fiction 52
それを一言で表すなら墜落。高速で墜落してくる物体をルーシェは既のところで避ける。しかしその余波で地面は抉れ、ルーシェも吹き飛ばされてしまう。
アストはすぐさまルーシェの元へと飛んでいく。衝撃で飛び散った小岩などで傷だらけではあるが、致命傷はなさそうだ。反射的に受け身をとっていたのだろう。
「ルーシェ先輩、大丈夫ですかっ」
「あ、ああ。直線的だったから何とか避けられた……む? それは何だ?」
立ち上がったルーシェはアストの右半身に目を向ける。片腕だけ機械兵のようになっており、背中には何かが浮遊している。もちろん、先ほど別れた時には身に着けていなかったものだ。もちろん転送時にも持ち込んでいたものではない。
会場となる空間は物理的にも魔法的にも隔離されている。そのため、森の外にある物を魔法で転送させたりすることは不可能なので、基本的に武器は最初から身に着けている必要がある。とはいっても、生物ではないならば色々と抜け道は存在する。しかし剣士であるアストにそのような芸当ができるはずもないのだ。
「剣だった何かです……俺もよく分かりませんけど」
実はアスト本人にもよく分かっていなかった。シン剣一体を使おうとしたら突然変形し始めたのだ。戦闘中は特に気にしていなかったが、今思うと不思議でしょうがない。
取り敢えず原因と思われるシン剣一体を解いてみる。するとガチャガチャと変形し始め、元の剣の柄と鞘に戻ってしまった。大きさ的に明らかにおかしい。
「あ、直ったみたいです」
「……まあ今はいいだろう。それより、落ちてきたのは一体何なんだ」
「えーと、人間だった龍……です」
それ以外に説明の仕様がない。だが頭の回転が早いルーシェにはそれだけの情報で状況を考察する。まず龍血清が絡んできていることはほぼ確実。そしてなぜか一人足りなかった相手側の人数。その一人が恐らくこの生物だった何か、というところまでは容易に推測してみせた。
とはいえ、まだまだ謎だらけである。
「もう死んでいるみたいだが、アスト君が倒したのか?」
「…いや、龍血清で無理やり龍になったんで、元々不安定だったんですよ。そんで空で逃げ回ってたら途中でおっちんじゃったんです」
「なんで飛べていたのか……は、まあ後でいいだろう。にしても私からはまだソレが生きているように見えたのだがな」
何者かの接近を察知した時、既にルーシェは半分諦めていた。突然殺気を感じ取り、何事かと見上げればもの凄い速さで襲撃してくる何かがいたのだ。今更少し移動しただけでは簡単に修正されることは容易に想像できた。しかし、意に反して襲撃してくる何かは途中から殺意は感じ取れなくなり、ただ速いだけの落下物をどうにか避けることができたのだ。
「それにしてもなんであんな所にいたんですか?」
ルーシェはグラディウスとアル=カーンに襲撃しに行っていたので、この場所にいることは少々不可解だ。それも一人で、だ。最悪な状況も頭に浮かんでしまう
「いや、私たちは相手の策略にまんまと引っかかっていてね。助けにいくにも先ほどの爆発でレーネはダウンしてしまったから私だけでもと思って転移してきたんだ」
元々我が儘お嬢様を逃がす方向は全員で決めていた。その情報に加え、相手が仕掛けるであろうポイントを概算することでこの場所を算出したのだろう。運がいいのか悪いのか、その計算が丁度マッチングしてしまったということらしい。
本人曰く、そこまで転送魔法が得意ではないため自分ひとりしか移動できなかったらしい。
転送魔法にも難易度が存在し、一番簡単なのが、非生物の転送だ。疆界が存在していない物の転送は意外と簡単である。とはいっても、転送魔法を使えるかは才能に拠るところが大きく、石ころを転送できるだけでも十分な才能の持ち主と言える。
次に生物である自分の転送だ。構成プログラムは非生物の簡易的な拡張型であり、実は非生物の転送が出来るのであればこれはそこまで難しいことではない。しかし、魔法に失敗してしまえばどうなるか分からないという精神面の乱れから魔法の行使ができないものは多数存在する。
