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fiction 36

 走る。


「…先輩」


 走る。


「もう始まってますけど…大丈夫ですかね」


 走る。


「…ルーシェ先輩?」


 はし――


「だああああ! 大丈夫なわけないだろう!」

「まってよおお、る~しぇ~」

「アンタ遅いわよ! さっさと走りなさい」


 一体何が起こっているのか、それは対抗戦の前日――森に入ってから二日目まで遡ることになる。





「ルーシェ」

「なんだ」

「暑い」

「我慢しろ」

「疲れた」

「我慢しろ」

「飽きた」

「我慢しろ」

「もう帰る!」

「は~~」


 星外から沢山の学生や観光客が訪れるベルラーン大陸には危険視されている魔獣は一匹も生息していない。それもそのはずで、そんな危険な星が国一番の学術惑星として名を馳せる訳がないのだ。

 ベルラーン大陸よりはるか南に位置するこの森は、日中は蒸し暑さに体力をゴリゴリ削られていく。

 そのため、ミシューが音を上げるのも致し方ないことと言えた。


「まあもう夕暮れ時だ。そろそろ船に戻るか」


「やったーー! ルーシェは女神っ! ルーシェは悪魔っ!」

「あ~、暑いですね」


 背中を曲げながら死にそうな恰好で歩いていたのにもかかわらず、すっかり元気になり即興で歌を歌っているパルメ。

 ルーシェから赤いオーラがにじみ出ているような気もするが、暑さの所為にして現実逃避に移るアスト。


 歩いて森に降りた場所まで戻るのかと思いきや、自動送迎システムを積んでいたらしい高級最新艦が飛んできたため、無駄な徒労は消費せずにすんだ。


「で、結局対抗戦っていつなんですか?」


 森での生活には慣れていたアストではあったが、最近ぐうたらな生活を送っていたため、少し疲れているようだ。ソファに体を全て預けて眠そうな顔をしながら質問をする。

 しかしそんなアストの態度にも嫌な顔一つ見せないルーシェ。


「ああ、そういえば言ってなかったか。てっきり知っているものとばかり思っていたのでな」


 そう思うのもなんら不思議ではない。自分の学校の催しものの開催日程度知っているのは当たり前だろう。むしろここまで有名である対抗戦の日にちを知らない方がおかしい。


「明日だ」

「へえ、結構近いですねえ」

「そうだな」

「…え、明日?」

「そうだが」

「……明日!?」


 急いで窓を振り返り目視するアスト。わざわざ確認するまでもなく、船内には黄昏色に染まっている。それは対抗戦開始まで丸一日もないことを示している。


「まあそんなに心配するな。星の反対側にはいるが、少し船に揺られれば直ぐに到着するさ」

「そういう問題ではないんですけど…」


 因みに慣性制御が完璧なため、実際に揺られることはない。


「今から急いで帰ってもいいが、そうすると重役出勤してきそうな輩がいるからなあ」


 アストの嘆きは完全に無視され、その鋭い眼差しはミシューへ向かわれる。


「へ? 何? 私が偉いってハナシ?」

「アンタが寝坊するって話よ」

「またまた~。今日の朝、まだねみゅい~って言ってたのはどこの誰だっけ? くふふっ」

「あ、アンタね~! 忘れろって言ったでしょ!」

「はあ、相も変わらずうるさいな。まあどちらにせよ開会式に寝坊で出られない、なんてことになったら悲惨だからな、今日はこの船に泊まる。明日の早朝、ヴィッツェンヘルゼンに着くように自動航行を設定しておく」

「え! ホント! やったー! お泊りだね! パルパルっ、部屋を見に行くヨっ!」

「はあ? なんで高尚なるパルメ様がいかなきゃなんないのよ…まあどうしてもって言うならついて行ってあげないこともないけど?」


 腕を組みながらそっぽを向いて興味がないかのように振舞っているパルメではあるが、チラチラとミシューの方を見ていては全て台無しだ。


「ほらっ、早くいくヨっ」


 そう言うや否やパルメの腕を引っ張って何処かへ連行していった。


「まあ反対意見はなさそうだから問題はないな」

「そ、そうですね」


 うるさい二人組が船内探検に旅立ってしまったため、急激に室内が静かになる。ルーシェもアストも自発的に喋るタイプではないし、ルミに至っては最早人数のカウントに入れることすら躊躇われる。

