fiction 46
「アスト君、二人だ!」
ルーシェの声が聞こえると共に、唯一の光源であった篝火が一瞬で消え去る。枯れ木などを集めて燃やしていた訳ではなく、魔の森のふんだんな魔素を利用した自助式魔法陣によって炎を出していたのだ。そのため魔法陣への魔素の供給ラインを絶ってしまえば一瞬にして火を消すことが可能だ。
「敵襲ですか?」
人の立ち入りが禁止されている魔獣生息地域に一般人がいるはずもなく、人間がいるならばそれすなわち敵。アストの剣を持ってきているため何者かが接近していることは確実である。
にもかかわらずこちらへ歩いてくるルーシェ。無造作に投げられた剣をつかみ取り、眠そうな顔に真顔の仮面を張り付ける。
「そうでもないらしい」
恐らくミシューが探知したのだろう。本来のミシューの固有能力ならば、試合会場になっている全範囲程度なら余裕で探知が可能だ。しかし良くも悪くも魔素濃度が高いこの森ではその範囲は激減してしまっている。そのため、探知できたのならそれは即戦闘開始を示している。
とはいえ、実際に戦闘が起こる確率はそう高くない。というのも、現在は二校が同盟を組んでいる状態で、通常の最大戦力の二倍を保有しているのだ。そのため、この状態を見て襲撃してくるならばほぼ確実にグラディウスとアル=カーンの同盟だろう。
他の学校ならば、まずは様子見だけで撤退するのが一番考えられる行動だろう。特に今回のように二人だけで行動しているなら速やかに撤退すべきだ。
「ミシューによると、かなり遅い歩みのようだったがどうやら今は動いていないらしい」
にもかかわらず、撤退するどころかその場にとどまっているという。ならば可能性としては一つしか考えられない。
「まだ気づいていない……」
「恐らくな」
いくら探知できる範囲が減少したとはいえ、一次魔法とは一線を画す領域にある三次魔法であるのが固有能力だ。他の魔素感知系探知魔法も同一に能力が減少していることを考えれば、探知戦では優位に立てる状況に変わりはない。であるならば、相手が気づいていない状況には何らおかしい点はない。
「こっちからしかけるの?」
「ああ、その通りだ。相手は二人だから短期決戦を仕掛けようと思ってね。だからレーネ=ハイネスには手伝ってもらいたいのだが」
「……ま、いいわ。ごみ掃除は早めの方がいいからね。あと、わざわざフルネームはやめてくれる? レーネでいいから」
「了承した。ならばこちらもルーシェでいい」
「仲よ――」
「なに?」「何かなアスト君?」
「……なんでもないです」
仲良くなりましたね、と言おうと思ったアストだったが、息ぴったしのルーシェとレーネの圧力に封殺されてしまう。
「ではいこうか、アスト君」
「……やっぱ俺もいくんですか。ミシュー先輩の護衛はしなくてもいいんですか?」
「ミシューにはパルメとルミを置いているし、何より今回の戦闘ではあの二人は適さないからな」
今回、三人の少数精鋭で攻めるのは、恐らく他の相手に気取られないで排除してしまおうという魂胆があるのだろう。しかしその点で考えればパルメとルミは余りにも適さない。
バカみたいな魔素保有量のパルメが放つ魔光線では否が応でも目立ってしまう。特に真っ暗な森の中では照明弾にしかならない。地面に撃ち込むなら未だしも、空中に放ってしまった時には一発で終わりだろう。
ルミもルミでバカげた威力の魔術の使い手だ。確かに魔術の天才ではあるのだが、細かな調整などはあまり得意ではないようで、隠密に行動するというのは中々難しい。
しかし剣を使うアストならどうだろうか。どう考えても一番の適役である。
「その剣、いや刀か。その刀も肉包丁としか使ってないからな。少しは慣れておいたいいだろう」
「ま、確かに人間相手では試したことはなかったですからね」
あまり実力をさらけ出したくないアストにとって、戦闘はなるべく避けたいものである。しかし、今回の戦闘では相手は二人。対するこちらの戦力はレーネ=ハイネスとルーシェ=パンドーラ=エルミネスを加えた三人である。両者ともアストは実力を理解しており、自らが不利になる状況は絶対に現れないという確信があった。
