fiction 42
「レーネ=ハイネスっ!」
ルミを除く全員の視線が一人の少女へと向かわれていた。もちろんそれは羨望や期待の眼差しなどではなく、疑惑や警戒といった、負の感情である。
しかしそんなことは全くもって気にしていないようで、夕焼け色の空を紺青色に染めながらトコトコとこちらへ近づいてくる。だがそんなことは許容できるはずもない。
「それ以上動いたら蜂蜜にするわよ!」
パルメの持つ二丁拳銃に埋め込まれている透明な球体が薄紫色に輝きだす。マギカ・ブラスターに詳しくなくとも、その光彩は十分威嚇と成り得るだろう。
アストにとってそれよりも恐怖心を抱かされるのが、ルーシェの手の先に突如として現れた紅の魔法陣である。手のひらを目一杯広げた程度の大きさでしかないが、人間ビックリ箱であるルーシェが何を仕出かすか分かったものではない。
流石にこれ以上近づいたら面倒なことになると思ったのか、ある程度の距離で歩みを止める。剣や槍など近接武器の間合いではないが、魔法であれば十分すぎるほどの戦闘領域である。
そもそも魔法に明確な戦闘領域は存在しないが、相手が視認でき、かつ刀剣類の間合いでなければ魔法、正確には魔術や印術、さらには近代兵器などが幅を利かせることとなる。
「パルメ先輩、それを言うなら蜂の巣じゃないんですか?」
「蜂蜜の方がおいしそうじゃない。蜂の巣なんていらないわよ」
世の中には蜂の巣を食べる民族もいるらしい、と何故か知っていた無駄知識を披露しようとしたアストであったが、今することではないと空気を読み、渋々諦める。
「アスト君、気が緩みしぎだぞ」
そんなことを考えていた所為か、レーネへと向けられた刺突剣の如き双眸は固定したまま、注意を受ける。獲物を捕捉した肉食獣を想起させられるほどの強い眼光だ。
だがそんなルーシェの忠告を聞く様子はない。それどころか納刀し始める。
「大丈夫ですよ、ルーシェ先輩。やり合うために来たわけではなさそうです」
「アスト君っ、いくら幼馴染だったからと言って信用しすぎだっ」
その大音声に、森の鳥たちが一斉に飛び立つ。都会の腑抜けた鳥などではなく、魔獣がそこら中を闊歩しているこの森に棲んでいる鳥が、である。その威力の凄まじさがよおく理解できるだろう。
正に一触即発。ありんこ一匹でも動こうものなら瞬く間に崩れそうな均衡は、思いの外あっけなく瓦解することとなる。
「アストの言う通りよ。ヤりに来たんなら顔を見せる間もないわよ」
問題の中心人物であるレーネが戦闘放棄ともとれる発言をしたからである。自分の毛先と戯れている様子からも、言が真実であることが窺える。
「……何が目的だ」
しかし未だ信じ切れていない様子のルーシェは警戒を解くことなく思惑を探る。それもそうだろう。そもそも敵校と遭遇すれば戦端が開かれるのは必定。それに相手はあのレーネ=ハイネスである。今回のアルス=マグナで最も注目を受けている人物だ。
軍の一番の注目株がレーネ=ハイネスとルーシェ=パンドーラ=エルミネスである。最早虎と龍、いや、魔王と勇者の頂上決戦が起こったとしてもおかしくはない。この際、どちらが魔王であるかは言うまでもないだろう。もちろんそんな事を考えているとは噯にも出せない……もとい、出さないアストである。
「少しお話を、ね」
そのままアスト達が座っていた岩に近づいてくると、然も当然とばかりに堂々と座り込む。アストが使っていたコップの水も勝手に飲みつくしてしまった。
まるで自宅のようなふるまいに、ルーシェ達も毒気を抜かれてしまう。謎の魔法陣も漸くしまってくれたようだ。
「はあ、本当に話をしに来たとしても、だ。今現在我々は敵対中――」
「アルクフェンが既に壊滅状態よ」
ルーシェの説教モードが始まろうとしたとき、とんでもない爆弾が投下させられる。
「……なんだって?」
「それに現在私たち参加選手たちは完全に運営から孤立しているわ。AIは作動しているようだから強制転送はできるらしいけど」
それも空襲並みの爆弾盛り盛りでだ。
「まず状況を確認していこう。聖アルクフェン女学院が壊滅的、これは本当の話か?」
「ええ、本当よ。現在生き残っているのは二人ね」
「……何故分かる」
「分かるんだもの。そこの不良品センサーと比べないでちょうだい」
今までで一番とも言える衝撃発言だ。もしレーネの言っていることが正しいのであれば、感知特化型のミシューより感知能力に優れていることとなる。となれば考えられることは一つしかない。
「貴様も感知系の固有能力保持者なのか?」
固有魔法のなにが優れているか。この議題において、真っ先に挙げられるのは、三つの種類の魔素を併用する、ということだろう。実際、魔素は複数使用したほうが各種性能が上がることは実証済みだ。
だがしかし、魔素の併用にはデメリットも存在する。複数になることにより、魔導関数の難解さが跳ね上がるのだ。
魔素の併用を使えこなせさえすれば、それは強力な武器と成り得る。しかし十全に処理できない魔法を使っても、一次魔法と同等か、若しくは劣化するなどといったことが起こりかねない。
つまり、魔素の複数種類併用とは、一概に優れている、メリットであるとは言い難いのだ。
本当の意味で固有能力が優れている点は、感覚的処理の大きさにある。
一々意識しながら呼吸している人はいるだろうか。普通はいない。呼吸とは“当たり前”の行動であるからだ。固有能力保持者にとっても、固有能力は自分の生命活動の一環と何ら変わるものではない。