魔法の行使にあたって精神状況は非常に重要なポイントとなる。原因に関しては未だに解明されていない。しかし精神の乱れ具合によっては簡単に二倍、三倍以上の差が生み出されるほど魔法行使に直結するという研究結果が出されている。
最後に一番難しいのが他の生物の転送だ。月と鼈、亀と馬、猫と虎、とにかく次元が違う。もちろん疆界の問題もあるが、そもそもの構成プログラムからして別物なのだ。その為か、他人を転送することができるだけで億万長者となれたのだ。転送屋といわれる、世の中の誰もが一度は憧れる一番簡単に大金を稼げる職業だった。とはいえ、科学技術が進歩した現在では落ち目の職業だ。
そんな転送屋ほどの才能はないにしても、転送魔法自体は使えるところは流石ルーシェであろう。
「そういえばあの爆発は大丈夫だったんですか?」
「ああ、本来であれば防げるものでもないのだがな。レーネに助けられたよ」
皮膚が焼けるほどの圧倒的熱量、息が出来なくなるほどの圧倒的風圧、視神経が焼け焦げるほどの圧倒的光量。世界中のありとあらゆる天災をかき混ぜてもまだ足らないような真の災い。それを再現してしまうのが超越魔法。
超越魔法に対抗するには同等の、つまりは超越魔法レベルでなければならない。確かにルーシェの強さはアスト自身が認めているが、それでも人間という種だ。龍の中でも上位種の太陽龍の魔法を防げる訳がない。
必然的に、アストの頭の中には一人の人物しか残されていなかった。もちろんレーネ一人が逃げていた可能性も否定しきれなかったため、確証はなかったが、ダウンしていたと聞いた時からその可能性は消去されていた。
「それで、ミシュー達は無事逃げ切ることはできたのだな?」
「まあ、多分大丈夫だと思いますよ。さっきの衝撃波は飛んできたとは思いますけど、護衛は二人つけさせましたから。ヴィックもそっちに向かったはずです」
「そうか、よくやってくれたアスト君」
実際に護衛を二人つけさせたのはヴィックだが、細かいことはどうでもいいだろう。
「では我が儘お嬢様と合流――」
『緊急転移を実行します。緊急転移を実行します。緊急転移を――』
ルーシェの言葉を遮るようにいきなり脳内に流れるアナウンス。
「え、転移?」
「どうやらあっちで動きがあったようだ。アスト君、転移されたとしても戦闘準備だけは解かないでおけ」
「え、あ、はい」
今回の明らかに正常ではないアルス=マグナ。運営委員会が騒動に絡んでいることはほぼ確定事項。であるならこの転送自体も罠である可能性が高い。
するとアストの足元に、一人を囲うのに十分な大きさの魔法陣が出現する。アルス=マグナが始まるときの転送陣をそのままミニチュアにしたようなデザインだ。その転移陣はルーシェにも現れており、どうやら一斉に転移が開始されるようだ。
段々と光は強くなり、回転を始める。指数関数的に回転速度は速くなり、魔法陣のデザインは認識できなくなってしまう。
「アスト君、くれぐれも――」
そこで転移が始まる。ルーシェの言う通り、剣はいつでも抜刀できる状態にしておく。その直後、明順応のように目の前が眩い白色に支配されたかと思うと、少しの浮遊感のあと暗黒の世界に突き落とされる。光が一切ないため、目を開けているのかどうかすらも分からない。
「……ぼがぁっ」
――なんだここ
謎の浮遊感、肌に感じる違和感、急激に襲ってくる眠気。しかし一切の暗闇で状況を確認できない。そのため愚痴が出でしまうのも仕方がなかった。しかし意思とは反して言葉を発することができず口の中に液体が入り込んでくる。
そう、液体に満たされた謎の暗闇空間に閉ざされていたのだ。アストはすぐにルーシェの言葉を思い返す。
「(敵襲!)」
すぐさま刀を抜刀し、とりあえず目の前に振り下ろす。何か硬いものを切った感触がした後、その切れ目から光が漏れ出てくる。それとは逆に謎の液体が一気に放出され、ようやく息ができる。