「ま、恐らく練習台にもならないとは思うけどね」
「なんだ、レーネが倒してくれんのか?」
「いけば分かると思うわ」
暗黒に支配された森を突き進む。ルーシェは念話でミシューと繋がっているため、迷うことなく歩み進める。そのため二人の接近者を確認できるまでにはそう時間はかからなかった。そしてそれはレーネの言ったことを理解する時もまたすぐにやってきたことを意味する。
ルーシェは相手が気づかぬうちに樹陰から束縛魔法を使用したのだが、一向に相手側からのアクションがない。
「……ルートバインド程度で捕まるのが代表になるとも思えないんだがな」
「……ふん、やはりね。あいつら死にかけよ」
「なに?」
動きがないことを確かめながらゆっくりと二人へと近づく。真っ暗で見えなかったが、使づいてしまえば視力以外の感覚――嗅覚で察知することができる。血の臭いを。
「なっ、お前たち大丈夫かっ!」
一応防御魔法を展開しながら二人の元へ、星の光だけで何とか視認できる距離まで近づく。と、同時に束縛魔法と防御魔法を解いてしまうルーシェ。はっきり言って敵前での最悪な行為だ。相手が弱っている偽装をしているかもしれない。しかし、近づいてしまえばそんなことも言ってられない。体中から血があふれ出し、所々抉れている部位もある。明らかに戦闘可能な状態ではなかった。
アストも遅まきながら二人に近づく。その場に漂う臭いは濃厚で強烈、そして慣れ親しんだ臭いだ。しかし一人から発せられる魔素に違和感を感じる。最早死にかけで、魔法を嗜んでいる通常の人間の十分の一程度しか感じられない。しかし、その微々たる魔素がアストの頭の中をかすめる。
「シャルロット……か?」
「何、知り合いだったのかアスト君?」
ルーシェ、さらにはレーネまでもから疑惑の目が向けられる。
「シャル……ロッテよ、ばか。……ごほっ!…………」
アストの記憶の中にある姦しい様子は全くもって見受けられない。それどころか、見る者全てが心配するような酷い咳をしながら吐血している。ついには咳すらもしなくなり、明らかにタイムリミットは迫っている。
「な、なんでこの状況で転移されないんだ……」
遥か昔、科学技術がまだ発達していない遥か昔。その時代では魔法による直接的戦闘が支配していた。しかし、今となってはロボットが戦争をするような時代である。そのような時代にもかかわらず公式に魔法戦が許されている理由といては、徹底された安全管理にあると言っていい。
各学校の生徒がつけているバングルはアルス=マグナの参加資格の証拠でもあるが、そんなものは副次的な目的に過ぎない。搭載されたAIアルビー、それこそが絶対的な安全を保障するもので、参加生徒全員に装着を義務付ける最大の理由だ。
装着者がある一定ラインまで衰弱した場合、強制的に本部にある医療ナノマシンカプセルに転送されるのだ。
そして、今目の前にいる二人はその最低ラインどころの話ではないことは医療の素人が見ても明らかであった。つまり、AIすらも正常に作動していない可能性が浮上してきたのだ。
そうであるなら、仮にこれ以上攻撃を加えたとしても本部まで転送される保証はどこにもない。それどころかその最後の攻撃が、本当に最後となる可能性の方が高かった。
本来であれば、どのような体調であっても本人が降参をすれば本部へと転送することは可能だ。しかし、今の現状では降参という手段はとれない。
まず、ルール的に敵が近くにいる場合には降参をすることができないのだ。ならばルーシェ達が離れればいいが、二人に意識は最早ない。つまり二人の元を離れたところで、本人たちが降参をすることはもう無理なのだ。それどころか今すぐにも死んでしまいそうだ。降参をさせるには何もかもが遅すぎた。
そもそも一番最悪な状況も考えられるが、今はそのようなことを考えている暇すらもない。
「で、どうすんの?」
「……そ、それは」