 ルーシェは特に気にする様子もなく、ソファに座りながら空中に浮かびだされた船の管理ページをいじくっている。

 ルミは…特に述べることもない。無理やり叙事するのであれば、どこかを見つめながら座っている、としか言いようがない。そもそも見つめているのかも不明だ。ただ目が開いていて、その先に偶然景色が存在している、といった感じだろうか。

 急に静かになった部屋にいるアストは何か居た堪れない気持ちになったため、取り敢えず話を試みてみる。


「そういえば、あの時なんですけど」


「ふむ、あの時とは?」


 空中の画面から目を離さずに返答してくる。恐らく自動航行の設定をしているのだろう。話しかけてはいけないかとも思ったが、ルーシェにそのような心配は無用だと思いなおし、話を続行する。


「あの大きな虎の魔獣との戦闘の時です」


 森に入ってから二回目の魔獣との戦闘の時だ。大きな虎の魔獣が襲ってきて、それをルミが分界(ジ=アブソリュート=リッパー)を使って倒したのだ。


「あの時、猛スピードで飛びかかってきた虎に分界をぶち込みましたよね? 確かにそれで相手は絶命したと思います。けど、それだけならそのままの勢いで虎の亡骸は飛んでくると思うんですよ」

「ふむ、続けてくれ」


 どうやら設定が完了したようで、体をこちらへ向けてくる。その顔にはなぜだか少し感興の様子が窺える。


「魔法陣の大きさは合成魔法クラス級でした。だったら次の魔術の発動までに少なくない遅延が発生するはずです。しかしそうすると魔獣を分界で倒した直後に不自然に軌道が変わったことの説明がつかないんですよ」


「ルミ以外の誰かが魔法で軌道を変えた、という考えもできるが?」


 ルーシェの考えは最もであった。ルミがあの刹那、魔法の行使ができなかったのであれば第三者の介入が存在していたと考えるのが普通だろう。

 しかし本気でそのように思っているわけではないらしく、ニヤついた顔を見せながらアストの顔を窺っている。どうやらアストを試しているらしい。

 しかしアストは困惑する様子もなく、すぐさまルーシェの疑問に回答する。


「それはあり得ません。あの場で魔法を使ったのはルミ先輩と俺、そしてパルメ先輩だけです」


「…ほう、なぜわかる」


「体から放出される魔素の乱れ具合ですよ。パルメ先輩は一見ただ肉を食ってるだけでしたが、常に何かの魔法を広範囲にめぐらせていました。恐らくパルメ先輩固有の感知系魔法を使ってたんでしょう。ルミ先輩は言わずもがなです」


 その回答に思わず二の句を継ぐのに少々の時間を必要とするルーシェ。それも致し方無い。そもそも体から放出される魔素で感知するということ自体が頭のおかしい行為だ。

 にもかかわらず、合成魔法クラスの規模の魔術が行使されている、魔素が大気をかき乱していたあの場所で個人の魔素の感知など到底人間業ではない。


「……あの魔素の嵐の中で個々の魔素の乱れを感じ取っていたというのか? 相変わらず規格外だな、アスト君は」

「先輩には言われたくありませんよ」

「なんか言ったか?」

「ひっ、…いえ、何も」


 ルーシェの背中に死神の形象が浮かび上がっていたことは決して口外してはいけないと、心の最奥にしまい込んだことを必死に隠す。


「まあいい。とにかく、アスト君の感じた通り、あの場で魔法を使っていたのは3人だけ。そしてパルメは感知をしていた。…もう答えは出ているだろう?」

「…あの刹那で分界の魔術のあと、あのスピードの物体の軌道をずらす他の魔法を使ったってことですか? …明らかに不可能だと思うんですけど」


 どんな人間だって、脳みそには限界がある。いくら頭の回転が速かかろうと、大規模魔法の行使後――そもそも合成魔法クラスを一人で発動すること自体不可能に近い――の刹那に新たな魔法を生み出すには乱れた魔素の調整、さらには新たな魔導関数の構築をする時間などないのだ。

