fiction 32
「しかしここの朝は寒かったですね」
普段朝のランニングをしているアスト――師匠に強制させられている――であったが、朝の寒さに関しては汗をかきづらくて丁度いい程度にしか考えていなかった。しかし朝5時にルーシェ達を待っているときは、ただ突っ立っていただけだったため登校時間には感じない身に染みる寒さを感じたのだ。そのため胡坐をかきながら布で黒ずんだ汚い刀の鞘と柄の部分を拭いていたアストはつい口に出てしまう。
「学園が位置しているのはベルラーン大陸の中部だからな」
それはルーシェも思っていたことなのか、頷きながら説明する。しかしアストに、というよりも大抵の人に対してはどう考えても説明不十分である。
「ん? それが何なんですか?」
「相変わらず脳みそがチーズで出来てるわね」
エンジン音がほとんどしないVIP用飛行船の一室では、口喧嘩していたパルメ達にも聞こえていてようだ。
「つまり大陸性気候ということだ。大陸性気候は日較差が激しいからな」
「は、はあ。……お、だいぶ綺麗になりましたよ」
「ほう、随分剣らしくなってきたな。しかも中々の存在感だ」
大分雑な話のそらし方だが、武人であるルーシェには効果抜群であったようだ。というのも無理はない話で、黒ずみが無くなり綺麗になってきた刀は見るものを魅了する何かを持っており、特に武術に精通しているものほど虜にさせるようだ。直線的な円柱と複雑な方形が交じり合った柄と鍔。それは科学的、機械的なイメージを受けさせる。それと反して、人間の、いやそれ以上の何かの業を感じさせられる流線的な鞘は一見すると不釣り合いに思われる。
しかしその全形をよく見ると何故か典麗さを感じ取ることができる。しかしそれは鞘と柄――所詮唯の外面に過ぎない。剣が剣たらしめる所以、それは刃に他ならない。鞘と柄の黒ずみを拭き取り終わったアストは刀を鞘から緩徐に引き抜いていく。
「——っ!」
顔を見せ始めた刃に、思わず息を呑むルーシェ。剣術を少々齧っている(本人談)ルーシェに、その刃は目に毒とさえなる。見たことのない素材か、流線的な形状か、理由は分からない。しかしその刃の艶麗で濃艶で凄艶な有り様は、視線に浮気させることを許さない。
「な、なんだそれは…」
しかし人間という生き物は、過度なものには恐怖心を抱くようできている。それは個性などではなく、人間種に根付く本能である。
「おお! きれいだネ!」
「大根を綺麗に切れそうね」
剣術に一切触れていない二人の反応はこんなものである。
「相当昔の剣なのに曇りひとつ見えませんね」
鞘や柄は驚くほど汚かったのに対し、刃には傷ひとつ、汚れひとつも見られない。まるで刃だけ新品に交換したようだ。その刃を見るアストの目には恐怖心は欠片も見当たらない。それどころか陶酔しているとも思われるほどじっくり、ねっとりと刃を見ている。
「あ、アスト君……君はそれを見て何も思わないのか?」
「勿論ヤバいですよ。正直いって俺が飼いきれるかどうか…でも、所詮はただの無機物です」
チンッという音とともに刃が又もや顔を隠す。アストには既に恍惚した様子は見られず、それどころか刀を支配してやると言わんばかりのギラついた目つきだ。
「……アスト君も相当な変人だよ」
~~~~~~~~~~
「で、今度はどこですか?」
アスト達は数十分間船に揺られ…ることなく、無震動で静かに次の目的地に降り立っていた。
「ふむ、森だ」
「見りゃわかりますよ! なんで森なんか…っていうかここの森、なんかヤバそうなんですけど?」
「そりゃあ立ち入り禁止区間だもん。ヤバいに決まってるよネ!」
「ふぁ~。漸く着いたの? まったく、なんで高尚なるパルメ様が朝早くにこんな辺境の地に来なくちゃならないのよ」
相変わらずハイテンションなパルメに、眠そうな様子のパルメも降りてきた。というのも時刻はまだ6時前で、静かな船内でついつい眠りこけていたのだ。ルミは相変わらずのロボットぶり(?)で、特に変わった様子は見られない。