ルーシェに目を向けるレーネ。つまり、ポイントにするかどうかを聞いているのだ。仮にこのアルス=マグナの武術部門で死人が出たとしても、一切罪となることはない。つまり、この場で相手を殺してポイントを獲得したところで法律的には何にも問題はないのだ。
「……ルーシェ先輩、一生のお願いです。二人を助けてくれませんか」
思考の渦に呑まれていたルーシェを引っ張り出したのはアストであった。しかしその提案はチームにとっては一番とってはならない選択だ。
現状取れる手は、殺すか生かすか、その二つしかない。人道的に考えれば生かすべきなのであろう。しかし相手は敵。復活した後で敵対しない保証はどこにもない。とはいえ、チームをとるか人道をとるかという二律背反に陥っていたルーシェにとっては救いの手に変わりはなかった。
「実はシャルロッテって人に借りがありまして、その、今ここで返済してしまおうかなと……」
まるで怒られるのをビクついて待っている飼い犬のようである。自分の発言がチームにとって害であると認識しているからだ。とはいえ、もしこの場で助ければお肉料理の代金の借りは確実に無くなる。そんなゲスイ考えの元の考えからくる提案であった。
「……ふふっ……そうか、借りがあるか。ならば助けるのも仕方ないな」
ルーシェの後ろに立っているため顔は見えないが、声から喜々とした様子が容易に伺い知れる。
「ありがとうな」
「え、何がですか?」
ルーシェの小声の感謝につい聞き返す。感謝されるどころか、責められても仕方ない提案をしたのだ。それも利己的な考えによって。
「……ホントに、アストは自分のことが一番わかってないんだから」
レーネの呟きは嫌らしいほどじめったい風によって流されてしまう。
「最早一次魔法、それどころか二次魔法ですらも手遅れか。一応聞くがレーネは回復手段をもっているか?」
「私自身なら未だしも、瀕死の他人を助ける術は持ってない」
「そうか……なら仕方ない」
その瞬間、まわりに漂っていたじめったい空気が吹き飛ぶ。と、同時にルーシェの足元に神々しく輝く魔法陣が展開される。
「我が魔素は血に、我が魔素はからだに――《コンムニオ》」
一節唱えた後、漆黒の森に聖歌が響き渡る。ルーシェだ。ルーシェが歌っているのだ。生を与える聖の歌を。
普段であれば危険な魔獣の唸り声、奇怪な鳥の鳴き声、木々が擦れる不気味な音に支配されていたはずの魔の森。しかし、その時その場所では確実に聖歌によって支配されていた。まるで神の祝福のような歌声に魔獣までもが聞き入っているかのような静けさがそこにはあった。
しかし変化はそれだけではない。ナノマシンカプセルがなければ治療は不可能とまで思われたほどの深い傷が段々と塞がっていっているのだ。じんわりと、しかし確実に死の溝から遠ざかっている。
二人とも眠ってはいるが、永眠しているわけではない。スヤスヤと聞こえる呼吸音が生きていることを物語っている。しかし、それと反比例するかのようにルーシェからは活気が失われている。
「へえ、アストが認めてただけはあるってことね」
「え、もしかして……智術ですか」
表面上では何事もないかのように振舞っているレーネではあったが、さすがに驚いた様子は隠しきれていない。それもそうだろう。魔法の中で最高ランクに属する三次魔法。使える人間なんてまずいない。理論的には二次が存在するなら三次だってある、という机上の空論でしかないレベルだ。
「はぁ、はぁ……と、とにかく戻ろう」
人間の限界を遥かに超越している智術の行使は、例えルーシェだとしても非常に痛苦のようだ。息はきれ、汗は蛇口を閉め忘れたかのようにとめどなくあふれ出ている。
「仕方ないわね、二人は私が運んであげる。アスト、死にかけを助けなさい」
いうや否や、眠ったままの聖アルクフェン女学院の生徒二人が浮かび上がる。浮遊系の魔法を使用しているのだ。
ルーシェを見ると立っているだけでも辛そうだ。アストも流石に申し訳なく思い、こけそうになっていたルーシェを支え、肩を貸す。
「すまないなアスト君」
「いえ……」
初めて見たルーシェの弱弱しい姿に何も言えず、ただただ黙って肩を貸すしかなかった。
魔法理論を更新しました。




