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目次


〇マギカ・ブラスター(魔銃)の解説

〇ナノマシンカプセル

〇平衡化震動

〇疆界とは~魔素の回復、保有魔素量の違い~≪量子魔素学会誌≫

〇治癒魔法

〇惑星での支配生物の人型への収束~二つのアプローチと宗教観~


〇マギカ・ブラスター(魔銃)の解説(改)

 マギカリアクターと呼ばれる部分——ミシューの場合は透明な球体——に魔素を貯蔵し、その中のエネルギーを放出して攻撃する武器。……というのが分かりやすい説明ではあるが、厳密には異なる。もしその説明だと、人類未到達領域問題であった「魔素の存在性」の解と反することになる。

 本来であれば、魔素は魔素空間にしか存在しないのだ。しかし、先ほどの説明だとまるで実空間に魔素が存在しているような文面である。

 実際には魔素が貯蔵されている訳ではなく、魔素が実空間と魔素空間をもの凄いスピードで行き来している、と表現した方が正しい。これには単位インパルス関数がイメージしやすいかもしれない。簡単に言うとグラフ(横軸:時間)上で、0秒に近い間に上まで行って下まで戻ってくるので、縦棒のように見えるのである。今回注目して欲しいポイントは広義積分すると1になる、という点ではなく、グラフ上で縦棒になっているという点である。

 つまり、限りなく短い時間で魔素空間から実空間に転移し、また魔素空間に戻っているのである。この棒が沢山グラフ上に乱立している様子を想像してもらいたい。縦棒が時間軸に沢山立っているため、面に、つまりは二次元的になるのである。これがどういうことかと言うと、積分によりエネルギー量を求めることができるのだ。それ故、実空間で魔素を貯蔵するというイメージになってしまうのだ。

 さらに、エネルギーが形を変えるならば他のエネルギーとして分散されてしまうため、エネルギーの100%変換は不可能である。そのため、マギカリアクターから光が発せられるのだ。この光は魔素の行き来の際に生じるロスなので、ずっと放置していると段々とエネルギーが減少してしまう。これが、魔素の貯蔵が問題とされている理由である。

 さらに、その光の色にも規則性はある。込められた魔素量(正確には単位魔素密度)が多ければ多いほど放出される光エネルギーも増大する。そのため、魔素が多いと、波長が短い紫色になる。パルメのマギカ・ブラスターから発せられる色が紫色であるのはそのためである。(ちなみに紫色を超えると可視光線ではなくなり、所謂紫外線となる)

 さらに、マギカリアクターには貯蔵体部と真空層に分けることができる。貯蔵体に利用されているのが魔晶石——エネルギーの行き来の触媒になり得る——である。そのまわりを断熱性特殊薄層によって囲われており、内臓プログラム——銃内部に魔法陣が組み込まれている——により浮かせているのだ。そのため熱は感じにくい。輻射熱は真空でも放射されるため完全に断熱はできない。

 銃本体の大部分が球体制御のプログラミングである。もちろん動力はマギカリアクターから消費される——非常エネルギー源がある場合もある——。



〇ナノマシンカプセル

 アルス=マグナの武術部門で、けが人が転送させられる装置。

 中には特殊な麻酔成分が溶け込んだ液体で満たされており、ナノマシンが大量に入れられている。カプセルにはガラスなどなく、光は通さない。というのも、光応性分子による異性化反応を動力としたナノマシンや、ドラックデリバリーシステム(DDS)を利用しているからである。

 ナノマシンは、光応性層状複合体を巻いた光応性ナノチューブを筋肉としており、カプセル内で光を照射してナノマシンを動かしている。外部から光が混入すると制御が出来なくなるため、カプセルの形で全てを覆っている。さらに光の照射方向、照射威力等をコンピューターで計算して、全自動で動かしている。光と言っても可視光ではないため、認識できるものではない。また、診断によってはDDSを利用して適切な治療薬の投入を行う。

 DDSとは、pH、温度、酸化還元などの病理学的な引き金や、光などの故意的な作用に対して特異的に反応する薬包高分子ハイドロゲルを利用した治療薬伝達制御法である。ナノマシンを利用した制御法もある。

 また、液体には酸素が十分に溶け込まれており、液体呼吸ができるようになっている。また、麻酔薬も溶け込まれており、普通であればすぐに意識を失う。

 生体反応がある場合は青いランプ、ない場合は赤いランプが点灯する。




〇平衡化震動

 魔法の中には魔素から科学的エネルギーに変換するものがあり(例:炎属性は熱エネルギーなど)、世界のエネルギーバランスが崩壊してしまう。そのため魔素空間と実空間のエネルギーの関係が元に戻ろうと平衡作用が宇宙全体に広がる。それにより実空間で増加したエネルギーが魔素に変換され、魔素空間に戻るという現象。またこの逆も理論上存在する。

