の分からない悍ましい力だけだと。
その力から逃れたかったから、自分を示したかったから剣に没頭した。けど所詮は付け焼き刃。剣なんかで国を取れるはずがないのだ。
あと時だって、ルーシェを救うには、悍ましい力を使うしかなかった。自分に力がなかったから。
だから仕方がない。自分には殺す力しかないのだから。不条理に勝つには不条理しか——……
「——さん、アストさん聞こえていますか?」
淡い金糸が揺れ動く。
暗闇になれた目には眩しい、そう感じた。
組織、登場人物(裏)を更新しました。