すぐさま斬撃を繰り返し謎の空間から飛び出す。するとそこには大人でも余裕で一人は入れる大きさの白い球体がいくつも鎮座していた。すぐにその大きな卵のようなものが自分の入っていた何かだと察する。真円の形をした部屋の壁にその白い球体がズラリと並べられており、赤いランプの光っているものと青いランプの光っている二種類がある。
ほとんどが赤いランプだが、青いランプの光っていた一つの球体が突如として動き出し、パカっと蓋が開く。
「――随分と豪快に出てきたようだな」
「る、ルーシェ先輩! ここは一体――」
「アストさん!」
すると、アストとルーシェの二人だけの空間に別の人物の声が響き渡る。それはアストにとってよく聞覚えのある声だ。
「フィネス?」
「だけじゃないわよ」
いつの間にか開いていたドアの先にはいつものお馴染みのメンツが勢ぞろいしていた。久しぶりに聞いたエリスの声は何だが疲れている様子だ。
「どうやら生きていたようだな」
「あの馬鹿が簡単にくたばる訳がないだろ」
レスト、さらにはケイネスもいるようだ。まあフィネスの金魚のフンみたいなものだから不思議ではない。
「馬鹿は――」
――お前だ
そう言い返そうとした瞬間、急激な脱力感に襲われ、意識が段々と遠退いてくる。実は先ほどの暗闇空間に転送されたときから猛烈な眠気を催していたのだが、ルーシェの忠告があったため、何とか耐えていたのだ。しかし知己の存在を目にしたからか、ふと力が抜けた瞬間を見計らったかのような睡魔の来寇についに陥落してしまったのだ。
ぼんやりとした視界には、何かを叫んでいるフィネスや、驚いた顔をしたエリスなどの普段お目にかかることのできない秘蔵映像にも霞がかり、ついには意識がプツリと途切れてしまう。
~~~~~~
「アストさん!」
いきなり姿勢を崩し、倒れそうになってしまうアスト。近くにルーシェがいなければ地面に頭を強打していたところだろう。倒れこむアストを颯爽と抱え込んだ姿はまるで王子様だ。女生徒に人気が高いルーシェは意外と王子の役は似合うのかもしれない。
「何、心配することはない。ナノマシンカプセルの麻酔液を飲み込んだのだろう。逆に今まで意識を保っていたことの方が驚きだ」
「ではアストさんに異常があるというわけではないのですね」
動揺するフィネスを宥めながら、意識のないアストを軽々と抱きかかえる。
「ふふっ、こうしてみるとまだまだ可愛いものだな」
普段は眠そうで怠そうにしており、同年代の男子と比べれば些か落ち着きがありすぎたが、眠っている顔にはやはり年齢相応の幼さが残っていた。
人間は生きている限り常に何かしらの負荷が掛かりながら生きている。重力、圧力といった物理的なものから、人間関係といった精神的なものまで。けどそれは仕方のないことだ。存在するということは何かを押しのけているということ。その分の反作用の存在は必然的と言えよう。
けど、人間は弱い。だからこそ一時的でも負荷の存在を忘れたいものだ。つまり睡眠の時間こそが一番至福の時間と言えよう。意識がなければ何も楽しめないかもしれない。しかし何の負荷からも逃れることができるのだ。
そんな無駄なことを考えている時点で自分が目覚めかけているということにアストは気が付いていた。が、もう少しこの心地よい空間に居たかった。ここまですっきり眠れたのは久しぶりであった。師匠に散々寝込みを襲われたアストにとって、熟睡するというのは自殺行為に等しいからだ。しかし今のアストはそのことを忘れてしまっていた。
「いつまでおねんねしているつもりだ」
背筋が凍るとはまさにこのこと。しかしいつまでも固まっているわけにもいかず、ほぼ反射神経のように起き上がる。
「し、師匠!」
「なんだお化けでも見えるのか?」
お化けの方がまだマシとは口が裂けてもいえない。
登場人物(裏)を新たに作りました。ネタバレを防ぐため、結構核心に近づいている情報はこちらに載せようと思います。
詳細設定集を更新しました。今回は疆界についての詳細な考察です。皆さん常識と思って何の疑問も抱いていない”魔素が自然に回復する理由”などにも触れてみました。あと、治癒魔法の考察も少し書きましたが、理論的な所は後々変更するかもしれません。