 密度は様々で、平衡により転化する割合が大きい空間は”大きな平衡化震動”という。しかし転化自体が大きいというわけではなく(勿論その場合もある)、密度が大きいため、観測的には転化量も多くとらえられているだけである。つまり大きい平衡化震動ならば転化量が多い平衡化震動というのは一般的には間違っている。

 アインハルツはこの現象を鍵にして、ラストテーゼであった魔素の存在性を示した。




〇疆界とは~魔素の回復、保有魔素量の違い~≪量子魔素学会誌≫

 自分と自分以外の境界とはいったいどこだろう。皮膚より外が自分以外なのだろうか。遠くから見た場合、それは大した問題ではない。しかし、もうすこし微視的な、ミクロな視線で見たとき、それはとてつもない難易度に跳ね上がる。例えば皮脂はどうだろう。こすればとれる。しかし今この瞬間は確実に体に付着している。では、付着していれば自分なのか。付着している埃は自分なのか。死んだ細胞は自分なのか。抜け落ちた髪の毛は自分なのか。さらに、素粒子まで見れみればもはや判断の仕様がない。

 これは生物全体の特徴として挙げられる階層性がある限り必ず生じてしまう問題である。つまり、普通に考えれば自分の境界がどこなのか定義することは不可能である。答えがない問題だからこそ、哲学者たちが永遠とも言える長大な時間をかけて考察してきたのだ。

 しかし、一人の天才は考えた。この世界に、つまりは実世界に拘るから自分の境界の定義が出来ないのではないだろうか、と。

 彼は実世界での境界の定義は不可能であると断定した。そこで目をつけたのが実空間ではない空間でありながら、実空間とリンクしている空間、魔素空間である。

 魔素空間には魔素が充塡されている。その座標とリンクする位置にいる生物は、その座標の魔素を保有することができる。実空間での座標をA、魔素空間での座標をA’と仮定する。

もし、座標Aから少し歩いた時、実空間Bとリンクする魔素空間の座標はB’である。つまり、A’≠B’である。もしそうなのであれば、少しでも動いただけで自らの保有する魔素量は変化するはずだ。しかし、現実問題としてそのようなことは起きない。つまり、魔素空間に、実空間にいる自分とリンクする境界が存在するのではないか。

 ここで、その境界からなる系は孤立系なのか、そうではないのかが議論の一つとなってくる。孤立系とは、エネルギーや物質の行き来が一切ない空間のことである。つまり、もし孤立系で考えるのであれば、実空間における座標の移動とともに魔素空間における境界の座標も同時にずれるため、内包されているエネルギー(魔素)も減らすことなく移動させることができる。これは孤立系にはエネルギー保存の法則が成り立つからである。

 しかしこれには重大な問題が生じる。エネルギーの行き来がないということは、内部からエネルギーが漏れ出る恐れもないが、同時に魔素浴――個人の疆界からなる系から見た時の外界――からエネルギーを供給することも不可能になるのだ。よって、疆界が孤立系からなるのであればその生物が一生の間、持ちうる魔素量は固定されているということになる。

 だがそれでは魔素が自然に回復することと相反してしまう。そのため、個人の系は孤立系ではないというのが現在の学会の主流である。

 しかし、エネルギーの行き来が可能だとすれば、実空間での座標のずれとともにおきる魔素空間での座標のずれによって魔素保有量は変化してしまうはずである。となると、エネルギーの行き来は可能で、さらに何か引力のような力が作用していると考えるべきである。

 固有の生物として定義される魂が持つ固有の示強性状態量X(魔素ポテンシャル)が存在するとする。濃度のようなものだと思ってもらって構わない。もし、魔素を使用した場合、元々のポテンシャルXからX’となる。この二つの数値の関係は、X>X’であることは明示的である。もし、疆界を挟んで魔素ポテンシャルXと外界が均衡を保てているのだとしたら、ポテンシャルX’の状態というのは安定な状態ではない。つまり、ポテンシャルXに戻ろうとする力――魔素弾性が発生するはずだ。ゴムを思い出してもらいたい。ゴムは引っ張っても押しつぶしても元へ戻ろうとするはずだ。魔素にも同じように、規定値から変動することで魔素弾性が働き、元の規定値へと戻る。

 これが、生物は魔素を回復することができる理由であり、人によって保有魔素が異なる理由であると考えられている。さらに持つ魔素の種類にも違いがあるのも魔素ポテンシャルの違いと考えられる。死んでしまった生物は一切の魔素の回復が見受けられないことからも、生きている証拠であるアニムスが関与されていると考えられた。

 つまり、魔素ポテンシャルXの状態が安定である――アニムスによる引力が働く――座標の限界こそが個々の保有する境界、つまり疆界であると考えられるのだ。

 あくまでもこれは仮説であり、疆界の存在を確定づけるものではない。そもそもアニムスの存在も証明はできていない。




*系とは:教室も系であり、ペットボトルも系であり、何もない空間に勝手に境界線を引いてもそれは系である。ただしその系の種類は異なってくる。孤立系はエネルギーも物質も行き来が出来ない。閉鎖系はエネルギーの行き来は可能だが、物質の行き来は出来ない。開放系はエネルギーも物質も行き来が可能。