つまり、本能的に三種類の魔素同時使用を処理しているのだ。この特性があって初めて三種類の魔素が有効活用されることとなる。
つまり、比較対象との間に雲泥の差がなければ、固有能力を通常の魔法で越えることはほぼ不可能といっても過言ではないのだ。
「う~ん、私の場合は固有能力というか、体質というか……まあ固有能力ってことでいいわ」
明らかに面倒くさがっている。追及したい気持ちも山々だが、話が進まなくなりそうなため、いったん放棄するルーシェ。
「しかし、しぶとさが売りのアルクフェンが開始早々やられるとも思えないんだが」
未だに疑心暗鬼のようだ。というのも、聖アルクフェン女学院の歴代メンバーには必ず回復系の魔法師が数人出場している。今回だって例外ではない。
回復役がいる、ということはこの武術部門では非常に大きなアドバンテージとなる。というのも、降参者を輩出しなくても済む確率がグっと上がるからだ。
特に聖アルクフェン女学院では優秀な回復魔法師が多く、巷ではゾンビ校と畏怖の念をもって呼ばれている。そんな学校が開始早々壊滅状態に陥るとは到底考えられない。
「ま、手を組まれたら為す術ないわよ。いくらアルクフェンでもね」
「な、なんだと?」
先ほどから特大ニュースの乱売だ。あまり嬉しくないバーゲンである。だが史上最悪のセールはまだ終わる様子を見せない。
「だから、アル=カーンとグラディウスが結託したっつってんの」
依然として信じる様子のないルーシェに少し御冠のようで、語尾が荒々しくなっている。だが怒りたいのはこっちである。
「結託……だと。確かにそれならアルクフェンがやられたことには理解ができる。しかし最初の転送場所はランダムだぞ。開始前に口裏を合わせていても、初日から合流し敵を叩くなど……相当運がよかったとしか」
どの学園がどこに飛ばされるかは学生が知る由もない。それ故、口裏を合わせていても、転送されたポイントが円の端と端、ということにならないとは言い切れない。
魔素が荒れに荒れまくっているこの森で連絡を取ることもほぼ不可能だ。
「戦闘時はアルクフェンが挟まれていたから、転送ポイントは時計回りに私たちアルトハルツ、グラディウス、アルクフェン、アル=カーン、ユスティート、そしてあなた達ベルトハルツね」
レーネ達は転送された後、左手方向に進んだらしい。その先で戦闘を察知。そのため逆方向に進んでみるとベルトハルツを見つけたらしい。つまりユスティート騎士学校は消去法であり、実際に感知もしていないそうだ。
「流石に私もこの森全域は把握できないからね」
「それで、我々が孤立しているというのは一体どういうことなんだ?」
レーネが落とすだけ落としていた不発弾。これに触れないわけにもいかない。どんな威力を持ち合わせているか検討もつかないが、放置したことの危険性を無視するわけにもいかないのだ。
「普通、参加選手の動向は運営へ逐一報告されてなきゃおかしいのは分かってるわね。でも今回の対抗戦では結界外部からの干渉が感じられないわ。AIを少し調べてみれば分かるわよ」
これに疑問符を浮かべているのが計二人。アストにパルメだ。二丁拳銃の内片方だけレッグホルスターにしまいながら、疑問を口にする。
「それって何か不味いわけ? 強制転移はできてんでしょ」
「はあ、パルメ。問題ないわけないだろ。まず報道機関へ映像を提供できないということだ。これだけでも教育連盟は相当の不利益を被るだろう。さらに学生のモニターができないまま戦闘を続行させたとなれば、これまた運営の責任問題になりかねない」
「……つまり?」
「中止されていないこと自体がおかしいってことダヨ。そんなことも分かんないなんて、アストっち並みの脳みそだゾっ」
「……あの、地味に俺を蔑んでるんですけど」
「なっ、この高尚なるパルメ様があの猿と同等っ! 一生の汚点だわ……」
「……泣きますよ」
ギャーギャーと騒ぎ始めるパルメとミシュー。先ほどまでの静かな空間は砂のお城の如く崩れ去ってしまった。
そんなバカ共をおいて話を進めるレーネとルーシェ。
「明らかに今回の運営はおかしい、ということか?」
「ええ。運営委員会も結局は教連。さらにアル=カーンとなると……考えすぎ、といわけでもなさそうね」
「どういうことだ。他にも何か知っているのか?」
「いえ、確証もないただの想像よ。それにあなた達に話してもなんにもならないわ」
言外に、これ以上は首を突っ込むなと言っているのも同然であった。
「まあとにかく貴様の言いたいことは伝えたいことは分かった。しかし、この件を我々に話すメリットはなんだ。このままだと流石に信じるわけにもいかないぞ」
しかしルーシェもここだけは引けないようだ。それもそのはず、もう既にアルス=マグナは始まっている。ならばこの会話が策略ではないと誰が言えるだろうか。
目力だけで失神させられるような双眸をレーネへと惜しみなく注ぐ。瞬目すら躊躇われる重い空気。
「そんなの決まってるじゃない――目を抉らえたら、抉り返す。ただそれだけ」
両者の視線がカチリと交差する。まるで緻密に作られた歯車のように。かみ合わさった歯車は動き始める。
勇者と魔王が結託した物語なんてあるだろうか。普通はない。なぜなら、お話がそこで終了してしまうからだ。世界征服なんて序の口。そんな不条理、作家は作りたがらない。
しかし、現実は思うようには動かない。いや、それこそが現実である。
混ぜては危険な不条理の塊同士が合一するのは間近である。