 難しい、ではない。不可能なのだ。


「そうだ。これもまたアスト君の言う通り。ならばこれもまた、必然的に答えは絞られるだろう?」

「まさか…二重詠唱(ダブルスキャン)!」


――二重詠唱ダブルスキャン

 文字通り、魔導関数を構築する際に二つ目の魔法も同時に準備してしまう高等技術のことだ。とは言え、普通に二重詠唱をするだけならば学園の高学年の生徒でも使える。優秀ならば入学当初から使える者もいるだろう。

 実際、入学テストの魔法分野――選択科目なので全員が受けるわけではない――で二重詠唱を使った生徒こそ、かの学年主席入学生エリスである。

 確かに普通の学生から見れば大変驚くべき技術なのだろう。しかし規格外の人間ビックリ箱のルーシェから規格外とまで言わしめたアストがその程度で驚くとも思えない。


 これには学術的観点から考えなければならない。基本的に魔導関数というのはその魔法特有の情報――つまり数ある中の、今から発動しようとする魔法であるという指示――以外に三つの工程にブロック化することができる。それは威力、座標、時期である。威力は正確に言うと込める魔素量だ。

 しかし基本的にこれらは実時間入力(リアルタイムセット)、つまり魔法を行使するときになって初めて設定する変数だ。というのも当たり前で、戦闘中というのは場面が刻一刻と変動しているものだ。

 そのため、魔導関数を構築する前とした後では状況も変わっている恐れがあるために、変数――威力、座標、時期――を埋め込む土台となる関数を先に作っておき、発動するときになって初めて数値としてはめ込むのだ。

 状況により誤差が発生する変数をなるべく先延ばしにする、という行為が優秀な魔法使いかそうではないかの一つの境目となる。

 しかし変数の入力を先延ばしにすることは決していいことだけではない。というのも、魔法を発動する、と念じてから本当に発動するまでの欠損時間(ロスタイム)が生じてしまうのだ。

 この欠損時間(ロスタイム)をどれだけ減らせるかは魔法師の腕によるが、決してゼロにすることは不可能だ。

 一方、実時間入力(リアルタイムセット)が一切ない魔法というのは欠損時間(ロスタイム)を限りなく無くすことが可能だ。しかし後からの変更ということはできない。

 この変数である座標を構築時に魔導関数に練りこんでおく魔術こそ、アストがルーシェに苦しめられた設置型魔術である。


 そして二重詠唱ダブルスキャンというのも、事前にどれだけ情報を限定するかは術者次第となる。

 しかし二つの魔法の時期の変数が違う――つまり発動のタイミングが違う――場合、二つ目の魔法は実時間入力(リアルタイムセット)で行うのが普通だ。なんせ、一つ目の魔法が放たれた後から発動するのである。そのため状況というのは到底予測でき得るものではない。

 そのため二重詠唱ダブルスキャンの二つ目の魔法で全て数値を固定化するという行為はかなりの賭けともいえる。その代わり魔法の構築は済んでいるため、瞬時に違う魔法を連発することができる。


 つまり、ルミはあの状況を既に完璧に読んでいたことに他ならない。そしてさらにあり得ないこととして、合成魔法クラスの発動に二重詠唱ダブルスキャンするということである。

 二重詠唱ダブルスキャンが難しくなるのは同時に魔導関数を構築して維持しなければならないためである。その難しさの上昇度は足し算ではない。掛け算だ。

 明らかにルミが行ったと予測される技は神の領域である。


「言っただろう。ルミは魔術の天才だとな…それこそやっかみを受けるぐらいには、な」


 まるで自分のことのように自慢げに話すルーシェ。一瞬顔が曇り、何かをボソッと言ったような気がしたアストではあったが、既にいつも通りに戻っていたため、勘違いなのだろうと思いなおす。

 アストが今一度ルミについて意識を変えていたところ、急に部屋の自動ドアが開く。


「ん? もう帰って来たんですか――ってどうしたんですか?」


 ドアが開いたということは、先ほど探検に向かった二人が帰って来たことに外ならないため、特に気にせず顔を向けたアストであったが、その目の先の光景はすこしおかしかった。

 確かにアストの予測通り、パルメとミシューの二人組ではあったのだが、何か二人の様子がおかしいのだ。


「へえ? なんでもないれすヨ、アストっちぃ~」


「そーよ、にゃにか変なのかしら?」


 フラフラしながら入ってきた二人の顔は明らかに紅潮している。さらに運動したかのように額を流れる透明な液体も目に映る。

 赤みを帯びた顔と、汗により少し透けている衣服のダブルパンチで、不覚にもすこし艶めかしく感じてしまったアストは目を少し下に逸らしてしまう。すると丁度何かが目に付いた。


(…ビン?)