 例えば保温性、保冷性100 %の水筒であれば孤立系となる。熱も物質(この場合は空気と液体)も出入りは不可能である。

 一方、ただのプラスチックの蓋の閉じたペットボトルであれば、閉鎖系であると考えられる。例えばキンキンに冷えたスポーツドリンクを考えてみる。蓋は閉じているため液体自体が漏れ出ることはない。しかし真夏に外に出したままであればいずれ生ぬるくなり甘くてとても飲めたものではなくなってしまう。

 蓋が開いたペットボトルであれば開放系と考えられる。熱はもちろんのこと、倒してしまえば液体は漏れてしまうし、蒸発した分の液体は常に外へと放出されてしまう。




〇治癒魔法

 文字通り、身体の回復を可能とする魔法である。本来であれば相手の疆界内に魔法を直接発生することはできない。そのため、相手の体の中に対して魔法を行使する治癒魔法はおかしいと思うかもしれない。しかし、治癒魔法の本質を理解すればそのようなことはないと言える。

 実は治癒に直接使用している魔素は被治療者本人のものなのだ。端的に言うと、治癒魔法とは魔素操作系魔法である。

 相手の保有する魔素を外から操作し、体内での再生力を高めるのだ。本人の魔素を使用しているためアニムスの拒絶反応も起こらず、不可能とされる疆界内での魔法の行使を可能とさせている。もちろんこのことを悪用した魔法も存在している。


 しかし例外は存在する。自分の魔素をまるで輸血のように使える治癒魔法も存在するらしい。




〇惑星での支配生物の人型への収束~二つのアプローチと宗教観~

 どのような惑星も、支配生物は高度な知能を有した生物になりやすい。そしてそのほとんどが人型である。もちろん様々な亜種は存在するが、そのどれもが人型に類似している。このことの説明は、今もなおできていない。しかし二つの仮説が検証されている。

・生物学的説明

 まず考えられたのが、進化論である。というより、今の学会のスタンダードな考えといっても問題はない。手が自由に使えるというのは道具が使えるということであり、その優位性が強固なため、数多くの惑星でもそのような形態になるという考えだ。(もちろん理由はこれだけではない)

 しかし進化論では説明しきれないことが多々ある。ある一つの惑星を見てみても、人型に至った経路というのは波乱曲折なものが多い。突如として降ってきた隕石だったり、突如として現れた病原菌であったり、何らかのハプニングがあったから人型という進化に落ち着いた惑星というのは多い。そのような不確定性の大きい要因が絡まってもなお人型に収斂するのにはやはり進化論では説明不足なのだ。

・神学的説明――神の似像(イマゴ・デイ)――

 そこで考えられたのが、神が己の形姿を模様して人を作ったのではないかという仮説だ。この説の凄まじい所は、全ての疑問を解消できるということだ。(神を持ち出せば当たり前なのだが…)

 たとえば偶発的なハプニングも、それは逆に人型に至るためにあえて起らされた必然的な事象と見ることができるし、人型が他生物に対して有利なのも、そもそも完璧なる神を模倣したため当たり前であると考えられるのだ。

 勘違いされやすいこととして、この理論は進化論を否定しているという考えだ。しかしそのようなことは一切ない。進化論に対する傍証は信用できる量が揃っている。神学的説明では、そのような進化論を否定するのではなく、道具として見ているということだ。神の形へと近づくための道具が進化論であり、この神学的説明は進化論より高位な立場から見ているということだ。

 しかし科学的な根拠というものはもちろん存在しない。そもそも神学を科学で推し量ろうとする行為自体が無意味なのだ。科学の延長線上にある生物学に対して科学的考察を行うことには意味があるが、科学の延長線上にはない神学を科学で説明できるわけがないのだ。

 科学の前に分岐してある神学におけるこの仮説においては、科学的反証は反証に成り得ない。そもそも、進化論――生物学的説明を下位な存在として見ている時点で、下位の存在で説明しようとする行為自体が烏滸がましいのだ。

 例えば、物理の問題は数学を用いることで証明されるだろう。しかし、数学を物理によって証明することはできない。これは数学が、物理より上位であるからだ。もちろん学問的価値ということではなく、領域的な優位性だ。

 そして同じ人類未到達領域問題ラストテーゼである「神性の存在性」と根強い繋がりを持つことは明白である。

 この理論が支持されているのはアルケー教の影響力の大きい地域――つまりユーフェ=クラーリ=アルトハルツ連合公国が大きい。

 一方、リーンエルス神聖帝国ではこの理論はタブーとされている。というのも、この国の考えとしては、生物としての最高形態は龍であり、龍こそが最も神に近いとされている。そして、皇帝陛下自らが神として国民に信奉されている。

 この宗教観の違いから、学会においても意見が分裂しやすい。



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