「いや、軽く立ち入り禁止区間とか言わないでくださいよ! 立ち入り禁止なんでしょ? 入っちゃいけないんじゃないんですか?」
そしてアスト達の目の前には鬱蒼とした密林――明らかにヤバそうな雰囲気を醸し出している樹林が歓迎していた。
「問題ない、許可は取ってある。お姫様の名前を出せば一発だったぞ」
「そういう問題には見えないんですけど? なんか不気味な鳴き声も聞こえてきますし」
森の奥からはカラス――にしては不気味すぎる、動物が出せるとは思えない高音が混じり合った鳴き声が否応なしに耳に侵入してくる。
「そりゃヤバいに決まってるよ。ここは国が管理してる魔獣生息区域だからネ」
「……で、魔獣生息区域に何の用なんですか?」
「勿論訓練だ。実際の対抗戦でも魔獣生息区域で行うことが殆どだからな」
「…え、聞いてないんですけど」
「ふむ、言ってないからな」
「……」
「もう質問はないな、では行くぞ」
「おおーっ!」
「ふぁ~、眠いわ」
船内にいた時の喜々とした様子から一転したアスト。というのも、魔獣が住んでいる森には良い記憶がない、どころか悪い記憶しか無いのだ。
「ドラゴンとか出ませんよね?」
「ぷぷっ、アストっちって意外とビビりさん?」
「豆腐並みの精神力ね」
「アスト君、ドラゴンがいるような星に人間が住んでるわけないだろう」
「……そ、そうですよね」
決して、龍種が生息している星に住んでいたなんて口が裂けても言えないアストである。
この森――魔獣生息区域とは、名前の通り魔獣が生息している地域のことである。そもそも全ての生物は魔素を保持している。しかし実のところ魔素を対外的に、自発的に使用できるものは殆どいない。そのため、簡単に言えば魔素を自発的に攻撃手段として使うことができる生物を総称して魔獣という。
しかし本来魔獣か魔獣ではないか、という区分はかなり難しいものになってくる。先ほどの定義では人間も魔獣に入ってしまうなど、色々と不便を生じてしまうのだ。魔獣の厳密な定義を知るには魔生学を専攻せねばならなく、魔獣とは何か? という質問に答えられるものは殆どいないだろう。だが大人や子供でも分かることとして、“危険”という認識である。これは何ら間違いではなく、ヤバい奴だと、1匹で国家、将又星一つをつぶしたりすることが出来るのだ。
特にその顕著な例としては龍種などが挙げられる。魔獣の中には科学エネルギーを殆ど寄せつけないものもおり、特に龍種などは魔法しか効果がないといっても過言ではない。まあ殆どの人は遭遇することさえなく一生を終える者が殆どだ。そこまでの化け物はいなくとも、このアルスウィッシェンにも魔獣は生息している。その魔獣が生息している場所を魔獣生息区域といい、この星では全ての魔獣生息区域を国が管理しているため、日常生活において遭遇することはまずない。
とはいっても危険ではない魔獣――眠り猫など、普通に町に生息している魔獣も中にはいる。しかし逆に言えば、魔獣生息区域の中にいる魔獣は危険、ということである。
先行するルーシェについて歩いていき数十分もしない内に、視界中が木々に埋め尽くされる。その森の空気は人の中の恐怖心に直接入り込んでくる。しかし特に危険な目にも合わず、1時間が経過しようとしていた…が、
「おやや?どーやら囲まれてるみたいだネ。歓迎パーティーかな?」
感知系の能力者であるミシューが何か察知したようだ。
「囲まれるまで気づかないなんて、あんた絶対サボってたでしょ?」
「さて、なんの話かなぁ?」
「あ、あんたね~!」
「ふむ、狼種か」
しかし欠片も緊張感がない御一行様。それぞれの呟きから数匹の狼種に囲まれているらしい。普通の狼だったらまだいいが、魔獣生息区域などと物騒な名前を掲げている場所だ。普通の狼の訳がないだろう。そんなアストの予測は、こういう時に限ってよく当たるのだ。今回も案の如く、当たってほしくもない予測の答え合わせが刻一刻と迫ってきていた。
日較差:一日の間での、最高気温と最低気温の差