 アストが気づくが早いか、猫の如く素早さでルーシェに近づいたミシュー。


「どうした二人とも? 何があった――んんっ!?」


 一瞬その光景に目を奪われてしまうアスト。というのも、二人の顔が異常なまで近づいていたからだ。…いや、ある一点において、距離はゼロとなっている。


「んっ、んんっ、んっ――ぷはっ。お、おいミシュー! 何を飲ませた!」


 ルーシェとミシュー、二人の唇からは液体が滴れている。当たり前だが汗なわけなく、ましてや頬を伝って顎から滴り落ちているピンクがかった液体が唾液とも考えにくい。

 などと無駄に頭を使っていたアストではあったが、パルメとミシュー二人の手に捕まれているビンを見れば一目瞭然だ。


「…先輩たち、その飲み物は一体どうしたんですか?」


「ふぇ? これ? なんかボタン押したら出てきたのだ!」


「そーよ! にゃんかもんくあるわけ?」


(どう考えても…酒だろ)


 手に抱えられているビンから細かい泡が弾けるような音が聞こえる。現実逃避しきれなくなったアストはようやく事の次第を認めざるを得なくなる。


「ルーシェ先輩、どうします――って大丈夫ですか?」


 アストにはどうしようも出来そうになかった為、ルーシェに判断を任せようと振り向く。が、そこに座っていたのはいつもの怖いほどトゲトゲしたオーラを放っているルーシェではなく、顔を赤らめフラフラしている姿であった。


(…まさか一口でダウン…かよ。ルーシェ先輩の弱点が知れたのはよかったのかもしんないが、なんでこんな時に…)


 酔った三人組をアスト一人で止められるわけもなく、ましてやルミが役立つわけもなく、先ほどから一転してどんちゃん騒ぎに変相する。

 この三人にアルコールは摂取させてはいけないと心に誓ったアストであった。



 地獄のような夜を体験した記憶が蘇ってくる。


(マジで大変だった。…ん? 過去形?)


 昨日の記憶が、鮮明ではないがぼんやりと頭の中で上映される。まさに地獄といっても差し支えない、悍ましい記憶だ。

 しばらくしてからようやく頭が回転するようになったアスト。目を閉じていても瞼を貫通してくる光の存在から、今の状態をだんだんと理解していく。


(太陽…朝…次の日……対抗戦………対抗戦?)


「うわっ! 対抗戦だ!」


 急いで時間を確認するアスト。到着予定時刻からは既にかなりの時間が経っている。窓の外を見てみれば既に着陸しているようだ。何時から始まるのかは知らないが、ヤバそうというのは何となくわかる。


「せ、先輩! ルーシェ先輩! 起きてください!」


 ソファに沈み込むように眠っていたルーシェの体をゆすって起こす。同時に周りを見渡すと、昨日と同じ部屋であるとわかる。どうやらあのままこの部屋で寝てしまったようだ。


「……んっ? 痛ててて」


 いつものしゃっきりした様子は幻の如く消え去り、頭を抱えながら起き上がる。


「…朝……翌日……対抗戦………対抗戦!」


 アストと同じような思考をしてからようやく飛び上がるルーシェ。


「おいっ、パルメ、ルーシェ、起きろ! ルミもだ」


 床に重なりながら寝ている二人を強制的に叩きおこすルーシェ。ルミは素直に起き上がる。やはりロボットのようだ。


 昨日とは一味違った喧騒に包まれる一室。


「…なんてことだ」


 いつもの艶のある綺麗な黒髪は、重力に逆らうように所々がはねており、乱れに乱れている。まるでルーシェの心の内を体現したかのようであった。


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